第106話 ソフィアの後悔
「完全に逸れてしまいましたね。フローラちゃんも、アレンさまも大丈夫でしょうか?」
スタリカの街並みを見て歩きながら、ソフィアは呟いた。
陰鬱そうな雰囲気の街並み。話によると初代魔王が『霧の都ろんどん』をモチーフにして作り上げたと言い伝えられているらしい。
南部の街並みとは一転して、どちらかというとアッサム王国に近い建物が多い。尤も、技術レベルについては天と地ほど乖離しているが。
普通の人間であれば鬱になりそうな街並みであるが、住民の心は晴れやかだ。
道路を見渡せば、ゾンビカーニバル。通行妨害など関係ないと言わんばかり。迷惑なと思うが、スタリカではこれが常識だ。
路肩には、そんなアンデッド向けの商品が揃えられている。
「露店で輸血パックが売られている光景、私初めて見ましたよ」
思わず表情を引きつらせてしまうソフィア。
文化の違いゆえに仕方がないと言い聞かせるが、血液の保存を考えてそれで良いのかと思わずにはいられない。
すると、店番をしていたヴァンパイア族の男性が、ソフィアの呟きを聞いて苦笑する。
「まぁ、この有様だ。交通事故は日常茶飯……「ぎゃぁあああああああ!!!!」……おっと、噂をすれば現れたか」
どこかから聞こえる絶叫。
その声に反射的に振り返ったソフィアは、人型の何かがボーリングのピンのように宙を舞っている姿を見る。
遠目であるが、その人型から液体のようなものが飛び散っているように見えた。
「とまぁ、あんな感じで血液が必要になるんだよ」
「普通、死んでません?」
「普通に、死んでるんだ、今さらだな。」
「普通、救急車を呼びませんか?」
「普通呼ばないな。というより、呼ぶ必要もないだろう」
「普通、助けたりしないのですか?」
「だから普通に輸血パックを置いているんだぞ。世の中は、セルフメディケーションが第一だ。おかげで、俺らが儲かるからな」
「……」
ソフィアは、理解した。
スタリカの町……いや、北部では自分の常識が通用しないのだと。交通事故に遭ったゾンビたちに駆け寄るのは、救急隊ではなく商人だった。
医療費を考えると、セルフメディケーションの重要性も理解できる。
しかし、交通事故は自己治療でどうにかなる次元なのか。そう思っていると……。
「ほら見てみろよ、もう復活し始めているぞ」
「……」
唖然。
ソフィアは、情けなくも口をあんぐりと開けた状態でその光景を見ていた。まるでキョンシーのように勢いよく立ち上がるアンデッドたち。
輸血パックを商人から奪い去ると、面倒だとばかりに一気に飲み干した。中には、牛乳と混ぜて飲んでいる者もいるではないか……。
「コーヒー牛乳ならぬ、ブラッド牛乳ですか……骨折しているなら、カルシウムは大切ですからね」
現実逃避するように、あははははと乾いた笑い声を上げるソフィア。
飲みたいとは思わない。というよりも、生者が飲んで良いものではないだろう。アンデッドだからこそ飲めるものだ。
「嬢ちゃん、大丈夫か? 傍から見ると、ドンドン目がやばくなって行くぞ」
「大丈夫です、大丈夫……ええ、私は大丈夫ですとも」
「お、おぉ……」
まるで自分に言い聞かせるように呟くソフィア。
そんなソフィアの姿を見て、男性は「この嬢ちゃん、やべぇ」などと言っているような気がする。いや、そんなことはないだろう。
ソフィアもまたスタリカに対して、同じ感想を抱いているのだから。
互いに引きつった表情で、笑い声を上げていた。
「さて、私たちもそろそろ……あれ?」
ソフィアがこの場を去ろうとした瞬間、気が付いた。
辺りを見渡す。見渡す限りのアンデッドだ。ゾンビ、ミイラ、リッチ、ガイコツ、グール、ゴースト……。
「アンデッドの宝石箱や」
ついそんな言葉が漏れてしまう。
きっと、今のソフィアの表情は何とも形容しがたいものだろう。テレビで聞いたようなフレーズツッコミを入れてしまう。
が、今はそんなことはどうでも良い。
ソフィアはそれよりも深刻な問題に気付いてしまったからだ。
「もしかして、私迷子なのでしょうか?」
そう、ソフィアは一人だった。
フェル、シルヴィア、ロレッタ、フローラにオーギュスト、アレンにジョージ、そしてアルフォンスにトノ。
賑やかなメンバーだったはずが、気が付けばソフィア一人だけ。
フェルはトノ以上に自由気ままに行方不明。
