神聖幻想国(イリュージョンランド)のお城の中は……
真っ暗の中の星空の下、もう閉園したはずの神聖幻想国がライトアップされているのが柵越しにもわかりました。木でできた観覧車、路面電車を模したジェットコースターや、そして中央の湖の中にそびえ立つ幻影城までもが、くっきりとその姿をあらわにしています。湖に、その姿を反射させて映すほどに……
いったい、何が起きているの?
綺紗はもう何度目かになる疑問を、心の中でつぶやきました。どうして、私の手を取って横を歩く了悟がこんなにボロボロになっていて、閉園したはずのイリュージョンランドがライトアップされるのか。なにかのサプライズにしては、明らかにやりすぎているはず……。
そんな綺紗の耳に、突然大きな音が飛びこんできました。胸をなぐるような音に、綺紗ははっと息をのみます。
「綺紗羅様の、おなりー」
♪テッテレテレテ パッパラッパパパー♪
トランペットの高らかな音と、ドラムのはじけるような音。なんだか運動会の時に鳴らされるファンファーレのような音です。
ギギギギィと柵の門が開きます。了悟が一歩、また一歩と、ゆっくり前に進んでいきます。
門の中へ入ると、まぶしすぎる光に照らされました。視界が真っ白になり、そしてシンバルが、重厚感のある金属音をのばして鳴り響きました。
自分にスポットライトが当てられているようです。光に目が慣れて、綺紗ははっと息をのみました。足元には真っ赤なじゅうたんが一本道のように長く敷かれ、その両脇にひかえたたくさんの騎士がひざまずいて頭をたれていくのです。その数、百人――いや、千人ぐらいいるのかもしれません。後ろの人は小さくて顔なんて見えません。綺紗の小学校の全校集会で並ぶ生徒より、もっともっとたくさんの人数でした。そんな全員が、綺紗に近い人から、後ろの方へ頭を下げていきます。ひざまずくときのわずかな音だけが響きます。静かなドミノ倒しのような光景でした。見れば、隣にいる了悟まで足元でひざまずいています。
そんな中一人、すすすと前に進み出る者がいました。
赤と黒を基本カラーにした軍服に身を包み、腰に剣を下げたその人は、かぶっていた羽根つきのハットを取りました。明るい髪がぱさっと広がります。男の人にしては長い――? それになんだか小柄……と思った時でした。
「あ……れ。コウさん……?」
意志の強そうな赤い瞳に、肉の薄いほお。小さな顔を鮮やかに赤くふちどる、まっすぐストレートのショートヘア……。きりっと美しいこの女性は、綺紗も何度もお世話になった、了悟のお姉さん・紅さんでした。
「コウさん!」
しかし彼女は、綺紗が了悟の家に遊びに行ったときのように「キサちゃん」と、友達のように楽しげに笑って出迎えてはくれませんでした。
「綺紗羅様!」
横にいる、ケガだらけの自分の弟には一瞥もくれず、きびきびとそう叫んで、脇の騎士と同じく片ひざをつきました。ん? きしゃら? 私の名前、綺紗なのだけれど……。
「わたくしどもは、聖なる施設より遣わされ参りました、地球防衛騎士団でございます。わたくしは騎士団長の高橋紅と申します」
は……? え……? 今、なんて言った? セイントセンター? 地球防衛……なんたら? 自己紹介してくれているみたいですが、聞きなれない言葉が多すぎて残念ながら少しも理解できません。
あいさつした紅が、深く一礼してから立ち上がると、
「心中、さぞ驚きのこととお察しします。ぶしつけにも突然のご同行を、たいへん失礼いたしました。また、急ごしらえでのお出迎えとなってしまい、申し訳ございません。きちんとまた日を改めまして、綺紗羅様へはこちらの者をご紹介させていただきますゆえ、平にご容赦ください」
こちらが驚いていることは、紅もよくわかってくれているようで、彼女はすまなそうに言うと、
「この場所は危険です。イリュージョンランドの幻影城にご避難願います。城には、結界が張ってあります。どうぞご安心してお休みください。城までお運びするためのお車も、前方に着けてあります」
紅の後方、赤じゅうたんの先に、この緊迫した空気にふつりあいなかわいいミニバスが停まっていました。ふだんはイリュージョンランドをぐるっと一周し、巡回している、クラシカルな路面バスで、綺紗もここに来たときに一度か二度、乗ったことがありました。
「ご安心を。この日のために用意してありました線路切り替え装置を使い、城まで最短経路となっております」
