君がいない夏は
素晴らしい!
満天の月が嘲笑う別の夜、とある山中。
「幸せは~、歩いて来ない~♪ だ~から歩いて行くんだね~♪」
一日一歩処か一瞬で三歩進みそうな勢いで、一人の男がスキップしていた。着の身着のまま、息せき切って。簡素な作業着のような服には、「666」という番号が振られている。何日も洗っていないのか、大分汚く臭い。
だが、その顔は実に嬉しそうだった。まるで、長年待ち侘びた恋人との再会を喜ぶかのようだ。
しかし、それは正しく、同時に間違いでもあった。
「今行くよ、藤子ちゃん♪」
男は駆けていく。降りていく。堕ちていく。麗しの古角町へ。そんな彼の足元には新聞が落ちていて、踏み付けられた記事にはこう書いてあった。
【児童養護施設「夢幻荘」の元所長、脱獄す】
◆◆◆◆◆◆
閻魔県黄泉市のとある僻地。
「人生はマ○☆コー★パンツ♪」
下品で最低な替え歌を口遊みながら、柴咲 綾香は己のバイクに跨り走っていた。彼女が今ツーリングしているのは、左右が田んぼの小さな国道。所謂「田園地帯」であり、地平線の果てまで水田か休耕田、もしくは耕作放棄地が広がっていて、田畑の終わりがそのまま山となる。黄泉市は閻魔県で最大の面積を誇る地方中枢都市であるが、様々な市町村が合併した結果の産物なので、郊外や山間は要衣市に負けず劣らずのド田舎な場合が多い。油断してると蚊柱が直撃するのはご愛嬌。
さて、そんなド田舎お下劣娘の綾香が、どうしてこんな所を走っているのかというと、墓参りの為である。彼女はかつてこの地で暮らし、一人の心友を亡くした。東北に甚大な被害を齎した“あの震災”のせいで。あの日の事を、片時も忘れる事は無いだろう。これまでも、これからも。
「へ~い、そこのおねいさ~ん♪」
「あ? ヒッチハイク?」
と、意外とシリアスな理由でバイクを走らせていた綾香に、ヒッチハイクをする者が。有名なアイドルグループ「ツクナミカーズ」の月那 美香……のクローン二号だ。オリジナルの美香は黒髪ロングで吊り目気味だけれど、性格は元気溌剌なお姉さんという感じなのだが、このクローン二号はかなりの根性曲がりで、見た目もそれが反映されて、ちょっと嫌な感じになっている。端的に言うと、メスガキである。
「へぇ、ツクナミカーズのドラムス担当が、こんな所でサムズアップとは、どういう了見っスかねぇ?」
「あひゃひゃひゃ~、あたしらも有名になったもんだねぇい。……何だかんだと聞かれたら、答えてあげるが世の情け。ただの墓参りだよ。爺の唯一愛した女のね」
「………………」
二号の言葉に、綾香が黙った。
月那 美香のクローンは、「ホルマリン漬け大統領」とか言うアレな名前の犯罪組織によって違法に生み出され、闇オークションなどで売買されていたのだが、美香本人によって事件が直々に解決された後は、各々の生き方を見出して暮らしている。大抵は買い手に大事に扱われていた為、そのままの生活を送っているものの、一部は様々な事情が重なり、行き場を失くした彼女らは、美香とシェアハウスするに至っている。
つまり、二号も月那 美香クローンズの問題児の一人、という訳だ。こんな人を食ったような性格では、さもありなんという感じである。
だが、そんな彼女にも主人と呼べる者が居た。否、居たという方が正しい。“彼”は天寿を全うして逝ってしまった。だからこそ、代わりに二号が彼の唯一愛した女性の墓参りに馳せた、という訳だ。
「……乗んなよ。あっしも墓参りだから、ついでに寄り道してやるっス」
「そりゃあどうもだねぇ~」
そういう事になった。
「ちなみに、場所は?」
「「葛琶霊園」」
「何だ、同じ行先じゃないっスか」
「おやまぁ、スッゲェ偶然もあるもんだ」
