十話 世界樹
「とにかく、ここから逃げよう」
「逃げる……ですか?」
「ああ」
僕はシェリーに逃げることに決めた。
仮に村に戻ったとして……ティーダとクラリスが生きていたらどうする? 今度こそ、彼らはもっと確実な手段をつかって僕たちを殺しに来るだろう。そうなれば、村の人達にも危険が及ぶ。
それに、僕たち自身がどうであれ、魔物とそれを従える人間であるのは間違いない。露見したときにどうなるか。そんなこと、知りたくもなかった。
「ここから洞穴までこの子を運べる?」
「問題ありません」
僕はシェリーの返事に頷くことで答え、足元の本を拾い上げる。布地のハードカバーのようだ。しかし、著者も、タイトルも書かれていない。
「ジュンビ……デキマシタ……」
シェリーはスライムの形態になって、少女を背中にのせていた。今は夜中……僕も安全だとは言いがたいが、奴等に近付くよりはマシだ。それに、村に戻ったところで持ってくるべきものなど無い。
「行こう。急げば昼には着くよね」
僕の質問に、シェリーはぷるりと震えることで答える。
僕達は急ぎ足で元の洞穴へと向かった。
―――――
幸いなことに、道中魔物に襲われることはなかった。おかげでそこまで疲労することもなく洞穴にたどり着くことができた。
洞穴は変わらない姿でそこにあった。僕が敷いた木の葉は既に枯れてしまっていたため、必要ならまた集めてこなければいけない。
「ふぅー」
「お疲れさまです」
僕は枯れた木の葉の上に座り込む。乾いた木の葉はパリパリと音をたてて細かくなってしまう。やっぱり、新しいものを持ってこなきゃダメだな。
「さて、そろそろ目を覚ましてくれるといいんだけど」
「……目を覚ましませんね」
さて、僕たちの悩みの種の一つ。目の前にいる女の子だ。
魔王に託された少女で、僕の新しい使い魔。
薄緑の髪は萌えたての木の葉を感じさせる。
体全体に草木をあしらった、これまた薄緑のワンピースを着ている。どうやら僕の使い魔はワンピースが好きらしい。
髪はツインテールに縛られており、頭には百合の花のような髪飾りがついている。花の香りが実際に漂ってくるあたり、生花なのだろう。
「……ドリアードかな?」
「恐らくは」
ドリアード。地球では、ドリュアスや、ドライアドなどと呼ばれることもある。
草木の精霊として知られていて、外敵に襲われたときは樹木などに身を隠すらしい。
僕が知っている限りでは、あまり戦闘向けの魔物だとは思えない。
「どうしましょう。水をかけて起こしますか?」
「いや、流石にそれはどうなのさ……」
シェリーは仲間に厳しいらしい。冗談でないことは、目が笑っていないところが証明している。
それに、僕にはもう一つやらなくてはならないこともある。
「僕はちょっとこの本を読んでるから、シェリーは食べられそうなものを取ってきてくれないかな?」
「分かりました」
シェリーならばその場で飢え死ぬこともないだろう。それに、スライムの体は疲労することもないと言っていた。彼女ばかり働かせるのも気がとがめるが、今はそんなことを言っていられない。
……さて、魔王を使い走りにする奴の本とはどんなものなのだろうか。
僕の今後に関わることらしいと言っていたが、一体どんな内容なのだろう?
まさか予言書のなんて物ではないだろうしな。
僕は馬鹿な考えに失笑しながら、本のページを開いた。
本の中には手のひらほどの大きさの魔法陣が描かれていた。しかし、その濃密さは他のものと比較になら無い。パッと見ただけでは黒く塗りつぶされた円にしか見えないが、中を見れば一目瞭然だ。
僕はページをそっと撫でる。そして、魔法陣に触れた途端、本のページに描かれた魔法陣が発光を始める。
「本書の起動を確認。これより周囲の地形を利用し、迷宮創造を開始します」
「ダンジョンクリエイト?」
なんだこれは。
僕が突然の出来事に戸惑っている間にも、魔法陣は言葉をつむぎ、勝手に話を進めていく。
「地形、森林、洞窟と確認。精霊の存在を確認。形状を『世界樹』タイプとしてダンジョンを生成します」
本がそう言うと、ドリアードの少女が光を発し始める。始めはぼんやりとした光も、少しずつその強さを増していき、次第に直視するのが難しくなっていった。
「地形の造形を開始。範囲内に存在する地脈の専用化を開始します」
茫然としている間にも、事態は進行していく。僕達は光に包まれて、洞穴から追い出された。
洞穴だったはずの場所は拡張していき、竪穴に変化する。
周囲の地形が粘土細工のように流動的にうごめき、見通しの悪かった地形はあっという間に平原へと変化する。
見通しのよくなった平原のなかには、シェリーが驚愕の表情を浮かべていた。その手の中にはいくつかの果実を握っている。
「ご主人様! これは一体!?」
