第101話 元公爵令嬢への通達
誤字報告、ありがとうございました!
アレンとフローラがマンデリンを訪れてから既に一週間が経過した。
二人には、それぞれフェノール帝国の皇族、カテキン神聖王国の聖女という肩書があり、この一週間は、役人たちと会談をしていた。
その中には、シルヴィアの父親で南部を任されている四天王の一人、シルヴァ=フラットホワイトの姿もあったそうだ。
一方で、ソフィアはというと……。
「北部へ出張ですか?」
突然のシュナイダーからの言葉に、首を傾げる。
現在、ソフィアはクリスタルマウンテン麓にある研修所ではなく、マンデリン内にある魔王軍施設の事務室にあった。
昨日アニータからシュナイダーから連絡があると伝達があり、今朝は研修所ではなくこちらに顔を出したのだ。
「ああ、突然のことで悪いな。何でも魔王陛下から、直接の依頼になる。本来ならば、あり得ない話なんだが……」
「まぁ、民間企業で言えば、突然社長から平社員に指示が飛んできたようなもんだもんな。魔王様も変なもんでも食べたんじゃないか?」
「お前なぁ……」
言っていることは正しい。
普通に考えると、魔王であるアルベルトが役職もないソフィアに直接指示を出すことはない。シュナイダーならともかく、アンドリューでさえも経験がないだろう。
冗談交じりのアンドリューの言葉に、シュナイダーは呆れた表情を浮かべる。
「ふっ、ふふっ……しゃ、社長……。それに、平社員って……あはははは!」
堪えきれないとばかりにお腹を抱えて笑い始めるソフィア。
ツボにはまったのだろう。一方で、冗談交じりに茶々を入れたアンドリューは困惑した表情で呟いた。
「いや、ただの冗談なんだけど……そこまで笑うようなことか?」
「まぁ、笑いのツボは人それぞれだろう」
シュナイダーも困惑気味に答えるのであった。
「はぁ、はぁ、はぁ……し、失礼しました」
ようやく笑いが収まったソフィア。
呼吸を僅かに荒くして、目元に浮かんだ涙を指で拭う。時間にして、三分ほど……ソフィアにとっては瞬く間の出来事だったが、二人にしては長かった様子だ。
やっと収まったかという様子でソフィアに視線を向ける。
シュナイダーはゴホンと咳払いをすると「本題に戻るぞ」と言って、机の上から二番目の引き出しから一通の封筒を取り出した。
「これが、通達書だ。詳細はこの中に記されている」
「ありがとうございます」
ソフィアは、シュナイダーから封筒を受け取ると、その場で拝読する。
速読スキルが高レベルなのは伊達ではない。二十枚ほどの紙束を読み終えるまで三分もかからなかった。
「要するに、北部の視察ですか……。建前としては、南北の料理交流ということのようですね」
ソフィアが読み終えると、不意に視線を感じて、顔を上げた。
「「……」」
「どうかしましたか?」
ソフィアを見て、固まっている二人に首を傾げるソフィア。
まるで何かに驚いているように見え、ソフィアは思わず自分の服装を確認してしまう。
「えっと、なにかおかしいのでしょうか?」
近くの鏡を見てみるが、異変に気づかない。
恐る恐る二人に尋ねてみると……
「いや、そういうことじゃなくて……。おかしいと言えばおかしいが……」
「無自覚か……。いや、人間とは書類を読むのが早い生き物なのか?」
「えっ、あのっ……いったい何のことでしょうか?」
一人、話の流れに付いて行けないソフィア。
そんなソフィアの様子を見て、小さくため息を吐くとシュナイダーは言った。
「取りあえず内容は確認できたようだな」
「はい」
「予定としては、急な話にはなるが明後日には向かって欲しい。本来であれば、もう少し前には通達があるはずなんだが……。こればかりは、仕方がないと思ってくれ」
「いっ、いえ! お気になさらず!」
シュナイダーに申し訳なさそうに頭を下げられ、ソフィアは慌てて手を振ると言葉を続けた。
「これくらいは日常茶飯事でしたので、慣れていますので。それに思い出したのですが、このことについては、以前魔王様から直接話を受けていました」
ソフィアが思い出すのは、アルベルトと初めて対面した時の事だ。
ギャンブルに負けて下着一枚になっていた光景が思い浮かんだが、すぐに雲を払うような仕草で霧散させる。
そして、思い出す……。
『そう言えば、魔王祭が終わった後北に行ってもらうことになったから』
号泣し、掃除用の布巾で涙を拭っていたアルベルトが唐突に放った言葉だ。
今思い出しても、あのタイミングはないと思う。しかし、酔っ払いの所業に文句を言ったところで意味はない。
相当厄介な酒癖の悪さである。
「そうなのか……?」
ソフィアの内心など知らないシュナイダーは、首を傾げた。
アルベルトは魔王であり、いくらフラットホワイト家でお世話になっているとは言え、そう簡単に会えないのだ。
ソフィアがアルベルトに出会っていたことに疑問を抱くのも当然だろう。
「ええ、魔王祭の……っ!?」
ソフィアが具体的にいつ頃の話だったか口にすると、シュナイダーから表情が消えた。その鬼気迫る表情に、ソフィアだけでなくアンドリューもまた表情を青くする。
「ほぅ」
まるで地獄の底から響き渡るような低い声色。
その瞳は暗闇を映し出しており、体から瘴気のような黒い靄を放つ。ソフィアたちが冷や汗をかいていると、シュナイダーが言葉を続けた。
「そう言えば、式典の途中からアルベルトが別人に代わっていたな。体調不良だと思っていたが……くくくっ、大方ギャンブルと言ったところだろうな」
(す、鋭い!?)
