6◆生まれて初めてのデート 1
――だめだ。ぜんぜん楽しくない。
沙雪は隣にいる杉本に気づかれないようにそっとため息をついた。
スクリーンの中には、しばしば静かな夜が訪れて、闇が客席を飲み込む。
そのたびに沙雪の中では、警報が鳴り響くのだ。
もう少しで沙雪に寄りかかりそうなほど、肩を寄せてきている杉本。
彼の方をみなくても、体温と香水のにおいでわかる。
香水の匂いは、しばしば息をとめているうちに慣れて来たからまだいい(いやだけど)。
だけど、肩のあたりから放熱される体温は、沙雪の領空へ侵入してきそうで。
生々しい体温――沙雪はむしろそれを警戒した。
もしも、これが好きな二人なら。
迷わず肩を寄せ合うのだろう。
現に、スクリーンが明るくなるとそういうカップルたちのシルエットも浮かび上がる。
暗い映画館の中は、適度に人目を避けられるからだろう、大胆にくっつきあうカップルもいるほどだ。
沙雪は、といえば。
進んで肩を寄せ合うほど、隣にいる男子が好きなわけでもない。
『一緒に行動しているうちに、いいところが見つかることもあるし』
誰かがいったように、今からこのコを好きになれるのだろうか。
いまの沙雪には、そんなこと考えられない。
そうかといって、あからさまに反対方向へと避けるのはあんまりな気がする……。
だから沙雪は、シートの中央にまっすぐに座り身を固くしていた。
それはひどく疲れる。
案の定、映画の内容はまったく入ってこない。
――やっぱり断ればよかった。
ついに沙雪の心ははっきりと後悔の形をとりはじめた。
うちでぐう太とでも遊んでるほうがよっぽどよかった。
寒いとき、ぐう太を抱っこするとあったかい。
いきものの柔らかい感触。ぬくもり。
……冷房の効き過ぎた映画館、肌寒い沙雪は、今それがとても恋しい。
――これが、生まれて初めてのデートか……。
沙雪はもう一度ため息をついた。
あの合コンの翌日。
沙雪は、隣にいた杉本という男子に試写会に誘われた。
「試写会の券をもらったんだ。よかったら行かない?」
男子クラスの杉本は、沙雪の所にわざわざやってきて誘ってくれたのだ。
さすがに学校では、あの香水の匂いはしなかった気がする。
「やっぱりぃ! やったじゃん」
レイコは沙雪の肩を叩いたが、沙雪はあんまり乗り気じゃなかった。
「杉本くん、まあまあイケてるし。気軽にいってくればいいじゃん。タダだし」
アッコもそういって、レイコと「ねー」と笑った。
「でもさ。あたし、男子と二人で『でーと』みたいの行ったことないんだよね」
だから、行きたくない、と沙雪は暗に言ったつもりだった。
それを聞いたアッコやクラスの女子は驚いていた。
「えー、サユって、デートもまだなのぉ!」
「だったら行ったほうがいいよ。気軽にさ」
沙雪が彼氏いない歴=年齢だと知ったクラスの女子は、寄ってきて我も我もとアドバイスを始める。
彼女たちのいうことはたぶん、もっともなんだろう、と沙雪も思う。
だけど沙雪は……気づかれないよう、ちらりと後ろに目を走らせた。
あいかわらず一番後ろの席に座ってぼんやりしているような松浦。
その姿を目の端に捉えたとたん、昨日の姿を思い出す。
女の子と寄り添って、ピンク色の路地から出てきた姿。
――いやらしい。あんな人関係ないじゃん。
そんな考えが浮かんだそのとき。
「松浦くーん!」
後ろから男子の声がした。
胸の中を見透かされた気がして、沙雪は思わずビクついた。だがすぐに
「あ、古田クンだ」
とレイコの声がして反射的に後ろを振り返る。今度は目の端でなく、どうどうと。
昨日の合コンにもいた古田芳樹がバスケ部だろうかもう一人の男子と、後ろの戸口に立っていた。
それに気付いた松浦は、
「あ」
と表情を和らげると、のっそりと立ち上がった。
「ひさしぶりじゃん……」
などと話しているのが聞こえる。
そういえば昨日の合コンで、古田は松浦と同じ中学だったと言っていた。
あの二人は仲がよかったのだろうか。
キャプテンの古田がやってきたので、3組のバスケ部在籍の男の子も加わり4人で立ち話になった。
「意外だねー。あまりしゃべらないと思ってたのに」
アッコがそっとつぶやく。
主語はないけれど、もちろん松浦のことだと沙雪にはわかる。
教室の中で、確かに違和感のあった松浦だが、こうやって4人でしゃべっている姿は、普通の男子高校生だ。
いつのまにか、松浦は笑顔になっていた。
冗談でも言い合っているのか、笑い声さえ聞こえる。
――こんな顔もするんだ。
沙雪は意外だった。
その笑顔には……昨日の女の子に向けた笑顔のような嫌悪感を、沙雪は感じなかった。
いい顔だ、と思う。
夕陽の中の哀しげな顔はただ、美しかった。
だけど、今の顔のほうがずっといい。
「やっぱさ、こうしてみるとイケてるよね」
レイコさえ感嘆している。
「でも彼女いるしー」
アッコの声に、沙雪はドキッとして振り返った。
……彼女は、どうやらずっと沙雪の様子を見ていたようなのだ。
「杉本くんだって、まあまあじゃん。下級生にモテるよ」
アッコの声は沙雪に釘をさしているように思えた。
「一緒に行動しているうちに、いいところが見つかることもあるし」
「そうそう。デートだけで、付き合うってわけでもないし」
まわり女子の声も沙雪に戻ってくる。
そんなわけで、沙雪は成り行き上、土曜日、杉本とデートするはめになってしまったのだ。