十三話 ツンツンクリス
「さて、それらの事を踏まえまして、迷宮主様のもう一つの役割についてご説明いたします」
ナビゲーターさんはそういうと、先程まで放置していた迷宮の立体映像をチラリと見る。
「迷宮主様のもう一つの役割である、迷宮の管理運営についてでございます。
そもそも、何故そんなことをしなくてはならないのかという部分について。単純明快、そうしなければ迷宮主様は殺されてしまうからです」
僕はあまりに予想通りの発言と展開に目眩がした。いまさらながら、心のどこかでそんなことはなくあって欲しいと願っていたのに。
ナビゲーターさんはそんな僕を無視して説明を続ける。が、シェリーは僕が涙目になったのに気が付いてくれたのか、さりげなく横に立ってくれる。
不覚にも泣きそうになったが、シェリーの口から垂れるヨダレで正気に戻った。忘れてたけどシェリーはムッツリ変態だった。危ない危ない。
僕は冷静になった頭でとある疑問を思い付く。
「さっき、迷宮は世界に必要なものって言ってたよね。それと、魔力単体で放置しておくと危ないって話も」
「いたしました」
だとしたら、話に矛盾が生じるのではないだろうか?
「そんなものを運営している相手を殺すなんて、どう考えても合理的な判断とは言えないんだけど」
色んな目に見えない危険性を排除してくれる存在である迷宮と、その経営者。それらを手にかけるなんて、僕としては正気の沙汰とは思えないんだけど。自分で自分の首を絞めたいのだろうか?
「全くもってその通りでございます」
「だったらなんで?」
「その答えに関しましては、私よりもそちらの方の方がご存知かと」
ナビゲーターさんはシェリーの方を向く。さすがの変態シェリーさんもこんな場面でよだれを垂らす気はないらしく、真面目な顔で僕に向きなおる。
「いくつか要因があるんですが、まず一つ目として、私は今の話を、人間だった頃も含めて初めて知りました」
「……マジで?」
「はい。少なくとも常識の範疇にはないかと」
ここに来て早速大前提が崩れた。人間はアホなのではなく無知なだけだったのだ。
「ええっと、例えばどの辺りが知らない部分だったのかな」
「ほぼ全てです」
「ほぼ全て」
「ほぼ全てです」
僕は大きく息を吸う。吸ってー、吐いてー、吸ってー、吐いてー。さらに大きく吸ってー。
「なんだよそれ!?」
「なの?!」
僕はラシールが寝ていたのも忘れて、ボリュームマックスで声を張り上げる。分かって欲しい。つーか分かれ。
「何が悲しくて赤の他人の無知が原因で殺されなきゃならないの?!」
考えてもみて欲しい。いい加減何度も何度も命の危機には晒されているが、これほどまでにアホらしいと感じた理由は初めてだ。
ティーダ達の件は吐き気がするが、今度の話は頭を抱えたくなる。
「だったらここまで来た人間には片っ端からこの話を教えてやる! いや、むしろ自分から出向いていく!」
そんな理由で命の危機にさらされるなんて冗談じゃない。必要であれば、教師として教える気だってある。
「それは無理ですご主人様」
「なぜに?」
思わず口調が変になる程度には困惑している。シェリーは、そんな僕を慰めるように、優しい声で話を進めていく。
「この世界において、魔物とは敵なのです」
「まあ、それはそうだよね」
「ご主人様がどういったものを想像したのかは分かりませんが、この世界では文字通りの敵なのです。
世界を作り、それを管理する神々。それらが世界の一部として産み出さなかったのにも関わらず、どこからともなくやって来て、世界を蹂躙しようとした存在。
それが魔物であり、人々の共通認識です」
「事実かどうかは別として、か」
僕は大きなため息をつきながら、玉座へと体重を預ける。
シェリーの言ったことと、迷宮の存在の事を考えると、人々と融和をはかるのは不可能だ。迷宮は世界の敵を次々と産み出す場所であり、迷宮主はそれの管理者。
こんな状況、意識改革でもなければ変えるのは難しいだろう。
ナビゲーターさんは落胆する僕の表情を見ても、眉一つ動かさない。
「ご理解いただけましたか?」
「ばっちりと。運命を呪わざるを得ないね」
色々と運が悪すぎる。いや、突然異世界に飛ばされた時点で分かっていた話ではあるのだが。
「もう一つの理由が魔石です」
「魔石?」
それに関しては知らないなぁ。僕は数秒ほど考えるが、やはり記憶にはない。まあ、シェリーが今から説明してくれることだし、そちらに集中しよう。
「魔石というのは魔力が固形化したものです。魔物の体内や、魔力が多い地域で希に発見され、魔法を使う際の補助や魔導技術の燃料として使用されます。
