別世界の殲律
満天に咲く百合の花。
黄泉国際空港近く、路肩の草叢。
『………………』
バラバラになった少女の死体を、真っ黒な悪魔の子――――――デビルが見下ろしていた。その手中には、禍々しい種子が幾つか握られている。
『………………』
その内の一つを死体の心臓部に捧げ、姿を消した。
「………………!』
直後にバラバラだった死体が一つとなり、この世ならざる何かに変じる。長く伸びた髪をワームが如く蠢かせつつ起き上った少女だったナニカは、己が本能の赴くままに動き始め、黄泉の街並みへと躍り出た。
《………………》
その一部始終を別の場所で見守っていた刺客風の黒幕の下に、肉眼では視認不可能な小さき命が舞い戻る。“ソレ”は先程まで、とある民宿の鉢植え生首だらけの部屋に潜入していたのだが、「葉足動物」に八対の翅が生えた気色の悪い姿をしており、とても同じ星の下に生まれた存在とは思えない。
◆『分類及び種族名称:昼天使=シャムシェル』
◆『弱点:頭部のコア』
《踊れ踊れ、鬼の子よ。楽しく、愉しく、哀れなままに……》
そして、黒幕も小さき命も、闇の中へ溶けて消えた。
◆◆◆◆◆◆
閻魔県要衣市古角町、峠高校の朝。
「やっほ~♪」
「久し振り~」
「ねぇねぇ、夏休み何処行ってた?」
「私、伏魔県に行ってたわ~。綺麗だったわよ、水族館」
「親戚の家に行ってたけど、何か従妹がデキ婚しててビックリしたよ」
教室の中は、夏休み明けの活気に満ちていた。各々が思い出や出来事を語り合い、和やかな雰囲気に包まれている。
「そう言えば、聞いた? 一組の善壱くん、貧血で倒れたんだって」
「えっ、俺は化け物に襲われて気絶したって聞いてるけど?」
「だから、お化けに襲われて血を吸われたんだって!」
「何でも不思議な音色に誘われて、気付いたら襲われるらしいよ」
「あー、確か橋平良先輩も同じような目に遭ったって言ってたような……?」
「一年の釜斗くんもやられたらしいわ! 何て厭らしい!」
「お前もな?」
しかし、良い話題ばかりではなく、不穏な噂も流れていた。何でも、夜な夜な不思議なメロディで男を引き寄せ、血を吸い取ってしまうという。ただし、死に至る程では無く、貧血で倒れるだけなのだとか。割と死が身近な峠高校の噂話としては、かなり良心的な怪異と言えるだろう。
果たして件の物の怪は、一体何者なのか……その答えは、まだ誰も知らない。
「……これで、橋平良先輩の仇を!」
だからこそ、今日も手紙が出されるのだ。屋上のリオ宛の依頼が、コトリバコに呑み込まれていく。橋平良先輩とやらがまだ死んでない事については目を瞑ろう。
「………………」
だが、今回は先客が居た。閻魔県随一のレディース「獄門紅蓮隊」の総長、柏崎 苺である。荒事にも厄介事にも怪奇事件にも慣れている彼女が、何故に里桜へ依頼を出したのか。その理由を知るには、少し時を遡る必要がある。
◆◆◆◆◆◆
夏休みが終わりを告げる数日前、要衣市穏蛇町神之手地区の付近にて。
「久し振りっスねぇ、姐御」
「あ、ああ……」
苺は実家にて、柴咲 綾香と何日か振りに顔を合わせた――――――のだが、何処か違和感がある。肌艶は良いのに肌色が悪く、まるで蝋人形のようだ。しかも、元々は普通の茶色だった虹彩が琥珀色になっているのだから、その変わり様ったら無い。まさか、カラコンを入れた訳でも無いだろうし……。
この数日の間に、綾香に何があったのか?
