第五部 魔法少女新生
あの手紙を受け取ってから、三日後の正午少し前、
私は眼帯と出会った廃工場に向けて、マントを靡かせながら、
湿った土手を歩いていた。
昨日の豪雨からは想像できないような、暖かい日差しを感じながら、
ここ一週間のことを思い出す。
眼帯に会って、落ち込んで、覚醒して、今日のために準備して……
なんて濃密な一週間だったろう。
思えば今までの私の人生は、生きても死んでもいない、
モラトリアムの様なもので、本当に生きていたのは、
僅か一週間程だったのかもしれない。
私の人生は、ようやく始まったのだ。
だが、私の人生が続くかどうかは、この後の実戦にかかっている。
眼帯との対決に負けることは、たとえ肉体的に死ずにすんだとしても、
私という魔法少女の存在が、死ぬことを意味する。
今までの私の人生は全てやり直しが聞くものだった。
負けられない戦いというのは初めてだ。
出来る限りの準備をして来た。なのに、いや、だからこそだろう。
私はかつて無く緊張していた。
先ほどから腋の下は汗ですっかり湿っているし、
心臓の鼓動は、風邪をひいた時のように凄まじい勢いで脈打っていた。
真剣に努力して、準備して挑む勝負とは、
こんなにも緊張するものなのか!
廃工場が近づくにつれ、体から力が抜け、ダルくなってきた。
咽はどうしようもなく渇いて、何度も唾を飲みこんだ。
”落ち着け”
と、幾ら自分に言い聞かせても、体からはますます力が抜けていき、
廃工場の入り口に着いた頃には、体のだダルさはピークに達しようとしていた。
それでも勇気を振り絞り、体を無理やり動かして、歩を進めた。
退くことだけは絶対に出来ないのだ。
門を潜ると、廃工場の中から凄まじい殺気が体に叩きつけられた。
瞬間、体のダルさが吹き飛び、脳内をマジカルアドレナリンが駆け巡って、
体は自然と、戦闘態勢取っていた。
「よく逃げずに来たな」
酒焼けした顔の左目を眼帯で覆い、
頂点に弥勒菩薩象、両脇に赤い羽の付いた黄色いヘルメットを被り、
肩と腰回りにゴツゴツとしたアーマーの付いたピンク色の作業着を纏い、
緑のゴム手袋を着けた手には、
工事現場で使われる様な柄の長いハンマーを持って、
ペタペタとゴム長靴を鳴らしながら、
暗い屋内からヌラリと、奴が出てきた。
眼帯だ。
「……用件は何ですか?」
分かりきっていることだが、一応聞いてみる。
「次見かけたら、コイツで粉々にしてやるって、言ったよな。
だってのに、最近俺の縄張りで、随分楽しく遊んでるみたいじゃねえか」
眼帯はハンマーをこちらに見せつけながら、
「馬鹿な野郎だ。魔法少女が一度ステッキを交えれば、どちらかが倒れるか、
魔法少女から普通の男の子に戻るかしないと、終わらねえ。
全部、分かってのことだよな」
と、吐き捨てた。
私は眼帯の右目を見据えながら
「無論」
短く、はっきりと答えた。
「そうか……覚悟完了って訳だ?
おし、いいだろう。それじゃあ、協会員の方、仕切りお願いします」
眼帯の呼びかけに答え、建物の奥から、
とんがり帽子に黒マントを羽織った、初老の魔法少女が現れた。
魔法少女協会から派遣された審判だ。
非魔法少女的行為があった場合にぺナルティーを課したり、
勝者、敗者、或いは失格の宣言を行う。
他にも魔法少女の受け持ち区域を決める等の、強い権限を持っている。
「コホン、えーではまず決闘の申し込みから始めてください」
審判が促すと、
「雷の魔法少女トール、貴公に決闘を申し入れる」
そう言って、眼帯はハンマーをこちらに突きつけて来た。
「火の魔法少女○○、お受けする」
こちらも負けじと見栄を切った。
「両者の合意、確認しました。では、構えて!!」
審判が片手を大きく挙げる。
私は光り輝くバール状のモノを左手で背負う様に持ち、
右手は炎の魔法の準備の為に腰に置いた。
眼帯は、前に土手ではじめて見た時と同じく、半身の体勢のまま
ハンマーを大きく振り上げている。
「クリーンファイ!!」
「マジカルファイヤー!」
審判員が手を振り下ろすと同時に、私は呪文を唱え、
腰に刺していた小型のビンを投げつけた。先制攻撃だ。
さあ、どう出る眼帯?
