スタリカに忍び寄る人形
昨日は更新できず、申し訳ありません。
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交渉が中断してから、三時間ほどが経過した。
ブラン城より、更に北部。スタリカの街の北のはずれにある古めかしい作りの屋敷。そこには、交渉の場にいたリッチレイモンド=スカルと年配の吸血鬼ロベルト=ドラキの姿があった。
「忌々しい」
ソファに深く座ったロベルトは、グラスに注がれた赤い液体を揺らし、感情を隠さず舌打ちをする。脳裏に浮かぶのは、人間族の若造と小娘の姿。ロベルトからすれば気に留める必要もない矮小な存在であるはずが、どういう訳か心をざわつかせる。
「しかり」
そして、それに同意するのは対面に座るレイモンド。
リッチとはアンデッドの支配者であり、北部では吸血鬼と双璧を為す種族である。骸骨であるゆえに表情は分からない。しかし、しきりに指を手すりに打ち付けていることから、似たような心情であることは容易に考えつく。
「まさか、このような形で意見が一致するとはな。お主とは、永遠に分かり合えぬと思っておったぞ」
「それはこちらのセリフだ。このような状況でなければ、誰が骸骨なぞの話に耳を貸すものか」
「かかかか。確かに、一理あるな。好き好んで蝙蝠と会話をしたいとは思わぬからな」
「「……」」
しばらくの間、静寂が包み込む。
レイモンドとロベルト、この二人は三百年前の世界を生きた古強者だ。互いにアンデッド族を支配する種族であり、その仲は非常に悪い。
レイモンドは骸骨と蔑まれ、ロベルトは蝙蝠と罵倒され、互いに表情こそ出さないものの高められた魔力が殺伐とした空気を醸し出していた。いつもであれば、このまま罵倒を繰り返すか、場合によっては武力の衝突が起きる。
しかし、今日は違った。
「今日は時間が惜しいからな。さっさと、本題に入るぞ」
「同感である。して、本題とは人間の事についてであるな?」
「当然だ。というよりも、俺たちがこうして話し合うことなど、それ以外にないだろう」
「かかかか。言われてみれば、今も昔も同じであるな。懐かしい話である」
ロベルトは不愉快そうに鼻を鳴らすが、レイモンドは愉快そうに笑う。
二人はすでに三百年以上前からの付き合いで腐れ縁といったところだ。三百年前の世界では、ともにアンデッドの王として敵であり、そして味方でもあった。
「再び、こうして人間のことで悩まされるとは……認めたくはないが、やはり人間とは我々にとって天敵なのだろうな」
「しかり。尤も、お主と我らでは人間に対するスタンスは違っておるがな。我々は、人間がアンデッドという理由だけで襲ってくるから迎撃していたにすぎぬ。お主らは進んで敵対していたのであるからな」
「吸血鬼には血が必要だ、仕方のないことだろう。だが、お前らも死体漁りをしていたから狙われていたのだろう。それに理性のないアンデッドは無暗に襲い掛かって来る。襲われて当然だ」
当時の二人にとって、共通の敵は人間。
敵対した関係でありながらも、人間と対峙するときはお互いに歩み寄り、手を取り合って来た。
(まったく、こうして手を取り合うことだけはしたくないと思っていたのだがな)
ロベルトは、長きに渡る関係で、こうして手を取り合うような行動を無意識のうちに避けていたのだとしみじみと思う。それは、レイモンドも同じなのかもしれない。器用にも苦々しい表情を浮かべているのが分かる。
「それで、話し合いと言ってもどうする? どうやら、あの変態は向こうにつくみたいだからな」
「そのようであるな。」
忌々し気に吐き捨てるロベルト。
脳裏に浮かぶのは、自身を足蹴にしたヴラドの姿。全盛期に比べれば弱体化した自覚はあり、今となっては北部だけでも自分よりも強い者は両手の指では数えきれないほどいる。