シェリーは僕の元にかけより、周囲を警戒しながら疑問を投げ掛けた。
「分からない。もらった本を開いたら突然……!」
「地形の造形ならびに地脈の固定化を完了。これより迷宮主に迷宮核を埋め込みます」
本が僕の目の前に現れる。まるで、魔法陣のテーブルに置かれるように、真っ赤な鉱石が浮いている。そして、先端部分から僕の胸に吸い込まれていった。
「ご主人様!!」
シェリーの叫び声とは裏腹に、痛みはなかった。それどころか、ここに来るまでに蓄積した疲労までもが溶けて消えていくようだった。
「迷宮主と迷宮核の同一化を確認。最終段階、迷宮主の間の形成に移ります」
シェリーが慌てた様子で僕のもとにたどり着いた頃には、先程の鉱石はすっかり胸のなかに埋没していた。
本は竪穴の真上に飛んでいき、まるで脈動するように明滅を始める。
本の周囲に草木が伸びていき、あり得ない速度で成長を始める。ほんの数分の間で、何もなかった土地は天を突くほどのサイズの樹木へと変化した。
僕とシェリーは二人揃って呆然とした顔で立ち尽くし、ポカンと口を開けてすっかり変わってしまった周囲の景色を眺めていた。
「……ごめん、これは僕の理解が追い付かないや」
「私もです」
「……うぅん、眩しいのね」
僕とシェリーが呆然としていると、横で発光していた少女が目を擦りながら体を起こす。いや、光ってたのは君の方なんだけど。
少女はしなるようにだらしなく体を起こすと、寝ぼけ眼で僕を見つめる。
「ぼー……」
「いやいや、そういうのは口に出すものじゃないから」
思わずツッコミを入れてしまう。僕はどちらかというとボケ属性だというのに。
「……ご主人様なの」
「うんまあ、そうだよ?」
彼女は相も変わらずぷらぷらと体を揺らす。眠たげな瞳で僕を見つめた後、不満そうな表情で僕に声を掛ける。
「名前」
「え?」
「名前がほしいの! ご主人様の使い魔なんだから、そこの娘みたいに名前がほしいの!」
目の前の少女は体全体で不満を訴える。僕としては余りに多くの状況が変化しすぎて訳が分からなくなっているため、一度情報を整理する時間がほしい。欲しいのだが……。
「ごめん、ちょっと待ってね。そうしたら考えてあげるから」
「なのー。名前なのー……」
目の前の少女は頬を膨らませて僕に抗議を行っている。あまりに聞き分けのない行動が気に入らなかったのか、シェリーがその娘のおでこに人差し指を当ててぐりぐりと圧迫する。
「あなたねぇ、ご主人様は見てのとおり忙しいの。少しくらい待ちなさい」
「むー! あなたは名前をもらってるの! 私はもらってないの!」
現状の把握は未だできないが、ここまで不満そうにしている彼女のお願いを聞いてあげられないほど余裕がないわけじゃないだろう。出来れば、落ち着いたところでちゃんとした名前を考えてあげたかったが、仕方がない。
「分かったよ。考えるよ」
「やったなの! さすがご主人さまなの!」
うーん、考えるとはいえ、短時間でそう簡単に思いつくとは思えない。だとしたら、多少方向性があるといいかもしれないな。
「君はどんな感じの名前がいいの?」
「なの?」
「例えば、シェリーは僕の知ってる生き物からとって考えたんだけど、君はそういうのはあるかな?」
彼女は自身のツインテールをふりふりと揺らしながらくるくると回る。なんかこの子を表現しようとすると擬音とかオノマトペが増えるな。見ていて癒される子ではあるんだけど。
「私は世界樹の精霊なの! だから、世界樹に相応しい名前を考えてほしいの!」
……うん、また頭を悩ませる要素が一つ増えた。いい加減この情報過多な状況をどうにかしたいというのに、これ以上情報を増やさないでほしい。まとめきれるじしんが全然無いんどけど。
と、まあそれは別として、今はこの娘の名前だ。
世界樹。世界樹といえば、北欧神話だ。世界樹や宇宙樹と呼ばれる大樹ユグドラシルに内包される世界で起こる物語。事細かに知っているわけではないけど、ざっくりと話すとそんな感じだ。
……思い付いた。思い付いたけど安直なネーミングセンスだ。
「ラシールってのはどう?」
「いいの! 分かりやすくて好きなの!」
彼女が嬉しそうにすると、その周囲の草花が活力を得たように元気を取り戻す。弱々しいわけではなかったが、一目で分かるほど瑞々しいその姿は、ラシールが世界樹の精霊なのだということを再認識させてくれる。
「ラシールは優しいご主人様と一緒で幸せなの! でも、そこの女の人は怖いの……」
「女の人じゃなくてシェリーです! 私だってご主人様から名前をもらったんだからね!」
ラシールの子供っぽい言動に釣られてか、シェリーも怒った猫のように髪を逆立てる。今までと違って感情が表に出ているシェリーは中々可愛いものである。




