時を越えた親愛
少しずつ葉が落ちる月の夜、閻魔県黒咲市古皮町の「怪女沼レジャーランド」の跡地付近。
『ぽ……ぽ……ぽ……』
妖艶な美女が一人歩いていた。肌は雪よりも白く、瞳は鬼灯のように赫い。艶やかな黒髪は尻まで流れ、豊満な胸を誇らしげに揺らしている。肌と同じくらいに白い帽子とワンピースを纏っている為、頭部だけやたらと目立つ。
しかし、それらが些細な事に思える程、この女性には特異な点があった。何と身長が八尺もあるのだ。
彼女の名は「八尺様」。名前通り、八尺という高身長と「ぽ……ぽ……ぽ……」という奇妙な声が特徴の妖怪である。特に少年に対する異常なまでの執着を持ち、目を付けた男の子を攫って取り込ましてしまう、危険な犯罪者でもある。
◆『分類及び種族名称:誘拐異次元人=八尺様』
◆『弱点:不明』
『ぽ……ぽ……ぽ……はとぽっぽ~♪ ……ぽぉ?』
そんな八尺様の目に映るは、今夜の獲物。覆水を盆に返したような髪色のおかっぱ頭に土気色の肌を持つ、甚平姿の美少年。
『……ゑ?』
つまり、呵責童子であった。
今宵、妖怪が妖怪を襲う、魔訶不思議な物語が始まる……。
◆◆◆◆◆◆
閻魔県要衣市古角町、峠高校の屋上ラボ。
『という事で、僕をかくまって欲しいんだけど』
「お前は何を言ってるんだ?」
『僕にも分からないよ……』
恋人画角で依頼の手紙を差し出す呵責童子に、香理 里桜が呆れ果てた。妖怪が妖怪から守ってくれと神頼みしてきたのだから、嗤うしか無いだろう。どうしてそうなった。
「「八尺様」か。面倒な奴に目を付けられたな」
少し離れた位置でビバルディを撫でていた天道 説子が呟いた。彼女の言う通り、八尺様は非常に執念深い。隠れ潜むだけでは根本的な解決にはならず、例え動きを封じても自由になった瞬間、再び追い掛けて来る。しかも、声色を変えて誘き出したり、車にも平気で並んで歩いたりと、芸達者な一面もある為、かなり厄介な存在と言えよう。
「つまり?」
「殺られる前に殺るしかないだろうよ」
ようするに、降り掛かる火の粉は払い除けろ、という事だ。分かり易くも難しい題目である。
「大体、何でお前、「怪女沼レジャーランド跡地」なんて心霊スポットをうろついてたんだよ」
『いや、何となく……』
「何となくて」
『いやいや、本当に何となくなんだよ。最近、急に行きたくなったんだ』
「ふ~ん……」
以前、茨木 富雄と令和 鳴女が現地で地蔵を蹴り倒したと言っていたが、何か因果関係があるのだろうか?
「ともかく、何とかするなら、さっさとした方が良い。時間が解決してくれるような問題でもないからな」
「それはそうだな。……って事で、お前には餌になって貰う」
『ゑ?』
そういう事になった。なってしまった。
『ビバビ~♪』
可愛い。
◆◆◆◆◆◆
「ほれほれ、えさだぞ~♪」
「た~んとお食べなさいな」
ボロ臭い着物を身に付けた小さな男の子が、祖母と一緒に豆を撒いていた。途端に付近に住み着いている土鳩が群がって来る。その様子を、二人は楽しそうに見守っていた。
少年の名は正太郎。貧しい農家に生まれた次男坊で、長男ばかりを溺愛する両親に心を開けず、唯一優しくしてくれる祖母にベッタリ、というお婆ちゃんっ子である。
ちなみに、鳩の餌やりは正太郎と祖母の共通の趣味だ。祖母がまだ子供だった頃、山へ出かけた帰りに迷ってしまった時、偶然出遭った鳩のおかげで麓まで帰って来れたという実体験が元であり、正太郎はそれに影響された形である。
「チロチロ……」
「あ、おまえもきたのか~」
と、正太郎の傍に、一匹のカナヘビが寄り添ってきた。このカナヘビは以前、蛇に襲われそうになっていた所を正太郎が助けた個体で、それ以来懐いて遊びに来るようになった。ペットと言っても相違ない。
「たのしいなぁ~♪」
「そうかい? なら、婆ちゃんも嬉しいよ」
「シュルシュル!」
そんな感じで、二人と一匹は平和に過ごしていた。
だが、その平穏は長くは続かなかった。近年稀に見る大飢饉に曝されてしまい、次男である正太郎は間引かれ、祖母は姥捨てられた。カナヘビも知らぬ間に消えていた。人の命の、何と軽い事か。
――――――それが、天保六年の話。
◆◆◆◆◆◆
(……懐かしい夢を見たなぁ)
ふと、呵責童子が目を覚ました。今の夢は、生前の記憶。懐かしくも儚い、大切な思い出だ。
(もう夜か……)
すっかりと夜も更け、辺りは真っ暗闇である。
否、そもそもここは明かりが入って来ない。何せ倉の中なのだから。里桜の提案に乗り、とある港にある古い倉庫で一夜を明かす事になったのだ。これから世にも恐ろしい誘拐劇が巻き起こるのだから、当然の処置であろう。部屋の四隅に伯方の塩が盛られており、これは八尺様の接近を感知する役割があるらしいものの、里桜と説子の悪ノリしか感じられない。
「お~い、生きてるか~?」
すると、外から里桜の声がした。
『………………!』
つい答えてしまいそうになり、呵責童子は口を塞ぐ。
そう、彼は倉入りする際に、里桜たちと約束した。夜が明けるまで外から声を掛ける事は無いから、絶対に答えてはならない、と。
これはつまり、
(あいつだ……!)
