7◆生まれて初めてのデート 2
「こんなところに来るの、はじめて」
沙雪はあたりをキョロキョロと見渡す。
7時前に映画が終わって、杉本は夕食に沙雪を誘った。
『美味しくて面白いお店のタダ券があるんだ』と杉本が誘ったその店はたしかに個性的だった。
暗い中にぼんやり浮かび上がる行燈と、それを反射する池。
建物の中にあるのに、その店のフロア全体が池になっていて、席へは飛び石を渡っていくのだ。
1つ1つが独立して池に浮かぶようになっている席は、紗のような薄い布で仕切られている。
そう、由利子のオフィスにあった雑誌で見た、リゾートホテルの天蓋つきベッドみたいな――。
藤とオフホワイトの帆布で作られたソファーになっている席も、いかにもそれっぽい。
それは周囲の視線から席の中をほどよく遮っていて……気付くとどうやら他の席はカップルばかりのようだった。
どうやら南の島にある、海の上に浮かぶコテージを意識した店のつくり……もちろん高校生の沙雪にはそんなことまでわかるはずもない。
ただ、周囲の視線から遮断された沙雪は、再び緊張に身を固くした。
杉本はといえば、
「何にしようか」
と1つしかないメニューをいいことに体を寄せてくる。
この場に焚かれているお香に杉本のつけている香水がまじる。
――そのうち慣れるかと思ったけれど、やっぱり無理かも。
沙雪は心の中でそっとため息をつく。
そもそも、映画だけ見たら、帰るつもりだった。
それが、夕食に付き合ってしまったのは。
もちろん『タダ券があるんだ。付き合ってくれない?』と頼まれたというのもあるけれど。
よく冷房が効いた映画館はかなり寒かった。
身を固くしながら沙雪は、知らず知らずのうちに自らの腕を抱くようにしていたらしい。
鳥肌がたっているのが自分でもわかる。
映画の半ばで、それに気付いた杉本は、
『ひょっとして寒い?』
と小声で訊いてきた。沙雪は
『大丈夫』
と答えたのだが、杉本は着ていたパーカーをおもむろに脱ぐと
『これ、肩にかけとけば』
と差し出した。
『え、いいよ』
沙雪は遠慮したが、杉本は『いいって』と笑顔で、有無を言わさずにそれを沙雪の膝の上に乗せた。
膝の上のパーカーには杉本のぬくもりがほんのり残っていて……沙雪は戸惑う。
拒否したい気持ちよりも。
――優しいところもあるんだな。
パーカーに残るぬくもりは、沙雪を少しだけ温かい気持ちにさせた。
そして思い出す。あれはサッカー部だっただろうか。
高1の時、同じクラスにマネージャーをやっていたコがいた。
冬になると彼女は、先輩から借りたんであろうジャージをいつも制服の上から羽織って練習につきあっていた。
そのコはたぶん、その先輩が好きだったんだと思う。
彼の服を羽織るのは、その人の優しさに包まれているような気がしたんだろうな、と沙雪は想像する。
そんなふうに杉本の優しさにくるまりたいわけでは、今の段階では、ない。
だけど、差し出された優しさは、確かに沙雪を温かい気持ちにさせた。
そしてクラスメートの言葉が心に再び浮かび上がる。
『一緒に行動しているうちに、いいところが見つかることもあるし』
そうだ。
もう少し一緒にいたら、もっといいところが見つかるかもしれない――誘われたとき、沙雪はそう思ったのだ。
もうすぐ17才になるのに、彼氏がいない沙雪。
それに対して、周りはみんなどんどん大人になっていく。
いろいろなことを知っていく。
そんな状況への焦りもあったのだけれど。
だけど、再び沙雪は後悔している。
運ばれてきた料理は、沙雪が食べたこともない趣向がこらされたものばかりで……杉本に連れてこられなければ絶対に食べられないようなものばかりだった。
味も、ときどき『狙い過ぎ』な傾向こそあったものの、そこそこ美味しい。
だけど……。
「三次さんさ、ずっとモデルとかやってるの?」
「また出たらいいのに」
「あの本出てから、モテたでしょ?」
