白い闇路
また曜日間違エタ……。
「ううぅ……」
「ヒヒン……」
深い悲しみが厩を包む。今日は名馬「オシラホールン」が引退し、同時に永遠の眠りに就く日でもある。レース中の怪我が原因で二度と走れなくなってしまった彼は、この日を最期に天へ召されるのである。走れないなら種馬として生きる道もあるが、先天的に様々な問題を抱えていたオシラホールンには、その選択肢すらなかった。このまま肉が壊死していく苦しみを味わうよりは楽にしてやった方がマシなのだろうが、どちらにしろ彼には「死」の未来しか待っていない事だけは確かだ。
「御免ね……御免ねぇ……!」
そんなオシラホールンの傍で嘆き悲しむ彼女は、彼の騎乗者であり、最後の別れを告げている所である。彼女は何日も何日も、自分が落馬したせいでオシラホールンを引退へ追い込んでしまった事を悔やみ続け、すっかり心も身体も壊れてしまっており、全盛期の姿からは想像も着かない程に、衰弱し切っていた。
「ヒヒン……」
そのあまりにも痛ましい主人の姿が、今のオシラホールンには何よりも辛かった。足の激痛など、蚊に刺された程度にしか感じられぬ程に。
「――――――さぁ、そろそろ時間だよ」
「………………っ!」『ヒヒィン……!』
しかし、時間は止まってくれず、現実は待ってくれなかった。処分の時が来たのだ。
――――――ビュゥウウウウッ!
だが、まさにその瞬間、何処からともなく風が舞い込み、
『ブルヒィイイイン!』
「あっ……!」
「なっ!?」
そして、奇跡が起きた。
◆◆◆◆◆◆
ここは閻魔県要衣市古角町、峠高等学校……の体育館裏。
「姉の白馬を探し出して、退治して欲しいのです!」
さらに、こいつは今回の依頼者。名前は白馬 王子。親の感性を疑いたくなる高校一年生である。
「彼氏を殺れって事?」
「ンな訳ねぇだろ……」
そして、この二人はご存じ香理 里桜と天道 説子。「屋上のマッドサイエンティスト」と「闇色の水先案内人」だ。
「あ、いえ、そのままの意味です。姉は元騎乗者なんですよ」
「へぇ、そりゃ凄い。馬の名前は?」
「“オシラホールン”です」
「ああ、最近引退した競走馬じゃねぇか」
王子の姉とその愛馬は、結構な有名処であった。
「確か、騎乗者が落馬して、そのまま縺れ合って脚を折ったんだっけか」
「はい。それが原因で引退し、つい先日、安楽死する筈だったのですけど……」
「ですけど?」
「ちょっと……いや、信じ難い問題が起きたんです」
さらに、語られる彼女らの後日譚。それは確かに、信じ難い物であった。
「――――――ま、いいだろう。引き受けてやる。だが、“報酬”は忘れるなよ、少年くん」
「お願いします!」
そういう事に為った。
「………………」
頭を下げた王子の顔は、ほくそ笑んでいた。
◆◆◆◆◆◆
所変わって、ここは閻魔県黄泉市にある、「有巣競馬場」。閻魔県唯一の競馬アリーナであり、県全土に映像を中継している発信源である。
だが、今日はどういう訳か運営しておらず、人っ子一人いない。
「さてと……」
「観戦するとしますか」
里桜と説子以外は。この二人が競馬場を貸し切りにして、妖怪を待ち構えているのだ。
「つーか、どう思うよ、あの話」
説子が閑散とした客席で、股をおっ広げるというだらしのない恰好をしながら、里桜に尋ねる。あの話とは、もちろん、依頼者の話である。
「さぁてね。真実半分、嘘半分って所じゃない?」
里桜が頬杖を着く涅槃ポーズで答えた。
「だよな。“突然風が吹いたと思ったら、衰弱してた馬が姉を襲って食った”なんてよ」
王子曰く、処分寸前に何処からともなく強い風が吹き込んで、それを浴びたオシラホールンが突如凶暴化し、姉を食い殺して逃げ出してしまったのだという。ようするに敵討ちだ。
しかし、手紙の筆跡や王子の語り口から、それら全てが事実なのかは妖しい。あの目は、どう見ても行き過ぎたブラコンの"ソレ"である。言ってる事の半分くらいは脚色していると見て良いだろう。
「ま、私の所へ依頼に来る奴なんぞ、最初からロクでもない物さ。今更だよ、今更」
だが、里桜にとって、王子が何を誤魔化そうと、どうでも良い事だった。何故なら、彼女の目的はあくまで実験なのだから。
「それはそれとして、何か心当たりはねぇのかよ、説子?」
問題は白馬の行方と、そのきっかけとなった“風”の正体だ。
「馬を狂わす魔風と言えば、「頽馬風」だな」
「何だそりゃ?」
「馬にとっては、死神みたいな奴だよ」
