悪い優等生と優しい不良
入ったところと同じ裏口から外へと出るとき、あたりはもうほとんど真っ暗でした。緑色の非常灯をぼんやりもらす正面玄関の前を通り、駐輪場へと向かいました。
冷えた風が、上着の隙間をすり抜けて、体を少し冷やします。駐輪場まで来ると、了悟はバイクに鍵をさしながら、
「キサ、母さんに連絡入れるか?」
携帯を出して、こちらに向けてくれました。
「どれくらいで……つく?」
綺紗はそれをぼんやりと受けとり、画面を開いて現在の時刻を確認してみました。今は六時前です。
「行きは……寄り道が多かったからな。真っすぐに帰ればそんなに……。カッとばせば十五分って、ところか」
了悟の答えは予想時以上に早かったのでした。
「じゃあ、カッとばしてよ。十分で着いちゃって」
そんなことを言って、携帯を返しました。
「おいおい、あのなぁ……」
了悟はバイクのエンジンをかけ、綺紗をなだめるように座席をぽんぽんたたきました。綺紗は黙って座席の後ろのほうに乗ります。綺紗が了悟の腰にしがみついたのをみはからって、アクセルが踏まれます。
道路に出ると、前を遠く走る車の赤いブレーキランプがまぶしく感じました。もう、だいぶ暗いな、とも思いました。真っ黒な道路の中に、白線だけがライトに照らされて浮いています。来た道を、バイクが戻ります。味気のない照明灯がともる、殺風景な並木道を、バイクが走ります。
綺紗は、了悟に巻きつけている両手を、ついうっかりはなしてしまうのではないかとふとおそれました。自分の意思で、簡単に大けがを負ってしまう。そんな状況が手元にあることに気づいて、少しだけ怖くなったのでした。
誰も、止める人が、いないのです。
パパも、ママも。
バイクが走る長い間、ずっと無言でした。了悟なりに気を遣ってくれたのか、かける言葉が見つからないのか。でも、どちらにせよ、むなしい気分になりました。
「リョーゴ」
「どした?」
やつあたりもいいところだ。綺紗は自分でも思いました。
「これじゃ、ぜんぜん遅いわ」
危険を顧みず片手を離して、了悟の背中をたたきました。「うわっ、あぶないぞ」と、了悟があせります。
「その……なあ? 俺、実は……」
エンジン音でぎりぎり聞こえるくらいの声で、了悟がなにかを言いかけました。
「なに?」
了悟の口調に、どこかぎこちなさを覚えます。あせっているだけでは……ないような。しかし、それを追求することはできませんでした。なぜなら……
「やっべぇ!」
了悟が叫ぶが早いか、突然後ろから
ウウーッ!!
サイレンが鳴り響きました。綺紗がはっとふりかえると、後ろのほうにパトカーが見えました。暗いあたりを照らすように、車の上の真っ赤な光がくるくる回転して、こっちに向かってくるように見えます。
「ごめんやっぱいいわ! ゆっくり走って! 警察が……」
「いや、ちょっとトバすぜ!」
「な、なんでよ?」
綺紗の言葉に耳を貸さず、了悟はスピードを上げて、さっと曲がりました。
「手、放すんじゃねえぞ!」
「わっ、わかったわ!」
一体、どういうことなのでしょう。綺紗はヤケになって「カッとばして」なんて言ってしまいましたが、まさか、パトカーがいるだなんて思っていなかったのです。さすがに、パトカーの前でカッとばしてもらうほど今の綺紗も無謀ではありません。
「どうしたのよ、そんなにスピード出したら、捕まっちゃうわ!」
「いいから!」
一瞬、なにか事件でも起きているのかと考えました。しかし、二人を乗せたバイクが家と家との間の細い裏道に入ると、パトカーも、ぴたりと同じ道を追いかけてきます。もう、綺紗たちを追っていることは明白です。
「……リョーゴ、どういうことか、説明してもらうわよ」
「あ……ああ。あとでな!」
それから逃げ回ること数分。トンネルを越える手前で、急に方向転換して一方通行の道を逆走することで、パトカーをふりきることに成功しました。