眼帯は、こちらに向かいながら顎を引いて、
ビンをメットで受けようとしている。
もちろんこちらから目線を外したりしない。
隙を作らないように、手やハンマーを使わずに対処するつもりだ。
流石に歴戦を謳うだけのことはある。
と 突然
「野郎!」
メットにビンが当たる寸前、眼帯は横へ大きく跳んだ。
ビンの行方を見れば、ガシャンと割れ、半径六、七十センチ程度の、
炎のサークルが出来き、
油の燃える、ツンとした、不吉な匂いが鼻を突いた。
眼帯は二回半回転してから、スクッと立ち上がると、こちらを睨みつけてきた。
「エグイことするじゃねえか」
私の繰り出した”マジカルファイヤー”は、その名の通り火の魔法だ。
ガソリンと灯油をビンに入れて混合し、周りにピクリン酸を塗ったモノで、
繰り出す際に呪文を唱えることで爆発・炎上する。
燃えている布等が付いていない為、一般的な火炎ビンと見分けがつき難い。
並みの魔法少女なら、火達磨になっていただろう。
「流石と言っておきましょう」
私は気取った言い方で、まずは眼帯を褒めた。
同時にバール状のモノをラックに収めると、
腰からビンを一挙に八本取り出して、左右の手の指の間に挟んだ。
「しかし! これは避けられますか?」
両腕を大きく振りかぶると
「マジカルファイヤー・ハリケーン!」
呪文を唱え、眼帯目掛けて一斉に投げつけた。
「チッ」
眼帯は後ろに大きく跳んで、廃工場内部に逃げ込んだ。
ガシャンガシャンガシャンガガガシャンガシャンシャン
先ほどまで眼帯のたっていた、
大して広くない廃工場の入り口付近は、火の海となった。
「アチチチッ」
巻き添えを喰った審判のマントも、軽く焼けてしまっていた。
「逃げてばかりでは勝てませんよ」
何だ、楽勝じゃないか。緊張して損した。
しかし、眼帯も意外に迂闊な奴だ。
屋内ではマジカルファイヤーを避けにくいだろうに。
炎を避けて屋内に入る。
ピチャピチャと音を出しながら床を歩くと、
工作機械の殆んどは隅に追いやられていたため、
すぐに眼帯を見つけることが出来た。
眼帯は、フロア中央に陣取り、
「よくもまあ、何の警戒もせずにノコノコと入ってこれたもんだな」
と、やや呆れたような顔で言った。
「警戒? そんな必要は無いでしょう。負け惜しみは結構です。
降参するか、火達磨になるか、好きなほうを選んでください」
私は手にビンを持ちながら、最後の警告を発した。
「どっちもごめんだな」
「選んでください」
眼帯はつまらなそうに
「床を見てみろよ」
と言ってきた。
床? そう言えば、妙に湿っているな。
「俺は雷の魔法少女だ」
眼帯はゆっくりとハンマーを振り上げた。
すると、
バチンッ!!
ハンマーの先端から青白いスパークが辺りを照らした。
どうやらハンマーの先端には、スタンガンが取り付けられているようだ。
あのスパークの大きさから言って、相当な高出力だろう。
「そして床は水でびしょ濡れで、俺はゴム長を履いてて、
高出力のマジカルスタンガン付きハンマーもあると来たら、
これからどうするか、分かるよな?」
しまった! 追い詰められていたのは私の方だったのだ!
