姫様になるってこういうこと? 私は認めないわよ!
「高橋了悟は、まもなく参上するとのことです。お部屋の中で、しばしお待ちを」
部屋の前までつくと、心の中を読んだかのように、右子にそう言われてしまいました。どうやら、了悟はまだ来てはいないようでした。期待した分、残念な気持ちになりましたが――
わあ……っ!
右子がしずしずと、大きな両開きのドアを開けると、広い夜景が目に飛びこんできました。部屋の壁が一面ガラス張りになっているのです。綺紗は思わず部屋に飛び込み、ぺたっとガラスにくっつきます。壁が一面ガラス張りで、眼下にはイリュージョンランドを一望できました。迷ってしまうほど広いイリュージョンランドも、まるで模型のように小さく全部見えます。自分はジェットコースターより観覧車よりずっと高い位置で過ごすというのです。
ようやくふりかえり、部屋もぐるっと見回します。
もともと、綺紗の家は広かったのですが、この部屋はそれ以上でした。複雑ながら上品な模様の描かれた、暗い茶色のじゅうたんの上には、二、三人がゆったり座れるような花柄のソファが置いてあります。部屋のすみには、手頃な高さの台の上に、草花が活けてありました。古い感じの花瓶は、骨董品でしょうか。もしも割ったりしたら、弁償するために一生タダ働きしなくてはならないような緊張感があります。
「部屋の中まで、テーマパークの雰囲気そのまま……」
アンティークな部屋の趣に唯一合わないのは、ソファの前、部屋の中央奥にある大型液晶テレビぐらいです。空気感を壊してでも、ここで過ごしやすいように設置してくれたのでしょう。テレビの下の、これまた古い感じの開きには、時代錯誤なDVDやブルーレイプレーヤー、はたまたWiiやプレイステーションの最新版までもが用意されていました。
「すごいわ!」
「お気に召していただけたでしょうか」
「ええ! もちろんよ!」
きっともうすぐ来る了悟もやりたがることでしょう!
「どうぞ、寝室にもぜひ足をお運びください」
案内する右子に、うきうきしながらついていきます。ドアを開けると思ったら、その隣の、
「え、なにこれ?」
大きな柱――いや、クローゼット? 右はじにはボタンのようなものが付いています。これは柱ではないようで、右子はそれに近づくと、ボタンを押しました。とってのない扉が、チン、とベルの音とともに左右に開きます。中には、なにもない小さな空間がありました。
「こちらは、エレベーターでございます」
なんと、寝室に行くのに、わざわざ廊下に出なくても良いように、部屋の中に小型のエレベーターがついているようです。
「親切ね……」
綺紗と右子が中に入ると、もうそれ以上の人はのせられないといった小さめサイズでしたが、一応自分専用のエレベーターということらしいので、問題なさそうです。
チン! というだけのシンプルであるがゆえに上品なベルの音が鳴り、また扉が開きます。
エレベーターを出ると、またちがった部屋が目の前に飛びこんできました。
「わ……ぁ」
静寂。
神秘。
そんな言葉が似合う部屋。寝室。さっきまでの部屋を〝太陽〟とたとえるなら、こちらは〝月〟です。足元を照らす最小限のライト以外は照明がなく、気持ちを落ち着ける空気がただよっています。
天井は体育館以上の高さにあり、三角帽子の内側のような、立体的でふしぎな形をしていました。寝室が真の最上階ということで、とんがったお城のさきっぽなのでした。よくみるとそれは透明で、ガラスの張った格子の向こうに、いくつものきれいな星が見えました。
「すてき……。プラネタリウムみたいな部屋……」
綺紗は幻影城のてっぺんの屋根はクリスタルのように輝いていたことを思い出しました。その中はこういうことになっていたのです。綺紗が口を閉じると、あたりがしんとし、星がまたたく音さえ聞こえてくるようです。ベッド以外何もなく、天井も高いせいか、だだっ広く感じます。敷地的には、下の部屋と同じはずですが。
ベッドは、神社のほこらを祀るかのように、部屋の中央奥にありました。クラシックな装飾をされた天蓋がついていて、中に眠る主人の姿をそっと隠すように、うすいカーテンが下りています。
「天蓋は、取り外すことができます。夜空を見てお眠りになりたい場合は、お申し出くださいませ」
右子にうなずいて、綺紗はとりあえず――、ベッドにダイブするように飛びこみました。ぼふーん、ぼふん、とスプリングがちょうどよく効いて、綺紗の全身を宙へはねかえします。
はあ……ふかふか……。
いやされる……。
何分ぐらいそうしていたでしょうか。
「恐れ入りますが綺紗羅様。ご私室に高橋了悟が参りました。お待たせいたしました」
がばっ。
右子の声に、綺紗は猛スピードで顔をあげました。
「それってどこ!?」
夜空の星を吹き飛ばせるかのような大きな声が出ました。
「さきほどのソファなどのある部屋のことでございます。どうぞ」
エレベーターの扉をボタンを押して開けたまま、右子が待っていてくれます。綺紗はベッドに寝転ぶのをやめ、じゅうたんのしかれた床にぴょんと飛びおり、ほどけかけていたドレスのリボンも結びなおし、髪もなでつけておさえると、エレベーターに急いで乗りこみました。
ようやく、ようやく会えます。
言いたいことは山ほどありました。なにから言おうか――言いたいことぜんぶが一気に出口におしよせて、今すぐ思いつきません。
もういいや、とにかく、とにかく会いたい。
会って、「不安だったろ」って頭をなぜてくれたらそれでいい。
リョーゴ――!!
