第79話 魔王祭(3)
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「お久しぶりですわね、ソフィア」
「は、はい……。お久しぶりです」
満面の笑みを浮かべて挨拶をするエリザベートに対して、ソフィアは辛うじて笑みを浮かべて挨拶を交わす。
人間としての本能だろうか、それともエリザベートの視線が鮮血スムージーからソフィアの首筋に移っているからだろうか。笑顔の裏に隠れている捕食者としての素顔が見え隠れしているようで、ソフィアは内心焦燥にかられていた。
「ソフィア、この人は?」
「先日、フェルちゃんにミッドナイト横丁を案内してもらったときに会った方で……」
「エリザベート=ヴァンプですわ。長いので、エリザと呼んでくださいまし」
貴族子女のように、カーテシーするエリザベート。
魔国ではほとんど見ないドレス姿だからだろうか、とても新鮮なものに見えてしまう。一方で、ロレッタはエリザベートのあいさつに戸惑ったような表情で、ワンピースの裾を持ち上げて挨拶をする。
「私は、ロレッタ……です」
おそらく本人はカーテシーのつもりだろう。
だが、見様見真似でぎこちなく、マナーの教師がいれば落第点をつけること間違いなしだ。普段とは違うロレッタを見たため、くすっとソフィアは笑ってしまう。
「ソフィア……」
ソフィアの笑い声が聞こえたのだろう。
先ほどのぎこちない態度から一転して、普段以上にジト目を向けてくるロレッタ。感情どころか、光さえも消えた瞳が怖かった。
「……笑うなんてひどい」
「すみません。普段のロレッタさんからは想像できない姿で、つい」
ソフィアが弁明するものの、ロレッタは不満そうに唇を尖らせている。
しかし、先ほどのカーテシーは自分でもないと思ったのだろう。小さくため息をつくと、いつものロレッタに戻った。
「ふふふふ……お二人は仲が良いのですね」
二人のやり取りを静観していたエリザベートが微笑ましそうに笑う。
とはいえ、相手は子供だ。ソフィアもロレッタも、エリザベートを見る目が自然と微笑ましそうなものとなる。
そんな視線の変化を感じたのか、エリザベートは可愛らしくコホンと咳払いをする。
「それはそうと、お二人も魔王祭を見て回っているところでしたの?」
「あっ、はい。私は魔王祭が初めてなので、ロレッタさんに案内をしてもらっていたところです。エリザは?」
「私も同じですわ。あそこは非常に混雑しているので、別の都市へと思いまして。それで姫様のことを思い出して、マンデリンに来たのですわ」
「そうだったんですか。フェルちゃんなら、レヴィアさんにどこかへ連れられて行きましたよ」
「そうですか、レヴィアさんが……えっ?」
納得の表情を浮かべたのもつかの間。
すぐさまソフィアの言葉に違和感を覚えたのか、間の抜けた表情を浮かべる。そして、まるで人形のように首を傾げると震える声で尋ねてきた。
「い、今なんと……」
「フェルちゃんなら、レヴィアさんに連れていかれましたよ」
どこかおかしなところがあったのかと、エリザベートに倣って首を傾げるソフィア。
数拍をおいて、鈍かった動きが一転する。電光石火のごとく、ソフィアの目で追えない速さで距離を詰めると、両肩をつかんでゆすり始めた。
「王妃様ではありませんの!? なぜ、私を呼んでくれませんでしたの!?」
「ま、まって……お、落ち着いて……お、お落ち着い、てくだ……さい」
視界がグワングワンと揺れる。
小さい体のどこにこれだけの力が。吸血鬼であれば当然だと思うが、今は日中だ。高位吸血鬼になると、日光の下でも力が弱くなる程度で済む。
だが、エリザベートにはそれが関係ないのだろうか。
肩から伝わる力は非常に強く、内臓がシェイクされて気持ちが悪かった。
「ロ、ロレッタさん……たすけ、て……」
一縷の望みをかけて、ロレッタに声をかける。
しかし、その望みははかなく消えた。なにせ、先ほど立っていた場所にロレッタの姿はなく、匂いにつられたのか屋台へと直行している。
ソフィアのか細い声など、ロレッタには届かなかった。
だが、天はソフィアを見捨てなかった。
「そろそろ、その子を離してやれ。顔色が真っ白だぞ」
猛烈な吐き気と眩暈に苛まれていると、突然野太い声が聞こえてくる。
聞き覚えのある声だと思いつつ、揺れがピタリと止まったことに気付いた。あまりの気持ち悪さに、その場に倒れそうになると誰かがソフィアの体を支えてくれる。
「あれ、もしかしてソフィア?」