(確か、ちょっと前に墓参りへ黄泉市の方へ行ってた筈だけど……)
きっと、そこで何かあったのだろう。
しかし、面と向かって聞くのも憚られる。ここは少し様子を見るべきかもしれない。
「(頼むぞ、「ゼロ」)」
《(了解了解)》
という事で、苺は夜に備えた。怪奇現象は日没後に頻発する物と相場は決まっている。
(そう言えばアタシ、あの子のプライベート、殆ど知らないなぁ……)
喋るオートバイ型の強化外骨格「ゼロ」と一体化し、「プロト・ギャガン」へ変身した苺が、夜陰と光学迷彩に乗じつつポツリと考える。「獄門紅蓮隊」は“自分らしくあれ”をモットーにしており、お互いに深入りしないようにしている為、同じ隊員同士でも知らない事は沢山ある。綾香もそうだが、菖蒲峰 藤子に至っては普段何処に住んでいるかさえも分からないので、ある意味徹底されていると言えよう。
だが、今回はそのモットーを破ってでも、苺は綾香に探りを入れようとしている。だって、大切な友達だから。
そうして進む、夜の闇路。場所は要衣市古角町と神石町の間、三途川の上流部。浅くて狭い、流れが強めの川を、葦の密集した河原が挟み、それらを小高い堤防が合掌するかの如く固める。所々に生える枝垂れた柳や、打ち捨てられた無縁仏の墓石たちが、“何か出るぞ”という雰囲気を醸し出していた。事実、近頃この辺りでは何人もの男が極度の貧血で倒れる事件が続出している。ナニカが居るのは、間違いない。
(綾香は……)
昼間に尾行した所、綾香がこの近辺に住んでいる事は分かっている。親は存在しているようだが、共働きなのか、はたまた仲が悪いのか、家には居なかった。その上、綾香の自室が荒れていたり、男と女両方の体毛や体液が何種類か散見されている。これだけで彼女の家庭環境が窺えるというもの。絶対にロクな物じゃないだろう。
ちなみに、綾香自身もあまり家に居る事を好んでいないらしく、精々が荷物を置きに来る程度であり、直ぐに外出している。行先は適当で、ぶらり旅という感じだった。
しかし、途中で何故か見失ってしまった為、怪し気なこの場所で張り込みをする事にしたのである。果たして綾香は現れるのか。来て欲しいような、来ないでくれた方が良いような、何とも言えない心情で苺は待つ。
と、その時。
(何だ……? 音楽……?)
風に乗って、美しい弦楽器の音色が聞こえてきた。響き方からして、琵琶かと思われる。まるで誰かを誘うかのような曲調だ。
「あ~……」
『………………!』
すると、何処からともなく一人の少年が現れ、覚束ない足取りで音源へと向かって歩いていく。どう見ても勝機ではない。察するに、あの音色に操られているのであろう。ちょっと悪い気はしたものの、苺はこっそりと後を付けた。少年が音源に近付くにつれ曲調が激しくなり、少年は増々正気を失っていく。
『(あれは……!)』
その先に待つは、柴咲 綾香その人。手には血染めの琵琶もある。
だが、その雰囲気は人間離れしていて、ざわざわと蠢く髪の毛と相俟って、妖気を纏っているように見える。
『こんばんは』
「あ、ぅ……あ~……」
さらに、無防備に近寄ってきた少年を、綾香は自在に動く髪の毛を伸ばして、彼を優しく包み込み、
『そして、さようなら』
「あ……ぁ……あぶりぼんくぁわうぃいですよねやつた……へもはぁあああああああっ!?」
致死量ギリギリまで血を吸って気絶させた。ついでに少年のバーチャフォンを使い、声色をガラリと変えつつ救急車を呼びつけて、自身は何事も無かったかのように去っていく。
『(こ、これは……)』
《(間違いなく人外でスネ。あの髪の毛は環形動物の類のようデス)》
見なかった事にしたい苺だったが、それをゼロが完全に否定する。嫌な予感はしていたものの、本当に現実の物になってしまうとは。彼女は、もうどうしたら良いのか分からなくなっていた。
しかし、幾ら頭を抱えて悩もうが、運命を呪い悲観しようが、綾香が化け物になってしまった現実に変わりはない。
『……よし」
そして――――――、
◆◆◆◆◆◆
「……という訳なんだ」
そして、苺は決意し、屋上へ訪れた。己の手でケジメを付ける為に。
対する里桜の回答は、
「よ~し、殺して解剖しちゃおっか~♪」
「「くたばれマッドサイエンティスト」」
狂科学者に遠慮など無かった。死ねば良いのに……。
「そもそも、依頼を受けたのはボクだ。お前は引っ込んでろ」
「え~っ! 殺したい~! バラしたい~! 弄びたい~!」
「マジで消えろ、お前……」
無邪気に残酷な駄々を捏ねる里桜を引っ込め、説子が前に出た。
そう、苺が依頼を出したのは里桜ではなく、相方の天道 説子の方である。里桜の遣り口は大体分かっているので、賢明な判断と言えよう。
「ま多くは聞かんが……覚悟の上なんだろうな?」
苺の眼前に立った説子が、凄みを利かせた。彼女はあくまで里桜の側なので、別に人情味に溢れている訳ではnい。多少融通が利くだけ。つまりはそういう事だ。
「ああ。だからお前に頼むんだ」
それは苺も覚悟の上である。
「まぁ良いさ。案内して貰おうか」
「……頼む」
案内人を案内する形で、苺は綾香の狩場へ舞い戻る。
◆◆◆◆◆◆
月に薄雲の掛かった、仄暗い夜。
『………………』
三途川の取水塔から、闇に包まれた河原を見渡すデビル。彼には分っていた。今夜は盛大なリサイタルになると。自らが蘇らせた傀儡と悪魔の使いが踊る、無様な喜劇。
「よう、綾香。数日振り」「………………」
『………………』
さぁ、ライブの始まりだ。
◆◆◆◆◆◆
『フ~ン、説子と一緒に来るんスね、姐御』
琵琶を弾くのを止めた綾香が、苺を冷めた目で見据えた。一見すると理性的だが、妖怪特有の“人間を獲物と見做している”雰囲気も垣間見える。彼女は今、一体どっち側なのだろう?
