第96話 残念な子
時刻は夕方。
オレンジ色の夕日が窓から差し込み、研修所の白い建物をオレンジ色に染めている。ロレッタの言う通り二時を越えたあたりから注文は一気に激減し、厨房では暇を持て余している様子のソフィアと本気になった反動で今にも寝てしまいそうなロレッタの姿があった。
「暇ですね……」
椅子に座って外の様子を見ていたソフィアがポツリと呟く。
「ふぁ……それは、良い事」
ソフィアから少し離れた場所では、小さく欠伸をかくとロレッタが答える。あまりにもやることがないためか、ソフィアまで欠伸が移ってしまった。口元を隠しながらも、小さく欠伸をかく。
(ロレッタさんではありませんが、こうもやることがないと眠くなりますね)
いつ注文が来ても良いように待機しているのだが、一向にフェルが厨房に現れる様子はない。
「どこに行くの?」
ソフィアが立ち上がって、ホールの方へ向かって行くのが分かったからか、ロレッタがソフィアに尋ねて来た。
「フェルちゃんの手伝いです。シルヴィアとジョンさんは、休憩に入ってしまいましたから。ホールはフェルちゃん一人だけなので、少し心配で」
「姫様の猫かぶりは完璧だと思うけど? ……ただ、やることがなくて暇だからじゃないの?」
どうやら、ロレッタにはお見通しだったようだ。
ギクリとした様子のソフィアを見て、ジト目を向けて来る。ソフィアは笑ってごまかすと、そのままの姿でホールへと顔を出した。
(……まだ、お客さんはいるみたいですね)
ホール全体を見渡すと、ちらほらと席が埋まっているのが分かる。
スーツを着込んだサラリーマンやOL、フェルとはデザインが違うが学生服姿の男女の姿、子供連れの老人の姿などが見られる。
ソフィアの料理に舌鼓を打ちながらも、会話に花を咲かせている様子だ。
「どうかしましたか?」
ソフィアがホールを見渡していると、違和感を覚える声が響く。
聞き慣れているはずの声だが、落ち着いた声色で誰のものか困惑する。だが、すぐにその人物がソフィアの視界に映った。
「フェルちゃん、驚かせないで下さいよ。なにか手伝うことがあるかなと思って、こちらの様子を見て来ただけです」
「ああ、なるほど。あまりにも暇で仕事を求めて、こちらに来たのですか?」
「うっ」
納得した表情を浮かべるフェルに、ソフィアは言葉を詰まらせた。
ロレッタと言い、フェルと言い、どうして勘が鋭いのか。疑問を抱かずにはいられない。一瞬、自分の表情が分かりやすいのか。そう思ってしまったが、きっとロレッタたちの感が鋭いだけなのだと思い込むことにした。
「……ご覧の通り、こちらにも仕事はありませんから。私一人で十分に事足ります」
堅い言葉を使うフェルの姿に、違和感を抱いたのはソフィアだけではないだろう。敢えて視界に入れないようにしている客たちも、フェルの言葉を聞いてしまったようで……
「やっぱり偽物? 姿は本物みたいだけど、中身は別だよね?」
「姫様のそっくりさんなのかな? だって、あの姫様が敬語を使える訳がないし」
「ドッキリの看板、いつになったら出て来るんだろう?」
「明日、槍でも降らないと良いんだけど?」
などと小さく会話をしている。
ソフィアに聞こえているのだから、フェルにも当然聞こえているだろう。
いつもであれば、「私のことを何だと思ってるのさ!? 一応、この国の王族だよ! 敬語くらい使えるから!」と反論の一つでもあげそうなものだ。
しかし、いったいいつの間にこんなスルースキルを身に着けたのだろうか。
まさに柳に風という態度である。だが、ソフィアは一瞬だがフェルが拳に力を入れる瞬間を見てしまった。
(あぁ、やっぱり我慢しているのですね。少しほっとしました)
普段のフェルの姿を見てしまい、ソフィアは微笑ましい気持ちになる。
すると、その時だった。
――チリン!
