夕七の一夜
誰かが不幸になりますように。
天の川が美しい、七夕の夜。
「ささのはさ~らさら~、のきばにゆれて~♪」
一人の少女が歌う。少女の名は蜂紋 未乘。年の頃は七歳。片親の下で育てられ、最近生き別れた兄と再会した、ドラマチックな女の子である。
「楽しそうね、未乘」
そんな彼女に寄り添うのは、実母の蜂紋 途婁。未乘をそのまま大きくしたような、幸が薄そうな妙齢の女性だ。二人揃うと男に捨てられた不幸な親子にしか見えない。
「あんまり遠くに行くなよ、未乘」
しかし、今は頼れる兄が居る。彼の名は流 龍馬。法律上の柵で実父の姓を名乗っているが、確かに未乘の実兄であり、途婁の息子である。見た目こそ不良っぽいが、正義感が強く義理人情にも厚い、所謂“良い不良”だ。
ちなみに、彼らの実父は既に亡くなっている。きっと正義感の強い誰かが鉄槌を下したのだろう。女を無理矢理犯して子供を産ませ、自分は酒に煙草にギャンブルとロクでもない生活を送っていた、真正の屑には相応しい末路である。
こうして、三人は様々な障害を乗り越えて再び家族に戻る事が出来たのだ。
だが、そんな慎ましくも微笑ましい光景に水を差すように“それ”は来た。
「なにあれ?」
未乘が空を指差し、首を捻る。天の川のある一点が、異様なまでに瞬いていた。その煌めく一等星は段々と大きくなり、
――――――GYOOOOOOOOOOOON!
「未乘、危な――――――」
「えっ?」「母さん!」
呆けて見上げていた未乘を庇った途婁の首を撥ね飛ばした。
輝く一番星の正体は、赤い核を中心に紫色の結晶が放射状に生えた円盤で、それが丸鋸のように高速回転しながら通過して、何の罪も無い途婁をギロチンの刑に処したのである。動脈処か頸椎ごと頭部を切り離された途婁の首からは真っ赤な曼殊沙華が花咲き、その後糸の切れた人形の如く斃れた。
しかし、龍馬と未乘に何故どうしてなどと考えている暇は無い。紫色の円盤が二人に追撃を仕掛けてきたからだ。
「おかあさん……おかあさんが……」
「くそっ!」
状況を呑み込めず混乱する未乘を抱きかかえ、龍馬は逃げ出した。誠に遺憾ながら、途婁の死体は放置するしかなかろう。今まさに自分たちが殺されそうなのだから。
『………………』
そして、二人と一個の星が居なくなった後、何者かが途婁の死体にナニカを植え付け、直ぐに消えた。
◆◆◆◆◆◆
閻魔県要衣市古角町、峠高校の屋上ラボ、その資料室。
「……ん? 龍馬から電話?」
古今東西のオカルト本を読み漁っていた天道 説子のバーチャフォンに、龍馬から電話が掛かってきた。実は連絡先を交換していた二人なのだが、今は何の用事かが重要である。説子は躊躇う事無く出た。
すると、そこには傷だらけで憔悴し切った龍馬の顔が映し出された。
「おい、朝っ腹から、いきなりどうした?」
《はぁ……はぁ……朝から悪いが、手ェ貸してくれるか?》
「物理的に今直ぐは無理だから、知恵なら貸してやるが?」
《それでもいい。とにかく、ヤバいんだよ、今……》
周囲を窺う龍馬の様子を鑑みるに、何かに追われ隠れ潜んでいる事が見て取れる。頭の一部しか映っていないが、未乘も直ぐ傍に居るらしい。二人で命からがらの逃避行、という状況なのだろう。
「それで、一体どうしたってんだ?」
説子が通話をしつつ歩き出して、事情を訊ねる。一刻の猶予も無いからか、かなりの急ぎ足だ。表情こそ大差ないものの、彼女にしては珍しい焦り様である。ついでに惰眠を貪っていた里桜を鷲掴んで引っ張り回す程の念の入り様だ。
《それがな、信じられないかもしれないが……》
と、龍馬が一瞬だけ言い淀み、次いで本当に信じ難い事を言い出した。
《俺、タイムリープしてるかもしれねぇんだ》
◆◆◆◆◆◆
まだ月が沈む前。
「はぁ……はぁ……はぁ……!」
「おかあさん……おかあさん……」
龍馬は野を越え、山を駆けていた。涙も枯れる程に泣き尽くした未乘を抱いて。
――――――GYOOOOOOOOOOOON!
