第97話 閉店作業
レヴィアの来店というサプライズがあったものの、その後は特筆するべきことはなにもなく、閉店することができた。
「ふぅ、やっと終わった」
ロレッタの表情は読みにくいが、少し疲労の色が見て取れた。
マンデリンでは通常業務であっても、ここでは非常事態にも等しい。久しぶりに感じた忙しさに、思った以上に体力を消耗した様子だ。
「足が痛いよ……」
「それは、運動不足だ。普段から、転移で楽をしているからそうなる」
普段から立ち仕事が多いシルヴィアと違って、フェルは学校にも行かず気ままに絵を描いているだけだ。
そのため、ウェイターという立ち仕事に足が悲鳴を上げている様子である。
先ほどから椅子に座ったまま、立ち上がる気配がなかった。
「自分、やっていけるか不安っす」
「まぁまぁ、若人よ。いつかは慣れるね。一人ずつ接客していれば、例え長蛇の列だとしてもいつかはなくなる……そう、いつかはなくなるね」
「いつかって、いつっすか?」
「それは……列がなくなった時ね」
「……」
アニータの励ましになっているか分からない言葉に、ジョンは頭を机の上に伏せてしまう。
元気なのは、体力に自信があるシルヴィアとアニータ、それから……
「会計日報の作成と金庫管理、あとは在庫の確認に、シュナイダーさんへの報告書……あっ、明日の仕入れも発注しておかないといけませんね。やることが一杯で大変ですが、一つずつ終わらせていきましょう!」
デスクワークに励むソフィアくらいだろう。
大変だと言っている割に、その表情は明るく、声は弾んでいる。まるで水を得た魚のように、瞬く間に書類を作成してファイルに閉じ始める。
「……こいつの体力は無尽蔵なのか?」
「いや、そんなことはないと思う。けど、好きなゲームとか徹夜でやっちゃうじゃん。それと同じだと思うよ」
「つまり、ソフィアにとって書類仕事はゲームと同じということか? 睡眠耐性をもっているから、手に負えんな」
自分で言って、ドン引きしている様子のシルヴィアとフェル。
フェルはもちろんのこと、シルヴィアもまた書類仕事は大の苦手だ。やれと言われればやるが、好き好んでやりたいとは思えない。
だからこそ、目を輝かせて書類と戦い始めるソフィアを見て、理解が及ばぬ存在だと思うしかできなかった。
「私としては、物凄く助かるから良いね」
「うん。ソフィアは私たちの救世主」
一方で、自分たちの仕事が減っていることに喜びを顕わにするロレッタとアニータ。
本来ならば、ソフィアの行っている仕事は二人の仕事である。あまりにも暇そうにしていたソフィアを見て、ロレッタとアニータが閉店作業を教えたのだ。
二人で惰性的にやっているよりも、一人で精力的に働いている方が効率が良い。
一部の仕事を除いて、ソフィアに仕事を取られて、二人の仕事は印鑑を押すだけになったのだ。
次々に渡される書類に軽く目を通してから、二人は黙々と確認したという印鑑を押し続ける。
「この調子だと、あと三十分くらいで帰れそうね」
「……思ったんだけど、私たちが手伝うよりも、ソフィア一人でやった方が早く終わる?」
「……」
ロレッタの純粋な疑問に、アニータは無言だった。
痛い所を突かれたのだろう。だが、次々と飛び込んで来る今日一日のレポートを見て、反論できる要素がない。
「あとは、明日の仕入れの発注ですね。あっ、アニータさん、作成したレポートはそちらに置いておきました」
「「はやっ!?」」
レポートを作成するよりも、確認の印鑑を押す方が遅いとは、これ如何に。
その秘密は、料理魔法にあった。
この固有スキルは非常に応用が効くようだ。他の汎用スキルとリンクさせることが可能で秘書スキルとリンクさせれば……あら不思議、一人前の秘書が誕生してしまう。
「お姉さんにとって、書類は食材って認識だったのかな」
「そんな訳ないだろう。フェルと言い、ソフィアと言い……きっと、固有スキルもこんな使われ方を想定していなかっただろうな」
そんなシルヴィアの呟きが、ソフィアの固有スキルに伝わったのか、書類を作成していたペンが頷いた……ように見えた。
きっと、気のせいだろう。