しかも、向かう先が同じ「葛琶霊園」であった。偶然だろうと何だろうと丁度良い。これで変な寄り道をせずに済む。
「それにしても、幾ら純子の改造手術を受けてるからって、女の子一人で閻魔県を旅するとか、結構度胸あるっスねぇ?」
相変わらずの農道を二ケツしながら、綾香が尋ねる。
「自分の出身地の紹介がそれで良いのかねぇ? まぁ、東京も似たようなもんだけどさ。……何時も独りで来てるよ。あんな喧しい連中、一緒に来たら普通に迷惑だしぃ~」
綾香の逞しい腹筋を堪能しつつ、二号が答える。彼女の言う通り危険性で言えばどっちもどっちであろう。跋扈しているのが悪人か妖怪かの違いだけである。
「さ、着いたぞ」
そうこうしている内に、葛琶霊園に到着した。小高い丘を丸ごと使った広大な墓所であり、上から周囲の街並みを見渡す事が出来る。同時に有名な心霊スポットでもあり、特に給水塔を数周すると怪現象に見舞われると言われている。
まぁ、綾香も二号も純粋な墓参りなので、そんなDQN行為をする気は更々無いのだけれど。それぞれが想う人に祈りを捧げる為、二手に分かれる。
「………………」
己が友人の墓前にて手を合わせる綾香。苔一つ無い磨き上げられた墓石からも、彼女の想いが窺える。
「さて、向こうは終わったかな?」
一通りの事を終えた綾香は、二号の姿を探す。綺麗だったり苔生してたり、整ったり奇抜だったりする、数々の墓石を左右に見送りながら進むと、ボーっと空を見上げる二号を発見した。彼女も誰かに想いを馳せているに違いない。墓に添えられた勿忘草の香りが、心を刺す。
「もう良いんスか?」
「ああ、うん。OKよぉ~い」
ちょっと申し訳ないと思いつつも綾香が声を掛け、二号がハタと我に返った。
「――――――この人はさぁ、小さい頃からアイドルになるのが夢で、憧れのままに上京したんだと」
「夢は、叶ったの?」
「だったら、こんな所に埋まってないよ。……AVに無理矢理出されて、シャブ漬けにされた上で、裏通りの溝川に捨てられたんだって。その頃からだって言ってたなぁ、爺が目的の為に手段を選ばなくなったの。いや、手段の為に目的を選ばなくなったのかな? 何にせよ、大分悪い事してたらしいぜ、うけけけけ!」
皮肉っているつもりの二号が、何処か痛ましい。
「何でそんなプライベートな話を、あっしなんかに?」
「さぁね。ノスタルジーなんじゃない? 知らんけど」
きっと、その答えは彼女も持ち合わせていないのだろう。
「さて、そんじゃあ、空港まで送りやスか?」
「いや、駅の方が良いな。ブラリ旅だから、豪遊しながら帰るんだぜぇい」
「この不景気に、羨ましい事で」
「努力の賜物と言って欲しいね」
流石は人気アイドル、金遣いが荒かった。ともかく用が済んだのだから、後は帰路に着くだけだ。
「ん……?」
しかし、視界に映った人影に、綾香が足を止める。
『芸術は、砕殺ダァ!』
「何だとぉ!?」
そこに居たのは、現代の切り裂きジャックだった。髑髏を模したアーマーと黒いローブを纏った、見た目が自己紹介している奴である。デルタ・コーポレーションの一件で、真に上半身を吹き飛ばされた筈だけれど、不思議と生きている気はしていた。
さらに、相も変わらずの妖怪染みた腕力で山本家の墓石を引っこ抜くと、ジャイロボールの要領でぶん投げてきた。
「危ない!」「へぶはっ!?」
突然の事で一瞬固まってしまった二号を綾香が押し倒し、ジャイロ墓石を回避する。少し離れた所で山本家の墓が他の墓石を巻き込んで炸裂した。
「再会早々、何なんだオマエは!」
『芸術は、ミサイルダァ!』
すると、今度は幾つもの墓石をミサイルの如く放ってくる。お前のような人間が居るか。
「ちょちょちょ、何だこいつは!?」