十中八九、八尺様が声色を変えて誘い出そうとしているのだろう。おそらく、隠れるまでの会話を何処かで盗み聞きしていたと思われる。
「あいつらなら、もうとっくに退治したぞ~?」
「そうそう、だから早く出て来いってばよ~!」
『ビバビバ~♪』
さらに、説子やビバルディの声も矢継ぎ早で聞こえてくる。もしもこれを独り芝居しているのだとしたら、随分と器用な事だ。
(塩が……)
よく見ると、盛り塩が焦げ付いている。強力な電磁波でも走っているのだろうか?
『………………』
しかし、どんなに声真似をしようと、そうしてくると分かっていれば、どうという事もない。素直に本物の里桜たちが駆け付けるまで居留守を使うだけである。
「正太郎、ほら、鳩に豆撒きでもしましょう?」
『えっ、ばあちゃん?』
だが、次に聞こえてきた声には、流石に惑わされた。自分以外、誰も知る事の無い、懐かしい祖母の声がしたのだから。自然と立ち上がり、発声源へ足が向く。
『ばあちゃんっ!』
『ウェルカ~ム♪』
『あっ……』
そして、ついつい倉庫の扉を開けてしまった、と我に返った時には、既に手遅れだった。そこには、諸手を広げた八尺様が待ち構えていた。
「止めろ変態』
『ポワォッ!?』
しかし、彼女が呵責童子を捕獲する前に、かっ飛んで来た説子の火の玉ストレートが八尺様の顔面を直撃、吹っ飛ばした。
『ぽぽぽ、何しやが――――――』
「消えろ変態』『悪霊退散!』
『ホポワァアアアァァルッ!?』
さらに、その直後に里桜とビバルディも現れ、追撃しつつ戦闘態勢に入る。
『……邪魔しやがってぇえええええっ!』
と、横槍を入れられた八尺様がブチ切れた。白いワンピースが赫く染まり、白目は漆黒に変換され、爪がナイフのように鋭くなる。その上、何故か宙に浮かんでいた。不思議な電子音を奏でながらバチバチと帯電しているので、電磁浮遊しているのかもしれない。
『世音……ピポポポポポポポポポポ!』
◆『分類及び種族名称:蛇神恐竜=悪皿守』
◆『弱点:解析不能』
『おっ、「アクロバティックサラサラ」じゃん』
『何だ、その胡乱な名前』
『名前通り、アクロバティックに宙を舞うサラサラヘアーの女妖怪だよ』
『ネーミング適当過ぎじゃね?』
「アクロバティックサラサラ」とは、何の捻りも無い、名が体を表している女の妖怪だ。“凄まじい運動能力でアクロバティックに襲い掛かって来るサラサラヘアーの美女”という意味なのだが、“二メートル超えのワンピース姿をした女”という、八尺様の色違いと表現しても過言ではない程に類似点が多く、しばしば同一視される存在である。
まぁ、実際は八尺様の戦闘形態=「悪皿守」というだけの話だった訳だけれど……。
だが、ふざけているのは名前だけであった。
――――――ゴォオオオオオオオッ!
――――――キィイイイイイインッ!
――――――ザァアアアアアアアッ!