早くこの狭い屋内から出なくては。
私が眼帯に背を向けて、走り出した瞬間、
「リリカルゥー、マジカルゥー、
トォーーーーーールハンマァーーーーッッッ!!!」
眼帯は殺意のみで構成された呪文を唱えると、
水浸しの床に、青白いスパークを放つハンマーを振り下ろした。
パァンだかバァンだかの音が響くと同時に、私の体は硬直して浮き上がり、
視界は、白く強い光で満たされた。
意識が戻って、まず視界に入ってきたは床だった。
一瞬気を失ったようだ。
ゴム長の焼ける匂いが、パシャパシャという音と共に、
こちらに近づいて来ている。
体をまさぐって、武器を探そうとするが、手が痙攣して上手く動かない。
無理に立ち上がろうともがいても、無様に顔から床に倒れこむだけだった。
万事休すだ。
眼帯は、床の上でうずくまる私の背中を踏みつけると、
「勝負ありだな」
気配から察するに、ハンマーを振り上げたようだ。
狙いはもちろん私の後頭部。
体の痺れはまだ取れない。
なんとか手だけでも動かせれば、念のため持って来た切り札が使えるのだが……。
何とか時間を稼がなくては。
その一心で、私は眼帯に話しかけた。
「ちょ、ちょっと待って下さい。審判に審議を要請します」
「何?」
眼帯が、ギロリとこちらを睨む。
怖がってなどいられない。
「とにかく、あなたの非魔法少女的行為について、
抗議したいことがあります。審判、審判、来てください」
眼帯に非魔法少女的行為など全く無かったのだが、
時間稼ぎのためなら、どんな嘘でも言ってやらなければならないのだ。
まだ、あまり痺れが取れず、力が入らないが、
話している間にも、両手を開け閉めして、体の回復を図る。
とにかく、動けるようになるまで、会話を続けよう。
だが
「そりゃあ無利だな」
眼帯は冷たく答えると、顎をしゃくった。
「審判ならそこで伸びてるぜ」
眼帯に示された方を見れば、初老の審判は、
めくれたスカートからちらりと覗く、
レースの眩しい純白のパンティを見せ付けるかのように、
足を投げ出して気絶していた。
恐らく、先ほどのトールハンマーで倒れて、頭でも打ったのだろう。
「……」
もう、駄目だ。
「どうにも締まらねえが、これでお仕舞だな」
やっと体が少しは動くようになった所だったのに。
「じゃあな、偽者。迷うんじゃねえぞ」
え、本当にこれで終わり? そんな、あんまりだ!
眼帯はハンマーを強く握ると、大きく振りかぶって、
私の高等部目掛けて、ハンマーを振り下ろ
「止めて!」
不意に、女性の声が廃工場内に響いた。
入り口の方を見れば、太陽と火炎瓶のあげる炎をバックにして、
中年の女性が立っていた。
「静江……」
眼帯がボソリと呟くのが聞こえた。
無理やり首を捻って眼帯の顔を見上げてみると、
信じられないものを見るように、ただ呆然と女性を見詰めていた。
その時私の体は、少しは動けるようになっていた。
もう少し回復すれば、奥の手を使うために必要な力が出せるようになるはずだ。
「あなた、やっぱりまだここにいたのね」
「……お前には関係ない」
目を潤ませながら話す女性に、眼帯は目を逸らして答えた。
「もう、こんなところに居なくていいの。魔法少女なんて辞めて、
家に戻ってきて」
「男の仕事に、女が口を出すな!」
「旋盤の仕事が見つかったの!」
いいぞ、おばさん。そのまま会話を続けてくれ。
「……」
「和裕の勤めてる会社で、技術指導員の募集があったの。
親父なら腕は確かだからって、上司に掛け合ってくれて、それで」
「今更だ、俺は今の仕事に誇りを持ってる」
よし、右手がちょっとは動くようになってきたぞ。
「意地を張らないで、あなたは技術者よ。
魔法少女なんてヤクザな世界に居ていい人なんかじゃないの」
「こ、この辺りは、俺の縄張りだから、俺が居ないと」
私は、見つからないようそっと、右手を懐に入れた。
「俺が居ないと何? 魔法少女で居ることがそんなに大事?
自分の技術を生かすことよりも、家族と一緒に暮らすことよりも?」
「そ、それは、その」
眼帯が怯んでいる。今しかない!
私は懐のモノを取り出すと同時に、体を回転させて、仰向けになった
「なっ」
「キャア!」
不意を衝かれ、狼狽する眼帯に回転式拳銃を向ける。
私は胸の辺りに銃口を向け、ギュッと目を閉じ、
「マジカルゥーシューートォーーーーーー」
肺の空気を、残らず吐き出す勢いで呪文を唱え、引き金を引いた。
タァン
バキィィーーン
「ああ!」
映画で聞き慣れた、格好のいい効果音とは明らかに異なる、
短く乾いた不快な発射音とほぼ同時に、何かが砕ける音がした。
恐る恐る目を開く。
倒れている眼帯と、駆け寄る中年女性が見えた。
「やった……のか?」
荒い息を吐きながら、私が呟いたその時、
ムクリと眼帯が起き上がった。
まさか、咄嗟にマジカルバリアーを使ったのか?
