第9話 ソフィアとシルヴィアの朝
季節は初夏。
太陽が燦燦と光り輝いている。やはり、こういう日はと言うと……
「絶好の洗濯日和ですね!」
洗濯籠を片手に、ベランダへと出て来たソフィアは今にも鼻歌でも歌いそうな雰囲気だ。
「何か手伝おうか?」
そう声を掛けて来たのはシルヴィアだ。
今日は訳あって出勤が少し遅い。そのため、時間まで暇なのだろう。ソフィアが洗濯籠を持ってベランダに出て行った姿を見て、ついて来たようだ。
「大丈夫ですよ。後は干すだけですし……もう、本当に洗濯機さまさまです!!今まで、洗濯板で洗濯していた私は何だったのでしょう?」
やはり文明の利器は偉大だ。
そのつもりで言ったのだろう。だが、その話を聞いたシルヴィアとしては「お前、本当に元は貴族か?」そう尋ねたかった。
だが、今さらと言えば今さらだろう。
(華やかな生活を送っている方が想像できないな……むしろ、洗濯をしている光景が鮮明に見える気がする)
シルヴィアはそう考えて苦笑する。
「まあ、二人でやった方が早く終わるだろう……手伝うぞ」
そう言ってソフィアの隣に移動すると、洗濯物を洗濯竿にかけ始めた。
「やっぱり、シルヴィアって身長が高いですね……まだ成長しているのですか?」
隣に並んだためだろう。
ソフィアも決して身長は低くない。百六十センチをわずかに超えている。対して、シルヴィアの身長は百七十センチ近い。
「そうだな。最近では入隊の際に測ったが、それほど伸びてはいない。
おそらくもうすぐ打ち止めになるだろう……ただ、狼の獣人の中では小柄な方だぞ」
「そうなんですか?」
「ああ、私の母上や姉上は……そうだな。今のお前と同じくらいの差があるのではないか?それと、父上や兄上はさらに大きいからな」
ソフィアの質問に、シルヴィアは語る。
「そんなに大きいんですか、狼の獣人って?人間よりも随分と大きいんですね」
想像以上に大きいことに驚いたのだろう。
シルヴィアの言葉にソフィアは目を丸くする。
「何を驚く必要がある。虎の獣人は男女ともに二メートルは超えるぞ。それに、魔族の中には巨人族がいるではないか。あいつらは、五メートルほどあるぞ」
魔国には、数多の種族が存在する。
そのため、身長の平均は種族ごとに違うと言っても良いだろう。ただ、ソフィアの身近には人間と変わらない身長の種族しかいなかった。
「すごいですね……っと、こっちは終わりました」
「こっちも終わったぞ」
二人で分担していたため、随分と早く洗濯物を干し終えてしまった。
ソフィアは空になった洗濯籠を手に持つと、シルヴィアと共にリビングへと戻って行く。
「そう言えば、今日は別の仕事をするのですよね。何時くらいに終われそうですか?」
「場合によるな。何せ魔物の討伐だ。見つからなければ話にならん」
その言葉に、ソフィアは驚きのあまり目を丸くする。
「魔物の討伐ですか?私、こちらで魔物を見たことはなかったのですが、出るのですか?」
「もちろんだ。ただ、魔物は自分の縄張りから基本的に出ないからな。こうして、縄張りから出て来た魔物を倒すことが私たちの仕事になる」
「そうなんですか。危険はないのですよね」
シルヴィアには多くの迷惑をかけている自覚がある。
そのため、死地に出向くのであれば何が何でも止めなくては……そう考えての発言だが、シルヴィアは心配する必要はないと笑みを見せる。
「大丈夫だ。何せ、相手はたかがワイバーンだぞ」
「物凄く、危険ではないですか!?」
シルヴィアの今回の対象を聞いて、ソフィアは表情を強張らせる。
だが、シルヴィアは何故危険なのかそれと結びつかないのだろう。首を傾げてしまう。その様子を見たソフィアが、言葉を重ねた。
「ワイバーンって空を飛ぶ大きなトカゲさんで、何かお肉の美味しそうな魔物ですよね?」
「……大体あっている気がするが。お前の言い方だと全く危険なように聞こえないんだが。と言うよりも、遭遇したことがあるのか?」
「はい。山を越えようとした時に、ちょうど住処だったようで……あの時は、隠れてやり過ごせましたが、生きた心地がしませんでしたよ」