……それを話題にすれば沙雪が喜ぶと誤解しているのだろうか。
杉本が話題にするのはそのことばかりで沙雪は閉口した。
それに、こうやって一緒に食事をしてみてわかったのだが……杉本の食べ方はあまりきれいではなかった。
歯並びが悪いのも気になってくる。
こんな風に欠点ばかり気になりはじめるのは、やはり好きになれないのだろう。
失望した沙雪の前では、リゾートのようなインテリアも、凝った料理もただ味気ないだけだ。
「モテないよ、別に」
「いや、モテてるって。みんなウワサしてるし。三次さんのこと」
杉本がいるのは男子クラスだろう。
普通に聞けばちょっと嬉しいようなことのはずなのに、沙雪はちょっと胸やけがするような気がした。
杉本はチューハイを飲んでいるせいかよくしゃべる。
車で来ているかどうかはチェックされても、店の人もいちいち高校生とはチェックしないのだ。
沙雪も迷っているうちに『美味しいよ』と同じものをオーダーされてしまった。
それはたしかに口当たりがよくて、ジュースみたいだった。
やるせない時間をやり過ごすべく、沙雪はそれを口にするしかない。
「……それにしても、三次さんと二人でデートできてよかった」
食事をだいたい食べてしまった頃合いに、杉本はつぶやいた。
そしておもむろに沙雪のほうを振り返る。
ドラマの二枚目を意識したような仕草。
頬が少し赤くなっているのが似合わない。様になってない。
無理もない。杉本はチューハイを2回おかわりしていたから。
その芝居じみた様子がやりきれなくて、沙雪はチューハイを手に取る。
沙雪の方も2杯目が終わるところだ。
なんとなく、頭の中に霞がかかっているような、空気が重くなったようなけだるさの中で、これを飲んだら帰りを切り出そうと思っている。
「ねえ。三次さん。修学旅行、誰も相手いないんでしょ」
杉本が膝を進めてきたので、思わず沙雪はたじろぐ。
彼の体は少し揺れている。酔っているのだろうか。
たじろいた沙雪も、ぐらつく感じを覚える。
「俺じゃだめ?」
やや焦点があわなくなった瞳が今までの誰よりも近くで沙雪に注がれる。
沙雪は本能的にのけぞるようにして、距離を保とうとした。
そのたびに、ぐらりぐらりと体を置いて、頭だけが2倍も動いたような錯覚を覚える。
杉本が、それなりに自分を真面目に好きでいてくれるのはわかる。
――でもやっぱりダメ。
だけど、そのまま『ダメ』と言いきってしまうほどの非情さを沙雪は持てない。
どう答えていいか迷いながら、沙雪はうなづく。
「ごめ……」
沙雪がいい終わらないうちに、
「なーんでー!」
といきなり杉本が大きな声を出したので、沙雪はビクッと震える。
「なんでー! いいじゃん。彼氏いないんでしょ!」
あいかわらず向けられた杉本の充血した眼には、非論理的な怒りが燃えている。
いくら、男子と付き合ったことのない沙雪でも、この状況がヤバイことはわかる。
「ごめん。あたし、この辺で帰るね」
唐突に立ち上がった沙雪だが、腕を引っ張られる。
すごい力……というより、酔ってぐらついていた沙雪は簡単にバランスを崩し、ソファに倒れるように落ちた。
「三次さん。俺、マジで好きなんだ」
それでも、バネのように身を起した沙雪の肩を、杉本はガシっと掴んだ。
「……やっ。やめて」
沙雪は抵抗したが、杉本は沙雪をソファの背に押し付けると顔を近づけてきた。
たぶん、完全に酔っているのだろう。
ニキビの跡がある赤い頬、充血した瞳、そして分厚い唇がどんどん近寄ってくる。
香水の匂い――いや、違う。
さっき映画館で羽織ったパーカーの香水の匂いは、そんなに嫌なにおいじゃなかった。
香水と、杉本自身の体臭がまじった匂い。
今わかった。沙雪が嫌だったのは、その匂いだった。
そしてさらに。
アルコール臭い、生温かい息が鼻先に吹きかかる。
「いや! やだー!」
沙雪は大声をあげて、顔をそむける。