あんな高位魔法を使える奴がこんな所に居るとは……。
驚愕で暫く動けなくなっていたが、眼帯をよくよく見てみれば、
何かおかしい。
そうだ! ヘルメットについていた、弥勒菩薩像の上半身が無いのだ。
胸を狙ったつもりが、発射の反動で銃口が跳ね上がって、
弥勒菩薩像に命中してしまったようだ。
もう一発だ、今度こそ外さない。
人差し指に力を込める。
弾が眼帯に向けて発射…………されない。
どうしたことかと手元を見れば、完全な空手だった。
反動で、後ろに放り投げてしまったようだ。
しかし、眼帯はまだ上半身を起こしているだけで、隙だらけだ。
この至近距離でも使える”マジカルフレイム”なら、殺れる。
私が背中のホルスターからマジカル殺虫剤、
ポケットからリリカル百円ライターを取り出した所で。
「俺の負けだ」
突然眼帯が、負けを認めた。
「え、何で?」
ポカンとしながら聞くと、
「弥勒菩薩像を壊されちゃあ、もう魔法少女を名乗れねえんでな」
眼帯はそう答えると、優しい笑みを浮かべて、
隣に居る中年女性の顔を覗き込んだ。
「魔法少女は、今日限り廃業だ」
「あなた……」
二人は涙を流しながら、ヒシと抱き合った。
私の目には、何故か感動的で、ポジティブな情景に映った。
「決着が付いたようですね」
何時の間にか、気絶しているはずの審判が、私の後ろに立っていた。
「ああ、そうだ。その兄ちゃんの勝ちだ」
私に代わって、眼帯が答えた。
「分かりました。○○さん、魔法少女協会の名において、
あなたを、この地区を治める魔法少女と認定します」
審判は高らかに勝利宣言を行った。
「おめでとうだ、兄ちゃん。これからが大変だが、まあ、頑張りな。
俺は、堅気に戻るとするよ」
「あなたのお陰で、家の人のも心置きなく引退できます。
本当にありがとうございました」
「いやあ、この地区の代替わりも久しぶりですね。
期待してますよ」
パチパチパチパチパチ
「私の勝ち?」
最初は全く実感が湧かなかったが、三人の拍手を浴びているうち、
徐々に喜びがこみ上げて来た。
「はい、これからも、地域の安全のために粉骨砕身、
努力してまいります」
私は勝ったのだ。ただ単に眼帯に勝ったということではない。
人生に勝ち、人生を開き、自己実現を果たし、現実に勝利したのだ。
パチパチパチパチパチパチパチパチパチパチ
さらに大きくなっていく拍手の中で、私は恍惚の中に居た。
何時までも、この時間が続けばいいと思いながら。
夕日に染まる土手で、私は魔法少女の集団と戦っていた。
ヒュンヒュンヒュン
大量に飛んでくるマジカル手裏剣を巧みに避けると、
バール状のモノを黒覆面の魔法少女の側頭部に叩き付けた。
「うぐぇ」
体を回転させながら吹き飛ぶ黒覆面に一瞥もくれず、
次の獲物を狙う。
「一対一になるな。敵は一人だ。囲め!」
私は今、この地区を狙う魔法少女の一団と戦っている。
相手は特定の団体に所属しない、野良魔法少女達だ。
最近は、こういった手合いが多い。
魔法少女志望の若者が増えても、担当地区は増えない。
縄張りを奪おうにも、古参の魔法少女相手に一対一ではまず負ける。
結果、あぶれる魔法少女達が大量に出た。
そこで彼らは結束して、協会に属する魔法少女を集団で襲い、
縄張りを奪おうと試みるようになったのだ。
「マジカルファイヤー・ハリケーン!」
呪文と共に火炎瓶を放つ。
「ギャアァァーー」
「ウオオオァー」
避け切れなかった二人の魔法少女が火達磨になった。
当初十三人いた相手も、残るはもう五人。
浮き足立っている上、個々の能力もたいしたことが無い。
油断する気はサラサラ無いが、この時点でこちらの勝利は動くまい。
ふと視線を感じ、周りを見渡すと、橋の上にどこかで見た顔があった。
背広にネクタイ姿だったこともあって、一瞬分からなかったが、
はっきりした特徴があったので、すぐに思い出せた。
眼帯だ。
なにやら哀れむように、こちらを見ている。
どうしてそんな目で見てくるのか、さっぱり分からなかった。
とは言え、折角ギャラリーも居ることだし、仕事に疲れた前任者に、
いいところを見せるとしよう。
私は、勇んで残りの野良達に向かっていった。
相変わらず、哀れむような視線を投げかけてくる、
眼帯の視線を背中に感じながら。
終わり
最後まで読んでくれた方がもしいらしたら、ありがとうございました。
粗かったり、稚拙なところがかなり目に着いたと思います。どの辺りをどう直せばいいか、アドバイスをいただければ幸いです。
感想もお待ちしています。