本当の彼を、この目で見つめたい
「右子……リョーゴについて……貴女の知っていること、全部教えて……」
「高橋了悟ですか……」
綺紗はソファに座り、立ったままの右子に空いているソファに座るのをすすめましたが、「どうかお気遣いなく」と断られると同時にいつ用意したのか紅茶を出されます。話の邪魔をしないようにとの配慮か、そっとミルクと砂糖とレモンが添えられます。「ありがとう」と綺紗が紅茶に意識を向けると、「どのようにお入れしましょうか。茶葉の種類はほかにも多数ご用意しております。お淹れなおしましょうか」と手早く質問されますが、砂糖を少しだけ入れてもらうにとどめました。
「高橋了悟は、そうですね、どのようなことからお話しいたしましょうか」
綺紗が、なにも言わないでいると、右子はなにかを悟ったように、自分から話し始めてくれます。
「高橋了悟は、○○県××市△△町三丁目一に住む十五歳の少年です。騎士見習いとしてふだんは、ここイリュージョンランドの城庭で、剣術の訓練を受けていました。とはいえ、綺紗羅様からのお力をお借りした剣でしたら、黒影に触れるだけで浄化させ、元の体へと戻すことができますので、訓練の時間は丸一日というほどではなく、日に三時間ほどになります。その他の時間は、普通の騎士は様々な仕事をしますが、高橋了悟はまだ子どもでしたから、できる仕事もありませんでした。学校に通うべきなのですが、彼たっての希望で、なんとか仕事を回してもらいました。それが、綺紗羅様のボディーガードでした」
綺紗は顔をあげました。綺紗の知らない了悟の姿が、右子の話から見えてきます。
「リョーゴは、中学校に行っていなかったの? 私立の中学に行っていたんじゃないの?」
「そうですね。私立聖幻学園中学に通っていました」
「それで、仕事なんてできたの?」
「私立聖幻学園中学は、元をただせばイリュージョンランドが経営しております。つまり、綺紗羅様をお守りするという業務のために、学校公認でサボっていたということになります。当然、ここまでやってしまったら卒業はできないでしょうが……。中学校に通っていたかどうかと申しますと、通ってはおりませんが、名目上は、そのようにして所属していたというお話です」
「そうなんだ……。リョーゴって……そんなにお金に困ってたの……?」
「今はそういうわけではありませんが、以前――両親を亡くした直後は、いろいろと。彼の両親は自殺でしたので、保険もほぼ下りず、親戚の家に行くか、児童養護施設に行くか、そしてここの組織に来るかという選択を強いられましたね。この組織は、元が宇宙の施設から来ているので、現場で動ける地球人を求めていました。高橋家の両親が亡くなったのは、この病気が原因でしたから」
「自殺……」
了悟の両親が亡くなってからのことを、実は綺紗は、たずねづらくてこれまで聞いたことがありませんでした。
「ここの組織は、児童養護施設ではありません。自分で稼がなくてはなりません。しかし、両親を奪った影に復讐することが叶う場でもあります。それを知った高橋了悟の姉、高橋紅は、一人ずつなら引き取れると言ってくれた親戚の誘いを断り、両親が死んだ後、この組織に入りました。これは高橋紅が十七歳のときでした。大学進学を辞めて、高校卒業と同時にここに加入しました。そのときすでにもう、姉の手一人で弟の了悟も養うと決めていたようです。そのためもあってか、紅の活躍は目覚ましいものがありました。今や、団長にまでなっていますからね」
右子は遠い昔をゆっくりと思い返すように、少し目を閉じました。
「了悟はまだ小学生でしたので、さすがにできる仕事がありませんでしたが、姉が苦労しながら自分を育てようとしてくれるのを間近で見ていましたから、なんとかして自分も役に立ちたがっていました。数年は小学校に通っていましたが、学校に行くことより、少しでも姉のように働きたがり……見かねた紅がなんとか便宜を図り、了悟にも役目が割り当てられました。それが、先ほどから私が申しております綺紗羅様のボディーガードですね。ちょうど、了悟が転校したころの話です。綺紗羅様のおそばにいながら通えた小学校までは、普通に勉強もしていました。中学に上がってからは学校には通わず、朝に綺紗羅様を送り届けてからはイリュージョンランドに戻って剣術の訓練、それが終わったら早めに小学校まで綺紗羅様をお迎えに上がっていました」
なるほど……。
「それじゃあ、これからは? 今まで了悟の仕事は、私のボディーガードと送り迎えだったのよね。ちょうど、私の世話を任せていたけど、それもなくなっちゃったら、これからどうするの?」
「剣術の訓練以外の空いた時間は、おそらくはパチンコ・スロット、麻雀などのギャンブルにあてるでしょう」
「あっ……」
綺紗は、了悟がコンビニに行ったときにパチスロ情報誌を読んでいたことを思い出しました。
「次の仕事が見つかるまで、当面は佐助氏に付いて、ギャンブルで稼いで回ると思います。これまでも、生活するために足りない分をそうして稼いできたようですから。あの年ではアルバイトもできませんし」
右子は、「まあ、本当は未成年のギャンブルも法律違反ではありますが」と、苦い顔で付け加えます。
「どのみち年齢を偽って稼ぐなら、だましている雇い主と毎日顔を合わせるようなアルバイトよりも、客として店を転々とするほうがまだやりやすいのでしょう。幸と言いますか不幸と言いますか……、佐助氏は力量としては一流です。運送業を営んではおりますが、実質ギャンブルで食べているプロで……」
右子が、何か言いたげな顔でこちらを見ていました。綺紗が顔を上げると、ぽちゃっとほっぺたになにやらぬるく流れるものがありました。――自分の目からこぼれ出た涙でした。
「わ……泣いて……私、ごめんなさい……」
あわてててのひらで拭おうとすると、すっと純白のハンカチを差し出されました。綺紗は、ありがたく受け取ろうとしましたが、
「ありが……と?」
右子は自分から差し出したハンカチを握ったまま離しません。その代わり、なにか感情を押し殺したような声で、こう提言しました。
「綺紗羅様がご命じになられれば、私はいかなる罰もあの者に与えますが」
「へっ?」
思いつめたように、右子はじっとこちらの両目を正面から見つめます。
「組織への手続きなど必要ありません。わたくしは綺紗羅様に仕えております。そのことによって罰せられても、綺紗羅様の望みをかなえることができるのなら私としては本望でございます。ただ一言、やれとおっしゃっていただければ、私は綺紗羅様にこのような傷を負わせた高橋了悟をいかようにも始末いたします」
右子の瞳は本気だった。
「そんな……右子?」
「姫様を傷つけるものは、厳罰。泣かせるなんて、論外です。姫様に頼まれれば、私が高橋了悟など……」
綺紗には右子がどういう理由でここまで自分に尽くそうとしてくれているのかわかりませんでした。まったくの想定外の出来事です。しかし、大人に本気の目で見つめられると、もうその言葉は本当に起こる未来のできごとなのだと感じました。わずか齢十もない、綺紗の目の前に、あらゆる可能性がたたきつけられました。綺紗を泣かした了悟を、激高した右子が、追いつめる光景。
「いいえ……始末なんてものは、しなくていいわ」
綺紗の乾かぬ涙の行方を、右子は自らが泣きそうな目で見つめていました。
「この目で見なくちゃ。リョーゴのこと、ぜんぶ」