紅はそう言うと、一瞬やや困惑した表情で「まあ……こんなに早く使用するとは予測できませんでしたが……、しかし、安全は保障いたしますので」と、つけくわえました。
「コウさん……」
綺紗は、ちらりと視線を後方下に――ひざまずくボロボロの了悟に向けました。
紅は、不自然なほど表情を変えずに一度押し黙ると、覚悟を決めたようにぐっとあごをひき、まるで血のつながりなど何もない赤の他人のような口調で、了悟に立つよう命令しました。了悟も、当然のようにその短い言葉に従い、立ち上がります。
「その者。たった一人で、よくぞここまで綺紗羅様をお守り申し上げた。追って、何らかの栄誉を与えていただくよう綺紗羅様にお願いすることを、騎士団長である紅の名において約束しよう」
「ありがたき幸せです」
そう言われて了悟は、深々と一礼しました。
「だがまずは、話を聞かせてもらわねばなるまい。特別に、姫様と同行させていただくこととする」
「はっ」
短く、了解の意を示す了悟。
「それでは、綺紗羅様……」
紅はそう言って一度ひざをつき、綺紗に手をさしのべます。そして手を引いて、一緒に赤じゅうたんの上を歩み、バスへと案内しました。
綺紗は、通常のイリュージョンランドならぎゅうぎゅうづめで乗せられるその路面バスに、紅と、了悟と、その他二人の騎士だけで乗せられました。了悟は、なにも言わず、目を伏せています。てっきり、ここでなにか事情を話してくれるかと思ったのに、あたりはしん、としていて、他に乗っている騎士の注目が自分に向いているような気配を感じ、とても話しかけられる雰囲気ではありませんでした。もしもこの見知らぬ騎士二人が乗ってこなくて、了悟と紅と三人きりなら、もっと話せたのでしょう。しかし……この状況の説明は、また了悟と二人きりになったら聞けるはずです。そのときにはむしろ、了悟が自分からわかりやすく説明してくれるでしょう。
さきほど言われた通りまっすぐに城へ向かったのか、バスに乗っている時間はとても短いものでした。イリュージョンランドに遊びに来たときのように、ガラスのない開けた窓から外を見て楽しむなんて余裕はありません。停まると、紅がさっと立ち上がり、手を取って降ろしてくれました。
「幻影城……」
そこは、幻影城の真下、正面入り口でした。幻影城とは、このイリュージョンランドの象徴ともいえる、大きな城のことです。下から見上げたその様は、何度見ても圧巻の一言です。
「綺紗羅様、本日はこちらでお過ごしくださいませ」
「ええっ」
こちらで、って……、イリュージョンランドの幻影城で!?
「綺紗羅様は――現在、大変危険な状況に身を置かれていらっしゃいます。こちらでしたら、いざというとき、契約すれば力になる十分な数の護りの者も配置してありますし、結界も最高のレベルのものを張ってあります。ただ城内、綺紗羅様をお迎えする準備を急ピッチで進めております最中ではありますが、……ご容赦のほどを」
まあ……それは別にかまわないけど……。またまたとんでもないことになってきました。
「また、城内にてすべてのご説明をいたします。本来ならば、ご両親様にもご説明し、綺紗羅様とご両親様のご同意を得てから安全にこちらにお運びする手はずでした……。順序が変わってしまい、ご不安なお気持ちにさせてしまいましたことを、おわびいたします。申し訳ありませんでした」
そう言って紅はまた深く一礼します。なんだか、頭を下げられてばかりです。わかったから、少しずつでもいいから、早く説明してほしいわ……と言いたいのを、綺紗はこらえるのが大変でした。
「リョーゴは?」
「そこで彼の手当てもいたします。どうぞ、ご避難を」
手の先を城へと向けられました。行くしかないようです。あまりのことに忘れかけていましたが、そういえば後ろには危険な影が迫ってきているのです。家にだって帰れない今、選択の余地はありませんでした。意を決し、綺紗は城内へと足を踏み入れました。
城の中は、イリュージョンランドに遊びに来た時に見るのと同じでした。開園時には誰でも入れる大理石の床の大広間があり、天井にはシャンデリアが吊るされています。ここで、過ごす? たしかに広いし、幻影城は、見て回るタイプのアトラクションなので、住むのに邪魔な乗り物などもありません。あんな生き物から守ってもらえるのなら、この広間で寝泊まりして暮らすこともがまんするしかありません。綺紗の考えを読みとったかのように、紅はにこっと笑って言いました。
「この城の最上階に、綺紗羅様のお部屋をご用意してございますよ」
「えっ」
