第89話 失敗と押し付け
ネット宣伝。
近年魔国では、情報技術の急速な発展によって、ソーシャルネットワークサービス一般的にSNSが急速に普及されるようになった。
魔物の存在によって都市間の通信はほとんどできないが、都市内で限定するのであればかなり便利なサービスだ。
「ネット、ですか?」
「ソフィアさんは知らないっすか?」
「お恥ずかしながら。存在は知っていても、詳しいことはまったく……。ロレッタさんはご存知ですか?」
「モチ」
どうやら、知らないのはソフィアだけのようだ。
尤も、SNSが急速に成長し始めたのは、ここ二十年の間。若者を中心に、利用されるようになった。
ジョンもロレッタも、まだ十代だ。
当然、ネット技術成長期に生きて来たため、インターネットは身近な存在なのだろう。ロレッタの表情はいつになくドヤ顔だ。
「それで、本題に戻るっすね。ソフィアさんは、インフルエンサー・マーケティングという言葉は知っているっすか?」
「いんふるえんさー、まーけてぃんぐ?」
「知らないみたいっすね。インフルエンサーとは、SNSで世間に与える影響の大きな人のことっす。その人に頼んで、商品の宣伝をしてもらうってことっすよ」
「なるほど、ネット版のCMということなんですね。アイドルとかがCMに出てると、すぐに話題になりますから」
「そういうことっす」
ジョンの説明に、納得したソフィアはしきりに頷く。
だが、ここで一つだけ問題が生じ、ソフィアは二人に尋ねた。
「ですが、そのインフルエンサーはどうされるのですか? そんな人の知り合いはいないと思うのですが」
「そうっすね……。有償で来てもらって、広めてもらうしかないっすよね」
「……お金が掛るんですね」
結局は、お金の問題だとため息を吐くソフィア。
ソフィアの母親は節制と倹約をこよなく愛する性格をしており、ソフィアも最低限の経費で外交に出された経験があるので、お金は大事にしている。
しかし、ソフィアの貯金など、企業の予算と比べれば雀の涙ほどしかない。
「最近だと、あまり影響力が大きすぎない人の方が、良いみたいっすけど」
「そっちの方が割安だからですか?」
「それもあるっすけど、あまり広すぎると関係が薄いっすから。宣伝しても、実際に来てもらえないみたいっす」
「そういうことですか。ネットって、人間関係が複雑ですね」
名案ではと思い始めたが、どうやらそう上手くはいかないらしい。
そのことに、ソフィアとジョンは深いため息を吐く。すると、不意にドヤ顔を浮かべるロレッタの姿が映った。
「ロレッタさん、どうかしましたか?」
まるで「さぁ、聞くが良い」と言わんばかりの態度をするロレッタに、ソフィアは尋ねた。
「ふっふっふっふ。これを見るが良い」
そう言って、ロレッタは自身のスマートフォンをソフィアたちに見せる。
「……? これがどうかしたのですか?」
ソフィアは、どこを見れば良いのか分からず首を傾げる。
「……」
すると、先ほどの表情から一転、ロレッタはしゅんと落ち込んだ表情を浮かべた。
だが、この場には、ソフィア以外にも人がいる。ソフィアに代わって、ジョンが声を上げた。
「凄いじゃないっすか、フォロワー数が千人を越えているっす!」
「……(ドヤ)」
二人の表情から、それが凄いことだと察したソフィア。
すると、ジョンがソフィアに対して説明を付け加えてくれた。
「フォロワーとは、要は見てくれている、もしくは関心を持ってもらっている人の数っす。つまり、ロレッタさんが発信すれば、千人の人が見てくれるっすよ」
「それって、凄いことじゃないですか!」
ソフィアも事の重大さに気づき声を上げる。
実際、この数字はかなり凄いことだ。通信技術が不完全のため、このあたりだとマンデリンを中心として五十キロ圏内が限界だ。
SNSを利用している人の数が少ないと考えるならば、その数は驚異的なものである。
「ロレッタ先輩、早速発信するっす!」
「うん……ということで、ソフィア。ジュエリーパンプキンのキッシュ。あとはデザート各種をおねがい」
「え?」
「食べている所を取らないと、広告できない」
真剣な表情で言い放つロレッタ。
邪な感情など一切ないと言っているような堂々とした態度に、ソフィアは気圧される。
「りょ、了解です! すぐに作ってきます!」
ソフィアは、大慌てで厨房へ向かい、「朝食を食べたばかりのはずなのに」と思いながらも料理を作り始めるのであった。
◇
「……来ないっすね」
ロレッタが、SNSで投稿してから五時間が経過した。
なんということだろうか。開店時間を迎え、十二時半。ランチタイムにも関わらず、昨日と同様に閑古鳥が鳴いている有様。
部屋の隅では、アニータの座っていた場所にロレッタが体育座りをしている。充電切れのスマートフォンを虚ろな表情で見つめ、「薄情者……」と呟いていた。
端正な顔立ちだけに、なかなかホラーな光景である。
「ま、まぁ……まだ情報が伝わっていないだけかもしれませんし。ほら、もしかすると学生を中心だったりして、授業中なのでは?」
と励ましの言葉を掛けるものの、効果はない。
せっかく先輩としての威厳を見せるチャンスを不意にしたと思っているのか、立ち直るには時間が掛かりそうだ。
ソフィアは、ロレッタから離れるとジョンに話しかけた。
「ネットは無理そうですね」
「やっぱり、場所が遠いっすから。平日だと美味しそうでも、わざわざ足を運ぼうとは思わないっすから」
「お昼休みも有限ですからね」
そう言って、二人は揃ってため息を吐く。
「今さらながら、私たちは何の実習をしているのでしょうか? 飲食業らしい仕事をしているとは思えません。ほら、私たちがやっていることってDIYと宣伝じゃないですか」
「俺もそれは思ったっす……。服装だけっすね、俺ら」
「あははは……馬子にも衣装ですか。私なんて、服に着られているようなものですよ」
「それなんか、用法が違わないっすか」
部屋の隅で落ち込む少女と乾いた笑いを浮かべて現実逃避する二人の男女。
彼らは、店舗の立ち上げの苦労を味わっていた。そして、肝心の店長……アニータは、既に本部に戻っている。「お小言言われるね」と胃を抑えて去って行く姿には、哀愁漂っていた。
すると、その時だった。
――チリン!