その価値ゆえに大きいほど効果になり、場合によっては宝石よりも高い価値を持ちます」
魔導技術。また知らない単語だが、これはあとに回そう。
「ん? 迷宮って魔力が多い地域に作られたり、魔物を作り出したりするんだよね?」
「はい、そうです」
「だったら、さっきの理由がなくても、迷宮を崩さないようにしつつ存続させていた方が美味しくないかな?」
延々と表れる宝石の元。そんなものがあるなら、なおさらそこは存続させておきたいはずだ。金に困っているのでもない限りは。
「それに関しては私から」
ナビゲーターさんは僕に近寄り、細くて白い指を僕の胸に当てる。
「迷宮主様がこの迷宮をお作りになる際に、鉱石のようなものが体内に入られたかと思います」
「ああ、そんなこともあったね」
あの時は呆然としてよく分からなかったが、思い返してみれば不思議な話だ。
「あれは魔石でこざいます」
「……ん?」
イマ、キコエテハイケナイコトバガ、キコエタ。
「あれは迷宮核と呼ばれるもので、中身は魔石と同じでございます。迷宮は、他のものと比較にならないほどの大きさの魔石と、外部から吸収した魔力で維持されているのです。
迷宮主が迷宮の心臓であると言う理由は、迷宮主様が体内に迷宮核を宿しているからでございます。あと、それは成長し、それにともない迷宮も巨大化します」
僕はシェリーの方を向き、できる限りの笑顔を向ける。
「面白い冗談だよね」
「ご主人様、現実から目をそらしてはダメですよ」
マジで心が折れそう。
「それでは、これにて説明の序文を終了させていただきます」
「色々助かったよ。ありがとう」
ナビゲーターさんは最初と同じように丁寧にお辞儀をし、顔をあげる。
しかし、体内に魔石か……。僕の人間生活は終わったと思った方が良さそうだ。泣きそう。
「それでは、続きまして私との契約をお願いします」
「……ん? ナビゲーターさんって魔物なの?」
「契約は魔物の範疇に収まりません。体液の交換と、私の必要とする魔力の一割を頂ければ契約は可能です」
「へー、そうなんだ」
僕はナビゲーターさんの話を聞きながら、どこかに傷口がないかと探す。僕としては、節操なく口づけで契約するのは避けたいところだし、これだけの冒険をしてきたなら生傷の一つでもあっていいと思ったからだ。
しかし、残念な事に体には傷一つなかった。この前ラシールとの契約に使った傷口はもう塞がっていたし、そもそもシェリーの契約の時には傷どころか腕一つ持っていかれかけたし。
「シェリー、悪いんだけど指切ってくれないかな」
「で、ですが……」
自分で指切るのって怖いんだよね。紙とかで、ふとした瞬間に切れちゃうのは仕方がないけど、自分で自分に傷をつけられるほど強い自制心はない。
シェリーは僕の意図を汲み取ってはくれているものの、僕に傷をつけるという行為に躊躇いがあるらしい。まあ、躊躇いなく傷をつけられるのも嫌だけど。
「ほら、ちょっとなら魔力吸ってもいいから」
「失礼します」
素早い手のひら返しだった。シェリーは僕の指をくわえると、犬歯を指に突き立てる。エロい。
少しチクリとした感覚はしたものの、問題なく傷はできたらしい。しかし、シェリーが指を離してくれない。
「……シェリー」
「ほへんなはい、ほうふほひはへ」
何言ってるか分かんないし。まあ、僕としても安易に魔力で釣ったり、いかにもくわえてくださいという感じに指を差し出したのはいけなかった。変態にはエサを与えすぎてはいけないと言うことを教訓に、シェリーが指を放すのを待った。
しかし、シェリーは一向に指を離さない。魔力を吸ってもいいとは言ったが、指を舐め回していいとは言っていない。というか、僕の精神衛生上非常に良くない。
契約が終了したのは、それから十分後のことだった。シェリーは僕の指がふやけるまでしっかりとくわえていた。エロい。
流石に待たせ過ぎたのか、ナビゲーターさんがとても冷たい目で契約の催促をしてきたので、僕はシェリーの変態観察をやめて契約を終わらせたのだ。
「はい、確かに契約は完了いたしました。それでは、御主人様」
「はい」
ナビゲーターさんが冷たい目をやめてくれない。まあ、自業自得なんですけど。
「私に名前をいただけますか」
疑問文じゃなかった。
「分かったよ」
なんだかんだ言って、僕が了承の返事を返すと、ほんの少しだけ安心した表情を見せる。この人は人間味があるんだか無いんだか。それに、ずっと聞いてなかったけど、種族はなんだろうか?