「説明してる暇など無い! 逃げるっスよ!」
『芸術は、蹴殺ダァ!』
そして、逃げようとする綾香と二号の頭上を取った殺人鬼は、流星の如き蹴りを繰り出した。あんな稲妻キックを食らえば、人体など一溜りもない。
「あんな調子に乗るなよ!」
と、二号が能力を発動した。彼女の能力名は【自然の死罠】。動物以外の有機物を自在に増幅してコントロールするスキルで、もう一つの亜空間生成能力とも併せて、様々なトラップを仕掛ける事が出来る。汎用性がかなり高く、使い勝手も良いのだが、材料と本人の体力の関係上、ストックが切れると途端に弱体化してしまう。
今回使用したのは、その辺に生えていた葛の葉。幾重にも螺旋を描いた強靭な蔓が網となって殺人鬼の蹴りを受け止め、二号たちへの直撃を防ぐ。
『芸術は、惨殺ダァ!』
だが、完全に威力を殺し切れた訳では無く、殺人鬼は網を突き破って追撃してきた。今度は超合金性のクルカナイフを両手に持っている辺り、本気を出したらしい。
「付き合ってられるかぁ!」「ハードダイブ!」
もちろん、綾香も二号も殺される気はない為、給水塔の辺りから下界へ向けて跳び上がる。当然、殺人鬼も後を追うものの、それは二人の罠だった。
「今っス、二号!」「地獄から来た女、スパイダーウーマッ!」
殺人鬼が空中に躍り出たタイミングで二号が蔦を伸ばし、給水塔に括り付けて、巻き付くようにUターン、逆に背後からダブルラ○ダーキックを食らわせて、殺人鬼を遥か彼方へ追放した。
「ふぅ~……助かったけど、マジで何なん、アレ?」
「殺人に芸術を見出すシリアルキラーっスよ。それ以下でもそれ以上でもそれ以外でもない。考えるだけ無駄無駄」
「閻魔県は殺人鬼すら真面なの居ないのかよ……」
閻魔県は呆れる程に治安が悪かった。それが殆ど表に出る事無く、闇の中で蠢いている所が、余計に質が悪い。
「ともかく、あの殺人馬鹿が追い掛けてくる前に、さっさとここを離れるっスよ。流石にあの子の墓が荒らされるのは嫌だし、二号も御主人の愛した女の墓を壊されちゃ堪らないっしょ?」
「そうだけど、今ので死なないの?」
「それは誰もが抱く疑問ではある。回答は無いっスけどね」
「う~ん……」
殺しても死なない人間の殺人鬼とは。
――――――ジャリッ!
「「………………!」」
ふと、近くで砂利を踏む音がした。まさかもう戻って来たのかと勘ぐった綾香と二号であったが、音の主は見ず知らずの男性だった。
「いや、こいつ何処かで……?」
顔立ちは整っているが、小汚い作業服に身を包む男。刻まれた「666」の番号も併せて、何処かで見掛けた事がある気がする。
「あ、この前ニュースになってた、指名手配犯の「卯月 香之助」じゃね? 「夢幻荘」とかいう、孤児院の院長してた奴」
代わりに、閻魔県と縁遠い筈の二号が思い出して指摘した。
「そうか、思い出した! 自分の預かってた女児を片っ端から殺して、施設の裏手の井戸に捨ててた、「夢幻荘児童無限強姦殺人事件」の犯人だ!」
「東北の連中って、東京のネーミングセンスに色々と文句付けて来るけど、正直どんぐりの背丈比べだと思う件について」
名前がふざけているのは、地方も都会も関係ないようだ。
「まぁ、ともかく殺人鬼に連続で付き合うなんて……うっ!?」
と、さっさとお暇しようとした二号が、突然膝を突く。
「ど、どうしたんスか……って、斬り傷!?」
驚く綾香が駆け寄ると、二号の足元に夥しい量の血が溜まっているのが見え、次いで彼女の腹部に斬り傷が付けられている事に気付いた。まるでメスを入れられたように綺麗な傷口だが、出血量からしてかなり深いと思われる。
(あの野郎、蹴り飛ばされる間際に、二号にも気付かれない速さと正確さで腹を切り裂いたのか!)
