とある村長のお話 (中)
太陽が西に傾き、オレンジ色の光がクリスタルマウンテンを照らす。
かつては金剛石の鉱山だったそうだが、今では機能を失い魔国との国境となっている。エスカブラの村人にとって夕日に照らされるクリスタルマウンテンの幻想的な光景は、金剛石に等しい価値がある宝物だった。
「今日もお疲れ様、明日もまた頼むぞ」
開墾作業に精を出していた村長は、村人たちにそう告げてこの場を後にする。
だが、別れの言葉を告げたというのに、村人たちはドンナーから離れようとしない。一定の距離を空けつつも、ドンナーの後を付いて村長宅へと向かっているのだ。
「はぁ……」
そんな男たちを一瞥して、ため息を吐いてしまう。
彼らの目的は分かっているのだ。今日のお昼過ぎに現れた貴族の令嬢の姿を一目見ること。
こんな農村の生まれでは、貴族令嬢など高嶺の花という次元ではない。
だが、夢を見ることは自由だ。村人である自分に一目ぼれ……という夢を抱きながらも村長宅へと向かっていく。
「な、何だ、この集まりは!?」
自宅が目前となったときに見えるのは、村長宅を全方位に囲うように待機する村民たち。老若男女問わず、エスカブラの村に住む村民全員が集まっているのではないかと疑う光景である。
「そんちょー、しさいさまがいたいのなおしてくれたよ!」
一人の女の子が、嬉しそうに腕を見せて来る。
「おんなみたいなおにいさんが、つくってくれた!」
一人の男の子が、笑顔を浮かべて木彫りの人形を村長に見せて来た。
いったい何の事を話しているのか。そう思ったの束の間、すぐにその疑問は氷解することになる。
「フローラさま、おいらの腕も治してくれ!」
「娘が昨日から熱を出して……」
「腰を痛めて、農作業も満足にできず……」
「分かりました、お子さんやお年寄りの方を優先して診ますね。順番に診ますから、落ち着いて下さい」
まるで慈母のような優しい笑みを浮かべるフローラ。
やはり教会関係者だったようだ。だが、その技量は遠目で見ているドンナーが思わず舌を巻くほど。
かつて教会の司祭から受けた治癒魔法が、児戯に思えるほど高度なスキルだ。
見る見るうちに元気になる子供たちや、腰が軽くなったと笑うお年寄りたち。切り傷などまるでなかったかのように消え去り、ねん挫もすぐに痛みが引いている様子だ。
(いったい、どれだけの金額に……)
ドンナーはその光景を見て、顔色を悪くする。
なぜなら、治癒魔法は高額で有名だ。しかも、フローラはどう低く見積もっても高名な術者に違いない。
そんな彼女の治癒を受ければ、農民の年収に匹敵する金額になってもおかしくはないのだ。
だが、そんなドンナーの懸念を余所に、一人の患者がフローラに申し訳なさそうに言う。
「本当に無償で良いのですか? 足りないとは思いますけど……」
一人の母親が、フローラにお金が入った袋を渡そうとする。
だが、フローラは微笑みを携えたまま、首を横に振った。
「お代は結構です。これも何かの縁……主の巡り合わせでしょう」
まるで本物の聖女のような人物だと、ドンナーは思った。
教会関係者は金にがめついと思っていたのだが、中には彼女のような人物がいるのだなと感心してしまう。
村人たちが、熱心に神へ祈りを捧げてしまうのも当然の光景だ。
「うをっ、この弓はすげぇな! こんなに真っ直ぐ、しかも力強く飛ぶ弓は見たことがねぇ!」
「姉ちゃん、カッコいい武器作ってくれよ!」
「お姉ちゃん、私お人形が欲しい!」
「この農具、先だけを金属にしているのか……軽くて良いのう」
「おい、私は男だと何度言えばわかる! はぁ、それで武器と人形だな少し待っていろ」
やはり少女のような容姿を本人は気にしているようだ。
男とは思えない端整な顔立ちを歪めて尊大な口調で言い放つものの、根はやさしい性格なのだろう。
子供たちの要望に答えるように、布や綿、それから木材や鉄などを部下に命じて用意させる。
(錬金術か!?)
見る見るうちに形が変わって行く光景に、村人たちはもちろんのことドンナーもまた表情を驚愕に染める。
作られるのは、子供心が揺さぶられるデザインの短剣と可愛らしい少女の人形だ。
非常に精巧な作りで、きっと彼はこの道でも食べていけることだろう。
「やったぁ! ありがとうな、兄ちゃん!」
「ありがとう、お兄ちゃん!」
「こういう時は男だと認識してくれるのだな……調子の良い奴らめ」
ドンナーもまた現金な性格だと思ってしまうが、アレンは気に障った様子はなかった。むしろ、元気に喜んでいる姿を見て頬を緩めている。
もしかすると、子供が好きなのかもしれない。
彼は、その後も子供たちの遊び道具を作りながらも村人たちから相談を受けて、農具や狩猟の道具を作っていた。
(なんというか、貴族様みたいだが……全然、そう見えないな)
そんな二人の姿を見て、ドンナーはそんなことを思う。
彼の知っている貴族というのは、平民など取るに足らない存在で、税を搾取する対象でしかない。
もちろん、中には違う人物もいる事を知っている。
それこそ、ゴドウィンの雇い主であるダージリン公爵だ。彼の領地で行われる善政は、遠く離れたこの場所でも良く聞こえる。平民の事をしっかりと考えてくれる、良い領主だと評判の人物だ。
商人の中には、現国王よりもダージリン公爵が王位に付けば良いと口を漏らしている者がいるほどである。
(それにしても、どうして護衛たちは止めないんだ?)