しかし、ロベルトは三百年前の世界では吸血鬼の王と呼ばれる存在だった。今でも強者である自負もある。だからこそ、何の抵抗もできずに足蹴にされたことに、著しくプライドが傷つけられていた。
「……交渉は時間の問題だろう。力不足というのは、嫌でも理解させられたからな」
先ほどフェルに掴まれた首を擦り、真剣な表情を浮かべるレイモンド。
「……しかり。であれば、我々にできるのは時間稼ぎのみ。ヴラド様が反対されないと言うことは、交渉は続くものの、着々と国交回復が進むはずである」
「ちっ」
多種族国家である魔国は当然のことながら一枚岩ではない。
魔王を頂点とした構図にはなっているが、その下には東西南北それぞれの支配者である四天王がいる。
魔王は魔国全土を統治する形になっているが、広大な魔国の全土を治めることは不可能である。それ故に、中央は代行者、東西南北はそれぞれの四天王が統治する形で、魔王はその監督をする。
「頭越しに勝手に話が進むとは、まったく忌々しい限りだ」
「しかり。口出す権利がないのはもどかしいことこの上ない。軽んじられるのも、不愉快であるな」
「ああ、本当に……本当にその通りだ」
国交回復という国家レベルの問題では、採用されるのは四天王や代行者レベルの意見のみ。ロベルトやレイモンドは、四天王の統治する土地の有力者という立場でしかないのだ。それ故に、実際のところソフィアたちの交渉はヴラドを味方に引き入れた時点で成功している。それが分かっているからこそ……。
「実際のところ、今日の茶番はこちらに配慮したという意思表示でしかないのだろう。我々が到底認められないと分かったうえでのな!」
沸々と湧きあがる怒りに任せて、手に持っていたグラスを割る。
中に入っていた赤い液体が服を汚すが、ロベルトは気にしない。そして、その意見に同意するようにレイモンドが頷く。
「しかり。大方何の連絡もなしに、国交回復に向けた動きを始めれば我らがへそを曲げると考えたのであろう。しかし、決定権がない状況では変わりがないのであろうがな」
レイモンドやロベルトとの交渉の場に招かれたのは、政治的な配慮というやつだ。自分たちの意見は無視され、話は勝手に進んで行く。
ロベルトの怒気に応えるように、レイモンドも怒気を発する。自然と漏れ出した魔力が室内を満たし、壁や家具をギシギシと圧迫する。
衰えたとはいえかつては王と呼ばれた存在の魔力だ。種族でも上位に位置しており、その二人の魔素が充満した場所は、普通の人間であれば命すら危険な魔窟と化す。
「だいたい、どうしてあの変態はあんな小娘を交渉の場に招いた?」
それが疑問だった。
正直言って、政治的な配慮であればヴラドとアルフォンスの二人がいれば事足りる。北部の一有力者相手にフェルが出張る必要もなく、ヴラドの力量を考えると護衛も必要ない。
そして何よりもソフィアの存在は、むしろロベルトたちの機嫌を損ねるだけ、百害あって一利なしというわけだ。だからこそ、解せない。
するとその時だった。
「ふふふふ……。きっと、ヴラド=ドラキュリアはあの人に期待をしていたのでしょうね」
「「っ!?」」
突然響き渡った、女性の笑い声。
本来いないはずの三人目の存在に気が付いた二人は、同時に飛びあがると声のした方向から遠ざかる。
「何者だっ!?」
反射的に声を荒げるロベルト。
臨戦態勢に入っているが、その表情は険しく額には玉のような汗が滲んでいた。リッチであるレイモンドの表情は分かりにくいが、いつの間にか杖を出していることから警戒していることは明らかである。
『何者ねぇ……』
そんな言葉と共に、姿を現すその人物。
新雪を彷彿させる真っ白な髪に、吸血鬼にとって忌避される十字架を持つ少女。その瞳は虚ろで、ロベルトを見ているようで見ていない。
その少女……いやその背後にあるナニカから目が離せなくなる。
「貴様はあの小娘と一緒に現れた人間であるな! いったいどうやってこの場に、護衛の者たちは何をしている!」
レイモンドは声を荒げると同時に、リッチ特有の死の波動を周囲に散らす。
