第2話 プロローグ(2)
本日二話目の投稿です。
「……すごい」
目の前に広がる光景にソフィアの感想は全てその一言に集約される。
ここは、ソフィアの今まで見たどんな国の首都よりも活発だった。もう既に日が暮れていると言うにも関わらず、町全体が光を帯びており昼間のように明るい。
この光景は、夜は静寂が包み込む。そう言ったソフィアの常識を覆すには十分なものだった。そして、今までの辛いことや嫌なこと。それらが忘れられてしまうほどに、この国に魅了されてしまう。
「あれは……確か、獣人と呼ばれる種族では?」
まるで引き寄せられるかのように魔国へと導かれたソフィアは、ふと門を守っている衛兵に関心が寄せられる。
おそらく速度を重視してだろう。城の騎士たちが使っている全身を覆うような鎧ではなく、速度を活かす為に軽装を身に纏っている。そのため、獣人の特徴である獣の耳や尻尾が露出していた。
――狼の獣人でしょうか?
魔国に獣人がいることを可笑しいとは思わない。
人間の国では、魔族とは魔物の特徴を持ちながらも人間と変わらない知性を持つ者を指すからだ。同じ人型であるにもかかわらず、ゴブリンが魔物とされているのはこのためだ。
では、ソフィアが何故驚いたかと言うと……
その人物は、少女だったからだ。
年齢で言えば、ソフィアとそう変わらない。だが、その立ち居振る舞いは毅然としていて、一枚の絵のようだ。
彼女の常識では、衛兵とは男性である。魔法が使えようとも、女性は身体能力で男性に明らかに劣る。そのため、軍に入るとしても女性は主に魔法師として採用されるのだ。
女性が兵士などあり得ない……そんな先入観がソフィアの中にはあった。
「取りあえず、行ってみましょうか……」
このままいつまでも都市の外に出ていては、いつ魔物に襲われるか分かったものではない。
それを考えると、少女が門兵をしていることに驚愕こそしたが、ソフィアはそれを幸運だと思うことにした。
仮に、門兵がそれこそ角や翼の生えた本物の魔族の男性であれば、ソフィアは都市に近づこうなどと思いもしなかったからだ。
舗装されて凹凸が一切ない道をひたすら歩く。
この技術一つとっても、王国はまず間違いなく負けているだろう。王国のそれも貴族街であればこのレベルに近い道は存在する。
だが、ここはまだ都市にも入っていないところだ。
都市内部の道はいったいどれほどのものなのか、ソフィアには想像もできない。ただ、その歩きやすい道に沿って都市へと近づいて行った。
それからしばらくしてだ。
道路に沿って歩いて数分後。門兵をしている少女もまた、ソフィアに気づいたのだろう。いや、ソフィアが気づいていて獣人族の少女が気づかないはずもない。
おそらく、ソフィアよりも先に気づいていたはずだ。人間だとばれないように、フードを目深に被る。こうすれば彼女の方が長身であるため互いに顔を直視することが出来ない。そう考えたからだ。
そして、意を決したようにソフィアは彼女に声を掛ける。
「あのっ、すみません」
「そこで止まりなさい、この時間に何用ですか?」
この時、ソフィアは魔国の言語で話しかけた。
どうやら、この言語は通じるらしい。これも、王妃教育の賜物だろう。学園では習わないが、未来の王妃と言うことで周辺の主要三カ国に加え、魔国と中小国家八カ国の合計十一カ国の言語をソフィアは話すことが出来る。ただ、魔国の言語は必要だからと言うより個人的な興味で覚えたという意味合いの方が大きい。
そもそも三百年も国交のない国で、言語が昔と同じだとは限らないのだ。まさか、趣味のようなもので覚えた言語が今役立つとは……ソフィア自身も思いもよらなかっただろう。
「あっ」
警戒感をにじませた声に、ソフィアは間抜けな声を上げる。
少女が警戒しているのは、考えるまでもなく当然なことだと気づいたからだ。時刻はすでに日が暮れて空を闇が支配している頃。
この時刻は、アッサムでも例外なく門が閉められており一切の出入りが出来なくなる。目の前に広がる都市全体が明るいため、それを考慮していなかったのだ。
それに気づいたソフィアは、外套のフードの下では赤面してしまい俯き気味に尋ねた。
「あの、その辺りで休ませてもらえませんでしょうか?」