『ピポポポポポポポッ!』
『『『当たらねぇ!?』』』
悪皿守は直立不動のポーズを取ったまま、物凄い数の残像を描きつつ、里桜たちの光線や熱線を全て避け切った。当たらなければ、どうという事は無い。
『この……ッ!』
『フォォォ……ポォヴァヴァヴァヴァヴァヴァッ!』
『何ィッ!?』
否、当たったとしても問題無かった。八尺様が磁気嵐を竜巻のように纏ったかと思うと、そのまま高速で大回転、里桜の微小化粒子破壊光線を弾き飛ばしながら突き進み、擦れ違い様に鋭利な爪でズタズタに引き裂いた。
『………………、毒か……ッ!』
しかも、爪から神経毒を放出する事が出来るらしく、攻撃と同時に撃ち込んできた。
『だが残念、私には効かないぜ!』
しかし、里桜は元から毒も熱も通じないので、一瞬も止まらずにテールスイングを繰り出す。
『ピポポポポポポポポッ!』
ま、当たらないのだが。説子の爪も、ビバルディの拳も、全く以て掠りすらしない。どうにかして動きを止めなければ、反撃もままならないであろう。
『ならば……スォオオオオオオオオオッ!』
『………………!?』
そこでビバルディは自ら向かうのではなく、敵から寄り添って貰う事にした。即ち、吸引力の変わらないダ○ソンが如く大きく息を吸い込み、悪皿守を引き寄せようというのだ。
――――――ボヴォオオオオオオッ!
すると、悪皿守が口から爆炎を吐いて逆噴射とし、その上で両手から巨大な高熱球をグミ撃ちして、ビバルディの吸い込みを中断させる。
だが、ビバルディは役目を果たした。この一瞬が大事なのである。
『ハァッ!』
『………………!?』
ほんの刹那、時が止まった悪皿守を、説子が背後から抱き付くように叩き落す。
――――――キィイイイイイインッ!
『ぐわばーっ!?』『グォァッ!?』
そして、間髪入れず里桜が微小化粒子破壊光線をぶち込み、説子諸共撃破した。無防備な状態で諸に食らってしまった悪皿守は大ダメージを受け、八尺様の状態に戻る。説子は下半身が吹っ飛んでしまい、再生に専念せざるを得ない為、実質的に戦闘不能だ。酷い話である。
『さてと、止めと行こうか』
そんな説子など目もくれず、里桜が八尺様ににじり寄る。漁夫の利にも程があるものの、彼女には関係無いのだろう。大悪魔の背鰭が虹色に輝く。
『………………!』
その様子を離れた所から見ていた呵責童子の脳裏に、何故か大好きだった祖母の顔が浮かぶ。
『ま、待って!』
『どういうつもりだぁ?』
さらに、身体が勝手に動いて、八尺様を庇うかのように、里桜の前に立っていた。あまりにもラスボス過ぎて、おしっこチビりそう……。
『邪魔するなら、お前にも死んで貰うまでだ』
『ひっ……!』
『――――――止めろ! 正太郎に手を出すな!』
と、ダウンしていた筈の八尺様が最後に力を振り絞り、里桜を殴り飛ばして、今度こそ力尽きて倒れた。生きはまだあるようだが、このまま放っておけば時間の問題でしかない。
《………………》
その瞬間、何者かの左手が転移してきて、八尺様の胸部から無理矢理何かを抜き取ろうとした。
『――――――馬鹿が罠に掛かったな』
しかし、それを予想していた里桜によって阻まれ、粉砕・玉砕・大爆砕される。
《………………!?》
『何処の誰かは知らんが、いい加減コソコソと好き勝手されるのもウザくなってきたんでね。そろそろこちらかも仕掛けようと思ったのよ。こいつらは、丁度良い餌だったのさ』
そう、里桜は呵責童子から手紙を受け取り、八尺様と実際に対峙した時から、これを狙っていた。自分たちと対等に渡り合える妖怪など数えるくらいしかいない。何らかのパンプアップが施されていると考えるのは当然であろう。
《………………》
すると、分が悪いと悟ったのか、何者かは撤退した。ゲームセットだ。
『それはそれとして、こいつらはどうしたもんかねぇ……」
それを見届けた里桜は、まるで親しい者同士のように寄り添う呵責童子と八尺様へ振り返りながら、う~んと頭を悩ませる。正直、今日がそがれてしまったので、今更相手取る気にもならない。
『とりあえず、拉致しておけば? 調べ終わったら放逐すりゃ良いだろう」
「何だ説子お前、まだ生きてたのか」
「勝手に殺すなや」
どうにか復活した説子の言葉も相俟って、里桜は屋上へ帰る事にした。
「時を越えた親愛、か……」
「何か言ったか?」
「別に、何でもないさ」
更けきった夜が明け、朝日が昇る……。
◆八尺様
ネットで有名な怪異。八尺もある身長と白いワンピース姿が特徴の美女で、極度のショタコンでもあり、目を付けた少年を地の果てまで追い掛け、“お気に入り”として取り殺してしまう。鳴き声は「ぽ、ぽ、ぽ」。
正体は多頭を持つ白蛇の化身。五本の首を頭と四肢に変じさせ、人型の姿を取っている。つまり、爪に見える部分は毒牙である。




