第95話 厨房の混沌
昨日の影響もあって、今日は正午に差し掛かる時刻には満員となった。
珍しく本気を出したロレッタの指揮のもと、ソフィアたちは忙しく働いている。
「パスタ三、それから食後にティラミスとプリン、イチゴのショートケーキを一つずつ!」
ソフィアがフライパンを振っていると、フェルの声が響き渡る。
一転してクールな印象を受けるフェルの姿には、シルヴィアでさえも違和感があるのだろう。
来客者にしては、カレンダーを確認する者や天気を確認する者もいる。
だが、普段と違って優秀であることに違いはない。誰もが違和感を抱きながらも、それを口に出すものはいなかった。
「了解しました! それと、そこに置いたシチュープレートを五番テーブルに持って行ってください」
ソフィアの指示に、フェルは「分かった」とだけ言い残して料理をホールへと運ぶ。
固有スキルは汎用スキルとリンクさせることができ、速読スキルをリンクさせることで料理に集中しながらも厨房全体や注文内容を確認できるのだ。
今さらながら非常に便利な力だと思うソフィア。
「やっぱり、料理のスピードが上がった?」
「突然、どうかしたんですか?」
「ううん……いつもは気づかなかったけど、なんか早くなったような気がしただけ」
ロレッタの言葉に、ソフィアは心当たりがあった。
【料理 Lv11】。最高でレベル十と言われるなかで、その上限を越えてしまった数値である。
このことは、まだ誰にも言っていなかった。
シルヴィアたちは料理が前よりも美味しくなったと口に出してはいたが、それは固有スキルの変化のせいだと思っている。
だが、今日は客数が多いため、普段料理をするよりも速いスピードで料理をしている。以前よりも速くなっていることにロレッタは気づいたようで、料理をしながらも首を傾げていた。
「まぁ、良いか……ソフィアが頑張ってくれれば、私が楽を出来る」
ソフィアが何かを言う前に、一人納得した表情を浮かべるロレッタ。
二人はすぐに料理へと意識を集中させる。次々に出来上がる料理と、持ち運ばれて来る空になったお皿の数々。
厨房の隅では「私、雑用じゃないね。上司なのね」という声が聞こえて来たような気もするが、誰も取り合うことはなかった。
「……ピークは過ぎたみたい」
午後一時半を回った時刻。
注文が急激に減り始め、ホールだけでなく厨房でもようやく落ち着きを見せ始めて来た。ロレッタは袖で汗を拭うとソフィアに話しかけて来る。
「ソフィア、この後交代で休憩を取ろう」
「休憩ですか? まだ、この後もお客さんがたくさん来そうですけど?」
「おそらく、それはない。昨日の宣伝では、マンデリンの一部しかクッキーを配れなかった。噂にはなってるだろうけど、噂だけでこんな辺鄙な所には来ない」
「まぁ、確かにここは遠いですから」
「うん。休日ならともかく、平日だとコンビニ弁当か近場でのランチがメインだから仕方がない」
ロレッタの言う通りだ。
今日が休日であれば、辺鄙な場所でも来てくれるだろう。だが、今日は平日。学生は学校に、社会人は会社に出社している。
限られた休み時間で、ここまで足を運ぶことはないだろう。
「それに、この後は食事というよりもデザート目当てで来る人が増えるはず。なら、私かソフィアのどちらかが抜けても問題ない」
「私も休みたいね」
ロレッタの言葉に、厨房の隅から声が上がって来る。
だが、ロレッタは敢えてその言葉を無視した。立場上、アニータがここの責任者だ。きっと休みたいなら、勝手に休めとでも言いたいのだろう。
「休憩ですか……」
一方で、ソフィアはロレッタからの提案に表情を曇らせる。
忙しかったため、瞬く間に二時間半が経過していた。久しぶりに感じる忙しさに、ソフィアはそれでもなお物足りなさを感じていた。
とはいえ、それを口に出すようなことはしなかった。
「ところで、体は大丈夫?」
「はい。体の方は大丈夫です、これでも体力には自信がありますから。ただ、もう魔力は空っぽです……」
朝の準備から魔力を消費して来たのだ。
二時間半ほど、ほとんど全力で魔法を使っていたのだから、ソフィアの少ない魔力が底をつくのは当然と言えるだろう。
思わず二本目のポーションに手を伸ばそうとしたが、ロレッタにそれを止められる。
「何故飲もうとする?」
「何故って、二本目からが本番ですよ?」
互いに首を傾げる二人。
沈黙が厨房を包み込むと、先に言葉を発したのはソフィアの方だ。
「これはあれですよ。魔国で言うところの、勝って兜の緒を締めよということですよ。ほら、仕事をしていて朝を迎えるとポーションを飲んで、もう一度頑張ろうってなりますよね?」
「……きっと、その言葉を言った人は、そんな曲解をされるとは思ってもいなかったと思う」
可哀想な子を見るような視線を向けて来るロレッタ。
深々とため息を吐くと、「ポーション、没収」と言ってソフィアのマジックポーチを取り上げてしまう。
「あっ、私のポーション! 返してください!」
ロレッタが魔法によって天井付近にまで飛ばしてしまうと、ソフィアはそれを追いかける。
だが、届かない。
ソフィアが飛び跳ねて、手を伸ばすがマジックポーチはヒラリヒラリとソフィアの手を躱し、そのまま届かない位置へと昇って行ってしまった。
「あぁ……」
まるで絶望したような表情を浮かべるソフィア。
その姿に、居た堪れない表情を浮かべるものの、ソフィアのためだと首を横に振るロレッタの姿。
「魔法が使えない私なんて、フェルちゃんの見ているテレビのポケットがない猫みたいなものじゃないですか……」
「いや、そこは料理があるとか言おうよ、お姉さん」
「フェルちゃん、私には腕が二本しかないんですよ?」
厨房に入って来たフェルに、ソフィアは深刻な表情で言い放つ。
きっと、フェルだけでなくロレッタや雑用係と化しているアニータも同じことを思ったに違いない。
――何言ってるんだ、こいつ?
