5◆一ヶ月で彼女を替える最低男 4
こちらへ歩いてくる松浦峻は、やはり沙雪に気づいていないようだった。
沙雪は思わず息をするのも忘れ……歩みを止め。
そして、大きく息をつく。落胆の吐息。
松浦は、同じ年ごろの女のコの肩を抱いていた。
「……彼女かな。スゴーイ」
レイコが囁く。
何が『スゴーイ』って。
松浦とその彼女が出てきたらしき路地のむこうには、ホテルがあったから。
ピンク色のネオンが、暗くなり始めた路地を隠微な色に染めている。
お互い私服だったからか、松浦は沙雪に気づかないようだった。
松浦は沙雪の知らない表情を浮かべて、沙雪の横を通り過ぎて行った。
沙雪が知っている松浦の表情は。
夕陽の色に染まった瞳と涙の筋を浮かべた哀しげな顔。
そして、心をどこかに置いてきたような、けだるい顔。
教室で、昨日も今日も。
松浦の顔は――誰に話しかけられてもどこかけだるそうな感じだった。
脱力感、のようなものが常に漂っていたのを、沙雪は目の端でとらえていた。
それが今は。
女の子の肩を抱いた松浦は軽く笑みを浮かべている。
その笑い方を、沙雪はなぜか嫌だと思った。
沙雪は二人が通り過ぎるまで、立ち止まったままだった。
夕風が半そでにしみて、ようやく我に返る。
レイコが不思議そうに見ているのに気づいて、沙雪は笑顔をつくる。
「……いこっか」
レイコの手前、何気なくふるまいながらも沙雪の心は動揺していた。
ばくばくとのたうちまわる心臓が、苦しい。
「あれが、アッコちゃんのいってた彼女かな」
「……たぶんね」
さっき、レイコが3組の教室に遊びに来た時、松浦の話題が出た。
昨日から今日にかけて3組の女子で、松浦のうわさをしなかったコなど、たぶん一人もいないに違いない。
『松浦クン、あたしの中学のときの友達と、付き合ってるんだよ』
そのアッコの友達でC女子学園に通っているコとは、夏休みに入ってから付き合いだしたばかりらしい。
おそらく――松浦とさっき寄り添っていたコはその子に違いない。
でも、それじゃない。
沙雪が苦しいのは、松浦が他の子と寄り添っていたからではない。
アッコが『松浦の彼女』の話をしたときも、沙雪は別に苦しくなかった。
むしろ、あれだけのルックスなら当然だと思った。
そのあとの、沙雪が思い出したくない話題が、記憶にからみついたようにつながってくる。
チャイムが鳴ってレイコが9組に帰った後も、噂話は先生が来るまでの間、続いていた。
そのときにアッコがさっきより声をひそめて耳元で囁いた。
『でもね。C女子の別の子によれば、松浦クンって有名なヤリ××らしいんだ』
『え?』
沙雪の目の端はあいかわらず、松浦を確認している。
松浦は脱力感を漂わせながら、頬づえをついて窓の外に視線を遊ばせていた。
『松浦クン、GWあけからほとんどこっちに帰ってきてたらしいんだけど……それがさ、彼女がころっころっ変わってるんだって』
ころっころっ、とリズムをつけて語ったアッコは、瞳を沙雪の方に寄せて、意味深に口角をあげる。
『それが、ヤッたら捨てるってパターン。1ヶ月で女を変える男で有名なんだって』
『なにそれ』
うそー、信じらんなぁい。と話にノリながらも、沙雪は本当に信じられなかった。
沙雪の中にいる松浦は、あの夕陽の中の哀しげな涙。
ヤリ××だの、ヤッたら捨てるだの、生々しくて下劣な雄的行動と、あの夕陽にきらめていた涙は、沙雪の中でどうしても結び付かなかった。
それが、今。
裏付けられてしまったのだ。
「……いやらしい。サイテー」
思わずつぶやいてしまったのが、レイコに聞こえてしまったらしい。
「何が?」
レイコが不思議そうな顔をして沙雪を見た。
レイコは、あのあと9組に帰ってしまったから松浦の最低な風評を知らないのだ。
いつもなら面白おかしく、かつ詳細に噂を伝えて、一緒に
『信じらんない!』
と叫ぶところだが、そんなことをする気も起きなかった。
そんなにまで落胆してしまった自分が、また何を期待していたのか、そんな自分が腹立たしいとさえ思う。
「……高校生のくせに。ホテルとか入ったりして」
沙雪はただそう答えた。
不思議そうに沙雪を見つめていたレイコの瞳が、少し涼しげに細まる。
「……ホテルはちょっとアレだけど、別にいやらしくはないんじゃない?」
意外な返答は、淡々と帰ってきた。
沙雪はレイコの顔に真意――たとえばキツイ冗談とか――を見ようと自転車を押す手を止めて目を凝らした。
そこにはなぜか、憐れみのようなものが浮かんでいる気がして、沙雪はあせる。
「つきあってたら、別に普通のことじゃない?」
レイコはもう一度言うと、自転車を押して先に進んだ。
――レイコも、いつのまに。
いつのまにか、自分だけが取り残されていることに気づいた沙雪の行く先に、極彩色のネオンが小さくまたたいている。
「待って。レイコ」
それはあの日の夕陽よりもけばけばしくて。
沙雪は苦い唾液を呑み込むと、下を向いて、自転車を押すのに集中した――。