私たちの神話
「なによ、せっかく覚えたのに、四人対戦じゃなきゃできないのね」
鮮やかな緑色をした正方形のテーブルがたくさん並んでいて、一つのテーブルを四方からそれぞれ四つ、イスが囲んでいます。綺紗は、窓際のテーブルで麻雀のルールを教わっていました。
「まー、ルール覚えとくだけでもいいだろ。つーか、キサに教えてたら俺の方が麻雀したくなっちまったなあ……」
了悟はそういうと深くイスに腰かけ、吸っていたタバコの煙を窓の外に逃がして深呼吸。うーんと背伸びをしました。
「……初めてだなぁ、なんか。こんなこと思うの」
感慨深そうに、つぶやきます。
「そうなの? いつもやってるんじゃなかったの?」
「んー、それはそーだけど、俺にとっちゃ遊んでるなんて感覚、みじんもなかったから。それどころじゃなかったってゆーか。とにかく稼がないと、って気持ちしかなかった」
そうなんだ……。
綺紗は、ずっと思っていたことを質問してみることにしました。
「どうしてそんなに自分を追い込んでいたの」
了悟は後ろに少し下がって窓を開け、タバコを一本取りだします。
「荷物になりたくなかったからな……。むしろ俺のほうが姉ちゃんを支えようと思ってたのに……結局姉ちゃんは姉ちゃんですげえ才能開花させてるし……。くそー。ダセーよなー、俺……」
綺紗はとっさに言い返します。
「別にださいだなんて思わないわ! リョーゴは立派よ」
「ガッコに行かずにギャンブルばっかやってるけどなー」
あーあ。綺紗にもルールちゃんと覚えさせて、いっしょに麻雀してみたかったな。佐助さんと、かなりへたくそだけど姉ちゃんと……四人で卓囲って、和気あいあいって感じで。麻雀牌もマットも、うちにあるからさ。その場で人でも殺しそうな、殺伐としたフリー雀荘の中でじゃなくてさ……。
「フリー雀荘」などといった用語は、よくわかりませんでしたが、
「――佐助さんは、俺を強くしてはくれたけど、そういうことだけは教えてくれなかったんだな、って、今ちょっと思った。あーあ、けっこう楽しいゲームだったんだな麻雀って……」
煙とともに吐き出す、了悟のどこかあきらめたようなぼやきかたを見ていると、なんだか綺紗は……とても切ない気分になりました。
「やりましょ! 今すぐ」
「んー……だから二人じゃ面子がたりねーよ」
そう言われては綺紗もどうしようもないので、一人でつみきをするように牌を積んで遊んでいました。了悟がタバコを吸い終わるまで――
「なにか忘れてる気がする……んだよな。俺」
了悟が、妙なことを言い出しました。
「いや、なんでもない。よくあることだ」
「そう……」
綺紗も、このときはそんなに気にはしていませんでした――。
「だいぶ暗くなってきたな。デパートの寝具店とか見つけないと」
雀荘を出て、外を歩いていました。
「最近、デパート不法侵入寝泊りばっか」
「なんだ、不満か?」
「当たり前でしょ! ほら、そこにもホテルがあるじゃない!」
綺紗が指差した先には、豪華そうな外観のホテルがありました。
「あーゆーホテルは……俺が嫌だ。なんか」
「なんでよ、もう! ワガママリョーゴ!」
「今は何とでも言えー。キサがもう少し大人になったら教えてやるから……」
こうして、適当に渡り歩く日々。
おなかがすいたら見つけたコンビニに寄って、賞味期限の切れていない、切れていても腐ってはなさそうな食べ物を探して食べる。もう最近では、インスタント食ばかりだ。カップめんなら、コンビニの給湯器を借りて、湯を入れて。レトルト系は、少し切れ目を入れてレンジでチン。
なんとか、食いつながなければならない。
その日まで――
「準備できたー?」
「うっさい、ちょっとまってろ!」
「はーやーくー」
