第11話 副料理長アンドリュー
「ここが、料理本のコーナーになります」
「うわぁ、これ全部料理の本なんですか?」
エルフの男性フレディに案内されて来たソフィアは目の前の光景に感嘆の声を上げる。
それも仕方がないだろう。自身の身長よりも高い本棚が左右二列にずらりと並んでおり、そこに収められた本全てが料理というカテゴリーなのだから。
下手をすれば、アッサム王国の図書室にある本の数と同じくらいあるのでは。そう考えて、ソフィアは唖然とした表情をしてしまう。
それを見た、フレディはソフィアの様子に苦笑すると答える。
「はい。およそ千冊ほどでしょうか?」
「せ、千冊!?」
フレディの言葉にソフィアは目を丸くして驚愕の声を上げてしまう。
「ええ。ですが、ここには雑誌の類は含まれていません。それらを合わせれば、この倍は優に超えるでしょう」
「に、二千冊を超える……」
ソフィアはフレディの言葉が信じられなかった。
料理と言うたった一つのカテゴリーでどうしてそれほどの数の本があるのか。そう思ってしまったからだ。
「まあ、当然だろうな」
すると、ソフィアの驚愕を余所にオークの男性アンドリューが納得の声を上げる。おそらく彼にとっては、これくらいの蔵書の数は当たり前なのだろう。
「そ、そうなのですか?」
「ああ、食材の中には特殊な調理をしないと食べられない物が多い。大抵、そう言う食材に限って滅茶苦茶美味いんだよ。だから、ここにはそのハウツー本があるんだよ」
ソフィアも聞いたことがある。
アッサム王国では、魔物の肉は人間が食べられない物として処理されていた。実際に魔物の肉には魔力が含まれており、人の体に入ると毒だからだ。
そのため、ソフィアは美味しそうだと思ったことがあっても、魔物の素材で料理をしたことはこれまで一度もなかった。
だが、魔国では魔物の調理法が確立されているようで、スーパーには魔物の肉などは置かれていないものの、専門店などで見かけたことがある。
「まあ、料理するには最低でも料理レベルが六以上必要ですけどね」
「そう言うことだ。料理人の中では魔物の肉を調理できることが一流の証になる。まあ、普通の店で良いんならそこまでのスキルは求められねぇがな」
「なるほど」
ソフィアにとって、二人の語る話は非常に興味深いものだった。
魔王軍の料理人になる。そう息巻いたものの、ソフィアが魔国へ来てから一週間しか経っていないのだ。その間は、戸籍の登録や履歴書の作成。魔国の先進的な文明に対する驚愕でそう言った常識を学ぶ時間がなかったからだ。
まさか、魔物を使った食材で料理ができるようになることが一流の料理人に求められるとは、思いもしなかった。
「ソフィアさん。このアンドリューさんは、こう見えて一流の料理人なんですよ。色々な魔物の料理に取り組んでいますから」
「こう見えてって、どう言う意味だ?」
フレディの言葉に、アンドリューはギロリと睨む。
アンドリューの料理スキルのレベルは六以上なのだろう。ただ、フレディの言いたいことはソフィアも理解できる。
アンドリューの服装は、黒いズボンに派手な柄のシャツ。そして、その上から背中に「料理魂」と大きな赤文字で書かれた黒いジャンパーを羽織っていた。仮にサングラスでもしていれば、裏業界のオークだと言われても納得できてしまうからだ。
「服装を変えれば、料理人に見えなくも……ないですか?」
アンドリューが今のような恰好をしていなければ……フレディはその姿を想像する。
だが、それを想像してもアンドリューが料理人に見えるかと聞かれると、判断に困るのだろう。そのため、首を傾げてしまう。
「ったく。今度うちに来ても飯出さねぇぞ」
フレディは冗談で言っているのだ。
アンドリューもそれが分かっているのだろう。怒った様子もなく、疲れたようにため息を吐く。
「ははは、それは困りますね。シュナイダーさんの料理は私の楽しみなんですよ」
「えっ?」
ソフィアはフレディの口から聞き覚えのある名前を聞いて声を上げる。