紫色の円盤がしつこく何処までも追って来るからである。逃げるハードルの高い龍馬に対して、円盤は目に付く物――――――生い茂る木々も巨大な岩石も、全てを切り刻み破壊しながら進めるので、圧倒的に有利である。
(このままじゃあ、ジリ貧だ……!)
何時までも逃げ続ける事は出来ないし、何れは自分たちも途婁と同じ運命を辿ると悟った龍馬は、隙を突いて反撃へ転じた。
『………………!?』
突如、龍馬たちの姿が円盤の行く先から消える。
「ドォラァアッ!」
『………………!』
次の瞬間、真上から龍馬が降って来て、円盤の赤い核をデカい岩で叩き壊した。彼は舞い上がる倒木をパルクールの要領で跳び交い、円盤の頭上を取った上で唯一の弱点であろう核を攻撃したのだ。少々乱暴ではあるが、未乘を遠くに投げて枝に引っ掛けつつ、代わりに岩を拾う事も忘れない。こいつ本当に高校生……否、人間か?
ともかく、脅威は排除出来た――――――かに思えたのだが、
「……何だ!?」
破壊した核から赫々しい粒子が舞い躍り、周囲の空間が歪み始める。
「うっ……!」
さらに、沈み掛けていた月が足早に上り直し、天の川が再び輝きを取り戻す。
「はっ!?」
「おかあさん……おかあさんが……」
気が付くと、龍馬は絶望し切った未乘と共に、斃れ行く首無しの途婁を見届けていた。場所も天の川を見上げていた、あの広場に戻っている。
――――――GYOOOOOOOOOOOON!
「くそっ!?」
そして、当然のように円盤が二人を切り刻もうとUターンして来ていた。たった今途婁の首を撥ねたばかりなのか、浴びた鮮血をキラキラと撒き散らしながら、流れ星となって向かって来る。
もちろん、龍馬は先程と同じように逃げ出したのだが、
(コイツ、俺の行く手を予測している!?)
円盤は彼の進行方向が分かり切っているが如く、前回よりも早く追い上げている。円盤自身が進むべき道を知っているかのような、最適のルートである。
「クソが!」
龍馬は逃げ道を変更した。どういう理屈かは不明だが、行く手を読まれているのなら、このまま進み続けるのはマズい。
(……今だ!)
さらに、今度はわざと転んで隙を見せる事で円盤に低空飛行させて、いよいよ以て止めを刺すという時に跳ね上がり、鍛え上げた鋼鉄拳で核を叩き割ってみせる。硬そうな見た目に反して、案外と脆い円盤だ。
「うぐっ……また……!?」
だが、またしても赫い粒子の影響か、元の場所に戻される。
「戻っている……!」
いや、さっきよりも円盤との距離が近い。戻せる範囲に制限があるのだろう。
「時間が戻っている……!」
確証は無いが、そうとしか考えられない。条件は恐らく赤い核を破壊した時。あの赫々しい粒子が周囲に影響を齎し、一定範囲の時間に巻き戻していると思われる。龍馬の足りない頭では、ここまでが限界である。
ならば、後はそういう事に詳しい里桜たちを頼るしかない。
「――――――鉄塔だ!」
すると、龍馬の視界に鉄塔が見えた。たぶん水力発電の送電線であろう。近隣住民には悪いが、今はそんな事など言っていられない。
「ハッ!」
龍馬が鉄塔を飛び跳ねながら駆け上り、途中で拾った鉄板を手裏剣の如く投擲、電線の一本を切断する。
「しつこいんだよ、この馬鹿遊星がぁ!」
『………………!』
それを円盤の核に押し付け、スパークさせた。麓の町――――――要衣市穏蛇町一帯を丸ごと停電させてしまう程の高圧電力を食らった円盤は堪らず墜落し、電池が切れたように動かなくなる。死んだ訳では無かろうが、間違いなく気絶はしている。やはり“核の破壊”と“赫い粒子の散布”が時間遡行の条件のようだ。
「今の内に……!」「………………」
円盤の機能停止を確認した龍馬は、未乘と共に急いでその場を離れた。
◆◆◆◆◆◆
そして、麓の廃墟に逃げ込み今に至る訳であるが、円盤が目覚め再び強襲してくるのは時間の問題だろう。
「アイツは一体何なんだ?」
《「虚舟」だな。江戸時代に現れたUFOさ》
龍馬の質問に、説子が答える。
「虚舟」とは、主に千八百年代の日本各地に出現したという、謎の円盤である。ある日、浜に流れ着いたというそれは、覗き窓がある以外は全体が鉄板で覆われた円盤であり、内部には赤髪で異様に背丈の高い異邦人が乗っていたとされる。発見者によって海に流し返されたが、この円盤が何処から来たのか、何処へ行ってしまったのかは定かではない。
「時間が巻き戻るのは?」
《おそらく「タキオン粒子」だ。“親殺しのパラドクッス”さ》
通話の向こうで里桜が言った。
「タキオン粒子」とは光よりも速く動く仮想粒子で、周囲の因果律を乱す事で範囲内の存在を過去へと飛ばしてしまう、“虚数の質量を持つ空間”を生み出すと言われている。
むろん、現状でタイムマシンが存在せず、あったとしても“親殺しのパラドックス”が発生し得る以上、あくまで仮想の物質なのだが、龍馬の体験を真に受けるなら、それしか考えられないであろう。
つまり、今回の敵はタキオン粒子で何度も襲撃を繰り返す、円盤状の生命体という事だ。海月の火の玉に近い生物だろうか?
