エリックの逆恨み
本日二話目の投稿です!
エリック=ダージリン。
彼は、アッサム王国において双璧を為す公爵家の一つダージリン家の長男で、類稀な才能から次期宰相間違いなしと言われていた。
そう。それは過去の事だ。
「なあ、あの噂を聞いたか?」
王城を歩いていたエリックの耳に誰かの話し声が聞こえて来る。
噂話がされていることは特に珍しいことではない。そのため、エリックは普段であれば気にも留めなかっただろう。
だが、今日は違った。
「噂って、エリック=ダージリンの事か?」
「何だ、知っていたのか。ああ、何でも宰相候補から外されて、宰相補佐をすることに決まったとのことだ」
「そうなのか?俺は、廃嫡になるって聞いたぞ」
エリックは二人の話し声に歯ぎしりをする。
この噂を聞いたのは今回が初めてではない。ここ数日、城内では至る所で話されており、自然とエリックの耳にも入ってきてしまうのだ。
だが、エリックは否定することができない。そのため、エリックは立ち止まると噂話をしている男性たちに鋭い視線を向ける。
「おい、エリック……様だ。こっちを睨んでいるぞ」
「……何も言ってこないってことは、噂は本当だってことだよな」
エリックの視線に気づいたのだろう。
男性二人は小声で会話を再開する。だが、その声はエリックの耳にも届いていた。
おそらく、エリックの反応から噂の真偽を確かめているのだろう。表面上は穏やかな笑みを浮かべているものの、エリックを見る目は酷く冷めたものだ。
間違いなく彼らは、エリックを次期宰相として見ていない。
それどころか、どこか見下されているようにエリックは感じてしまう。今まで受けたことのない侮蔑を含んだ言葉にエリックは、怒りのあまり顔を赤くする。
「貴様ら……「お前たち、いつまで油を売っているつもりだ!」……」
エリックが二人に何かを言おうとすると、誰かがエリックの声に言葉を重ねるように怒鳴り声を上げる。
声の主は、宰相補佐の一人であるデズモンド=オレンジ伯爵だ。
「申し訳ございません!彼とは、少し情報交換を……」
「ほう。確か、そっちの者は財務省の文官だったな……だが、話が聞こえて来たがどうにも無駄話が多かったようだが?」
どうやら、エリック同様に話を聞いていたのだろう。
そのため、意地の悪い笑みを浮かべるデズモンドに男性二人は素直に頭を下げる。
「「申し訳ございませんでした」」
「もう、行って良いぞ……噂は人のいない所で、な」
デズモンドの言っている意味に気づいたのだろう。
二人はデズモンドに対して僅かに苦笑した後、エリックを一瞥する。そして、二人は資料を抱えたままどこかへと去って行ってしまった。
去って行った彼らの背を見送ると、デズモンドはそのまま振り返り、エリックに声を掛ける。
「エリック殿、いらっしゃったのですか?」
「っ!?」
デズモンドは、まるでエリックが居たことを今気づいたかのように振舞う。
だが、デズモンドの現れた位置からしてエリックの存在に気づいていないはずがない。エリックは怒りの矛先を二人の男性からデズモンドに移行するが、エリックは今自分が置かれている立場を思い出す。
「それで、どうかされたのでしょうか?宰相補佐見習い殿」
エリックにはすでに次期宰相と言う肩書も、ダージリン公爵家嫡男と言う肩書もない。
あるのは、宰相補佐見習いと言う肩書だけだ。
そして、目の前にいる人物は宰相補佐の一人でオレンジ伯爵家の当主である。
エリックの処遇の詳細を知っている人物だ。そのため、丁寧な口調ではあるものの、明らかにエリックを下に見ている。
「特にはなさそうですね……では、私もここで失礼しましょう」
エリックの様子から何もないと判断したデズモンドは、エリックの横を通り去って行った。
そして、デズモンドが角を曲がり姿が見えなくなると……
ドンッ!!