「この城には、ぴかぴかのベッドもありますし、本物の厨房もございます。設備だけではありません。メイドも、シェフも、スタイリストも、今、大あわてで準備を進め、綺紗羅様のことをお待ちしております。イリュージョンランドが作られるときに、ずっと、この日のためにみんな用意されていたんですよ」
なんと、この城は、アトラクションとしての部分以外に、本当に住むことの可能なお城になっているようです。それが、イリュージョンランドが作られる時から? イリュージョンランドって、遊ぶためのテーマパークじゃないの……? 組織ぐるみで、なにかを行っているようです。謎は深まるばかりでした。
綺紗はまず身支度を整えるように言われ、その間に紅と了悟は状況の整理をしに行ってしまうことになりました。綺紗は、紅と了悟と離れてしまうのはとても不安だったのですが、「支度が整いましたら、食事の際に私から現状についてご説明させていただきます」と、紅に言われたので、甘えたいのをぐっとこらえました。あとでまた必ず会えるようです。
「右子」
紅はついと顔を上げ、どこへともなくそう呼びかけました。すると、
「ここに」
ス、と一瞬の間に、紅のななめ後ろの背後に、メイド服の裾をちょんと上げた、真っ黒おかっぱ頭に白いレースの飾りを乗せた女の人が頭を下げて立っていました。
「綺紗羅様のご支度を」
「はい」
紅はちらりと後ろを確認すると、数本の柱ぐらいしか身を隠すもののない大広間で手品のように突然現れた彼女に、特に驚いた様子もなくそう言って、綺紗に一礼し、了悟を従えて去っていきました。
綺紗がびっくりしていると、
「綺紗羅様」
そう言って彼女は顔を上げます。あごのラインできれいに切りそろえられた黒髪が、左右そろってさらりとゆれます。両の黒い瞳も、定規で計ったように均等な位置にあり、その整った様は、なんだかお人形さんか……機械みたい……そんなことを思った時でした。
「ああ……お待ち申し上げておりました……」
その瞳が、口元が、とろんととろけるようにゆがみました。
「えっ」
「わたくしは、本日より綺紗羅様の身の回りのお世話をさせていただきます、右子と申します。右に子どもの子と書いて右子でございます。苗字はありませんゆえ、どうぞ、右子と呼び捨てくださいませ」
「右子……で、いいの?」
「はい……」
どこか、ぽわっとほおを染めてほほえんでいます。
「姫様にそう呼んでいただけると、わたくし……恐悦至極でございます。どうぞ、そのまま、ただ、右子と」
学校の若い先生と同じ年くらいのお姉さんを、呼び捨てにしてしまってもいいのかしら? と綺紗は思いましたが、本人は本当にうれしそうにそうすすめるので、そう呼ぶことにしました。
「それではこれより、湯殿にご案内いたします。それが終わりましたら、お洋服をお召し替えになりまして、お食事へというお運びになりますわ。なにかご要望はございませんか?」
「ええ、大丈夫……」
なんだかホテルのようです。しかし、綺紗以外にお客さんはいないのでした。廊下を歩いていると、花を運んだり、床や窓や壺を磨いたりと、ばたばたとせわしなく動き回るメイドたちも、綺紗に気付いたらぱっと作業をやめ、頭を下げて一礼したまま、綺紗が通り過ぎるのを待ちます。お客さんというより、なんだかお姫様にでもなった気分です。
エレベーターを上がり、湯殿につきました。湯殿とはつまり、お風呂のことです。うながされるまま、綺紗は服を脱いで中へ入りました。
大浴場。大理石の床を丸くくりぬいたようないくつもの穴に、さまざまな色をした湯がありました。ジェットが噴き出ている湯もあれば、静かにお花が浮いているお湯もあります。綺紗は薄紫色の湯につかり、そこに浮いていた丸い藤の花を波を起こしてゆらしたりして楽しみました。そこまでは良かったのですが……
「「失礼いたします」」
新たな二人のメイドが、声をそろえてそう言って一礼し、大浴場に入ってきます。
「えっ、えと……あなたがたもいっしょにお風呂に入るの……?」
しかし彼女たちはメイド服を着たままです。綺紗の言葉に二人は驚きながら首を横にふりました。
「いえいえ、そんな、とんでもないことでございます。私どもは綺紗羅様のご入浴のお世話をするよう申し付かっております」
「私の入浴のお世話!?」
「はい」
見れば泡立ったスポンジを手に持っています。
「仕事ですので、お気になさらずとも大丈夫ですよ」
綺紗はうながされるまま湯からあがり、洗面台の前に座りました。
えっ……お気になさらずとも大丈夫……かしら!?