「じゃあ、一体どうすれば……むっ!?」
と、その時。
――――――GYOOOOOOOOOOOON!
あの円盤が現れた。今度は逃がさないとばかりに、ホバリングしながら狙いを定めている。
◆『分類及び種族名称:円盤生物=虚舟』
◆『弱点:赤い核』
「くそっ、来るなら来やがれっ!」「ひぅ……!」
覚悟を決めた龍馬が、未乘を守るように立ち塞がる。まさか、白刃取りでもする気だろうか。
「馬鹿か、お前は』
『………………!?』
そんな二人の前に、天井を蹴破って説子が現れた。しかも、超高速で回転する円盤を指で摘まみ取るという、異次元の力を見せ付ける。
『そいつらを頼むぞ』
「ヘイヘイ、面倒臭いなぁ……」
さらに、里桜も到着。龍馬と未乘の身柄を確保した。これで後顧の憂いは無い。
「タキオン粒子ってのは、場造りの媒介だ。作用すれば止め様は無いが、散布する関係上、発動まではほんの少しのタイムラグがある。だから、その前に性質を変えてしまえばいい」
『了解……フンッ!』
――――――ゴヴォオオオオオオオオオッ!
里桜の助言も受け取った説子は、円盤をフリスビーのように夜空へ放し、動き出す前に超熱線で消し飛ばした。打撃やちゃちな火力でどうにもならないなら、核ごと完全に蒸発させれば良い。タキオン粒子がどんなに凄い能力を持っていようとも、粒子が物質である以上、効果を発揮する前に性質を変化させてしまえば、時を遡行するのは不可能である。
『………………』『………………』『………………』『………………』『………………』『………………』『………………』『………………』『………………』『………………』『………………』『………………』『………………』『………………』『………………』『………………』『………………』『………………』『………………』『………………』『………………』『………………』『………………』『………………』『………………』『………………』『………………』『………………』『………………』『………………』『………………』『………………』『………………』『………………』『………………』『………………』『………………』『………………』『………………』『………………』『………………』『………………』『………………』『………………』『………………』『………………』『………………』『………………』『………………』
すると、暁の空に無数の虚舟が現れ、電離層で集結・合体し、曼荼羅を思わせる形状の巨大円盤となって、説子たち目掛けて落下し始めた。その質量と勢いは凄まじく、周囲の雲が跳ね除けられて、台風の目のようになる。激突すれば、穏蛇町処か要衣市全体が抉られてしまうであろう。
◆『分類及び種族名称:隕石大怪獣=一目連』
◆『弱点:全ての核』
「なるほど、特殊能力でどうにも出来ないなら、数の暴力で物理的に排除しに来た訳だ。蜂や蟻みたいな連中だな』
それを見た里桜が、大悪魔の姿となって龍馬たちを包み込む。要衣市滅亡の危機だというのに、慌てる様子がまるで無い。何故なら、里桜は知っているからだ。説子が切り札を一つ切れば、どうにでもなると。
『ヴァォオン! ヴァォオオン! ヴァォオオオン! ……ヴォァアアアアアアアッ!』
と、説子が猫と言うよりも狼のような遠吠えを上げながら、謎の力で周囲の木々を枯渇させ、宿っていた生命力を残らず吸収して燃料とし、自らを紫電の焔人へと変じる。
――――――バヴォオオオオオオオオオオオオオオッ!
