2◆一ヶ月で彼女を替える最低男 1
「サユ、サユってばァ。も〜」
ハッと我に返った沙雪を、蝉の鳴き声のリフレインがシャワーのように包んだ。今日から2学期、つまり秋の始まりだというのに、夏休みに入った日とそのボリュームは変わらない。
そして廊下側の窓に肘をついているレイコのぶすっとした顔にようやく気付く。何度も呼ばせてしまったのに、うわのそらだったらしい。
「ごめ。何?」
沙雪は謝るとあらためて訊き返す。
「何、ぜんぜん聞いてなかったのォ〜、ちょー。サユのためのハナシなのに」
レイコはぷーっとふくれる風をした。
それもそうだ。
始業前の朝のひととき。理系・9組のレイコは、わざわざ長い廊下を移動して沙雪のいる3組まで話しに来てくれているのだ。
7月の席替えで沙雪が廊下窓側の席に替わってから、レイコはこうしてたびたび来てくれる。
沙雪が通う高校――学区内でまあまあの進学校であるJ高校は2年になると文系と理系にクラスがわかれる。
一見ギャルだけど目の輝きがそれだけじゃないレイコは理系、なんにも考えずラクなほうへ流れた沙雪は文系に進んだのだ。
沙雪は少しそれを後悔している。
なぜならレイコのいる理系クラスは男子が圧倒的に多いからだ。女子15人につき男子は30人もいるのだ。
それに対して沙雪のクラスは、男子20人、女子25人。加えてこっちにいる男子はややチャライ気がする。
まあレイコにいわせれば、理系もオタクが多いだけ、とのことだけれど羨ましい。
本当は男女の割合の問題よりも入学式からの友達であるレイコと離れ離れなのが何よりも寂しいんだけれど。
「何、何?」
沙雪は、レイコに気を取り直してもらおうと、身をのりだした。合コンがどうの、といっていた気がするけれど、本当はあんまり興味ない。
そんなことより……沙雪の頭の中を占めていたのは昨日の夕映えだった。輝く夕陽を映して同じ色でキラキラ光っていたあの瞳。そして涙。
沙雪が目にした中で一番美しい夕映えの中で、それ以上に輝いてみえたキレイなコ。
男の子に「キレイ」なんて言葉を考え付くなんて変……そう思いつつも、あの青年の姿を形容するなら「綺麗」としかいいようがない。キレイ――綺麗――古典風にいえばきらきらしい。
そして、彼は……あんな美しい空の下で、どうして泣いていたのか。
昨日から、気がつくとそのことばかり考えている。
男の子が、夕陽を見ながら泣く理由……よほどつらいことでもあったんだろうか。例えば失恋とか。
「……明日ね、実力テストが終わったら、合コンあるから」
あぶない。また聞き逃すところだった。沙雪はかろうじて思考を目の前のレイコに残すことができた。
「えー。相手はー?」
「男バス。みんな2年だよ」
男子バスケ部。確かにみんな背が高い。下級生に人気ある。でも、ぶっちゃけ興味もてない沙雪だ。
「ふーん。レイコくるの?」
「あたしがいかなきゃ、サユ来ないでしょうが」
「ゲー。彼ぴにいいつけてやろー」
「もう知ってるもんねー。サユのお供だって」
べー、とレイコは舌を出した。レイコは近くにある男子校に1つ年上の彼氏がいる。
「ホント、サユのためなんだからね。もうすぐ修学旅行なのに彼氏いない歴まもなく17年でさみしいだろうって」
「るせー。よけいなお世話だってば」
レイコの言うとおり、沙雪にはまだ彼氏と呼べる人がいたことは、今までに一度もいない。
「えー、サユってずっと彼氏いないの?」
見えなーい、と隣の席のアッコが口をはさんできた。でしょー?とレイコ。
「何人かにコクられてるのに、断ってるんだよー」
「へえー、もてるんだー、サユ」
アッコはマスカラをビシバシつけたまつげでまたたいた。冷房のないこの教室は暑い。朝なのにマスカラは少しだけ下まぶたににじんでいた。
男子だけでなく、このクラスの女子はケバい人が多くて……沙雪はなんとなくついていけずにいる。表面上はまあ、交流しているけれど、表面だけ。
「17にもなるのに、彼氏いたことないなんて、天然記念物くなーい?」
アッコはケタケタと笑った。「天然記念物く」って、何語。沙雪は心の中でちょっとケイベツする。そういう自分だってときどき変な日本語使うくせに、なんか嫌だった。
それを聞きつけて、斜め前の席にたむろしていたチャラ男A,Bが
「何、三次さん、彼氏いないのー?」
「うっそでしょ。三次さん、ビジンなのに」
と寄ってきた。そんな、と言いかけた沙雪は、アッコの様子にハッとした。
「だよねー」と返事しながら、アッコは、沙雪が美人といわれたのがあきらかに面白くないらしい。ケバイ顔から笑顔が消えていた。
「とりあえず、気軽に付き合ってみればいいのに」
レイコがそういったとき予鈴が鳴り、彼女はあわてて9組へ戻り、チャラ男たちもそそくさと自分の席へ戻っていった。
沙雪は『そんなことないよ』と否定するチャンスを逸した。
今日は2学期の始業式――といっても、沙雪の学校では、夏休み中の8月20日から毎日補習があったから、あまり夏休みが終わってしまったガッカリ感はない。
昨日の夏休み最後の日も、たまたま週末と重なっただけだ。
その貴重な土日が台風でだいなしになり、がっかりした生徒も多いのかもしれない――たとえばデートが台無しになったりとか。あのコも……彼女とそれでケンカしたりとかかな。
気がつくとまたあの美少年――いや美青年といったほうがいいか……のことを考えている。
「今日ね、転校生が来るらしいよ」
再び脳裏に広がり始めたピンクゴールドの夕映えはアッコの声で遮られた。隣を振り返ると、アッコはさらにこっそりと囁いた。
「転入試験満点、しかもイケメンだって」
――よかった。さっきのこと、あんまり気にしてないらしい。
沙雪はアッコの様子にほっとする。
「へえ。2学期に転校生って珍しくない?」
沙雪が不思議に思うように、県立であるJ高校は、欠員がでないと転校生の受け入れはない。しかもそれは年度初めである4月に限定されていた。
「それが、そのコのお父さんがエライ人らしいよ。市だか県だかの」
「へえ」
「なんでもN高校をクビになったらしい」
「N高校!」
県外にもかかわらず、沙雪でも名前を知っている名門男子校。毎年週刊誌で発表される「東大合格者ランキング」の上位の常連である学校をクビ、つまり退学になってここに転校してくるというのだ。
「アッコ、なんで知ってるの?」
「実はね。あたしの友達の彼氏なんだ。友達はC女子に通ってんだけど、8月からつきあって……」
アッコが得意げに続けようとしたそのとき、ガラッと教室前の引き戸があいた。
ドカドカと勢い良く担任が入ってきた。
その後ろに続いた背の高い生徒を見て、沙雪は、あっと声をたてそうになった。
それは……昨日の、夕陽を受けて泣いていたあの彼だったからだ。