そんな三人の内心を知らないソフィアは、自分の腕を見て言った。
「私の腕が四本……いえ、八本あればよかったのに」
「タコ!?」
「うわぁ、なんか切実に願っている姿を見ると……うわぁ」
「ソフィア、前々から思ってたけど、発想が面白いね。なら、ここは私が……」
「おいっ! お前たち、いつまで遊んでいるつもりだ! 注文が入ったぞ! ……って、なんだこの状況は?」
厨房の扉を勢いよく開け放つシルヴィア。
長身でありながらも、メイド服が良く似合っていた。そんな彼女だが、厨房の混沌とした光景を前に、表情を引きつらせている。
自身の腕を見て落ち込んでいるソフィア。
驚愕の表情でソフィアを見るロレッタに、ドン引きしているフェル。よからぬことを考えて黒い笑みを浮かべるアニータ。
シルヴィアは、一先ずソフィアに声を掛けようとした。
「シルヴィア、腕ってどうやったら増やせるのですか?」
「何の話をしている!?」
「ほら、私って魔法がないと役立たずじゃないですか? 腕の本数でも増やそうかと」
「阿呆か……」
シルヴィアはソフィアの返答に頭痛を覚えたのか、頭に手を当てる。
「……あれ、そう言えばプロフェッサーが、なんか腕の試作品がどうとかって」
何を思ったのか、フェルがそんなことを言う。
それを聞いてしまったソフィアは、勢いよくその話に食いついた。
「フェルちゃん、その話を詳しく!」
「え、あ……えっと。なんか、ちょっと腕を改造をしてみたい衝動が抑えきれず、モデル品を作ったみたい」
腕を改造して見たい衝動とは何なのか。
そんな衝動に駆られるのか、疑問に思いつつもソフィアはその話に興味津々だ。
「腕の改造と言うことは、もしかして、システムキッチン並みの……いえ、それは高望みですよね。フライパンや包丁は当然として、オーブンが付いていると嬉しいですね」
「い、いやぁ……流石にそれはちょっと。流石に腕の範疇を越えているよ」
珍しくソフィアの剣幕に怯えているフェル。
まるで子供のように夢を語っていたソフィアは、期待が裏切られてしまい、明らかに落ち込んだ表情を浮かべている。
「馬鹿なことを言ってないで、仕事をしろ。休ませるぞ」
「っ!?」
休ませるという言葉に、ソフィアの表情が見る見るうちに青くなって行く。
その表情を見たロレッタとフェルが、畳みかけるように言葉を掛けた。
「休ませるというよりも、このまま精神病院に連れて行った方が良い」
「うん、私もそう思う。お姉さんは疲れているんだよ。もう休んだ方が良いって」
「大丈夫です、私は疲れてなんかいません!」
慌てて否定をするソフィア。
仕事で忙しさを感じることで、テンションが振り切っているのだろう。何故か憐憫の視線を向けられたソフィアであるが、シルヴィアがため息を吐いて言った。
「なら、注文だ。サンドイッチ四人前。それからコーヒー一つと紅茶三つだ」
「分かりました、すぐに用意します!」
先ほどまでこの世の終わりのような表情で落ち込んでいたとは思えない機敏な動きで、料理に取り掛かるソフィア。
その姿を見て、ロレッタは呟いた。
「ソフィアの休憩、どうしよう? というよりも、腕が増えなくても十分だと思うんだけど?」