それも、悪くないよ
「宇宙からの迎え、なかなか来ないわね……」
そびえたつように高いビルの最上階にある高級レストランの窓から、下に誰も立つ者がいないのをいいことに、カップパスタのお湯を切って捨てていた綺紗は、戻ってくるなり夜空を見上げながらつぶやきました。
「もう、何日たったかしら。ひと月? ふた月? 宇宙はここと時間の進みがちがっていたりしたら、どうしましょう」
いただきまーす、と、レストランのぴかぴかの銀のスプーンとフォークを使って、インスタントのたらこスパゲティをほおばります。
(はあ……もしも了悟とおじいさんおばあさんになるまで迎えが来なかったら……)
まあ、それも悪くないかもしれないけど。
夕飯は味気ないインスタント食品だけど、せめて雰囲気だけでもと場所を高級レストランにしてみました。夜景をバックに、指輪でも渡されそうです。
正面の席の了悟は、うどんがふやけるのを待ったまま、そのまま一人物思いにふけっています。
「ほーご、ふぇんふぉふぃひゃうはよ」
口にパスタを入れたまましゃべろうとしたら見事に失敗しました。
「なあ……キサ」
了悟は、ぼそっと綺紗に呼びかけます。
「ごくんっ。……なあに?」
「……」
深刻そうになにかを悩んでいるようでした。
「宇宙から……来るかな」
「え?」
了悟は、少し戸惑うように笑うと、
「来ないような、気がするんだけど」
と、なにか考えつめたように続けます。
「どういうこと?」
「そもそもが、だ」
了悟はポケットからタバコを取り出すと、自分を落ち着かせるように口にくわえました。なんだか、指先が震えているような気がします。吐息をもらすようにして、煙を出します。
「どうして、この世界には俺たちしかいない」
しかし、出てきた言葉に拍子抜けしました。
「そ……そんなの、簡単じゃない。私たちが地球最後の日に、もっとも影響を受けにくい装置に入っていたからよ」
「装置って、なんの」
「え、えーと、……核シェルターみたいな」
「どうして俺たちはそんなものに入っていた?」
「わ、わかんないわよそんなの。入っていたから入っていたんでしょう」
言われて考えてみると、たしかに理由がよくわかりません。というか、なんだっけ? あの装置。そもそも、どうして私とリョーゴだけそんなに安全な装置に入れられていたんだ? 地球最後の二人になるような?
「うーん……」
「な。どこかおかしいだろ」
了悟は、茶化す様子もなく、「もう一つ言っていいか」とたずねます。
「なに……」
なんだか気味が悪くて、ぞわりと、鳥肌が立つのを感じました。
「俺、こないだキサに麻雀教えたときにさ、佐助さんとか、姉ちゃんの話したろ」
「うん……」
「どうしてか、わかんねぇけど、佐助さんや、姉ちゃんの最期がわからない。どうやって消えていったのか、思い出せないというか……というより、消えたところを見たことも、体感したこともない、って感じの方がしっくりくる」
深い悲しみ、喪失感、絶望――……
そんな感情の傷跡が、俺の心の中に見当たらないんだ。
そう言われて……綺紗も、同じでした。佐助さん、紅さんは、どういうふうに死んでいったのか。そのとき自分は、なにを感じ、どう思ったか。いや、そもそも……
「おまえの父さん、母さんのことは、どうだ!」
!
「あ……れ……?」
パパが不幸な病気にかかってしまったときのショックや、ママが救急車に連れて行かれたときの恐怖はまざまざと思い出せるのに、そのパパとママが死んでしまう瞬間、または、死を実感した体感が、記憶のどこをつっついてみてもありません。もっとも近いところにいたはずの二人――パパとママが、もう完全にいなくなっているのに、綺紗の心に、悲しみに泣き苦しんだ感じがないのです。
「だろ。わかんねぇだろ。妙だろ。な。どうして、俺とキサだけが、そんな安全装置に入ってて守られたのかもわかんねえ。あるはずの心の傷が、どこにもねえ」
了悟はうなだれたまま、ため息交じりに首を振ります。
「この感覚をヒントにさ、俺、一つの仮説を立てた……」
その仮説とは。
「まだみんな生きている……世界中の人も、姉ちゃんも佐助さんも、綺紗の両親も」
「な……なによそれ、どういうこと? 現にここに、いないじゃない!」
たしかに、死んでいると考えるより生きている方が心の健康状態にしっくりきます。でも、この、人の気配のまったくしない街だって、現に存在しているのです。
すると了悟は、すっと鋭く目を細めました。
「じゃあここが、夢の中だとしたら」
ゆ、め……?
「そうだ。キサか俺の作り出した、一時的な世界。――夢だ」
そんなこと、考えたこともなかった……。
「おまえは、あの装置の中に入って、精神が崩壊し、都合の悪いことをぜんぶ忘れてここにいるんだ。嫌なことを全部なかったことにして、俺と二人生き残って、意識だけ、新しい星に引っ越そうとしたんだ」
了悟はイスを倒して立ち上がると、頭を抱えました。
「身を守るために……逃げているんだ」
「なんだか……私、怖いわ……」
おびえる綺紗に、了悟はこう呼びかけました。
「綺紗、いや、綺紗羅」
「! や、やだ!」
その、名前は――……
「やめて!」
「いや、思い出した! そうだ。綺紗、おまえは、綺紗羅姫――。背負った、役目が……」
「やめてよ! 私は綺紗よ! キサ! お願いだから、その名前で呼ぶのはやめて!」
了悟にその名で呼ばれると、足元がふらつき、地面にのめりこんでいくような感覚に襲われる。
――なぜ?
「目覚めないと」
「!」
「もどるんだ。現実世界に――綺紗羅!」