そもそも、何故中へ入れてもらえると考えたのだろう。
ソフィアたち人族と彼女たち魔族は、国交も断絶している。最後に国交があったのがクリスタルマウンテンの金剛石の所有権を掛けた戦争であるのだから、人間に良い印象がないかもしれないはずだ。そんな人間が、魔国の中へ入れてもらえるはずがない。
だが、森の中で野宿すれば今度こそゴブリンに襲われて、悲惨な最期を迎える。厚顔無恥なお願いかもしれないが、ソフィアは彼女の慈悲に縋るしかなかった。
「はい?」
一転して、獣人の少女は困ったような表情を浮かべる。
ここまでの話の内容で、どうして城壁付近で休ませて欲しいと言われるのか。彼女にはそれが理解できないようだ。
そして、その反応がソフィアの要望に対する否と言う答えだと受け取ったのだろう。ソフィアは絶望した表情で、茫然とする。そして、先ほど石を投げられたことを思い出したのだろう。このまま食い下がっても、命を短くするだけだ。
――けど、それはそれで良いのかもしれませんね
こんな素晴らしい都市を見ることが出来た。
自分の死に際には、勿体なすぎる。そう考えることにしたのだ。そして、ソフィアは少女に言った。
「せめてもの慈悲を下さい。殺すのであれば、一思いに……」
「こ、殺す!?ちょっと待て!お前は、いったい何の話をしているのだ!?」
ここに来て、少女は声を荒らげる。
先ほどまでは歳不相応な落ち着いた態度だった。だが、どうやらこちらの方が彼女の素の対応らしい。
彼女は、突然夜間に現れた少女が、突然城壁の外に休ませてほしいと言い、突然一思いに殺して欲しいと言う、何もかもが突然すぎて理解できないのだろう。
だが、ソフィアは至って真面目だ。
「このまま、なぶり殺しにされるくらいならば、ここで貴方の手によって殺していただいた方が私は幸せなんです」
「だから、ちょっと待てと言っている!」
「いいえ、待てません!どうせ死ぬならば、この光景を前に死にたいのです!」
「今度は、自殺志願者か!?何で、私の時に限ってこうも変なのが湧くんだ!」
どういう訳か、ソフィアの必死の懇願に少女は頭を抱える。
そんな、少女の態度はもう自棄になったソフィアには関係ない。まるでまくし立てるかのように彼女へと近づくと言った。
「さぁ、お願いします。私の遺体に関しては、出来れば火葬してほしいです。しかし、それが不可能ならば、夕食にされても構いません!」
「私が、構うわ!この馬鹿者!そもそも、何故初対面の相手を食わねばならぬのだ!」
それはもっともだろう。
ただ、ソフィアの記憶では獣人は肉を好む。人間を食べたことはないため、自分が美味しいかは分からない。
だが、全体的にはほっそりとした体形だが出る所は出ており、鍛えたことはないため軟らかいはずだ。そのため、不安そうにソフィアは尋ねる。
「あの、柔らかいお肉よりも筋張ったお肉の方がお好きでしょうか……申し訳ありません」
「……もう、良い。もう、何も言ってくれるな」
少女の表情は、それはもう疲れたような。そして、何かを諦めたようなそんな複雑な表情だった。
ただ、少女の態度からこのまま食べられると言うことはないことに気づいたのだろう。ソフィアは、ほっと安堵の息を吐く。
その瞬間だった。
ぎゅるるる~!
そんな音が、辺りに響き渡ったのは……。
ソフィアにも公爵令嬢としての矜持はある。だが、パーティーの最中はひたすら挨拶回り。そして、前日には出席者の確認とそれ以前からの下準備。
それらすべてをソフィアが寝る間も惜しんで一人で行っていた。本当であれば、これらの仕事は王太子であるローレンスが主導すべきことだ。だが、これまでは全てソフィアが行ってきたことであり、そもそもこう言った仕事が分担されていることさえ知らなかったのだろう。尤も、その時間を使って妹と密会していたようだが。
と、そのような訳でソフィアはここ数日満足に食事をとれていなかった。パーティーの最中は美味しそうな食べ物が目についたものの、つばを飲み込むしかできなかったからだ。
そして、限界が来たのだろう。
「あっ、こ、これは違います!違いますから!!」
そう、否定の声を上げた。その時だった。
ぎゅるるる~!