生者であれば忌避する波動。目の前の存在に通用するとは思えないが、多少なりとも効果があるように思える。
『安心しなさい、誰一人殺していないわ。せっかく面白そうな状況になっているのだから、利用しない手はないと思わない?』
「貴様、いったい何を……っ!?」
得体の知れないナニカ。
それは、白髪の少女の背後から浮かび上がる。それは一体の人形。少女とは違い黒い髪を持つ無機質な表情を浮かべていた。
次の瞬間だった。先ほどまで目の前にいた人形が姿を消したのは。そして、それと同時に……。
「あなた方人形が知る必要はないわ」
底冷えするほど低い声が背後から聞こえる。
先ほどまではどこか遠くから聞こえていたように感じた声。しかし、今聞こえる声はすぐ近くから聞こえているように思える。
(この気配、いったい何ものなんだ……)
思考を巡らせ背後に振り返る。
しかし、その者の顔を見ることはできなかった。ロベルトが最後に見たのは、半月に歪む少女の口だった。
屋敷の一室。
そこには、白髪の少女と吸血鬼とリッチがそれぞれ気を失って倒れている。ソファに座るのは一人の黒髪の少女。
誰かが現れるのを待っているのか、部屋に置いてあったワインをグラスに注ぎ寛いでいた。
「まさか、直接出て来るとはな」
現れたのは、黒衣の男性レイブン。
アッサム王国から直接つながる海路を使ってスタリカの街に現れていた。その両脇には、少女のような顔立ちをした少年や、少女と同じ髪の色をした青年と同じくらいの年齢の青年が立っていた。
おそらく案内係として使っていたのだろう。用が済むや否や、三人はこと切れた人形のように床に倒れる。
「それでいったい何のようだ? この一件は俺に一任しているはずだが」
「ええ、貴方の実力は買っているわ。けど、相手が悪かったわね。すでにヴラド=ドラキュリアは貴方の存在に気が付いているわ」
「……この距離でか」
「あれは一種の化け物よ。東ほどではないけど、これ以上近づけばあなた程度、命はないわね」
「……」
少女は無機質な瞳をレイブンへ向ける。
その足元にまるでペットのように座るのは合成獣。レイブンのことを信用していないのか、鋭い視線を向けていた。そんな合成獣の首筋を少女は優しく撫でる。
「このままではせっかくの海路が使い物にならない。だから、私が利用できるように手を貸してあげようかと思っただけよ」
「そう言うことにしておこう」
と心にもないことを言う少女。
全く本音が見えない少女の言動に、レイブンは小さく息を吐く。そして、気になっていたことを尋ねた。
「それにしてもどうやってこの場へ来た?」
雇い主の力の詮索はタブーだ。しかし、少女は気を悪くした様子もなく、手を翻す。そこには複数の黒髪の人形が存在していた。
「嫉妬に、憤怒……いいえ傲慢と言ったところかしら。使い勝手が悪いけど、なかなか便利な力よ」
と答えにならない答えを返す少女。
それと同時に、少女の近くを浮いていた無数の人形が、横たわるロベルトたちの体に憑りついて行く。
その光景を見て、レイブンは僅かに眉を顰めるのであった。
「さて、私の手伝いはここまで……」
そう言って立ち上がる少女と合成獣。
次の瞬間には、一人と一匹の姿が消えており、どこか遠くから声が響く。
『人形たちに命令を出したわ。後は好きにしなさい』
そう聞こえるや否や、ロベルトたちは立ち上がる。
「ははははっ! そうだ、その通りだ! もう魔王の庇護など必要ない!」
「かかかかっ! しかり、しかり! 我らは我らの道を歩む、何故今まで従って来たのか分からぬのであるな!」
突然笑いだす二人。
その言動を聞き、レイブンは少女が与えた命令の内容を悟る。そして、ここにはいない少女の姿を思い浮かべて、小さく呟いた。
「化け物め……」
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