視界に移るのはピンク色の耳。
ウサギの耳だ。そして、その聞き覚えのある声の主と言えば……
「キャロちゃん?」
シルヴィアの同僚で、ニンジンを世界一愛している少女キャロ=ラビッツ。
なぜここにと思っていると、エリザベートを制止してくれた男性が誰なのか気が付く。
「それに、テディさんも」
シルヴィアの上司で熊の獣人テディ=ベアード。
一メートル前半のエリザベートと二メートル越えのテディだ。頻繁にキャロをアイアンクローで持ち上げている姿を見るため、子供の相手はお手の物だ。
一般人ということで配慮しているのだろうが、羽交い絞めにしていた。
地面から足が離れた状態となっているため、エリザベートは足をバタバタさせてもがいているが、見た目通りの光景に哀れみよりも微笑ましさがこみあげてくる。
「ありがとうございます、助かりました」
「気にするな。仕事だ」
「そうそう。それに、ソフィアにはいつもお弁当を作ってもらってるからね。キャロットクッキー追加で」
さらりと対価を要求するキャロ。
思わず苦笑を浮かべてしまいそうになるが、それよりも先に野太い声が響きわたる。
「おい」
「う、うそうそ! だから私の頭を掴もうとしないで!?」
エリザベートを抱えながら腕を伸ばそうとするテディから、キャロは慌てて距離をとる。さりげなく民間人を盾にしていることから、いい性格をしている。
ソフィアの後ろからぴょっこりと耳を出すキャロの姿に毒気を抜かれたのか、テディは深いため息をつくのであった。
「先ほどから私を無視して和まないでくださいます!? この年になって抱えられるのは恥ずかしいのですけど!」
興奮が冷めて冷静になったエリザベート。
自分の体勢に気付き、恥ずかしそうに声を上げる。吸血鬼ゆえに色白の肌が赤く染まっているため、羞恥心がよく伝わってきた。
テディもエリザベートがこれ以上暴れないとわかったからか、そのまま地面に下ろした。
「次からは力の加減に気を付けるんだぞ」
と言って、エリザベートの頭を乱雑に撫でる。
まるで父親と娘のような姿だ。テディは特に気にした様子はないが、一方でエリザベートの反応は顕著だ。
顔が赤いのは変わらないが、なでられた頭を触り口をパクパクさせている。
よほど衝撃的だったのだろう。
二人の年齢を知っているソフィアとしては、この光景を見て思わず笑いそうになる。だが、ソフィアが笑いをこらえていると……
「た、隊長……親子みたいですね。あはははは! なんです、奥さんに内緒で隠し子……ぎゃふ!」
「……」
テディは無言でキャロの顔面を鷲掴みにする。
これでようやくキャロは自身の失言を悟ったのだろう。掌の隙間から見える素顔は、心なしか青い。
弁明をしようにも、口が塞がれてできない状況だ。
いったい何を……。
そう思ったのもつかの間。テディは大きく振りかぶって……
「きゃ、キャロちゃん!?」
投げた!
「ぴ、ぴぎゃあぁーーー!!!!?」
哀れ、キャロ。
まるで空から登るピンク色の流星だ。涙目で空を突き進む姿には、思わず同情してしまう。テディはいったいどんな腕力をしているのか。見る見るうちにキャロの姿が小さくなって行き、ついに星となって消えてしまった。
「ふぅ」
テディは部下が消えたのを見送ると、一度息をついた。
あまりの光景に、ソフィアどころかエリザベートも言葉を失っている。
「えっと、キャロちゃんは大丈夫なんですか?」
「気にするだけ無駄だ。あいつほどしぶとい部下を俺は知らん。あの程度なら、週に一回は見る光景だ」
「あれって、よくあるんですか?」
ソフィアはキャロが消えた空を眺めて、そんなことをつぶやく。
「最近マンデリンで話題のピンク色の逆流星だ……知らないのか?」
「あれって、キャロちゃんだったんですか!?」
聞いたことがあるのだ。週一回のペースで見られる超常現象……まさか知り合いの少女が投げ出されたことで起こる現象など誰が想像できようか。
そんなことを思っていると、隣では……
「楽しそうですわね」
と、どこかうらやましそうな表情を浮かべるエリザベート。
子供は高い高いが好きだと聞くが、限度があるだろう。それに、自分が投げられたらと思うと……
(死んでますね……)
考えるまでもなく、生存確率はゼロだ。
それを考えたソフィアは背筋がぞっとした。
一方で、最初の出会いはどこへやら。いつの間にか高い場所について意気投合したエリザベートとテディを横目にソフィアは思う。
(やはり、常識を持っているのは私だけですか)
そう確信するソフィアであった。