素朴な疑問だった。
どう見ても、アレンとフローラの身分は高い。そんな二人が、見ようによっては農民に奉仕しているように見えるのだ。
それを護衛が良しとするのか?
それに、護衛の者たちも貴族の三男や妾の子など、高貴な血筋の者がいるはずだ。だが、そんな彼らも何も言わない。むしろ……
(完全にパシリにされているな。何も言わないんじゃなくて、もはや諦めているのか?)
フローラに命じられて、森に薬草や果物を取りに行く護衛たち。
その指揮を執っているのは、彼女の兄であるオーギュストだ。妹に顎で使われている兄の姿を見て、少しだけ憐れに思ってしまった。
アレンの部下もまた、村民たちから金属などを集めることや、近くで木材を集めることなど雑用を熟している。
中には、薪を割っている者さえもいるのだ。
野営のためだとは思うが、そんな雑用は彼らの立場であれば農民に命じてやらせることさえもできるというのに。
どうしてだろうか。ドンナーには彼らの手際が、農民たちよりも良いように見えてしまう気がしてならない。
(貴族に仕えるというのも大変なのだな……)
間違いなく特殊なケースであることは分かっている。
だが、声だけ大きくて無理難題を言って来るような主人でないだけ、彼らにとっては幸せなのだろう。
「な、なぁ……おいらの気のせいかもしれないけど、なんかあの二人間に火花が散ってないか?」
「き、気のせいだろう?」
「そ、そうだよなぁ。気のせいだよな」
という会話がドンナーの耳に届いて来た。
もちろん、ドンナーにも赤い火花が二人の間に飛び交っているのが分かる。そして、それは主人だけの話ではない。
彼らの部下もまた競うように働いているのだ。
それはまるで、小規模な戦争のような雰囲気だ。尤も、戦争と言っても血が流れることがない平和的なものであるが。
彼らはまるでどちらの方が上であるか競うように、忙しく働く。まるで陣取りゲームでもしているように見えたのは、ドンナーの気のせいだろうか。
「おぉ、ドンナー。久しぶりだな」
「ゴドウィンか……って、酒臭いぞお前!?」
突然背後から腕を回されたドンナーが振り向くと、そこにはゴドウィンの姿があった。護衛であるにもかかわらず、昼間からお酒を飲んでいたことに顔を顰めた。
「仕方ないだろう、酒でも飲んでないとやってられるか! アルフォンス様には、明日に響かなければ構わないと許可を貰っているぞ」
そうして、ゴドウィンは背後に屯する自身の部下たちに視線を向けた。
そこには酒によって顔を赤めている者の姿があった。緊迫した雰囲気から解放されて我慢できなくなったのだろう。
中には村の女性を口説いている姿も見えるが、忙しく働いている二人の護衛たちと見比べられているようで相手にもされていない。
「まぁ、あんなところに挟まれていれば酒でも飲みたくなるのも仕方がないか。見張りとかはどうするんだ?」
「んなの、向こうが勝手にやってくれるに決まってるだろう。旅の間も一度でできることを別々で二重に行ってる。俺らが何もやらなくても、向こうが勝手にやってくれるさ」
「お前、それでよく護衛の長が務まっているな。クルーズ様は何でいないんだ?」
「あいつは別の仕事だから仕方がないだろう。俺とは違って、忙しいんだよ」
「暇だという自覚があったのか」
ゴドウィンの気が抜けた言葉に、ドンナーはため息を吐く。
そんな二人など相手にされず、村民たちはアレンやフローラを囲うようにしていた。
「それにしても、二人とも大した人気だな」
「まぁ、あのお二方は自国であれば、どこへ行っても似たり寄ったりだからな。随分と少ないくらいだ」
「自国だと?」
ゴドウィンの言葉に、眉を顰めるドンナー。
それではまるで、アレンとフローラが他国の人間だと言っているようなものではないか。自身の失言に気づいたゴドウィンは、赤い顔から一転して真剣な表情になる。
「口が回り過ぎたな……分かっているだろうが、これはオフレコだ」
僅かに殺気交じりの言葉に、ドンナーはゴクリと唾をのむ。
ゴドウィンは、ジョージやオーギュストに比べれば確かに弱いだろう。だが、それでも平均的な兵士を歯牙にもかけない強さを持っている。
噂では、単騎で正面からフォレストベアーを足止めできるほどだと言う。そんな人物の殺気に怯むなと言う方が無理だろう。
「ああ、分かっている……」
ドンナーが頷くと、ゴドウィンは懐から銀貨を一枚取り出して、ドンナーに握らせる。口止め料ということなのだろう。
「ちっ、酔いが覚めちまった。ドンナー、一緒に飲み直さないか?」
先ほどの表情から一転、だらしのないおっさんの表情をするゴドウィン。
あまりの落差に呆然とするのも束の間、すぐに苦笑を浮かべてドンナーは頷……
「大変だ、村長! 村に魔物が現れたぞ!」
その言葉が、村長宅一体に響き渡るのであった。