再び、特大の音が鳴り響く。
先ほどまで自身を食べるかどうかで押し問答していたはずが、一転してソフィアのお腹が自己主張を始める。
これには、ソフィアは顔を赤面させ、一方の少女は呆然とした表情から一転して笑みを浮かべる。
「どうやら、お前の腹の方が素直なようだぞ……仕方がない。私の夜食を分けてやるとしよう。来い」
「あぅぅ~。これは、本当に違うんですって……」
ソフィアは恥ずかしさのあまりそう言った。
だが、少女はそれを信じてはくれない。ふふっと笑うと、ソフィアの手を取って中へと案内してくれる。
奇しくも、当初の目的であった都市内部へ入ること。それが、達成できてしまった瞬間であった。ただ、ソフィアの羞恥心は天井突破してしまったが……些細な事だろう。
「それにしても、まさか門限ギリギリでそれも外側から来るとは驚いたぞ」
どうやら、門限がギリギリだったようだ。
アッサム王国では、日が暮れる前には門が閉められる。だが、この国では違うようだ。少女が視線をやった方向には時計が掛けられており、短い針が八を指している。
おそらく、この時刻が閉門だったのだろう。
そして、ソフィアが警戒されたのは時刻もあるが何よりも方角だ。
クリスタルマウンテンの方角は、道路もほとんど整備されておらず人が通ることも少ないと少女は語る。
――あれで、整備がされていないなら、うちの国の舗装工事はいったい……。
王妃教育に関係あるか分からないが、ソフィアの元にはインフラ整備の計画書が送られてくることも珍しくない。そのため、ソフィアは国の公共事業についてその内情をかなり知っている。
そして、ふと疑問に思った。
――私が、いなくなって上手く行くのでしょうか?
そう思ったのも束の間。
何せ出来損ないと呼ばれた自分に出来た事だ。優秀と呼ばれる彼らに出来ない道理はない。それを思って自身の無力感に苛まれていると、どうやら目的地に着いたようだ。
「ここは、兵士たちの詰め所となっている……ちょっと待て。私の夜食を持って来る。これに座ると良い」
「えっ?」
少女はそう言うと、何やら鉄の塊をソフィアに渡す。
見た目は鉄の塊に見えるものの複雑な構造をしており、おそらく鉄の部分は中が空洞なのだろう。非常に軽い。そして、ちょうど中心がクッションのようになっている。
これにどうやって、座れば?その珍妙な物体に、困惑しつつも取りあえずは試してみることにした。
「こうやって、敷けばいいのでしょうか?……座りにくいですね」
横に倒して座ってみる。
だが、どうにも座るのに適していないようだ。再び立ち上がるとその物体を確認する。そして、真ん中の部分に力を入れると。
「わっ!?い、椅子になった!」
何と、ただの薄い物体だと思ったのが一瞬で椅子に変形したではないか。
これには、ソフィアも驚き、椅子に腰かけては一喜一憂していると呆れた声を掛けられる。
「何を遊んでいるのだ?折り畳みの椅子など珍しくもないだろう」
お弁当を取って来たのだろう。
再び戻って来た少女が子供のようにはしゃぐソフィアに呆れていた。そして、自分の醜態に気づいたのだろう。
先ほどまで、「どういう仕組みなの!?」と椅子を観察していた自分を思い出して、羞恥のあまり顔から蒸気を上げる。そして、椅子の前に立つと令嬢らしからぬ動作で、ポスンと椅子に座った。
「た、たいへんお見苦しい姿をお見せしました……」
穴があったら入りたい。
そんな思いで、ソフィアが謝罪を口にする。一方で、少女はそのことを気にした様子はなかった。よくよく考えてみれば、当然だろう。
初対面で、自分を殺して夕食にする云々を言う少女だ。折り畳み椅子で一喜一憂しているなど本当に些細な話である。
「取りあえず、室内では外套を取れ。ほら、フードも取って」
そう言われると、少女はソフィアのフードを取り払う。
「あっ」
これによって、二人の視線を遮るものはなくなってしまった。
少女はやはり、かなり整った顔立ちをしている。長い銀髪のポニーテールに金眼。そして、その肉厚な耳や尻尾をモフモフしたいと本能が訴えて来る。
だが、その容姿に見惚れたのも束の間。ソフィアはすぐに自分の顔をじっくりと見ている少女の視線に気づいた。
「お前は……」
ソフィアは、本当は縁の下の力持ちでした。
ソフィアが居なくなったアッサム王国の混乱が目に浮かびます。閑話として書くのが楽しみです。
プロローグは三話まで続きそうです。可能であれば、今日中に投稿しておこうと思います。