二十話 家庭教師
「君には家庭教師をお願いしたいんだ」
「はぁ?」
ヴァルハラの一室。客室の数自体は山ほどあるが、使える部屋は少ない。必要なものが何一つおかれていないからだ。
今回はライラのためにと調度品を作り上げることとなった。それがいかに人類の使う魔法の根幹と違っているかと語られたのだけれど、全部聞き流したので気にしない。
それはさておき、僕がライラをこの迷宮に残したのは理由がある。今回はその理由を説明し、承諾を得るのが目的となっている。
調度品を仕上げたあと、僕はライラの部屋に一人でお邪魔した。強力な魔物を控えていては、落ち着いて話も出来ないだろう。
「正直なところ、僕は世情に疎いんだ。なにせしばらくの間引きこもっていたからね」
「その話だったら、私のパーティーの皆に調べさせてるじゃない。それでも満足できないの?」
ライラの言う通り、僕は同じことを二重にしようとしているように見えるだろう。しかし、これにはキチンとした理由が存在する。
「僕の言う世情に疎いっていうのは、おそらく君の想像よりも遥かに酷い。いっそ無知と言っても過言ではないくらいにね。物事を理解するには、まず下地がいるんだ」
僕の言葉に、ライラは渋い顔をする。それはそうだ。もし僕のいっていることが本当だとしたら、僕の頼みを聞くことは人類の敵を育てることに繋がる。
「っ……!」
しかしながら、ライラに断るという選択肢が残っているかと聞かれたら、難しいところだろう。ここは敵地のど真ん中。その上、未知の敵が四人もいるのだから、断るとしたら生半可な覚悟では出来ない。ともすれば、彼女に残されている選択肢は――。
「わ、分かったわよ……」
彼女は震える声で承諾の意を返す。当然だ、彼女にそれ以外の選択肢は残されていないのだから。
「わぁ、ありがとう!」
僕は自然な笑顔を作り、お礼の言葉を述べる。それを見たライラは安堵の息をつく。
僕には分かっている。これが自分の身の安全が確保されたものからではなく、計画の第一段階が無事に達成したことからだと。
「それじゃあ、いくつか契約をしようか」
声のトーンを落とし、冷徹に、凶悪に聞こえるよう意識して声を出す。その一言に、ライラの顔が凍りつく。
「契約内容は今から言う通りだ。
一つ目、僕に嘘の内容を教えないこと。
二つ目、無意味に理解しづらくしないこと。
三つ目、無意味に教える期間を遅延しないこと。
以上三つのことが守られなければ、ここで幸せな暮らしは期待しないでね」
無論、これは魔法的な制約は設けていない。《契約》での締結が行われていないことが何よりの証明である。
さて、僕が魔法によって契約しなかったのには理由がある。
一つ目は、嘘を教えた場合、すぐに嘘だと分かるからだ。確かに僕はライラに常識やら魔法やらの基礎的なことは教えてもらうけれど、他の誰にも教えられないわけではない。なにか間違ったことが教えられれば、少なくともシェリーが気が付くことになる。
二つ目は、ライラへの精神的なプレッシャー。仮に、先程の内容を魔法で契約した場合、遅延などは客観的な視点から観測される事となる。しかし、魔法による契約でなければ、強者の基準での決定となる。即ち、僕が不満だと思えば、ライラがどれだけ能力を尽くしたところで、契約を反故にした事になる。
三つ目は、破ったのならそれはそれで利用方法があるからだ。そもそも、何かあった後のことを考えられないのなら、こんなことは言い出さない。
そんなあくどい理由から、《契約》によって絶対性を持たせなかった。どう転んでも旨みがある契約に、無駄なリソースを費やすなんて馬鹿げているからね。
僕の言葉を聞いたライラは完全に怯えきっている。僕の言葉が自身の生きていく術を立つものだとわかったからなのか、それとも自身の考えが完全に読まれていると思い、これからの未来に絶望しているのか。
まあ、どちらにしろそんなことはないけど。
「まあまあ、そんなに怯えないでよ」
僕は敵対心を少しでも和らげるように、人好きそうな笑みを浮かべる。しかしながら、たったそれだけのことで怯えきった人間が落ち着くはずもない。ライラは腰掛けているベッドに上ると、立ち上がることすらしないまま、ベッドの隅まで移動する。
僕はそんな様子のライラにため息をつきながら、先程までライラが座っていた部分に腰掛ける。
「こんな風に言ってはいるけれど、僕は君の事を丁重に扱いたいと思ってるんだ」
「な、何を言ってるの」
「これから長い時間を共にしなければいけないんだ。ギスギスした関係なんてごめんだよ」
僕はそう言ってベットの奥に逃げたライラに笑顔を見せる。
この言葉が信用に足りるのかと言われれば、僕は間違いなくノーと答える。しかし、今のライラにはそれを考えられるほどの選択肢は与えられていない。
「…………」
「さあ、今日はもういい時間だし、寝ることにしよう?」
硬直するライラを放置し、ベッドから立ち上がる。何かを言おうとしている気配は感じ取れたものの、口に出している訳でもない。それに、彼女には頭の中を整理する時間が必要だ。
「おやすみライラ」