鈴の音がホールに響き渡る。
それと同時に、ソフィアとジョンは条件反射で笑みを浮かべる。ホールの方に視線を向けると……
「おはよう!」
そこには、フェルの姿があった。
フェルと同い年の少年少女たちは学業に専念しているというのに、怠惰な堕天使は自由奔放な生活を送っている。
昨夜も自由奔放故に、シルヴィアに怒られたばかりだ。
その関係で今朝は寝不足だったが、二度寝でもして起きたばかりなのだろう。頭部には寝癖が付いており、その表情は眠気を感じさせない明るいものだった。
一方で、ソフィアたちはというと……
「「「はぁ~」」」
一転して、深いため息を吐く。
まるで、クリスマスプレゼントを空けたら、中身が文房具とテキストだったような落胆ぶりだった。
「いくら何でも、その反応は酷くない!? 私、お客様だよ!」
と、憤りを見せるフェル。
だが、ソフィアは知っていた。フェルのお小遣いが、二十八円しかないことを。テーブルの上でガマ口財布をひっくり返し、一円玉の枚数を悲しそうな顔で数えていた。
この国の王女が「一枚、二枚……」と数えている姿を目撃してしまい、気まずいどころか、憐れみさえも感じてしまったのだ。
そのことには触れないでおこうと思ったソフィアだが、横から声が掛かる。
「金欠じゃなかったの?」
「き、金欠ちゃうねん! 三日前にお小遣い貰ったもん!」
まるで図星を突かれた反応を見せるフェルだが、すぐに愛用のがま口財布を取り出した。丸々と太った蛙さんだ。中に何を詰めているのか、非常に気になるところだ。
「もしかして、姫様十円玉貯金でも始めたっすか?」
「もしくは、一円玉」
と、失礼なことを言い始める二人。
いや、ソフィアも同じことを思っていた。もしくは、五円玉の可能性もあると思うが、フェルの表情を見てそれは言えそうになかった。
「百円玉の可能性も……」
流石にそれはないと思いながらも、ソフィアは口にした。
フェルは、近くの机の上に行くと、がま口を開いて中を見せる。
「「「……」」」
銀色の輝きを見せるそれ。
しかし、どこにも数字が書かれていない。いや、百の数字が書かれた硬貨と銅色の硬貨が何枚か見える。
その大半を占めるのが……
「ゲーセンのコイン?」
「みたいっすね。まさかの変化球っすか」
「……」
たった三日。
その期間に、お小遣いはゲーセンのコインに変わってしまったらしい。ソフィアはフェルに一言断ってから小銭を数えると……
「百四十五円みたいですね」
現実は無情だった。
この場の三人以上に、フェルは金欠のようだ。数千万円で取引される名画を描けるというのに、財布はゲーセンのコインによる水増し。
生暖かい視線にさらされたフェルは、その両目に涙を溜めて言い放った。
「だって、仕方ないじゃん! 欲しかったゲームがあったんだもん! 新品だと買えないから、中古品を買ったんだよ! お小遣いが百円も残っただけ、奇跡なんだよ!」
と語るフェルに、かける言葉を失うソフィアたち。
この話題はこれ以上追及してはいけないような気がした。それを察したジョンは、お冷をフェルの前に置く。
そして、メニューを目の前に置いた。
「ご注文はいかがされますか?」
それを見たソフィアが、努めて明るい笑顔で言い放つ。
「アルバイトで!」
「申し訳ございません、アルバイトなる商品はお取り扱いしておりません。南門の詰所の方へお伺いくださいませ」
明るい笑顔を浮かべるフェルに、さらりと笑顔を返すソフィア。
内心ではお客として来たのではなかったのかと思うが、財布の中身を見ればその言葉を口に出来ない。
それを傍から聞いていたジョンとロレッタは……
「さらりとシルヴィアに押し付けた」
「意外と強かっすよね」
などと会話をしている。
「お姉ちゃんから、こっちに来るように言われたんだよ! それと、これシュナイダーさんから」
と言って、フェルは一通の手紙を取り出した。
鞄の奥底に入れていたためか、折れ曲がっていて酷い有様だ。嫌な予感を覚えつつ、ソフィアは封筒を開封した。
『子守を任せる。陛下より、問題を起こさないように見張っておくようにとのことだ』
用件はこうなる。
どうやら、フェルはアルバイトを求めてシュナイダーの元まで行ったようだ。あの忙しい職場に、フェルのような爆弾どころか、戦略兵器を抱えるようなことはしたくない。
そこで、ここが物凄く暇なことを思い出したのだろう。
つまりは……
(押し付けられたと言うことですか……考えることはみんな同じなんですね)
と、満面の笑みを浮かべるフェルを見て、ソフィアはしみじみと思うのであった。
次話は、土曜日に更新します!