プロの板前が捌いた活け造りの魚は、骨だけになっても水槽に戻せば泳ぎ出すと言われているけれど、二号もあまりにも綺麗に斬られたせいで、動いて傷が開くまで気付けなかったのであろう。幾多の芸術品を作り上げてきた殺人鬼ならではの御業と言える。
しかし、今は感心している場合では無い。二号は能力を使って無理矢理傷を塞いだ為、どうにか一命を取り留めているものの、流した血が多過ぎる。こんな状態で、ただの一般人とは言え、殺人犯の卯月 香之助を相手取る訳にもいくまい。
「やぁやぁ、誰かは知らないけど、藤子ちゃんに会う前の、前菜には丁度良いかな~♪」
むろん、己の欲望に忠実なだけの下卑た殺人鬼が見逃す筈も無く、二人を性的に食べてしまおうと襲い掛かってきた。
「逃げるっスよ!」「あぅ……!」
もちろん、綾香たちも黙って搾取される筋合いも無いので、綾香が二号を背負う形で逃避行である。
ただ、人並外れた体力を持つ綾香と言えど、人一人を負ぶって逃げ切るのは難しい。彼女自身も先程の戦いで消耗しているし、時間を掛ければ二号も危篤状態に陥るだろう。
「くそっ……!」
綾香は仕方なく、霊園近くの森へ避難した。見通しの良い平地では、幾ら逃げても直ぐに見つかり、追い付かれるだけだ。
「お~い、何処だい子猫ちゃんたち~♪」
しかし、香之助も香之助で非常にしつこく、例え森の中だろうと構わず追って来る。どんだけ女に飢えてるんだか……。
「あのエロドスケベ野郎め……!」「あれ……?」
「おや? 何処だここ?」
こうして、暫し森の中で追い駆けっこをしていた綾香たちであったが、何時の間にか不思議な広場に辿り着いた。そこは何処かの神社の境内で、赤提灯を幾つもぶら下げ、様々な出店を並べた、お盆祭の様相を呈している。
だが、こんな時期に、このような人気の無い場所で?
――――――その答えは、直ぐに示された。
『いらっしゃぁ~い』
突如、誰かに声を掛けられた。
『一発百円だよぉ』
「て、的屋……!?」
ヤの付く強面のおっさんが、狼狽する綾香たちに声を掛けてきた。そこは所謂「射的」の出店だったのだが、棚に並んだ商品がおかしい。
「ひっ……!?」
「子供の、生首?」「趣味が悪いねぇ……」
それは子供の生首が縫い付けられた、悪趣味なぬいぐるみたちだった。どの子も縫い目が真っ赤に染まり、目・鼻・口の全てから血を垂れ流している。
『おやおや、両手に華とは羨ましいねぇ~♪ どれ、一つサービスしよう♪』
すると、的屋のおっさんが香之助にぬいぐるみの一つを手渡してきた。血がたっぷり染み込んだぬいぐるみは重たい上に生温かく、驚いた香之助は思わず手放してしまう。
『痛い……痛いよ……』
その瞬間、落としたぬいぐるみが喋り出した。目や口をぐるんと動かして。自重と衝撃で四肢と頭がバラバラになっているにも関わらず。
「ひゃあああっ!」
『いけませんなぁ、ぬいぐるみは大切にしてあげなくちゃあ』
さらに、背後に的屋の主人が立っていて二度びっくり。相変わらず怖過ぎる笑顔のままである。
『……じゃないと、わたしみたいに崩れちゃうじゃありませんかぁ!』
「ぎゃあああああっ!」
しかも、おっさんの顔が崩れ出した。皮が、肉が、猛烈な勢いで腐り落ちて、骨だけを残して溶けていく。最後に残った骨もあっという間に砕け、風化した。
「ひぇええええええっ!」
「な、何なんだ、こりゃあ!?」「怪奇現象だろうねぇ、どう見ても……」
香之助は恐怖のあまり独りで逃げ出してしまったが、二号を背負って体力も使い果たした綾香は立ち尽くすしか無かった。
『キュキュキュキュケケケッ!』『ツミィ~ツミィ~♪』
と、今度は金魚掬いから、人面の金魚が群れを成して飛び出して、空中を舞うように泳ぎながら、綾香たちへ襲い掛かる。
◆『分類及び種族名称:怨霊超獣=金魚の幽霊』
◆『弱点:胴体』
『芸術は斬殺ダァ!』
その上、復活した殺人鬼が空から再登場。石畳にクレーターを造る勢いで着地した後、強襲を仕掛けてきた。
『ケキャキャキャッ!』『ツィツィツィ!』『ホロォォッ!』
『……………!』
しかし、あまりにも派手に現れたせいで、金魚の幽霊たちの矛先が一気に向かい、纏わり付かれる事となった。こんな物、殺人鬼からすればまな板の上の鯉も同然であるが、如何せん数が多く、無限に湧いてくる為、集中せざるを得なくなる。
「今の内に……!」「こっちだよ……“匂い”が、教えてくれてる……香りが……」
さらに、死の間際で火事場力を発揮したのか、見えない匂いが聞こえるようになった二号の案内で、綾香はその場を去る事が出来た。一体誰が放っているのだろう?