エリックは、怒りのままに廊下の壁を叩いた。
力を制限しなかったため、拳にじわじわと痛みが伝わる。だが、そんなことはどうでも良かった。拳の痛みよりも、デズモンドたちの態度の方がエリックには気に入らなかったからだ。
「くそっ、何で僕がこんな目に……」
エリックは、怨嗟の籠った声を上げるが、誰もいない廊下に虚しく響き渡るだけだった。
事の発端は三日前だ。
「父上!どうして、私が宰相補佐見習いに!?」
エリックは、父親であるセドリック=ダージリンに呼び出され、無情にも次期宰相候補から外されたことを告げられる。
「これが必要な処置だからだ……お前には、トリスタンの補佐をしてもらうつもりだ」
トリスタンとは、エリックの弟でダージリン公爵家の次男である。
エリックは、この言葉の意味が理解できないわけではない。だが、信じられないのだ。彼の中では、未だに自身が失態を犯したと言う自覚がないのだから。
「納得できません!トリスタンは、まだ七歳です。四年後は十一歳なのですよ!?他国からどう思われるか、父上ならば理解しているでしょう!」
エリックの言っていることは正論だ。
だが、セドリックが何も考えていないはずがない。そのため、感情のままに言葉を紡ぐエリックとは対照的に落ち着いた声で語る。
「ナサニエルとは話をつけている。これから一年以内に、法を改正して定年を五十に引き延ばすつもりだ。その時、トリスタンは二十一だ。これで問題はなかろう」
エリックも法の改正については問題ないと考えている。
今の貴族の平均年齢からして、遅かれ早かれこうなるのは分かりきっていたからだ。だが、後者に関しては反対だった。エリックは、視線を下げると口を動かす。
「父上は……」
――それほどまでに、自分に宰相を任せたくないのか
エリックはセドリックにそう言おうとした。
だが、セドリックの様子からしてその答えは決まっている。明言されるのが怖くなり、エリックは言葉を続けることはしなかった。
「これは、既に決定事項だ。それと、お前をダージリン家の嫡男から外す」
「なっ!?」
「当然だ。公爵でもない者が宰相を継ぐことができるはずがなかろう」
宰相と言う立場は、公爵家当主と言う力があるからこそ成立する。
仮に、当主でない者が宰相になったとして、どうやって貴族を従えられるのか。次期宰相の立場がトリスタンに移行すると言うことは、付随的に次期公爵の地位も移行する。
「待って下さい!そうなれば、私は……」
「今後は、分家を設立する。貴族位としては、男爵と言ったところだろう。その地位をお前に渡し、宰相補佐に命じるつもりだ」
「そんな……」
公爵家嫡男から、法衣男爵。
その事実にエリックは、呆然とした声を上げる。そして、一人の女性の顔が頭の中をよぎる。
――アイナ……
エリックが恋をした女性は、公爵令嬢だ。
一男爵と公爵令嬢。釣り合いが取れるはずもない。エリックは、それを悟ってしまい、その場に膝を着く。
セドリックは、エリックの様子に何を考えているのか悟ったのだろう。そのため、重いため息を吐いて言った。
「お前は、いつまで病にうなされているつもりだ……仕事でもして、頭を冷やして来い」
そう言われて、エリックはセドリックの執務室を追い出されたのであった。
そして、現在に戻る。
エリックは、薄暗い廊下の壁にもたれかかると、虚ろな視線で光が差す窓の外を見る。
そこから見えるのは、城の中庭だ。そこには、数多くの花が植えられており、太陽が花々を照らして彩り豊かに輝いていた。
エリックは、その中にある人物を見かける。
「アイ……ナ」
エリックは、その人物に手を伸ばす。
だが、その声は続かない。その人物の隣には、王太子であるローレンスが寄り添っていたからだ。
別に二人の関係がおかしいわけではない。むしろ、婚約しているのだから当然の距離だろう。身分が問題ではなく、自身がしているのは横恋慕だと理解している。そして、それが成就することがないことも……
「そうだ、全部あいつが悪いんだ」
虚ろな視線でエリックは呟く。
「僕がこんな目に遭うのも」
その人物の容姿が頭に浮かぶ。
「アイナと婚約できなかったのも」
その人物の声が思い起こされる。
「全部が、全部あいつが……ソフィア=アールグレイが悪いんだ!」
まるでため込んでいた恨みをぶつけるかのようにエリックは、もたれかかっている壁を叩く。
そして、決意した。
「ソフィア=アールグレイ……絶対にお前を許さない。生きているのなら、どんな手を使ってもお前を殺してやる」