「頽馬風」とは、馬を狂わせ、死に至らしめる魔風である。龍のようであるとも、妖馬に乗った少女であるとも言われるが、基本的に人には姿を見せず、出遭い頭に馬を殺して、文字通り颯の如く消えていく。襲われた馬を救うには、身体の何処かを傷付けると正気に戻り、助かるらしい。
「龍と少女って、全然違うじゃん」
「民間伝承にはよくある事さ」
それもまた今更だ。
「まぁ、それが本当なら、尚更妖しいわな」
「ああ。頽馬風はあくまで“馬を殺す怪異”だからな。馬が妖怪化するのとは訳が違う」
何だかきな臭くなってきた。真実は何処なのか。
『ヒヒィィン……!』
それは、本馬に聞いてみよう。
「「いや、「ケンタウロス」じゃん……」」
現れた白馬は、本来なら頭部のある場所が女の上半身に挿げ替わった、オシラホールンであった。これが新手のウ○娘か……。
「……真面目な話、アレは何なんだ?」
「どう見てもケンタウロスだが……出自と髪飾りみたいに生えた蚕の翅を見るに、「お白様」なんじゃないかなぁ?」
「何で疑問形なんだよ」
「アレを見て確信しろって言う方が無理あるだろ」
「確かに……」
「お白様」とは、馬の姿をした養蚕の神様である。何を言ってるのか分からねーだろうが、実際そうなんだから仕方ない。
伝承によれば、飼馬に恋した村娘が死後に一体となり、神様になったのだという。やっぱり意味不明とか言ってはいけません。民間伝承なんてそんな物だから。
ともかく、人が馬に恋をして、尚且つ一緒に死ななければ誕生しない、非常にレアな妖怪である事は確かだ。そんな異種族恋愛みたいな事、普通は起きないけどね……。
「なるほど、興味深い。是非とも生け捕りにしてやろう」
「そう来ると思った」
そういう事になった。
『ブルヒヒィイイン!』
お白様が蹄を鳴らしながら突っ込んでくる。
『助けて下さ~い!』
「「はぁ~?」」
……と思ったら、助けを求められた。それもスライディング一礼である。何でや。
「何だ、こいつも呵責童子と似たような事情か?」
「ああ、やっぱり依頼者が外道なパターンか……」
屋上のリオあるあるであった。
「とりあえず、訳を言ってみんさい」
『で、でしたら、先ずは“アレ”を何とかして下さい! あんまりにもしつこくて……』
そう言って、ウ○娘の指差す方向を見て見れば、
――――――ビュゥウウウウウウッ!
明らかに不自然な旋風が、こちらに向かってくる。というより、“彼女”目掛けて襲い掛かって来ているのだろう。
「……何アレ?」
「さぁ? まぁ、とりあえず――――――ゴヴァアアアアアッ!』
とりあえず、火を吹いてみる。説子の口から爆炎が放たれ、おかしな旋風を吹き飛ばした。
『フゥゥゥ……!』
すると、風のベールが剥げたナニカが、本性を現す。
「「クソガキじゃん」」
それは、小さな女の子だった。緋色の着物に金の髪飾りを身に着け、玉虫色に輝く馬の骨を持っている。骨の兜を被っている為、その姿は何処となく孤独なポケ○ンに見える。
◆『分類及び種族名称:魔風超獣=頽馬風』
◆『弱点:頭』
『ハーヴォッ! キャーヴォッ!』
しかし、当の本人はそんな事など微塵も感じさせない程に野性的で、眼を爛々と赫光させながら、猛然と襲い掛かってきた。骨棍棒をグルグルと回し、邪魔者を排除しようと殴り掛かって来る。しかも、かなり素早い。
『ファアアッ!』
「「危ねぇ!」」
さらに、打撃に疾風の斬撃を織り交ぜてくる上に、猛烈な吐息で急激な方向転換や緊急離脱までしたりする。実にやりずらい相手だ。
「この……っ!』
『バヴォオオオッ!』
『煩ぁああああい!?』
その上、咆哮が物理的なダメージを与える程の大音量であり、耳が良く身軽な説子には厳しい相手と言える。
「フンッ!》
『フゥッ!?』
だが、逆に言えば、重量級かつビーム兵器も搭載した生物兵器たる里桜にとっては大した事ないという意味でもある。
《おら、死ね――――――》
『カキィイイイン!』
《ホネラルドスプラッシュ!?》
だからと言って、絶対有利という訳でもないのだが。玉虫色の骨から七色の宝石を弾丸の如く発射して来たのである。自身の風圧に乗せる事で加速し、威力を高めているのだと思われる。一発一発もかなり痛い。
その小柄な身体の一体何処に、それ程のパワーとスピードを兼ね備えているのだろうか?
『キャッキャッキャッ♪』
あと、笑みが憎たらしい。とても子供らしい、無邪気な嘲笑がムカつく。
しかし、ここまで馬鹿にされておいて見逃しては、一生の恥。頽馬風、絶対殺すマン!