「はあ……エライ目にあった」
「……リョーゴ……」
「あ、ああ……わかってる。説明するよ……。とりあえず、このまま上いかね?」
今はもう、綺紗も了悟もバイクから降り、山のふもとの暗闇に身を隠していました。トンネルの掘られた小さな山で、上は公園になっていて、階段で上がれるのでした。綺紗は逆三角形の目でにらみつつうなずきます。了悟はひとつため息をつくと、ぽつぽつと、暴露し始めました。
「実はコレ、いろいろ道路交通法に違反しておりました」
コレ、というのは、バイクのことでしょう。綺紗は歩きながら、とりあえず続きを言うようにうながします。すると、
「まず、おまえはこいつをバイクバイク言ってっけど、こいつはバイクの中でも原付って種類でな、原付は二人乗りしちゃいけねえんだ。捕まる」
「そうなの……?」
綺紗は了悟の押すバイク、いえ、原付を見つめました。バイクにもいろいろな種類があるらしいことを、綺紗は今初めて知りました。
「それから、ノーヘルも捕まる。ま、それは俺だけだからいいんだが、それよりなにより実は俺、免許もってない」
「は……」
はああああああああああ!?
さすがにこれにはびっくり仰天です。
「ちょっと、どういうこと? なんでそれをちゃんと言わないの?!」
(二人乗りは違法で、ノーヘルは違法で、了悟は無免許……。無免許って、無免許運転とかいう、あの……無免許よね……)
「だってそもそも原付免許取れるの十六歳からだからな? やっぱ気付いてなかったかー……だから俺、看護婦さんにどうやって来たのか聞かれた時、とっさにうまい嘘を……」
綺紗は絶句しました。「ここまでお母さんに送ってもらいました」という嘘は、これを隠すためだったというのです。
「だめじゃない……! それじゃ、今、無免許運転で捕まりそうだったのね!? ほんっと、完全にクロじゃないのこれって!」
「ま、まあ、病院行く手段、これしかなかったし! 俺、遠出するときとかよく乗ってたから。けっこう安全運転だったろ? あ、最後だけはスピード違反しちまったけど――……」
了悟はなだめるように安全性を主張しますが、そういう問題でもありません。
「ど、ど、どうすんのよ、もう! それに、こっからどうやって帰るのよ……電車の駅なんてここから遠いのよ。ここ田舎だから駅までのバスもいつ出るかわかんないし……」
(ていうかもう最終バス無いかも?! 早く時刻表確認してみなくちゃいけないじゃない。もう、なんでそんなむちゃくちゃな事するのよ……)
これからとるべき行動のことが次々に頭の中を埋め尽くします。こんなのんきに山の階段を登っている場合ではありません。
「あーもう私、今の今までめちゃくちゃ道路交通法違反してたってこと? さ、最悪だわ……。どうするつもりだったのよう……」
八百屋さんのおばちゃんや、チャラチャラした変な男が「あぶない」と言っていたのは、つまりこういうことだったことに今さらながら思いいたり、綺紗は頭を抱えました。バイクに乗っている間に聞かされていたら、両手を離して落っこちていたかもしれません。
「悪り悪りぃ……、正直言ってだまっとこうって思った。キサこういうの気にすると思ったし」
了悟は、困り果てた顔で笑っています。「気にするとか……気にしないとか……ちがうでしょ。……だって悪い事じゃない……」と、綺紗がブツブツ文句を言っている間に、山の上の公園に到着しました。
そこには遊具などは何もないのですが、広々とした芝の敷地と、休憩のできるベンチ、そしてなによりきれいな夜景が、眼下に広がっていました。まるで、闇夜に向かって宝石箱を逆さまにしたかのような、色とりどりの光。目をこらせば、たまに、チカチカとついたり消えたりして、全体がかすかに揺れて見えます。
「きれいなところ……」
「だな」