どうやらお風呂も人の手に任せるらしいのでした。床や壺だけでなく、綺紗もメイドの手によって磨かれてしまうようです。メイドに従って手を上げたり、立ったり座ったり。自分で洗わなくていいのは思いのほかラクチンでしたが、でもやっぱり精神的には――
「つかれた……」
お風呂ってくつろぎの時間なんじゃなかったかしら……。
大浴場から出て、ドレッサーの前に座らされた綺紗はぐったりしていました。さっきまで体や髪を洗ってくれていたメイド二人が、今度は髪をかわかしてくれています。タオルのような生地のバスローブに身をくるみ、綺紗はまたもやされるがままです。すると、「お疲れ様でございます」と、右子が冷たい飲み物を持ってきてくれました。
「牛乳、コーヒー牛乳、フルーツ牛乳ととりそろえております。何にいたしましょう」
「フルーツ牛乳……」
右子は、ふたを開けてストローをさすところまでやってくれます。綺紗はそれを受け取ると、ちゅーちゅーと吸って飲みきりました。
「冷たくておいしー……」
綺紗の言葉に、右子も嬉しそうにほほえんでいましたが。
(で、でもこれはやっぱり、ビンに口つけて、ぐいっと飲みたかったわね……)
こっそり、そんなことを思ってしまいました。でもなんとなく、そういうことができる雰囲気ではありませんでした。髪をドライヤーで乾かしている最中でもありましたし……。
髪があらかたかわき、くしでといで整えてもらったころ、
「それでは綺紗羅様、こちらを」
そう言って右子に差し出されたのは、
「わ、かわいい……」
まるで物語の中で見かけるような、きらきらしたドレスでした。繊細な模様をしたレースがいたるところに飾られ、細いリボンがいたるところで交差し、ちっちゃく結ばれています。
「もしかして……着るの?」
「はい。こちらは綺紗羅様のためにご用意いたしましたドレスでございます」
「お髪に飾りますティアラはこちらに。プラチナ製となっております」
さらに差し出されるのは銀色に輝くティアラ……。
気の張るお風呂だったとはいえ、お風呂に入ったということで、少しばかり寝る前のくつろぎモードに入っていた綺紗とって、いくら夢みたいなドレスだって、これから身にまとうというのは苦しい感じがしました。さらに、
「失礼いたします」
そう言ってなにやら肌色の小さいスポンジのようなものを、ほおに当てられました。
「け、化粧?」
「はい。ほんの少しだけではありますが。姫が、人前にお出になられますので」
なんと、七五三の時ぐらいしかしたことのない化粧も、これからするというのです。せっかくお風呂に入ったのに!
たしかに、お風呂に入ったとはいえ、ここはさっきと変わらないお城の中。たくさんのメイドは変わらずいるでしょうし、あれだけの数の騎士もどこかにいるにちがいありません。それだけではありません。おそらく自分は、しっかりと注目されるのでしょう。そのための、こんなにかわいらしいドレスです。ここではどういうわけか綺紗は、呼ばれるとき「様」付けで、たまに姫とまで呼ばれているのです。
「わかったわ……」
これを乗り越えれば、了悟か紅に会えます。綺紗は力をふりしぼって、背筋をしゃんとのばしました。