アルフォンスは仕事、フローラたち四人はアンデッドに拉致され、シルヴィアは気絶中……残りはロレッタにトノなのだが。
「ロレッタさんたちだと、間違いなく食べ歩いているに違いありませんよね。ですが、シルヴィアはどこへ行ったのでしょうか。しばらくは動けないと思ったのですが」
困りましたと頬に手を当てるソフィア。
目的地である古城は、非常に目立つため迷うことはないだろう。しかし、それぞれの状況からして目的時刻までに集合できるかは怪しくなって来た。
どうしたものかと、考えていると不意に声を掛けられた。
「それにしても嬢ちゃん。あんた美味そうな血をしているな」
「へ?」
先ほどの店主だ。
どこかで言われたことのあるフレーズに、ソフィアは表情を凍らせる。よく見ると、周囲には男性と同じ吸血鬼が集まってきているではないか。
「な、なぁ……そこのお嬢さん、良ければ少し血をくれないか?」
「ちょっとだけ、ちょっとだけで良いのよ」
「半分……いや! 三分の一で良い!」
「それ少しじゃないですよね!?」
狂気を宿した視線を前に、ソフィアは身の危険を感じて思わず後ずさる。
しかし、ここは北部最大の都市スタリカ。吸血鬼である北の四天王が支配する都市だ。アンデッドだらけに思えるが、吸血鬼の人口も他の都市とは比べ物にならないほど多い。
逃げようと思ったが、既に囲まれていた。
「ひっ……」
少しずつ近づいてくる群衆に、ソフィアは自身の迂闊さを呪う。
人間であることがばれたわけではない。しかし、自分で思っている以上に自分の血が吸血鬼には好みなのだと思い知らされた。
(ど、どうして誰もいないんですか!?)
迷子になったからだ。
自業自得だと思うが、そう思わずにはいられない。シルヴィア、もしくはフェルがいれば……本能的に天敵と感じているのか近寄ろうともしないフローラでも良い。誰でも良いから助けて欲しいとソフィアは願った。
と、その時だった。
「お待ちなさい」
聞き覚えのある声が響き渡る。
人垣を縫うようにして現れたのは、小さな金髪の少女。まるで人形のように整った顔立ちをする吸血鬼だった。
ソフィアは彼女の事を知っている。
エリザベート=ヴァンプ。
マンデリン近くのミッドナイト横丁で店を構える少女だ。いったいどうしてここに……。そんな思いがソフィアの頭の中をよぎる。
「エ、エリザベート様!」
エリザベートが現れると、途端におののいたような表情を浮かべる吸血鬼たち。今にも平伏してしまいそうな雰囲気だ。
(そう言えば、吸血鬼には階級があると聞いたことがあります。もしかして、エリザはノーブルなのでしょうか?)
ソフィアが知っているのは、吸血鬼には階級があること。
血に刻まれた上下関係である。真祖を祖として、その血が濃ければ濃いほど階級は上となる。
ノーブルとは、その中でも特に血が濃い吸血鬼を指す。
周囲に吸血鬼がいないため分からなかったが、この様子を見るとエリザベートはノーブルである可能性が高い。
「散りなさい」
エリザベートがたった一言命じただけで、ソフィアを囲っていた吸血鬼たちはまるで逃げるように散って行った。
自分よりも小さな体躯。
それでありながらも、その体から噴き出る覇気は貴族に相応しいものだった。
この若さで、これだけの威圧感。魔国とはやはり人外魔境なのだと思い知らされた。
「ソフィア、危ないところでしたわね」
「はい、本当に助かりました。エリザには命を救われたような思いです」
「そうですの」
先ほどまでの逞しい姿とは一転して、年相応のコロコロとした笑みを浮かべるエリザベート。
何故だろうか、微笑ましい笑みのはずがソフィアの本能が警笛を告げているように感じる。そして、その予感は正しかった。
「恩を感じているようであれば、気にすることはありませんわ。ただ、どうしても恩返しをしたいと言うのであれば……そうですわね。少しだけ味見させて頂ければそれで満足ですわ」
じりじりと近寄って来るエリザベート。
頬を僅かに紅潮させ、可愛らしい舌がチロリと舌を舐める。その隙間からは鋭く伸びた犬歯が覗いていた。
ソフィアは悟った。
(一難去ってまた一難……私、生きてマンデリンに帰れるのでしょうか?)
心の底から湧きあがる疑問の答えは、まさに神のみぞ知る。
ソフィアは、北部へ来たことを後悔し、指令を出した魔王様を心の中で呪うのであった。