ここからだと、少し遠くにイリュージョンランドが見えました。夢の国イリュージョンランド。黄金に輝くあの高い建物は、幻影城でしょうか。夜空にはちょうど今、花火が上がっているようでした。
リョーゴのバカ……。
夜景が、じんわりとにごり絵のようにぼやけました。
なにも、なにも……こんなときに……、こんな変な罪を犯さなくたっていいのに――
そう思った時。
了悟がタバコに火を着けながら、ぼそりとつぶやいていました。
「それでも、悪いことだってキサが気付いてないのを知ってて隠しても、キサをみまいに連れて行こうって思ったんだよ」
灯す瞬間、赤い光がぱっと顔に反射します。
「死んでからじゃ、どうあがいたって……もう会えない、から」
イリュージョンランドからの花火の爆発音は、了悟の声を隠すのには遠すぎました。
「リョーゴ……」
キサはふりかえりますが、フーっと、煙を吐きながら遠くを見る了悟の顔は、身長差のせいでよく見えません。二人の間に、わずかに沈黙が流れます。
「ま、結局……今日は、連れて行かない方が良かったのかもしれないけどな」
「そ、そんなことは……」
了悟は一度あごに手をやり、少しまじめに考えるように目を閉じました。そしてすぐに綺紗の方を向いて、
「そうか……はは。わかった」
どこか情けなく笑いながら、前髪をかきあげようとして、そのまま空を仰ぎ見ました。
「ちょいと年下に囲まれてるから、錯角しちまうけど……俺もしょせん中坊ってことか」
「?」
綺紗は、了悟を見上げます。夜景を見晴るかしながら、了悟は、綺紗の頭に手を置きました。
「たぶん……俺もなんだ。俺も、両親いないだろ? 今日の帰り道の……あんなのただのガキの会話だって、テキトーに聞き流してるつもりだったけど、実際は、少しくらいは――うらやましくなってた……んだな、って」
こちらを向く了悟のあまり見せない、バツが悪いような顔に、綺紗はとまどうしかありません。まず、ワイワイと楽しいからいつもいっしょに帰っていると思っていた綺紗のクラスメートたちを、あっさりばっさりとガキ扱いすることが驚きです。じゃあなんで一緒に帰ってるんだろう? と疑問に思いますが――。了悟が続けました。
「で、そんなところに、わかりやす~く傷ついてる女の子がいたらなぁ、そりゃあ、なんとかしたくなるだろ?」
口にタバコをはさみながら、ニッと歯を見せる了悟。
「ちょっと無理すれば会いに行けるんなら、無理するって俺。ち~っとばかし、やりかたが過激だったかもしれないけど、まあ……許せな、俺のために!」
上から目線で得意げに綺紗の頭をぽんぽんとはたいてきますが、いまいち、子ども扱いされたような気がしませんでした。情けないような笑顔だったからでしょうか。
(今日、私を病院まで連れていっても、了悟が自分の両親と会えるわけでもないし……よけい切なくなるだけかもしれないのに)
了悟にしてみたら、私は、ぜいたくだ。
でも、少なくともクラスのみんなよりは、了悟のことを、わかることができる。
「私、悪いこと言っちゃったわ。パパに」
「ん?」
「前みたいに戻って、なんて、追いつめるようなこと言っちゃった」
希望を、信じられること、
何度でも会えること、
「パパが……病気になっても、生きていて、それだけでも、大切な奇跡だね」
感謝しなくちゃ。
幸不幸を比べるなんて、キリがないんだ。
そうじゃなきゃ、了悟の隣には立てない。
「パパに、会えてよかったわ。連れてってくれたこと、感謝してる」
綺紗はこれからどうしていけばいいのか、そんなことまではわかりませんし、心が晴れたわけでもありませんでしたが、
「無理しやがってー!」
「わっ、ちょっと! 髪がくしゃくしゃになるじゃない!」
両手を使って頭をわしわしとなぜられて、沈んでいられるほど繊細でもありません。了悟なりの無理やりの元気づけでも、綺紗には嬉しかったのでした。