終わる世界で、二人は旅をする
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二車線の広い通りは静かでした。空気すら止まって動いていません。きれいに道路沿いに並んでいるビルや店はあさっての方向でも向くようにばらばらに散らばっているような印象を受けます。綺紗と了悟はその真ん中を、原付を引きながら歩いていました。
「もう歩けないわ……!」
「頑張れ……ガソリンスタンド、もうすぐだから……!」
「にしても、静かねー……」
「だなー……。まあ、人いねーからな……」
「……そうね」
だから、こんな大きな道路を歩いていられるのです。
大通りに面した、スーパー、飲食店、コンビニ、電気屋、本屋、そのどれもが開店しているのに、中に人がいません。客だけではありません。店員もです。
まるで、普通に暮らしていた街の人たちがある日突然スイッチ一つでその姿をこつぜんと消されてしまったかのように、きれいさっぱりひとりも人はいませんでした。
「つーかおまえ無免の俺の後ろに乗ることはいいのかよ?」
「……だって警察いないんだもの」
「そういう問題かあ? けっこう危ない状況なんだぜ。警察もいないが、医者もいない。ケガしたら」
「リョーゴの腕を信じるわ」
「……とんだ不良お嬢様だなー」
「だってリョーゴ、運転うまいんでしょ?!」
「いやまあ、そうたけどよ……」
了悟は原付を押していた手を片方離し、ぽりぽりとほおをかきました。
(キサってまじめそうにみえて、いい子ちゃんなだけだよなー……)
そんなことを思われているとも知らず、綺紗はガソリンスタンドに思いを馳せながら歩き続けています。
信号機は赤い光を発し「止まれ」の指示を出します。しかし、もちろん二人は止まりません。それどころか周りに注意することもなく、大きな十字路を突っ切って進んでいきます。
今はもう不必要となった信号機は、二人が通り過ぎ去ったあとでも、律儀にも、青い光で空を照らしました。
「お、こりゃこりゃ」
懐かしいものを見るようにあおぐ了悟につられて綺紗も顔をあげると、そこには、綺紗にはあまりなじみのない建物がありました。建物の壁には、アニメキャラクターや歌手、アイドルを使った看板が映画のポスターのように並んでいます。しかしそこは映画館でもゲームセンターでもないことはすぐにわかります。
「打てるかな?」
自動ドアが開くと、綺紗の耳にがちゃがちゃした音が怒鳴りこんできました。静けさになれきった耳にはつらいもので、綺紗は耳をおおい、うらめしく了悟をみましたが、了悟はそれすらも懐かしむようにほほえみながら、奥へ奥へと進んでいきます。
ここはパチンコ・スロットの店でした。
綺紗は小学生である自分がここパチンコ屋に入っても、誰にもとがめられないことに気がつき、興味本意でのぞきます。
「まだ、打てるのね!!」
「ああ!! 電気系統はダメになってないからな!!」
「そうね!!」
あまりのうるささに、会話するのも一苦労です。少しでも話しやすくするために、綺紗は了悟のそばへと行きました。レジカウンターにもぐってなにやらごそごそしていた了悟が次に頭をあげたときには、手にプラスチックの箱を持っていました。
「あったあった」
その箱には、銀色の球が山盛りになって入っていました。綺紗にもこれがなんなのかは一目でわかりました。実際に使ったことはありませんが、CMやマンガの中でよく見かけるパチンコ玉です。たまに道なんかに落ちていて、つるつるぴかぴか光っている銀色にひかれて、綺紗も拾ったことがありました。
「いいなー。使いたい放題じゃねえか。まっ、今、玉なんてあったところで、何の役にも立たんがな。それより、食い物のほうが何倍もありがたい。ガソリンとかな」
そう言って了悟はパチンコ玉を、ため息まじりにじゃらじゃらともてあそびます。綺紗はふと思いました。
「ちょっとやってみたいわ……パチンコ」
「えっ!? おいおい」
使えるパチンコ玉はここに大量にあるようです。そしてここには、綺紗と了悟しかいません。
「あほかー。こんなの覚えても、人生いいことないぞ」
「知識として知っとくだけよ。地球に存在した文化として。ね?」
それに小学生の私がパチンコやスロットを実際に触って覚えるだなんて、なんかカッコいい……じゃない?
「べつに体に悪いことじゃないんでしょ?」
「んじゃー、パチンコとスロットどっちがいいよ。ほれ、コインも使える」
そう言って立ち上がった了悟のもう反対側の手には、銀色のコインの入った箱がありました。これは、スロットをするときに使うのでしょうか。
「リョーゴはどっちをやるの?」
「別に連れてる人に合わせてどっちもやるけど、まあもっぱらスロットだな。レート高い分、稼ぎにつながるし」
レート、というのはなんでしょう?