別にシュナイダーと言う名前は珍しい名前ではないはずだ。ただ、料理人でシュナイダーとなれば、魔王軍マンデリン支部料理長のシュナイダー=ゴブを連想してしまったからだ。
ソフィアがシュナイダーと言う言葉に僅かに反応を見せたのに気づいたのか、フレディが尋ねる。
「どうかされましたか?」
「い、いえ。ただ、シュナイダーさんって言う人物に聞き覚えがありまして。もしかして、魔王軍の料理長をしている方でしょうか?」
「はい、そうですよ。そして、こちらが副料理長を務めているアンドリュー=オルクさんです」
フレディの言葉に、ソフィアは驚愕する。
ソフィアもまた、アンドリューの奇抜な服装から料理人だとは思えなかったからだ。まさか、その人物が魔王軍の料理人で副料理長だとは……
――人は見かけによらないですね
ふと、そう思った。
そして、ソフィアが何を考えているのか察したのか、アンドリューはソフィアに鋭い視線を向ける。
「何か文句があるか?」
「いえ、大丈夫ですよ」
内心の驚愕を噯にも出さず、ソフィアは微笑みを返す。
一方で、アンドリューやフレディは何を驚いたのだろうか、目を丸くしてソフィアに視線を向けた。
「どうかされました?」
「いえ。アンドリューさんは話すと気さくな方ですが、強面ではないですか?大抵の女性なら、睨まれればすくみ上がってしまうんですよ……意外と肝が据わっているんですね」
フレディの言葉に、ソフィアは納得の声を上げる。
確かに、アンドリューは人間ではなくオークだ。そして、決して愛嬌のある顔つきではない。非力な女性が、彼に睨まれでもすればその場から逃げてしまっても仕方がないだろう。
ただ、ソフィアもそれなりに修羅場は潜り抜けてきている。
それに加えて最近では……
「第三通りのスーパーと言う名の戦場で、どうにか生き残りましたから」
フレディはソフィアの言葉の意味を理解していない様子で、首を傾げてしまう。
だが、アンドリューは「あれか……」と言って、遠い目をしている様子から聞き覚えと言うよりも、実際に体験した様子だ。
ソフィアの様子に半分納得したが、もう半分は「どうして生きている?」と言った様子で不思議な生き物を見るような目をしていた。
「なるほどな。まあ、あそこを潜り抜ければ俺程度ですくみ上がるはずがねぇな。本当に、俺も何で生きていられたんだろうな……」
「本当ですよ。私なんか、雷の魔法が頬を掠めそうになりましたよ」
「はっ、俺は氷の魔法で串刺しにされそうになったぜ」
ソフィアもアンドリューも当時の事を思い出したのか、目から光が消えて虚ろな視線を宙に彷徨わせる。
「それで、お前さん。料理長がどうかしたのか?」
アンドリューは気を取り直したようで、ソフィアに尋ねる。
「あっ、はい。いえ、この前魔王軍の求人で面接をしてくださったのが、シュナイダー=ゴブさんだったんです」
その言葉に、アンドリューは目を丸くすると、一拍置いて笑い声を上げる。
「わはははは!!!こいつは、傑作だ!!おいおい、お前正気かよ!」
「えっ?」
突然笑い始めたアンドリューを見てソフィアは驚く。
そして、フレディに視線を向けると彼もまた信じられないと言った視線をソフィアに向ける。
「ソフィアさん、正気ですか?いくら何でも、それは無理があると思います」
いまだ爆笑しているアンドリューを余所に、フレディは心配そうな声を上げる。
「どうしてですか?」
フレディがその理由を答えようとする前に、笑いを収めて真剣な表情を浮かべるアンドリューが言った。
「決まっているだろう。うちはあそことは違うが戦場だ。
一日にどれだけの仕事量があると思っている。それに、料理人だろうが魔王軍の一員だ。お前みたいなひ弱な嬢ちゃんが来ることができる場所じゃねぇよ。
っと、時間が押しているな。フレディ、ワイバーンの調理法が載っているのを頼む」
「あ、はい……こちらになります」
アンドリューはお目当ての本をフレディから受け取ると、ソフィアに背を向けて歩き始める。
「それと、二次選考は俺が担当だ。仮に一次選考を抜けたとしても、喜ぶなよ」
アンドリューはそう言い残して、図書館を後にしたのだった。