そう言って、ソフィアは表情を青くして語る。
散々な評価だったものの、どうやらソフィアはワイバーンを恐れているらしい。そのためか、服の裾を強く握っていた。
「だから、大丈夫だと言っているだろう。
お前の言う通り、ただ空を飛ぶトカゲだ。ブレスのような遠距離攻撃手段を持たないのだから、叩き落とせば戦いにすらならないぞ」
「本当ですか?」
ソフィアは、視線を上げるとシルヴィアと眼を合わせた。
「ああ、本当だとも。お前は気にせず美味い飯でも作って待っていてくれればそれで良い」
そう言ってシルヴィアは逞しい笑みを浮かべる。
その言葉を聞いてソフィアは呆然とするが、一拍置いてクスリと笑った。
「まるで、お姉ちゃんみたいですね」
姉が居たらこんな感じだろうか。
そんな風に考えて、ソフィアはにこりと笑う。だが、その反面シルヴィアはまるで苦虫をかみつぶしたような渋い表情を浮かべた。
「それは止めてくれ。そもそも、お前は私よりも年上だろうに」
ソフィアはシルヴィアの言葉に、それもそうかと思ってクスクスと笑ってしまう。
「あら、それもそうですね。なら、お姉ちゃんと呼んでくれても良いですよ」
ソフィアは半分本気とも冗談とも取れる声色で言った。
だが、それを聞いたシルヴィアは真顔で首を振る。
「それはない」
「そ、即断ですか」
まさか即断されるとは思っていなかったのだろう。
少しくらい悩んでくれても……そう思ってしまうが、自分のどこに姉としての要素があるのか。それを考えると、余計に落ち込んでしまう。
そんなソフィアの様子を余所に、シルヴィアは言葉を続ける。
「それに、姉と呼ばれると変な奴が頭の中をよぎる……」
シルヴィアの言葉に、関心を抱いたのだろう。
先ほどのショックに視線を下げていたソフィアの視線がシルヴィアへと移る。
「妹さんがいらっしゃるのですか?」
「いや、私は末の娘だ。妹も弟もいない……ただ、私が男勝りな性格のせいか、姉と呼んでくる連中がいるんだ」
シルヴィアの表情はどこか優れない。その様子を見たソフィアは首を傾げてしまう。
「慕われていると言うことではないのですか?」
「確かに、性格の良い者が大半だ。だが、問題なのは性格の悪い奴だ。その中でも、あいつ、あいつだけは……」
シルヴィアはここにはいない誰かの事を考えているのだろう。
眉間に皺を寄せて、まるで思い出したくない過去に憤りを覚えている様子だ。握る手には力が入り過ぎて僅かに震えている。
「あいつ、ですか?」
あまり深く言及するのも良くない。
そうは思うものの、ここまで怒りを耐えるシルヴィアの様子にソフィアは気になってしまったのだ。
そのため、ソフィアは恐る恐ると言った様子でシルヴィアに尋ねる。
「私の幼馴染だ……まあ、自称親友兼妹などと訳が分からんことを言っているが、あんな歩く災害のような馬鹿は、決して妹ではないぞ!」
はぁはぁと荒い呼吸を繰り返すシルヴィアの様子に、その幼馴染はかなり厄介な性格をしているのだろう。
そして、何かを思い出したかのようにシルヴィアは頭を抱えてしまった。
「そ、そうですか……」
シルヴィアの様子にただならぬものを感じ取ったソフィアは、頬を引きつらせて頷くことしかできない。
そして、普段は冷静なシルヴィアがここまで取り乱す人物……それが、どのような人物なのだろう。そう思いを馳せる。
「そう言えば、そろそろお仕事に向かう時間ではないのですか?」
ソフィアはふと時計を見る。
時計の針は、九を指していた。シルヴィアの出勤時間が十時だと聞いていたので、そろそろ家を出ないと拙い。
シルヴィアも、ソフィアの言葉に時間に気づいたのだろう。
少し上ずった声を上げると、ソファーから腰を上げた。
「っ!?ああ、そうだったな。すまん、助かった」
よほど、その人物の事は苦手?なのだろう。
いつもよりも余裕のない姿に、ソフィアは微笑する。
「忘れ物はないのですか?」
「向こうで用意してくれている。では、行ってきます」
「いってらっしゃいませ!」
こうして、シルヴィアとソフィアの一日は始まったのだった。