「ま、今は稼ぎとか関係ねえから、好きな方でいいぜ」
「リョーゴと同じやつがいいわ」
「じゃ、こっちか」
玉の入った方のを箱を下ろし、銀色のコインの入った箱を持ってきます。
「カウンターがねぇなー。手書きで数えるとなると少しめんどうだが……しかし教えるならちゃんとイチから百まで教えてーしな」
「ええ! 私も、もうしっかり覚える気になっているわ」
「んじゃーまず……スロットには何段階かの“設定”があってだな。ベルとかスイカをそろえた数を数えてそれを確かめていくんだが……」
綺紗はペンと紙を取ってきて、メモをとりながら了悟の講義に耳をかたむけました。
くるくると回転するスロットの絵柄を、
ピッ、ピッ、ピ。
と、三回ボタンを押して止めます。
7とかベルとかスイカの絵柄の描いてある回転するローラーのことは「リール」
止めるボタンの名前は「ストップボタン」
こんな名称はどうでもいいと言われましたが、綺紗はしっかり書き留めました。ちなみに「レート」とは、賭けたお金や買った時にもらえるお金などの金額のことを言っているようでした。
「目押しも、ちょっとうまくなったな」
「目押し」というのは、絵柄を目で追ってタイミングよくストップボタンを押してリールを止めること。
「左下に青い7を射止めること、あとはベルを狙うこと」――綺紗は、了悟の指示に従います。
「ええ、リールが回転していても、だいぶ7が見えるようになってきたわ」
「ふむ。そろそろか……」
すうっと、了悟の目が黒く冷たい光を帯びていきます。無言になり、綺紗の手の上に自分の手をそっと重ねて――……
ボタンを押します。
一回、二回。
7が横に並び――
「あっ」
横一列に三つの7。
『大当たり!!』という派手なエフェクトの後に、なんのボタンを押しても7がそろい続けます。
「ほい、あとはキサ、ボタン押して押して」
言われた後は、不思議なことに何をどう押しても全部777がそろうのですから、コインの数がうなぎのぼりに上昇していきます。
「なにこれ、いいの!? こんなに当たって!! リョーゴ、ズルしてるんじゃないでしょうね!?」
「あはは、してねぇよ。確変中だからな。ボタン押す手を止めない止めない」
「わ、わかったわ……」
手を止められず、てんてこ舞いになりながらも、777と延々(えんえん)そろい続けるのは気持ちのいいものでした。
「ま、こんなかんじだ。今回は割りと早くに大きく当たったが、当たらなくても熱くならないこと。大事なのは一回一回に一喜一憂しねーで、正しいやり方で淡々と試行回数をなるべく増やしていくことだから。あと、リールの絵柄の並び順はゆっくり暗記していけー」
「はいっ」
「いい返事だ」
背筋を伸ばして、了悟に頭をなぜてもらいます。「そろそろ行くか~」
満足した綺紗は、うなずいて自動ドアをくぐりました。
あいかわらず人っ子一人いない静かな外に出ると、店の中の騒音との落差に耳がボワンボワンと変な感じになりました。鼓膜がドラム太鼓のように震えているのがわかります。
「耳が~……」
「あ~、最初はそうなるわな」
了悟はもう慣れっこらしく、違和感すらも起きないのか気にした様子もなく大道路を歩いています。
「佐助さんちになら実機があったんだがなぁ。そこなら静かに教えられたんだが……まあ、雰囲気も体験できたしよかったな。別にここだってもうコイン使い放題だし」
「実機って?」
「スロットの台だよ。本物と同じ大きさで同じことができるから、練習できるんだ。佐助さんちには、十台ぐらいあるんじゃなかったかな」
「ええっ、それってもうパチンコ屋さんみたいじゃない!」
「はは、ほんとだよな。いや、あの人はほとんどプロだからなー」
綺紗は、右子からもそう聞かされたことを思い出します。
「姉ちゃんは、親が死ぬ前から佐助さんとずっと付き合ってたんだけど、あの人家に連れてきて紹介したときは、おやじ怒ったなー。親戚にも言いふらして、もうみんなから“紅ちゃんはギャンブル好きのクソみたいな男に引っかかったらしい”って総スカンくらってたけど、俺は姉ちゃんの気持ちわかるね」
了悟は愉しそうに苦笑いして、ふっとため息をつきました。
「佐助さんはすげえよ。ギャンブル好きってレベルじゃねーもん。おやじなんてパチスロで一度も勝ったことなかったから、クソだと思うんだろうな。俺は佐助さんのことは尊敬してるし、俺を、一人で食えるようにここまで育ててくれて、感謝してる」
ぼんやりと了悟を見ていた綺紗の視界に、押し歩いている原付バイクも入ります。
「原付の乗り方教えてくれたのも佐助さんだものね」
「あはは、おまえどうしてそれを」
了悟は歩いていて、ちら、と視線を上げると、またなにか店の方に近づいていきます。小さい個人塾のような建物で、「○×雀荘」と書かれていました。なんと読むのでしょう?
「おし、ついでだしキサ、麻雀も覚えろーぃ」
「マージャン? あっ、それ知ってるわ! パパがたまに友達とやってた!」
たしか、徹夜で友達と打ちに行くのだ。
「ルール覚えればキサも打てるようになるぜ」
え、私にもできるの?
了悟は駐輪場を無視して原付を道の真ん中に放置し、ふらりと「雀荘」に入ります。
「じゃ、二時間目始めるぞー」
「きりーつ!」