「はぁ……はぁ……!」
『出来立てだよ。美味しい所をサービスしようか?』
一方その頃、逃げ出した香之助は、焼き串の屋台に呼び止められていた。焼かれているのは小さな人間だった。どれも夢幻荘の子供たちである。
「ひぃいいいっ!」
『おやおや何だい、肉は嫌いかい? いつもは食べてるくせにぃ!』
しかも、主人の顔は鶏だった。嘴を器用に歪めて笑っている。
『キケケケケケケケケッ!』
そして、その笑顔のまま首がポロリと落ちた。それでも生首は笑うのを止めず、身体も動くのを止めない。まるで、屠られた鶏だ。
「うぁあああああっ!」
香之助は、みっともなく泣き喚きながら走った。この会場の出口を目指して。
(着かない! 着かないよ!)
だが、行けど進めど、出口は見当たらなかった。幾ら森に入ろうとしても、何故か会場に逆戻りしている。そうして走っている間も、いろんな出店に声を掛けられた。
『どうだい、花火を買わないかい? 詰めたてだよ!』
カエルに爆竹を詰めた物を花火と称して売りつける蝦蟇ガエル、
『臓物飴はいかが? ズルズルしててとってもおいしいよぉ』
黒糖の代わりに人の内臓を巻き付けた物体を勧める皮の張り付いた骸骨、
『兄さん、くじはやらんかい? 一本百円だ』
自分の姉の生首から髪の毛を毟ってケタケタと笑う幼い少女、
「いらっしゃい、所長」
それから、金魚掬いを営む藤子の店。何故か扱っているのは色とりどりの出目金ばかりだった。
「な、何だ、こんな所にいたのか……」
その顔を見るだけで、香之助はホッとした。安心した。心の底から安堵した。長年愛した女に三度会えたのだから……。
◆◆◆◆◆◆
香之助には妹がいた。
さらに、彼にとって最高の恋人でもあった。
いや、おかしなことではない。彼の家庭ではそれが当たり前だった。父親は母親を拉致監禁した末に孕ませ、香之助と妹を産ませた。
そして、二人が思春期に入る段階で、父親と母親はそれぞれを犯した。父親は妹に何度も中出しして、母親は香之助を限界まで搾り取る。もちろん夫婦の営みも忘れない。
それが毎日のように続いた。妹は何度も孕んだが、その度に暴行を受けて堕胎させられた。香之助は、それを見ている事しか出来なかった。
否、違う。その内に見ていられなくなった香之助は、留守や就寝時に隠れて妹を慰めていた。
むろん、身体でだ。堕ろされる事が分かり切っていても、自分が限界間近であっても、頑張って犯し続けた。
さらに、妹もそれを受け入れていた。兄の顔を見るだけで胸が疼き、股が濡れた。例え汗でもここまでびしょびしょにはならないだろう。
そう、香之助と妹の間には、確かな愛があったのである。
そして、二人の事をほんの少しでも哀れんだのか、神は香之助と妹に微笑み掛けた。ロクでなしの父親と、どうしようもない母親を、事故死させたのだ。
それからは二人で慎ましく、爛れた生活を送った。幸いテクニックは充分あったので、その方面での稼ぎで暮らしていくことができた。その内に子供も出来て、二人の愛はますます深まっていった。
本当に、本当に幸せだった。
しかし、そんな幸せは長続きしなかった。
ある日、所長が家に帰ると、妹が死んでいた。蒸せ返るような部屋の中で、夏祭りの花火をバックにしながら、動かなくなっていた。
否、妹は殺されたのである。
犯人はすぐに分かった。前々からしつこくアプローチしていた、質の悪い客だ。
妹は兄という最愛の相手がいるので恋人関係は断り続けていたのだが、彼女が妊娠したことが分かると逆恨みし始め、散々嫌がらせをしてきた。恋人にならないと、お前を殺す、ついでに兄貴も殺してやる、と。
さらに、それでも妹が首を縦に振らないと分かるや否や、金で釣った五十人もの仲間を引き連れ彼女を拘束し、嬲りモノしたのである。
香之助は激怒した。火砕流よりも激しく燃え滾り、深淵よりもどす黒い憎しみに囚われた。犯人全員を非道な方法で調べ上げると、男なら聞いただけで絶命しそうなほどに残虐な拷問を加えてから殺した。
だが、復讐を終えた彼に残ったのは、どうしようもない虚しさだった。何の関係もない人間を殺して紛らわせようともしたが、闇が余計に深まるばかりだった。
妹は帰ってこない。二度と会えない。殺し続ける内に名前すら思い出せなくなってしまった。あんなに大切だった筈なのに、顔すら忘れてしまった。香之助の心は妹を見たあの日、完全に壊れてしまったのだ。
その後、成長した彼は、人には言えない方法で児童養護施設の所長になると、好みの子供を引き入れては犯しまくり、最後には甚振り殺した。特に妹にそっくりな女の子は最大の愛と最悪の殺意を持って殺し、丁重に葬ってきた。叶わぬ願いと激しい殺意が、彼をそうさせるのだろう。
それが香之助が積み重ねてきた、人生の全て。虚しく何の意味もない、どうしようもない生涯の記録。
だが、彼は出会った。妹の生き写しとしか思えない、一人の少女に。
そう、菖蒲峰 藤子である。
重度の知的障害者だった彼女は、己という物が定まっておらず、簡単に騙されてしまう危うさを持っていたのだが、案の定、香之助にとって都合の良い女として消費された。
そして、
◆◆◆◆◆◆
「会いたかったよ、所長♪」
「僕もだよ、藤子♪」
そして、香之助は再会した。妹そっくりなラ○ドールに。むろん、やる事は一つ、ヤる事だ。こんな状況でも下半身に忠実なのは、あまりにも雄っている。
しかし、それは流石に虫が良過ぎるんじゃあないか?