僕はドアを開け、そのままライラの部屋を後にした。
―――――
「おやすみライラ」
彼は別れの言葉を告げると、本当に何もせずに部屋から去って行った。
「……はぁ」
私は疲労からベッドに倒れこむ。転がった先は、私の考えている以上に体を優しく受け止めてくれた。
迷宮の外ではありえないほど、質のいいものだ。
「……皮肉な物ね」
迷宮の外では、自身の仲間が血を吐くような思いで彼の命令を聞こうとしているだろう。しかし、危険な場所に置き去りにされた私は、予想に反して誰よりも安全な場所で、誰よりも良い暮らしを満喫している。
《契約》を施された、小さな仲間を思い出す。あの小さな体に、現実を受け止めきることは来たのだろうか。あのパーティーのなかで、あの娘の姉の様に支えていたというのに、私はその場にいることができない。それどころか、あの娘の重荷となっている。
その事実が余りにも悔しくて、唇を噛む。
私は、ここで何ができるのだろうか。私は、私は、私は。
「私は、あいつを殺すべきなのかな」
「それは見過ごすことはできませんね」
「――っ!」
声の主は、波が揺蕩うように空間を揺らしながら、ぼんやりとその姿を浮かび上がらせた。
「あなたは……」
「クリス、です。しばらくの間、共に御主人様に仕えるものとして御挨拶をと思ったのですが」
まずい、失敗した。彼の歓待と、環境の良さ、そして安堵からここが敵地のど真ん中であるということを忘れていた。それも、害意を寄りにもよって精霊に聞かれるなんて――! 私の体は、思わずその場から飛び退こうとしていた。が、背後は既に壁。逃げる先などどこにも無い。
そんな私の様子を見たクリスは呆れた表情を浮かべて言葉を続ける。
「御心配なさらなくても、私は最も近い種が精霊であるというにすぎません。厳密に言うのであれば別物です」
精霊は、人間とは違う。最も違うのが、価値観だ。
精霊は、個体ごとに確固たる価値観をもっている。魔力が収束し、精霊となるのには途方もなく長い年月がかかる。魔力は変質しやすい。が、それをもってして生まれた精霊は、反面教師にしたように何物にもなりえない。既に完成した存在として生まれ出でるのだ。
そして、何かに仕える精霊というのは、仕えるだけの確固たる価値観をもっている。多くの場合、そういった精霊に対して主人の暴言や害意を浴びせるのは、自身の寿命を大きく削る行為となる。
しかし、幸いにも目の前の彼女は、そういった価値観を持ち合わせていないようだった。
「ですが」
クリスは、安堵した私の目を見つめ、睨みつける。感情が荒ぶり、精霊たる体から魔力が風の様に吹き荒れる。
「御主人様に仇なすというのであれば話は違います。全霊をかけて、私たち使い魔で貴女を始末いたします」
呼吸が詰まり、首を絞められているのかと感じるほどの圧迫感。それが、彼女の怒りを如実に表している。声を上げることもできず、私はただうなずくしかなかった。
「分かっていただけるのであれば結構です。それでは、私はこれにて失礼いたします」
クリスはそう言うと、その場に魔力を霧散させると同時に、自身も霧が晴れるように消え去っていった。
「……っは、あぁ」
私はベッドに倒れこむ。ああ、この動作も二度目だ。全く嫌になる。
「心臓に悪いわよぉ……」
もう嫌だ。寝る。寝てしまおう。私が悪いんじゃない。こんなにも恐怖と安堵感を繰り返し与えてくるこの迷宮が悪いんだ。
―――――
「失礼します」
「はいはい」
部屋に、ピンポン玉が弾けるようなラップ音が響く。クリスが転移して来る際、ノックを行うことができないので、代わりに部屋になにかしら音を立ててから転移するようにと言い含めた。その結果、僕の自室では怪異現象が起きるようになったのである。
僕はベッドに腰掛けたまま迷宮の書から顔をあげ、クリスの方へ向き直る。クリスは真剣な表情でお辞儀をすると、真面目な表情で喋りはじめた。
「先ほどあの女性……ライラと申しましたか、あの者の部屋に行ってまいりました」
「ふぅん? なんでそんなことを?」
「これから御主人様に共に仕える者として、御挨拶をと思いまして」
彼女の行いはいささか不用心だ。確かに僕は彼女にいろいろと手を回して、反抗心を少しでもそぎ落とそうとはしたものの、それでも彼女は獅子身中の虫なのだ。
「彼女が御主人様に害意をもっているようでしたので、ご報告を」
「ああ、そんなことか」
僕はため息をつきながら、優しい目でクリスを見る。
「それは分かっていたことだからいいんだ。で、それ以外は?」
「い、いえ、特には御座いません」
「そっか、それならクリスも休みな」
明日は明日でやることがある。その為にも、全員の体調は万全でなくてはいけない。
「分かりました。失礼いたします」
「はいはいー」
僕は迷宮の書を見やり、後ろ手でクリスを見送る。背後から光が漏れ、そして消える。クリスは自室へと戻ったようだ。
それを確認した僕はページをめくり、迷宮の書の、淡く発光する文字列をなぞる。
「『別世界の俺に宛てる』か」
僕は舌打ちをし、そのまま迷宮の書をその場に置く。そのままベッドに体を預け、まどろみへ沈んでいく。