来客を告げるベルが、ホールに鳴り響いた。
それと同時に、フェルとソフィアは来店者へと振り返ると満面の笑みを浮かべて挨拶をする。
「「いらっしゃいませ」」
挨拶を告げた後、ソフィアは来店者の顔を見る。
その美貌は、男性女性問わずに振り返ってしまうほど。まるで黄金を溶かしたような美しい金髪が宙を舞い、その瞳は、極上のルビーを連想させるほど赤い。
その顔立ちは、フェルにそっくりだった。
いったい、誰なのか。ソフィアは、最近顔を合わせたばかりの人物で、その名前を知っている。
「レヴィアさん、どうしてここに!?」
思わぬ大物の登場に、ソフィアは驚愕の声を漏らす。
「愚問ね。娘が働いているのだから、気になって見に来たに決まってるじゃない」
「あっ、そういうことですか……。ところで、護衛はどこにいるのですか? 姿が見えないのですが?」
嫌な予感を抱きながらも、ソフィアが尋ねる。
すると、レヴィアは美しい笑みを浮かべて……
「決まっているわ。振り切って来たのよ」
「ああ、そうなんですね。振り切って……って、ええ! それ一番問題になるんじゃないですか!」
「だって、鬱陶しかったから仕方がないわよ」
と、小さく舌を出すレヴィア。
非常に可愛らしい表情なのだが、彼女の護衛の事を思うと同情してしまう。まさにこの娘あってこの母ありだ。
きっと、フェルの性格はなるべくしてなったということなのだろう。
ギャンブルで部下に巻き上げられている父親の姿を思い出しながら、そんなことを思うソフィア。
「ねぇ、あれってレヴィア様じゃないの?」
「うわぁ、いつ見ても綺麗だ……」
「女性の憧れの的よね。嫉妬する気も起きないわ」
レヴィアの存在に気が付いたのか店内が騒めき始める。
女性からすれば、まさに憧れの的なのだろう。スタイルには若干の自信があったソフィアでも、自身の腹部を見比べると悲しい気持ちが湧きあがって来る。
レヴィアに見惚れる人々がいる一方で、驚愕の声もまた聞こえて来た。
「レヴィア様、娘って言ってたよな」
「えっ、てことは本物なのか?」
「嘘だろう?」
レヴィアの口から、娘という言葉が飛び出したからだろう。
信じがたい現実に気が付き始めている。フェルならともかく、レヴィアを偽物だと思うものはいないようだ。
「いらっしゃいませ。何名様でいらっしゃいますか?」
そんな周囲の言葉を敢えて聞こえないふりをするフェルは、レヴィアに向かって何事もなかったように接客を始めた。
「えっ?」
普段とは対極の雰囲気を身に纏うフェルの姿に、呆然とした様子のレヴィア。
きっと、目の前の光景が信じられないのだろう。だが、そんなことはフェルには関係がなかった。
「一名様ですね、席へご案内いたします」
「……あなた、誰なの?」
――ガクッ
不意に放たれた一言に、フェルは効果音を立ててよろめく。
まさか、自分の母親にそんなことを言われるとは思ってもいなかったのだろう。だが、娘のショックに気が付いていないレヴィアは更に言葉を続ける。
「残念だったわね、大方あの子が偽物を用意したのだろうけど……いくら何でも設定に無理があるわ。姿形が同じでも、母の目はごまかせないのよ!」
(うわぁ……)
自信満々に言い放つレヴィアの姿に、ソフィアは言葉を失くす。
信じられないのはよく分かる。フェルの姿を見た多くが、偽物だと疑い、中には発狂したとまで言う者もいた。
違和感だらけだが、正真正銘本人である。
まさか自分の母親に、偽物だと断言されるとは思ってもいなかったのだろう。クールな表情を取り繕っているが、今にも泣きそうだ。
「レヴィアさん、レヴィアさん……驚くことに、フェルちゃんは本物ですよ」
「ほん、もの……? えっ?」
ソフィアの言葉に、目を瞬かせるレヴィア。
まじまじとフェルの姿を見て、半信半疑の表情で「まさか……」と声を漏らした。
「本当に、本物のなの? ドッキリとかじゃなくて?」
レヴィアの真剣な表情に、ソフィアもまたフェルが憐れだと思った。
とはいえ、フェルの自業自得と言えばその通りだろう。日頃の行いから、こうして真面目に働いていることが信じられないのも無理はない。
だが、だからと言ってフェルからすれば納得できるものではなかった。だからこそ……
「私だって、真面目に働くことくらいできるよ!」
被っていた仮面を放り投げて、素の表情で答えてしまう。
それと同時に、どこか残念なオーラが漂い始め、途端に店内にいる者たちは理解してしまった。
――あっ、本当に姫様だ。
そして、レヴィアもまた、驚愕の表情で声を上げた。
「……本当に、本物だったのね。どことなく感じられる残念さ、間違いなくフェルだわ」
「ちょっと待って、何その判断基準!?」
「あぁ、何か分かります。フェルちゃんというと、どこか残念な感じが漂っていますよね。真面目な姿だと、なんか違和感が凄くて……」
「いくら私でもお姉さんには残念とか言われたくないんだけど!?」
「えっ?」
フェルの言葉に、困惑するソフィア。
「えっ?」
一方で、フェルもまた「気づいてなかったの?」とでも言いたそうに困惑の声を上げる。
「いや、百歩譲って私が残念な人だとしても、流石にフェルちゃんほどでは……」
「いやいやいや。お姉さんは自分で思っている以上に、残念な性格だから。ママもそう思うでしょ?」
「えっ、私? ……う~ん、どっちもどっちのような? なんか、二人とも容姿は良いはずなのに、なんか頼りないのよねぇ」
「「……」」
レヴィアが下した結論に、言葉を失うソフィアとフェル。
そして、そんな二人を置き去りにして、「さぁ、ケーキでも食べましょうか」と一人席に着いてメニューを眺めるレヴィアであった。
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