否、どちらもクソもない。やるしかないのである。
「まるで、アタシ一人に来て欲しかったみたいだな」
『そりゃあそうっスよ。だって、あっしは姐御が好きなんスから』
「慕ってくれているのは知ってる……という話では無いんだな?」
『ええ、そうっスよ。あたしはあなたの事が、一目見た時から好きでした。愛してるんですよ、女として』
ようするに、そういう事だった。だからこそ、男は殺さず生半可で済ませていたのであろう。
『……だのに、最近はそこの女に現を抜かして、悪ふざけまでしてくれちゃって……』
「アレに関しては悪いと思ってる」
犬養 一護とかいうマジモンの狼とくっ付けようとした事は一生忘れません。
『あっしはねぇ、もっと生きていたかったんスよ。まだまだ人生を楽しみたかった。姐御と一緒にね』
「………………」
『でもねぇ、殺されちゃったんスよ。あの殺人鬼に。その上、何処かの誰かに蘇らせられたんス。動く玩具としてね』
襟を開けさせた綾香の胸元に光る、鉱石のような種子。植え付けたのはデビルか、あの黒幕か。苺には知る由もないが、この際そんな事はどうでも良い。
何故なら、苺と綾香は戦う運命にあるのだから。
「説子、後は頼む』「ああ」
説子に背中を任せ、苺は「プロト・ギャガン」に変身した。
『またそうやって、見せ付けてくれちゃってさぁっ!』
と、二人の信頼関係を見せ付けられちゃった綾香が、妖怪としての正体を表す。
サクランボの如く鮮やかな色合いをした、指揮者風の外骨格に身を包み、右手に光る刀身の生えた撥を、左腕に琵琶をガントレットのように装備している。髪の毛は地面に着く程に伸び、メデューサが如くわらわらと蠢いていた。
◆『分類及び種族名称:地獄詩人=夜叉』
◆『弱点:髪の毛』
『さぁ、待ちに待ったこの夜! 最高の物にしましょうかぁ!』
『最低の気分だよ、アタシは!』
綾香と苺が激突する。光刃撥と超合金バットがぶつかり、火花を散らせ、稲妻を迸らせた。
――――――ベンッ!
『うぉっ!?』
鍔迫り合いの最中、綾香が光刃撥に左腕の琵琶を当てたかと思うと、破壊の殲律を奏でた。あまりに至近距離かつ刃を交えている時だったので、苺は避けられずに直撃して吹っ飛ばされる。
――――――ベンベンベンベンベンッ!
さらに、綾香がガントレットを外して普通の持ち方で連弾し、怒涛の殲律を飛ばして来た。
『このっ!』
だが、苺も一方的にやられている訳ではなく、素早い身の熟しで躱しつつ、タイミングを見計らって殲律弾をバットで打ち返す。
――――――ベベンッ!