ソフィアは、シュナイダーとアルベルトの関係を知らない。
しかし、怒りでアルベルトと呼び捨てにするくらいだ。親しい間柄であることを察するのは難しくない。
そして、あの魔王様の痴態と言っても過言ではない本来の姿を思い出せば、嫌でも予想が出来てしまう。
「りょ、料理長……ペンが折れてます」
シュナイダーの手からバキッという音が鳴り響く。
半ばから荒々しく折れたペンを見て、アンドリューもソフィアもその怒りが自分たちに向けられているものではないと知りながらも体を震わせる。
シュナイダーは無言でペンを足元にあるごみ箱へと捨てた。
「………………はぁ」
しばらくの間が空くと、怒りを吐き捨てるように重々しいため息を吐く。
そして、再びソフィアに視線を向けて来た。怒っていないことが分かっても、ソフィアは思わず肩をビクリとさせてしまう。
「それで、どこまで話したか……。出発日についてまでだったか?」
「あ、はい。明後日、北部のスタリカへ向かえば良いのですよね」
「そういうことだ。それで移動手段なのだが、流石に長距離だからな。魔王様から提案なのだが……はぁ」
話の途中で耐えきれないとため息を吐くシュナイダー。
伝達書には、移動手段については触れられていなかった。シュナイダーの態度を見て、少し嫌な予感を覚えるソフィア。
「災難だったな……。試作型飛行機に乗れるようだぞ」
「え?」
ソフィアは呆然とする。
飛行機、それは空を移動する自動車のようなものというのがソフィアの認識だ。しかし、魔国には強力な魔物が多く生息する。
空はドラゴンを筆頭に、殊更強力な魔物が支配している領域だ。
それ故に、長距離を移動できる飛行機の存在は、技術があっても魔国には存在しなかった。
「えっと、聞き間違いではないでしょうか? ひ、飛行機って、あの鉄の塊が空を飛ぶってことですよね。あれで、北部まで行くのですか?」
震える声色でソフィアは言う。
高いところが嫌いと言う訳ではない。しかし、どう言う原理であれほどの巨体が空を飛ぶのか分からない以上、恐怖を覚えてしまうのだ。
ソフィアは飛行機どころかヘリにさえ乗ったことはない。
そのため、余計に不安に思ってしまうのだ。そんなソフィアの内心を知らないアンドリューは、快活な笑い声を上げてソフィアの肩をパンパンと叩く。
「はっはっは、羨ましいなこのヤロー! 試験的だとしても、飛行機に乗れるとか……マジで羨ましいな!」
「で、出来れば代わって欲しいですよ」
アンドリューは、飛行機に乗ってみたいようだ。
確かに、試験的だとしても先んじて乗ることができるのはラッキーだと思うべきだろう。ただ、それは空を飛んでいなければの話だ。
アンドリューとは対照的に落ち込んだ表情を見て、シュナイダーは頬を掻いて言った。
「まぁ、おそらく落ちないと思うぞ」
「そこは、落ちないときっぱりと言って下さいよ……本当に落ちませんよね?」
「………………」
「目を逸らさないで、何か言って下さい!?」
シュナイダーの態度に、ソフィアはより一層顔色を悪くする。
ソフィアは不安が拭えないまま呆然としていると、不意にアンドリューが声を出した。
「こう言うイベントだと、姫様も付いて行くとか言うと思うぞ。魔王様が止めないってことは、周囲が止めてもいつの間にかついて来ているだろうし」
((……ありえる))
アンドリューの言葉に、ソフィアもシュナイダーも内心そう思った。
そして、転移が使えるフェルがいれば飛行機が墜落しても大丈夫だろう。この時ばかりは、フェルの行動力に感謝せずにはいられない。
しかし、行動力があり過ぎるのも問題で……
「尤も、ハイジャックをして操縦席を奪っている可能性もあるけどな」
冗談交じりの一言のようで、笑いながら言い放つアンドリュー。
しかし、それはソフィアからしては笑い話ではなかった。血の気の戻った表情が一転して、再び血の気が引いて行く。
(保護者に相談しないと……)
そう心に決めるのであった。
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