「事故するわけにはいかねえんだよ!」
了悟は車のドアポケットから発掘した「初心者教習本」を脇に置き、「PからDにギアチェンジ、そのあとブレーキを離して……」ハンドルをきったり手元のレバーを動かすイメージトレーニングに余念ありません。
「よし、なんとかいけるか。他に車走ってるわけでもないしな」
「いこーいこー!」
「うしっ、出発!!」
この日は、初ドライブでした。鍵が空いている家を適当に探し、ちょいとお邪魔して、車の鍵を拝借。そして荷物を積んで、綺紗を助手席に乗せて、いざ出発です。
「ってぬおお!!」
――さっそくはす向かいの家のブロックに激突しました、
「あーーリョーゴ! ひとさまのおうち壊した!」
「わああ、すいませんした!!」
「でも持ち主は……いないって」
「……そうだな。キサ、ケガないか?」
「大丈夫よ。リョーゴは?」
「俺も平気。……なら、いいか」
最初は超スローペースでしたが、やはり道路に、他の車が一つもいないだけあって、慣れたら法廷速度よりも少し早いくらいのスピードで走っていました。
「このへんだったよなぁ、森林公園」
「そうね。だんだん森も多くなってきたじゃない」
曲がりくねった一本道を進み進み、真昼の日差しをキラキラとさせる森をくぐります。
「あれか!」
ぱっと視界が開けたと思ったら、一面の芝生が広がっていました。
「わーっ、広いわね」
芝生が、どこまでも続く海のように広がっています。遠くは水平線のように淡く霞み、空と仲良く滲んでいました。
適当に投げ捨てるように車を停められた後、綺紗はじれったくシートベルトを外して降りると、
「わーっ!」
両手を上げて力の限り走りだしました。芝生はどころどころゆるい丘になっていて、綺紗のスピードも波打ちます。了悟の目の前から、綺紗がどんどん遠く小さくなっていきます。
「いやあー……すがすがしいほど、なんもねーなー……」
苦々しくつぶやき、了悟は芝生に座りこむと、そのままごろんと寝転がりました。
日差しが強いので、帽子を顔に乗せて、お昼寝です。
いつの間にか目の前にあるのは、沈みかけた大きな夕陽になっていました。
「日が暮れる……」
「地球が終わろうとしてんのに、狂いなく、日は暮れやがって……。のんきなもんだよな」
「のんきだなんて、私たちにだけは言われたくないと思うけど? 夕陽も」
「ははは、ちげーねー」
煮え立つように揺らめく赤い日が、西へ西へ、ゆっくりと落ちていくのが見えました。
「さて、すぐ暗くなるぜ。持ってきた布団、しかねぇと」
「うんっ」
「あれが北極星。んで、お隣さんがカシオペア座」
それぞれ芝生に敷いた布団にくるまり、寒くならないよう四方を密閉して、寝ながら夜空を見上げます。
「で、あれがキサ座であれが俺座」
「途中から適当じゃない!!」
「星の名前まで俺が知るかよ~」
夜空の下で寝ようということになり、寝袋案も出ましたが、せっかくだし布団一式持っていっちゃおう、ということで話が盛り上がったのでした。
「あの星ン中のどれかは知らねぇが、もうすぐ俺らを迎えにくるんだよなぁ」
しみじみと、了悟がつぶやきます。
「私たち、地球人代表なのよね」
綺紗はにやっと笑って星から目を離し、となりで空を見上げている了悟を向きます。
「アダムとイブみたい?」
了悟は綺紗の視線に気がつくと少し苦笑し、
「神話になっちまうのかー俺たち」
と、おどけました。
でも、冗談になっていません。そのとおりなのですから。あのキラキラ光る星だと思っていたものが、いつ、ここに近づいてくるのか。私たちは受け入れられるのか。歓迎されるのか冷遇されるのか。
あまりに想像を絶する未来に、二人は自然と言葉をなくし、星を見続けていました。