第98話 臨時店の終わり
「ようやく終わったぁ!」
最後の客を見送ったフェルが、今まで溜まっていたものを吐き出すように声を上げる。
壁が薄いわけではないが、もしかすると外まで聞こえたのではないか。そう思ってしまうほどの声量だった。
「ようやく……本当にようやく終わったのだな」
シルヴィアは疲れたように息を吐く。
普段であれば、お小言の一つや二つくらいは飛んできそうなものだが、今日ばかりは何も言わない。
なぜなら、今日は最終日だからだ。
一週間ほど行われていた魔王祭も明日には終わりを迎え、今日も大通りでは出店で賑わいを見せているもののどこか寂しさを感じてしまう。
「シルヴィア、少し残念? その服が着れなくなって」
「んな!? そんな訳ないだろう!?」
ロレッタに図星を突かれたシルヴィアは、慌てて否定の声を上げる。
明らかに動揺している姿を見れば、その否定の言葉に意味はなかった。尤も、狼の尻尾と耳が心情を表わすように萎れていているように見えたのだが。
「なんだったら、こっちに来るね。ウェイターも人手不足だから、大歓迎ね」
「シルヴィアさんなら、大歓迎っすよ!」
「えっ、お姉ちゃんがウェイターをやるの? なら、私もやってみようかな!
「結構だ! 何が楽しくて、私がお前と働かなければならない!」
フェルと一緒に働くのは御免だと言わんばかりの態度だ。
しかし、ソフィアはそんなシルヴィアの態度が面白くて、苦笑を浮かべて口を挟んだ。
「そんなこと言っても、仕事中何気なくフェルちゃんを気にしていたではありませんか? 休み時間中も、私にフェルちゃんの様子を聞いて来ましたし」
「そうなの!?」
「ソフィア!?」
ソフィアの発言に、目を輝かせるフェル。
一方で、シルヴィアはソフィアの裏切りに目を剥いて慌てていた。そんな二人の姿が微笑ましく思えて、ソフィアは自然と笑みをこぼす。
「さてさて、シルヴィアを揶揄うのもその辺にして、売り上げの確認と閉店準備を……と言いたいところだけど、その前に真剣な話があるね」
いつもとは違うアニータの真面目な雰囲気に、ソフィアたちは驚く。
いったい何の話があるのか、揶揄われたのだと分かったシルヴィアも反論の言葉を呑み込んで、続くアニータの言葉を待った。
「前々から、ソフィアの故郷から来客の予定があったね」
(((((聞いてない!?)))))
まるで話してあったよねと言わんばかりの態度に、ソフィアたちは同じことを思ったのだろう。
だが、ここで口を挟めばアニータの思うつぼ。
真剣な雰囲気を身に纏っているが、根本は変わっていないようだ。脱線して、話が長くなりそうなので、文句の言葉を呑み込む。
そのことに対して、つまらなそうな表情を浮かべるアニータだが、ソフィアたちとしてはさっさと話を進めて欲しかった。無言の威圧を感じたのか、アニータはゴホンと咳払いをして話を続けた。
「けど、クリスタルマウンテンの麓の……えっと、何て言ったっけ?」
「エスカブラの村ですか?」
「そうそう、エスカルゴね! 美味しそうな名前の場所ね!」
「カタツムリを食べることに抵抗を覚えましたが、エスカルゴとても美味しいですよね! ではなくて、エスカブラの村です」
危うく脱線してしまいそうになったソフィア。
きっと、アニータはわざと間違えたのだろう。脱線しなかったことに、少し悔しそうな表情をした。
「いい加減にして、本題に入れ」
「分かったね……えっと、そのエスカブラの村に来賓が泊まってるみたいで、迎えに来て欲しいそうね」
「えっ、どう言うことですか?」
「順を追って説明するね。まず、カテキン神聖王国っていう国のフローラ=レチノールから今後のためにお忍びで魔国を訪ねたいという要望から始まったね」
「「「ああ、あの人か……」」」
フェル、シルヴィア、ロレッタの三人は、フローラと面識がある。
どこかげんなりとした表情を浮かべていた。そのことを怪訝に思いつつも、ソフィアはフローラのことを思って感心した声を上げる。
「流石はフローラちゃんですね。仕事熱心で、私も見習う必要がありますね」
人間たちは、近い将来魔族と関わりを持つようになるだろう。
現時点で、人間と魔族の文化のレベルは数百年単位で後れを取っていると言える。本格的に関わりを持つようになれば、必ず足の引っ張り合いが始まるだろう。
この時期に訪れるのは、スケジュール調整などが困難だとしても重要なことである。
見事に調整したフローラの手腕に舌を巻きつつ、カテキン神聖王国の未来を憂うフローラの姿勢にソフィアは頭が下がる思いだ。
「「「はぁ」」」
一人感心していると、三人は一斉にため息を吐く。
アニータは何か知っているようで「あれは、もはや病気ね……」とソフィアに聞こえないほど小さな声で呟いていた。
「ま、まぁ、ソフィアがそう思うのならそれで良いね。けど、その後にフェノール帝国の第三皇子アレン=フェノールからもお忍びの申し出があったね」