しかし、綾香は一際大きな音を立て、衝撃波の壁を作り出し、跳弾を全て掻き消して、その勢いで苺を再び吹き飛ばした。
『………………!』
しかも、苺が体勢を立て直す前に、綾香は琵琶をガントレットに戻しつつ、猛烈な速度で急接近し、光刃撥で追撃を仕掛ける。どうやら、綾香はマジでやる時は黙る性分なのだろう。
『ぐぉあっ!』
『………………!』
光刃撥が受け止められたと見るや、苺の身体を蹴り上げ、宙に浮いている間に左拳を二発、回し蹴りを一発食らわせる綾香。苺に迷いがあるのは事実であるものの、凄まじい戦闘能力だ。獄門紅蓮隊の二番手は伊達じゃない。その後も迷いのない綾香の剣撃が苺を襲う。
――――――バズンッ!
そして、戦闘の流れを掴む事が出来ないまま、苺は綾香に貫かれた。
『……ゼロ!』《了解了解!》
『………………!?』
だが、それは苺の罠だった。「プロト・ギャガン」の生命維持機能により、心臓さえ無事ならば胸を刺された程度では死なない彼女にとって、攻防共に隙が無く素早い綾香を捕らえるには、肉を切らせて骨を断つのが一番確実な方法だったのである。
『目ぇ覚ませやぁあああっ!』
さらに、雷獣や雷神を参考にした超電力を直に伝導させる。
『……ぅきぃやあああああああああああああああああああああっ!』
雷をも超える電圧を諸に食らった綾香は、雄叫びにも似た悲鳴を上げて動かなくなった。一応生きてはいるものの、指一つ持ち上げる事すら叶わない。胸の種子は輝きを失い、砕け散った。
『………………」
そんな綾香を、変身を解いた苺が見下ろす。綾香も元の彼女に戻っていた。
『へへっ、結局はこうなるのかよ……。まぁ、姐御の手に掛るなら――――――』
綾香の頬に一筋の涙が伝う。
「………………」
しかし、予想外な事が起こる。苺が上着を脱ぎ、さらしを解いて、己の上半身を完全に曝け出したのだ。いや、差し出したと言っても良い。汗の滲んだ二つの双丘が色香を放つ。
『何で……?』
「友達だからだよ」
『何を……』
「だから絶対に見捨てないし、死なせない。例えどんな形だろうと、赤の他人が犠牲になろうと、知った事か。アタシは、あんたとまだ友達でいたいんだよ」
その上で、谷間に綾香の顔を埋める。ストロベリーな香りが鼻を突いた。ここまで据え膳されれば、応えなければ女ではないだろう。綾香は泣きながら苺の血を啜った。他の男共よりも沢山吸ったが、苺は死なずに綾香を抱き締め続ける。
『………………!』
「おっと、邪魔をするなよ、非モテ野郎」
そんな百合百合しい展開など認めないとばかりにデビルが襲い掛かって来たが、周囲を警戒していた説子にあっさりと察知され、熱線で退場させられた。死んではいないようだが、何とも間抜けな結末である。
◆◆◆◆◆◆
後日、峠高校の教室。
「そう言えば、あの噂、聞かなくなったね」
「何の噂?」
「ほら、三途川の近くで男が血を吸われるって怪談」
「ああ、アレね。回復した奴らも記憶が曖昧だし、大方毒虫にでも刺されて意識が朦朧としてただけだったんじゃないの~?」
「そんなロマンの無い」
「ホラーにロマンを求めるな。それより、今度黒咲市のゲーセンにでも行かない?」
「良いね~♪」
不思議な吸血事件は、何時の間にか解決され、生徒たちは興味を失っていた。風の噂など、所詮はこんな物だ。
「おはようございます、姐御」
「おう、おはようさん」
だが、夜叉が居なくなった訳ではない。綾香は正体を隠して、今日も苺の傍に居るのだから。毎晩二人は身体を重ね、血と欲を満たしており、今の所問題は無さそうである。将来は知らないが。
まぁ、それはそれとして。
「今回の騒動、どう思う?」
「ただの囮だろ」
砕けた種子の破片を弄びながら、里桜が嗤った。
◆夜叉
仏教における護法善神の一柱であり、仏敵を力尽くで排除する「八部衆」に属する神。元はインドの魔神であり、病魔を齎す悪鬼としての一面と、樹木を育て水を清める精霊としての一面、二つの顔を持っている。
正体は寄生型の環形動物。人の死体に取り付くタイプで、毛髪に擬態しつつ徘徊し、獲物を音で誘き寄せる。まるで「ミミズの鳴き声」のようだが、実は天敵に対する防御手段として獲得した能力である。