「そう言えば、ナビゲーターさんの種族ってなんなの?」
「私に明確な種族名はありません。類似したものをあげるのならば、精霊と呼ばれる種族が最も近しいでしょう。人工の存在であるため、精霊というのも違うかもしれませんが」
精霊か。だから半透明だったのか。
ファンタジーな作品において、精霊というものは非常に様々な特性を持つ。それはもう、作品ごとに全然違うと言っていいくらいだ。しかし、それらの作品では多くの場合、なにかを司る存在として扱われる。
まあ、そうだなぁ。だとしたら、ナビゲーターさんの名前というと、アレかな。
「じゃあ、今日からあなたの名前はクリスさんです」
「はい。よろしくお願いしますね、クリスさん」
僕はそう言って彼女に微笑みかける。彼女は、今までほとんど表情変えていなかったというのに、僕が微笑んだ瞬間だけ、満面の笑みを見せた。
あまりに一瞬のその笑顔は儚げで、僕が名付けの際に元にした生物を思わせた。
名は体を表すとは、よく言ったものだ。
―――――
「さて、御主人様」
「どうかしたの?」
僕がリンゴをかじっていると、クリスさんが話しかけてくる。
そう、リンゴである。あの赤くて丸くてちょっと硬くて甘くて種があるあのリンゴである。
クリスさんの名付けが終わったあと、僕は空腹に気づいた。それはそうだろう。徹夜で歩き通して、昼にやっと休めて、長い階段を降りて、その上で長い説明を聞いたのだ。よくぶっ倒れたりしなかったものだと自分でも思う。
それはとにかく、このリンゴはどこから来たのかという話だ。
このリンゴはラシールが作ったものである。
世界樹と呼ばれる上の大木。この木には、世界に存在するありとあらゆる植物の実を実らせることができる。また、ラシールにはその樹木と周辺の地形を操る力もあるらしく、その力によってリンゴを産み出したというわけだ。
それだけではない。僕が知っている野菜や果物の類似品が、この世界にはあるらしくラシールに伝えさえすればそれがいくらでも実るという。
ふふふ、もはや食料問題など恐れるに足らず!
とはいっても、やはり植物を実らせるには栄養分やら魔力やらが必要らしく、本当の意味の無尽蔵で作るのは難しいようだ。
「聞いていらっしゃるのでしょうか」
おっと、全然聞いてなかった。色んなものが食べられると聞いて嬉しさのあまりトんでいた。
「ごめんごめん。で、なんの話だっけ?」
「……以降はこのようなことが無いようにお願い致します。
用件と言いますのは、お食事が終わりましたら迷宮の製作に取りかかって頂きたいのです。死んでもよいと仰るのなら話は違いますが」
……ああ、僕は迷宮主だったっけ。悲しいことに。あと、クリスさん怒ってるでしょ。表情が分かりづらいからイマイチ判断に困るが、怒ってないならこんなキツい事を言うはずもない。
「はいはい、分かったよ。その時には説明をお願いね」
「かしこまりました」
この先に来るだろう頭脳労働の事を考えて、気分が重くなる。あー、リンゴ美味しい。