「ああ、あの天然の男の娘かぁ。あれ、あの二人って水と油どころか、火とニトログリセリンくらい仲が悪くなかったっけ」
「それはある意味仲が良いというのではないのか? まぁ、結果は大惨事であることには変わりないが……アルフォンス殿が大変そうだ」
「胃薬、買っといて上げる?」
アレンとフローラの姿を思い浮かべて、三人が同じ場所にいるであろうアルフォンスに同情の念を抱く。
「えっ、そんなに仲が悪いっすか?」
一人、話の流れに付いて行けないジョンは、そこまで酷いのかと驚いた表情をする。
「お二人が、ですか? ……仲は悪くないと思いますけど。楽しそうに話をしている場面を見かけましたし」
「……お姉さん、絶対それ違う」
「まぁ、あれだけ遠回しに嫌味を交わしていれば、ある意味仲が良いと思っても良いのかもしれない。当人たちは絶対に否定するだろうがな」
シルヴィアの言葉に、フェルとロレッタはしきりに頷いた。
その意味が分からずソフィアもジョンも首を傾げる。すると、アニータがやれやれと言った態度で口を開いた。
「脱線もほどほどに、そろそろ本題に戻るね。それで、その二人がエスカブラの村で一泊して一昨日に魔国を訪れる予定だったね。けど、少し厄介な問題が発生したね」
「厄介な問題だと?」
「なんでも、その村に合成獣が現れたね」
「「「「……っ!?」」」」
「キメラ、ですか?」
アニータの言葉に、シルヴィアたちは息をのむ。
ただ、ソフィアだけが話が分からず首を傾げた。そこで、アニータが簡単に説明を始める。
「複数の魔物を組み合わせて人工的に作り上げられた魔物ね」
「人工的に作られた魔物!? そんな魔物がいるんですか!?」
アニータの説明に、ソフィアは驚愕する。
「うん。けど、今は合成獣を作ることは禁止されている」
「最初に確認されたのは百年以上も前だ。西や北は、我が強い種族が集まった関係で、種族間の争いが絶えなくてな。その過程で合成獣が生み出されていたようだ」
「そうなんですか……ですが、どうしてそんな魔物がエスカブラの村に?」
「考えられるとすれば、二つね。一つはかつて生み出された合成獣の生き残りが生きていて、クリスタルマウンテンに生息していた。けど、報告によるとカラードラゴンほどではないにしろワイバーンでは相手にならないくらいの力を感じられたそうね。そんな危険な魔物がいれば見つかっているね。となると……」
「新しく人為的に作られた、と考えるべきだろうな。そして、一番怪しいのは西だな」
「うん。西からそのまま南下してくれば、マンデリンを経由しなくてもクリスタルマウンテンに出られる」
「そういうことね。まだ西が関与しているとは断言できないけど、これから本格的に捜査することに決まったね」
妥当だと、シルヴィアたちは頷いた。
ソフィアもまた同感だ。そんな問題が起きているのであれば、一刻も早く解決しなければならない。
ワイバーンを歯牙にもかけない強さの魔物が量産されては、魔国はともかくアッサム王国は簡単に滅びてしまうだろう。
「一つ疑問なんだが、どうして私たちが迎えに行かなければならない? まさか、また向こうの要望か?」
何故かジト目でソフィアを見て来るシルヴィア。
フェルもロレッタも似たような視線をソフィアに向けて来るが、アニータが首を横に振った。
「違うね。あちらさんは、危険だから来ないで欲しいと言って来たね。ソフィアにこんな危険なところへ来させるくらいなら……護衛を肉壁にしてでも来そうな勢いだったみたいね」
「アニータさん、冗談もほどほどにしてください。かなり深刻な問題ですから」
危険な合成獣が現れた状況でも、冗談を言い続けるアニータにソフィアは少し低い声色で注意した。フローラもアレンも、部下を危険に遭わせるようなことはしない。それを知っているからこその言葉である。
「冗談じゃなくて、本当ね……」
アニータがソフィアに対して小さく反論すると、シルヴィアがその肩にポンと手を乗せて首を横に振った。
「諦めろ、日ごろの行いの悪さだ」
「酷いね!?」
シルヴィアの辛辣な一言に、アニータは目を剥く。
しかし、誰もアニータのフォローに入ろうとしない。きっと、自業自得だと思っているのだろう。
「それで、私が迎えに行けば良いと言うことなのか?」
「そうね。姫様にも行って欲しいと思うけど、やめておくね。あとは、翻訳魔法が使えるロレッタと、後は南門から借りて来るね」
「私たちは何をするべきですか?」
「ソフィアと姫様は、出迎えの準備をするね。特にソフィアは御指名を頂いているから、頑張るね」
すると、一人何も言われていないことに気づいたのだろう。
ジョンは手を挙げると、アニータに尋ねた。
「あれ、自分はどうなるっすか?」
「ジョンは明日マンデリンに行くね。地獄の炎でその身を鍛えるが良いね」
「その表現方法怖くないっすか!?」
「……さて! 閉店作業を始めるね!」
こうして、臨時喫茶店は幕を閉じるのであった。