「それにしても、やはり在庫がかなり残っていますね。幸いにも保存がきくものばかりでしたから、明日に回すことができそうです」
アニータが昨夜かなり大量に発注したせいで、在庫がかなり残ってしまっている。
今日の来客数を考えれば、ファインプレイだったかもしれない。しかし、発注の量が多すぎるのだ。
とはいえ、アニータも伊達に長く勤めているわけではない。
今日中に廃棄する食材はほとんどなく、期限がそれなりに持つ物ばかりだ。
「小麦粉や砂糖は、明日のデザート作りに回せますね。ですが、明日のメニュー表だと、使わない食材が多くなります」
「だから言った、発注の量はいつもの倍もあれば良い。いくら何でも多すぎた」
「反省しているね。もう少し、お客様が来てくれると思ったね」
「こんな辺鄙な場所に、平日のランチタイムに足を運ぶ人は少ない。それ以外なら、食事よりもデザートが目的。この結果は当然のこと」
ロレッタに正論を並べられて、落ち込んだ様子のアニータ。
とはいえ、アニータもその辺りの事は良く理解しているのだろう。デザート作りの食材の方が多く仕入れをしていた。
「気にしなくても大丈夫ですよ。私の方で、メニューを再考しておきますから。一先ず、牛乳と卵、それからバターは在庫が少ないので発注が必要ですね」
ソフィアは、そう言ってメモ帳にペンを走らせる。
「オーソドックスなメニューは変えないとして、一番変えやすいのはパスタ。具材を変えてみると良い」
「はい。それと、和食のメニューでも出してみようかと」
「和食? 喫茶店で?」
「ええ。男性のお客さんの姿も多かったので、やはりお昼はしっかりと食べたいかなって」
魔国の南部では、主食がお米の場合が多い。
特に男性はお米を好んで食べており、お昼と言うことでしっかりと食べたいお客さんが多かった。
「けど、明日は難しいね。今日メニューを決めて、明日発注する感じね。けど、ご飯を出すという意見には賛成ね」
「なら、明日はカレーはどう? ビーフシチューをやめてみる」
「カレー!?」
「美味しそうっすね!」
「それは良いな!」
ロレッタの提案に、フェル、ジョン、シルヴィアの三人が目を輝かせる。
ビーフシチューも好きだが、カレーの方がもっと好きなのだろう。明日の賄いを想像してか、涎が垂れかけている。
「カレーは良いですね。あと、他の食材は……」
「それなら、スープを作ってみると良いね。ランチプレートに、季節野菜のスープをつける感じで」
「なるほど、それなら在庫の処理もできます!」
二人の意見を聞いて、ソフィアはペンを走らせる。
ペッタン、ペッタンと印鑑を押している二人。だが、料理人としての経歴はソフィアよりも上で、打てば響くように返答してくれる。
在庫を考えながらのメニュー作成は進み、発注についても二人の意見を聞きながら決まって行った。
「それで、デザートですが……」
ソフィアがデザートの話題に入ろうとした瞬間だった。
ジョンを含めた五人の視線が一気にソフィアへと向く。その豹変ぶりに、ソフィアは言葉を途切れさせて、表情を引きつらせる。
「明日は、スコーンだ。ジャムもつけてな」
「フルーツたっぷり、フルーツタルト!」
「レアチーズケーキ」
「胡麻団子ね!」
「芋羊羹っす」
「……はい」
悩む間もなく、一瞬で決まってしまった。
デザートになると、本当に決めるのが楽で良い。ただ、フルーツタルトの果物など追加で発注する必要があり、ソフィアは発注書をまとめる。
「明日の仕入れはこんな感じで良さそうですか?」
「……今日の様子を見る限り、おそらくこれで大丈夫ね。けど、在庫切れも心配だから、少しだけ増やすと良いね」
「分かりました」
アニータの意見を聞きいれて、数量を変更するソフィア。
「……あれ、おかしい。なんでまたソフィアの方が終わるのが早い? まだ、こっちは終わってないのに」
「もう考えるのはやめるね。私たちには、どう足掻いても無理な芸当ね。けど、二人だけでやるよりも早く帰れるのは事実ね」
「うん」
ソフィアが鼻歌混じりに発注書を記入していると、ペッタン、ペッタンと音を立てて二人の会話がなされるのであった。
ついに、明後日書籍一巻発売です!
まだ一巻発売前ですが、二巻の方の書籍化作業も着々と進んでおります!