そして、全エネルギーを極太の熱線として放ち、降る星を完全に破滅させた。後には何も残らない。美しい朝の日差しが見えるだけである。
『やれやれ、終わったようだぞ」
「「………………!」」
怒涛の展開に置いてきぼりを食らっていた龍馬と未乘だったが、里桜の言葉で漸く我に返り、お互いを強く強く抱き締め合った。顔は見えないが、二人共肩を震わせすすり泣いているのは分かる。命こそ助かりはしたものの、母親は殺されてしまったのだから、悲しみに暮れるのも無理ないだろう。
「それにしても、三度も失敗したのに獲物を追い掛け回したり、小手先で押して駄目なら数で圧し潰そうとしたり、行動が単純過ぎるぜ。まるでプログラミングされた機械だな」
そんな悲劇の兄妹など気にも留めず、里桜が顎に指を当てて考える。
『虫と大差無いだろ」
「虫に失礼だね。こいつらはもっと単細胞だよ。中枢神経も無さそうだし、おそらく受け取った電波に従うだけの木偶の坊なのさ」
「つまり?」
「さぁね。誰かが星に願いでも掛けたんじゃない?」
「………………」
里桜の皮肉に、説子は黙って星を見上げた。
◆◆◆◆◆◆
「くそっ、くそっ、どいつもこいつも幸せそうな面しやがって……!」
羽衣 夕七は、今年で三十九歳になる独り身の女性だ。暫く前から染めていない赤い髪は途中から白くなり、深々と刻まれたほうれい線や細かい皺のせいで、年齢よりも大分老けて見える。これでも二十代の頃は他人の夫を寝取ったり、職場の男を虜にして好き放題していたのだが、今では見る影も無い。結婚相談所に殴り込みつつ、SNSで“男は如何に愚かでスケベな猿であるか”を力説し、誰にも相手にされずハンカチや爪を噛んで悔しがる毎日である。
「でも大丈夫、私にはアレがある!」
夕七は顔を皺だらけにして笑いながら、血走った眼で戸棚の一画を見詰めた。そこには不思議な種子のような物体が置いてあり、脈を打つかの如く鈍い光を瞬いている。
「これに願えば、また何処かの馬鹿共が――――――」
「なるほど。願を掛けていたのはお前か」
すると、月明りを背に説子が現れた。一体何時どうやって侵入したのか夕七は知る由も無いが、事実として説子が窓際に立ち、夕七を冷たい目で見下ろしている。
「あ、あんた一体……あがっ!?」
さらに、夕七が何かをほざく前に、彼女をアイアンクローで吊るし上げた。鋭い爪がこめかみに刺さり、ダラダラと血が流れ落ちる。
「やめてやめて痛い痛い痛い! 女の顔を傷付けるなんて、何考えてんのよぉ! 私はこれから年収一千万円の男を引っ掛けて、悠々自適な生活を送る予定なんだからぁ!」
「お前の何処にそんな価値があるんだ?」
それでもこれだけ喚けるのだから、大した物だ。
「ふざけんじゃないわよ!? そもそも不幸を願って何が悪いのよ! 誰だって思ってる事じゃない! 私がこんなに不幸なのに、他の誰かが幸せになるなんて、絶対に許されないわ!」
「言いたい事はそれだけか?」
しかし、夕七の命運もここまで。
「ここでお前を始末するのは簡単だがな……龍馬を泣かした奴を、死んで楽にさせる訳には行かないんだよ、この雌豚が!」
「プギィイイイイイイッ!?」
夕七は怒れる説子によって峠高校の屋上へ拉致され、
『………………』
そして、誰も居なくなった。さっきまであった筈の種子らしき物体も。
◆虚舟
日本各地に伝わる、円盤のような物体。主に江戸時代で目撃され、浜辺に不時着した船体からは、美しくも異形な女が宝箱を抱きつつ現れたという。結末は伝承によって異なるものの、円盤を乗り物にした異邦人と現地人が遭遇する流れは変わらない。
元を辿れば大陸出身の妖怪らしく、蚕と人間を融合させたような美女の妖怪「金色姫」の乗り物であったとも伝えられている。