チン、とエレベーターのベルが鳴り、ソファのある部屋――私室に着きました。
トントン。
みはからったように、ノックの音がします。綺紗は叫びました。「どうぞ!」
「失礼いたします」
了悟の声です。綺紗は大きな扉に駆けよりました。綺紗がそばによると同時に、がちゃっとドアが開き、見慣れた高身長の影が自分に落ちます。
「わっ……?」
そこには、額やほおに包帯を巻いた、了悟が立っていました。足をひきずったように見えました。
「だ……大丈夫!?」
さきほど襲われた傷を手当されたのでしょう。痛々しい姿でした。
「ごめんなさい……来てもらうんじゃなくて、私が行けばよかったかしら……」
綺紗はソファに座ってもらおうと道を開けますが――
「平気です」
了悟はそういうと、にこっとさわやかな笑みを浮かべたまま座ろうとしません。それはもう、キラキラとした光が見えるかのような笑顔です。タバコのヤニで黄色い歯もぴかーんと光った気がします。
え?
なんてさわやかな……笑み?
「綺紗羅様がお呼びでしたら、たとえ地の中水の中。最上階でもどこへでも、私が向かいましょう」
「そ、そう……!」
綺紗は、ちょっと驚きながらも、リョーゴは不安いっぱいの私をいつもの冗談で和ませようとしてくれたのだと思い、
「殊勝な心がけじゃないのっ」
と、自分もせいいっぱいおどけてみせました。了悟が「なーんつってな。キサが綺紗羅様とか姫様とか……ギャグかっ! ははは」とかなんとか笑ってたくさんバカにして、ぽかんと叩いてツッコミを入れてくるのを、近くに立って待ちましたが、
「お褒めの言葉を、ありがとうございます」
……。
まだ続けるようでした。
「み、見て? このドレス。ちょっとだけ大人っぽいところが、私に似合っているでしょう?」
綺紗はくるりとバレリーナのように一回転して見せました。
それを見た了悟は――
「はい。とてもよくお似合いです。まさしく綺紗羅様のためのドレスですね」
――満足げにほほえんでいます。
……。
…………。
「ちょ、ちょっと……! 調子くるうじゃない。もう。この状況でお姫様ごっこなんて冗談、やりすぎよ! 反則よ! ずっと一人にさせといてこんなの……たえられないでしょう、ばか!」
綺紗はうっすら浮かんでくる涙をこらえながらとうとう怒ってぽかぽか叩こうとすると、了悟はさっと身を引いてよけました。
「リョーゴ……」
綺紗は立ち止まりました。
了悟が傷を殴られまいとよけたのならまだよかったのですが、
「ひ、姫様、申し訳ありません……」
そのよけかたは――神聖なものに、自分がふれてはまずい……とあわてたようでした。
ホントに、やだ……
どうしちゃったの?
ようやく綺紗は、了悟がふざけているわけではなく、どこか様子がいつもとちがうということに気がつきました。
「ねえ、ちょっと、どういうことなの……?」
動転する綺紗に、了悟は少し切なげな顔をして言いました。
「……せっかく姫様のほうからお呼びいただいたのですが……、私のほうから話をさせていただいても、よろしいですか」
丁寧な言葉づかい。常にあるさわやかな笑顔。綺紗のことを見つめる視線。
そのすべてが、今までと別人のようです。
「い、いいけど、その、気持ちの悪い話し方と、似合わない笑顔をやめてくれるのならね!!」
それでもまだ綺紗は、もう一度そうおどけて言いました。
「あ……いえ、そうですね。そのことで、私は謝らなくてはならないことが、ございます」
しかし、返されるのは、綺紗を押しもどすようなやんわりとしたほほえみを添えた、困惑気味な顔でした。
なに? ……なんなの?
そんなふうにして……何を話そうっていうの?
「私はこれまで、綺紗羅様の大切なお体をお守りするお役目をあずからせていただいていました」
「……」
「任務遂行のためとはいえ、綺紗羅様に本来あってはならないなれなれしい口のきき方をいたしてきてしまいました」
「……」
「この場にて謝罪し、二度といたしませんと、お約束します」
了悟は、まるで卒業式にするときの礼のように、深々と時間をかけて一礼しました。
「意味が、わからないわ」
あまりに礼儀正しく頭を下げているこの高橋了悟の口から発せられる、意味不明な言葉。
「あ……、頭を、上げてよ……。もっといつもみたいに、ふつうに、しゃべって……」
了悟は静かに顔をあげ、まっすぐ立ちましたが、その顔に美しい笑みは消えていません。
「申し訳ありませんが……それはなりません。綺紗羅様は、神様の御子です」
………………何よそれ!?