『フォアアアアアォッ!』
『……調子に乗るなぁ!』
『プキャァッ!?』
今度は説子を叩こうとフェイント気味に襲い掛かる頽馬風だったが、説子がまさかのメ○ンテを発動したので、逆に吹っ飛ばされた。
――――――キィイイイイインッ!
『ウマムスメェエエエエエエエッ!?』
しかも、里桜の「微小化酸素粒子光線」が直撃。頽馬風は一陣の風となって散った。呆気ない……。
「「それじゃ、訳を聞こうかな?」」
そして、今日の一狩りが終わった里桜と説子は、まだ名前も聞いていない王子の姉だったナニカに尋ねるのであった。
◆◆◆◆◆◆
その日の夜。
「……遅い!」
峠高校のグラウンドに呼び出された王子は、イラついていた。“依頼は果たしたから、グラウンドで待っていろ”と言われたから来たのに、一向に里桜たちが現れないからだ。かれこれ二時間にもなる。何が悲しくて、こんな風の強い日に独り寂しくグラウンドの真ん中に突っ立っていなければならないのか。
「本当に殺したんだろうな……」
ここまで来ると、疑いたくもなる。オシラホールンは、自分から姉を奪った憎い男。殺さずにはいられない。
「よぉ、待たせたな」「良い風が吹いているようで」
と、漸く里桜と説子がやって来た。実に憎たらしい笑顔である。
「遅いじゃないですか~。ちょっとそわそわしてましたよ~」
だが、心の内はおくびにも出さない。今までもそうだったし、これからもそうだ。
「そうかいそうかい。それで、報酬の話だが――――――」
「は、はい、えっとですね……」
「――――――その前に、ちょっとした“サプライズ”を用意してやった」
「は?」
しかし、事態は王子の思惑とは別の方向へ走り出した。
「「ゲストの姉上様です」」
『王子ぃいいいいいいっ!』
「ね、姉さん!?」
何と死んだ筈の姉が、人馬一体の姿で現れたのだ。
「ば、馬鹿な、どうして!?」
「そりゃあ、お前が呼んだ頽馬風は、私らが始末したからだよ」
「そんな馬鹿!?」
『死ねぇっ!』「びびびっ!?」
さらに、問答無用で王子の首をラリアットでチョンパした。
『このっ! クソッ! 野郎!』
その上、ゴロンと転がり落ちた生首を徹底的に踏み付けにする、念の入り様である。彼が今まで姉やオシラホールンに何をして来たのかが窺い知れる。合掌。
「あらまビックリ~」
「白々しいな」
「そりゃあ、嘘吐きにはこんな態度で充分だろうよ」
「そりゃそうなんだけどね」
罪には罰を、嘘吐きには制裁を。それが里桜のポリシー。
まぁ、それはそれとして。
「よし、貴様は今から実験動物に痛っ!?」
「流石に止めてやれよ」
“彼女の境遇”には説子も思う所があったようで、里桜の暴挙を止めた。
『……私たちが風になれる場所を提供してくれるなら、何だって良いわ』
「そうかい……」
どうやら、要らぬ心配だったらしい。
「なら、屋上に住まわせてやろう。あそこなら存分に走れるぞ。その代わり――――――」
『実験に付き合えって言うんでしょ? 噂は聞いてるわ。別に良いわよ。このまま走り続けられるなら、それで構わないわ。野に放たれるより、ずっとマシ。富も名声も、自由も要らない。愛しい馬と決められたレーンを、決められたルールの中で走れるのが、一番の幸せなのよ。私たちにとってはね』
「「………………」」
割とアッサリ従う“彼女”に、里桜と説子は思わず人間社会の世知辛さを感じてしまうのであった……。
『ヒヒィ~ン♪』
そして、今日も屋上に馬の嘶きが響く。
その声色は、里桜の実験動物として飼われているという今の不自由を、全身全霊で謳歌している事が窺える、高く澄んだ物だった。
不自由は辛いが、自由は恐ろしい。何事も程々が一番なのだ。
◆◆◆◆◆◆
「……“姉弟喧嘩”、か」
寝室のベッドで天井を見上げながら、説子が呟く。
唯の一般男子生徒に頽馬風を呼び出す方法なんて教える輩の存在も気になるが、それは後日調査すれば良いだけなので、彼女としてはどうでもよかった。
それよりも。
「まぁ、気持ちは分かるさ。ワタシだってそうだしね」
◆頽馬風
日本各地に伝わる、“馬を殺す”魔風。龍のような姿とも、馬に跨る妖しい少女とも言われているが、定かではない。この怪異に遭うと馬は狂ったように暴れ、しめやかに死んでしまうという。これを避けるには、顔を布で隠すか傷付けるかして、馬を正気に戻すしかない。
その正体は、馬を中間宿主とする寄生生物。土に混じって風で運ばれ、吸引した馬を潰させ、人間に食べられる事で身体を乗っ取る。攻撃の全てが繁殖行動であり、特に気に入った馬を付け狙う習性がある。