今まで好き放題に、散々な悪さをして来たんだろう?
女子供を食い物にして、自分を慰めて来たんだろう?
――――――なら、罰は受けないと、ね……。
「えっ……?」
藤子の左手を握った、香之助の右手が消えた。
否、消えたというのは正しくない。彼の右手は、ドロリと形を変えた彼女の左手に呑み込まれたのである。
「ひっ、あっ……がぎゃああああああっ!?」
さらに、右腕、右肩と、猛烈な勢いで藤子の中に取り込まれていき、彼女が香之助を抱き締めた事で、より盤石な物となる。最早、空気中に存在している香之助は、彼の頭部のみとなった。
「ウフフフフフ……』
藤子がグニャリと嗤っている。
『キヒヒヒヒ!』『キャキャキャキャッ!』『キャハハハハハッ!』
彼女の配下である金魚の幽霊たちも哂っている。
そして、藤子が正体を表した時、香之助の運命は決まった。
『大好きだよぉ~、所長~♪』
金魚草の花を思わせる髪の毛に、引き千切った水死体の皮膚のような着物を纏った、おどろおどろしい骸骨。それを濁ったスライムが包み込んでいる。
彼女は「狂骨」……井戸に投げ捨てられた死者たちが寄り集まった怨霊だ。
◆『分類及び種族名称:怨念集合体=狂骨』
◆『弱点:不明』
『ずっと、ずっと、ず~っと、一緒だよぉ~♪』
「た、助けてくれ、さ――――――」
こうして、今わの際に漸く思い出した妹の名前を口にする事無く、香之助はこの世から消えた。
だが、死んだ訳では無い。藤子の胸中で栄養と酸素を供給され、聞こえる事の無い苦痛の叫びを上げて生きる。文字通り、彼女と一心同体となって、未来永劫に。
……さぁ、祭は終いだ。
◆◆◆◆◆◆
明くる朝。
「まったく、とんだ墓参りになったわ。やっぱり東京が一番安全だぜぇ~」
「喧しい、二度と来るんじゃねぇっスよ、クソアマが。CD買ってやらんぞ」
「それは買ってね」
どうにか生き延びた綾香と二号は黄泉駅で別れ、各々の在るべき場所へ帰る事と相成った。
「でも、本当にとんだ墓参りだったなぁ……」
どうしてこう、普通に物事が進まないのだろう。それが閻魔県の普通とか言ってはいけない。
「まぁ良いや。姐御に会って、この疲れを癒して貰おうっと♪」
しかし、綾香の願いは叶わなかった。
『芸術は、暗殺ダ』
「えっ?」
何時の間にか背後に居た、殺人鬼によって細切れにされ、綾香の人生は呆気無く幕を閉じた。
◆狂骨
「今昔百鬼拾遺」に登場する悪霊。井戸に投げ捨てられた死者の魂が、怨念を募らせて祟りを振り撒く為に現れるという、まるで山村 ○子みたいな出自を持つ。その為、使われなくなった井戸には近付くべきではないと、常々謂れ恐れられてきた。
正体は「水霊」に近い不定形生命体。井戸などの水が溜まる深い穴で休眠し、獲物とした人間の骨を媒体に這い出て来る。「金魚の幽霊」とは共生関係にあり、獲物を追い立てて貰う代わりに、繁殖活動に協力している。




