やり方は、三つの手順を守るだけ
了悟のことを含め、あれから、綺紗の周りの環境はめまぐるしく変わりました。
まず、綺紗は完全に城の中だけで暮らすことになったのでした。外には影がいて、特別な力を持っている綺紗は襲われてしまうため、城から出るのは危険なままです。城から――最高でもイリュージョンランドの中から一歩も外に出られないということで、今まで通っていた小学校にも通えません。右子が転校手続きを取ってくれて、綺紗はとある私立の小学校に転校したことになりました。しかしそこに通うわけではなく、所属している小学校の肩書が変わっただけで、実際には城の中で家庭教師とお勉強です。午前中に力を送るトレーニングを行い、午後は学校の勉強の時間でした。
トレーニングはそんなに難しくはありませんでした。いくつかの決まりごとを覚えて、それをしっかり守って集中します。
まず、城の隣にある大聖堂に移動します。そこは一階はイリュージョンランドに遊びに来たお客さんが楽しめる、教会をモチーフにしたアトラクションとなっているのですが、上の階に上がれる階段はどこにもなく、お客さんは入れなくなっています。綺紗たち関係者は城から直接つながっている渡り廊下で二階から入ることができます。
そこは静謐な空気を内包した広場になっています。外から見ても、聖堂の素敵なアクセントになっているステンドグラスが、淡く鮮やかな光を落す、全体的にアンティークな感じの漂う場所です。神官の案内で、毎回綺紗はそこへ足を踏み入れます。神官は、丸メガネをかけた、やせた白髪の老人で、そでとすその長いほとんど全体が白色の服を着ています。またそこでは、綺紗の世話は、メイドではなくシスターと呼ばれる若い女性がしてくれます。頭にうすいベールをまとっていて、白と黒の色合いのシンプルな洋装の彼女らの手によって、綺紗も華やかなドレスから、真っ白なワンピースに替えられます。特殊な素材でできているのか、なんだか変にツヤツヤする、アンティークな雰囲気にはちょっと合わない、どちらかというと科学的な感じのある服です。この広場は大きなガラスに隔てられていて、向こう側は、飛行機のコックピット内のように、複雑怪奇な機械が山のように置かれている場所でもありました。そこには、神官やシスターの着ているような服ではなく、白衣を着た科学者たちがわんさか集まって、綺紗の心身の状態を、液晶画面や立体映像で表示させた、グラフや表や数値などで計っています。
聖堂の中央には、青色のクリスタルのようなカプセルがあります。これはブルーパワーインバーターという名前で、綺紗が神様から授かった力を、騎士のみんなが使えるエネルギーの形に変換する装置らしいのでした。正方形のカプセルで、ドアはありません。綺紗が近付くと、音もなく壁に四角く空間が開きます。自動ドアではなく、消滅ドアというそうです。綺紗がそこに入りこむと、空間は無くなり、なにもなかったかのような壁になります。綺紗ならば、どの面からでも入れます。
その中で綺紗は力を送ることになるのですが、そのやり方は、三つの手順を守るだけなのでした。
①勝手になにか物事を考えないで、言われた通りの想像をする
②憂鬱感に襲われたら、とにかく深呼吸し、これは一時的な夢だと自分に言い聞かせる
③自分に力があることを信じ、疑ったりしないこと
これをしっかり守ればいいのです。カプセル内に流れてくる指示のアナウンスの通りに、たとえば「お友達に囲まれてバースデーケーキのろうそくを吹き消す瞬間などを思い出して、幸せな気分をイメージしてください」と言われたら、自分の家で誕生パーティーをやったときのことを思い出し、せいいっぱい幸せな気分になろうとします。「テストで自分だけひどい点数を取ってしまったなど、劣等感を感じた時のことをイメージしてください」と言われたら、今までで一番最悪な、理科のテストで二〇点を取ってしまった日のことを思い出します。だいたいが、綺紗の経験したことのある感情のイメージを、具体例つきで求められるので、そんなに難しいことではありません。ただし、おなかへったなあ~とか、余計なことを考えると、カプセルが判断してエラーを出し、アナウンスに「集中してください」と注意されてしまいます。やっていることは、役になりきる演技派女優の撮影みたいなものですが、これは本当に心からその感情に浸らねばなりません。女優だとすれば、本人が役に浸っていても、観客が見てその感情が伝わってこなければならないのとは逆で、このカプセルでは、外から見たときは何もしていないように見えてもいいから、本人の心の中は言われた感情に浸らないといけないのです。やっかいなのはそこでした。うまくその感情を引き起こせないときは、カプセルの中で実際に演技をしてみるなど、自分ひとりの体だけを使ってならどんな方法でもいいから、言われた通りの感情をなんとか引き出さなくてはなりません。そうでもしないとエラーが起き、さらに、猛烈な絶望感に襲われてしまうのです。あの中にいると、高い熱を出したときにうなされて見る悪夢のような、この世の嫌なこと気持ち悪い怖いことをぜんぶごちゃまぜに煮込んだなべの中にいるような、そんな……絶望的な気分になることがありました。そうなってしまったときは、いったん何もかも忘れて、深く深呼吸し、心を落ち着けねばなりません。綺紗は、この感覚にどうしても慣れないのでした。