「待って、待ってよ! いまさら何よ! ……そんなのおかしいじゃない。今日、さっきまで一緒にバイク乗りまわしたり、買い食いしたり、立ち読みしたりしていたの、忘れたわけじゃないでしょう? 今、ここにいるリョーゴは別人なの?」
声を荒げる綺紗に、了悟は少しあわてたように首を横にふります。
「いいえ。そういうわけではありません」
「しかし……綺紗羅様は本来なら、生まれたその瞬間からこちらでお暮しになるべき方でした。ところが、力の発現には、環境が大きく関わってきます。そのために、このことは極秘にさせていただき、ふつう一般的なお暮しをしていただいていたのです。おそれながら私も、綺紗羅様とまるで友人であるかのように接せさせていただいておりました……。こうして本来の生活に戻られた今では、今までの通り接するなど、――とてもとても、おそれおおいことでございます」
なにを、言っているの……?
綺紗はあまりのことにそれ以上言葉を失い、金魚になったように口だけがぱくぱくとむなしく動きました。了悟はさらに続けました。
「むしろ――別人なのは、今までの自分でございます。神の御子と知りながら、失礼なことばかり申してしまって……。今はただただ、深い謝罪の気持ちでいっぱいです」
心から詫びるような、そんな表情。
見たことがない顔。
「コウさんは、私に変わらず優しくしてくれたわよ? 言葉は敬語だったけれど……」
「私は……綺紗羅様のご成長を見守る役を仰せつかったとはいえ、同じく姫様を見守らせていただいていた団長である紅とはちがい、一介の、ただの騎士ですので……」
綺紗は、パニックになりそうなのをこらえながら、必死に了悟の言うことを頭の中で理解しようとしました。
了悟は、謝ってるのよね……。
なにを?
今まで、私が神様の力を持っていた――早い話が神の子ってことを知りながら、友達みたいにしゃべってたことや、頭なぜたりしたことや、一緒にいたことを。
はあ!?
そんな謝罪、別にいらないわよ……!
じゃあ、じゃあ……?
あらゆる疑問が、頭の中で暴れます。
今までの了悟は、嘘だったの?
ずっと友達だと思っていたのに、それは仕事上接してくれていただけだったの?
あんなにも楽しそうに笑っていたのは、私が実は神様の子で、了悟はそれに仕える騎士だったからなの?
「まさか……?」
でもこうして思えば……心当たりはあります。
中学生の了悟が小学生の綺紗と、登校時だけなく授業をサボって昼寝していた、などと言って下校時もいつも毎日一緒にいたのは、神の子である綺紗の身を危険から守るため――ボディーガードの仕事の一環だったと言われれば納得できますし、「本当は真面目なんじゃないか、わざと不良ぶってるんじゃないか」と思うようなしぐさも、その嘘を信じこませるために真面目に不良ぶっていたとするならばそうかもしれません。
いつも綺紗のことを気にかけてくれていたことも、綺紗が落ちこんだり泣いたり危ない目にあったときは、必ずそばに駆けつけてきてくれたことも、
綺紗が、神の子だから?
守ることが了悟の仕事だから?
「申し訳ございません」
「まだ……信じられない……」
けど、信じられないけど、――目の前にいるリョーゴは、告げているのです。
“まるで友人であるかのように接してきた”
つまり綺紗に、「自分はあなたとまったく友達ではなかった」と。
そんな残酷な真実を、嘘のような笑顔で。
綺紗が頭の中でこのことを整理する間、
了悟はそのまま表情を変えずに、直立していました。
どれほど長い沈黙があったでしょうか。
しんと静まり返った部屋の中、
「いやよ……こんなの、認めないわ……」
「綺紗羅様……」
しばらくそのまま向き合っていました。
「ばっかじゃないの!? 何が綺紗羅様よ! 仕事だった!? そんなの、信じられるわけないでしょう!?」
しかし、そうしたところで了悟は困惑と沈黙を繰り返すだけです。綺紗は、大きくため息をついて「もういい……」と怒り混じりに言い放ちます。
「リョーゴ!」
「はい」
了悟は、それまで時を止めていたかのように、体を少しも動かすことなく返事をします。
「下がってちょうだい。こう命令すればいいんでしょう?」
「はい」
そしておもちゃの兵隊のごとく、くるりと踵を返し、命令に従います。
「失礼いたしました」
扉の前でこちらを向き、胸に手を添えて、あまりに美しく一礼。
音を一切させず、静かに丁寧に扉を閉め、去っていきます。
綺紗は自分の胸に手を当てて深呼吸し、一度クールダウンしてから、
「右子!」
紅がやっていたみたいにどこへともなく呼びかけました。すると、瞬きをする間におかっぱメイドの右子が、メイドドレスのスカートを軽く持ち上げて礼をした姿のまま現れました。
「はい、綺紗羅様」
「ちょっと、お願いしたいことが……あるんだけど!!」