第三話 魔法少女挫折
魔法少女は、酒焼けした顔の左目を眼帯で覆い、
頂点に弥勒菩薩象、両脇に赤い羽の付いた黄色いヘルメットを被り、
肩と腰回りにゴツゴツとしたアーマーの付いたピンク色の作業着を纏い、
手には工事現場で使われる様な柄の長いハンマーを持って、
何時の間にか、万引き犯の進路を塞ぐかのように、橋の欄干に立っていた。
その格好、現れ方、何処から見ても立派な魔法少女だった。
降って沸いた眼帯の魔法少女は、高校生を含めた皆が呆然と見つめる中、
悠然とハンマーを高く振り上げ、跳んだ。
「チチチィェストトトォォォッッッッーーーー!!!」
マジカル示現流蜻蛉の構えから、裂帛の呪文と共にハンマーが振り下ろされる。
風を切る音が聞こえると同時に、鈍い音が響いた。
万引き犯の左肩が不自然に垂れ下がっている。
今の一撃で外れたのだ。一部の骨は砕けてしまっている。
「ああっっっ!!!!」
初めは余りの早業に何をされたのか分からなかった様だが、
振り子のように揺れる腕を見て、自分の現状を認識した高校生は、
引きつった声を上げると、泣きながらその場に蹲った。
「うういいいイテーよ! 何すんだよヒドイよふざけんなよぉ。
俺が何したってんだよぉ、チクショー」
高校生は、肩を抑え泣きながら目の前の魔法少女、眼帯に抗議していた。
その抗議に対して眼帯は
「お前は人様のものを盗んだ」
その様子をつまらないものを見る目で見下ろしながら
「よって、罰を与えた。それだけだ」
と冷ややかに言い放つと、膝を高く上げて、
高校生の肩を踵で踏み抜いた。
「ガッ」
っと息を吐くと、地面に倒れこんだ。
痛みで気を失ったのだろう、万引き犯はそのまま動かなくなった。
「あ、あの。ありがとうございました」
追いついた店員が、礼を言うべきか迷いながら、礼を言った。
「ん? ああ」
眼帯は店員に一瞥をくれてから、ぶっきらぼうに答えると、
高校生の懐から財布を抜き取って、橋の向こうの下町へ去っていった。
周りにいた者達は、暫くの間微動だにせず、後姿を見送る。
そんな中誰かが
「警察と救急車呼ばないと……」
と言うと、携帯を取り出したり、
狐につままれたような顔をしながらそのまま立ち去ったり、
幾人かで集まって今起きたことを話し合ったりと、動き出した。
彼は眼帯の後を追いかけていた。全く無意識の行動だった。
二十メートルほど距離をとって、後を付けていく。
眼帯は、どこかノスタルッジックな、古い木造の家が建ち並ぶ下町を、
長い影を作りながら黙々と歩いていった。
三十分ほど歩くと、中小の町工場が集まる地区に入った。
ブレス機や旋盤の発する大きな音が辺りに響いている。
眼帯はその地区の道の真ん中を堂々と歩いていたが、
奇異な目で見るものは一人もいなかった。
誰もが背を向けているのだから、当然だが。
そうして歩いていくうちに、
その地区の外れの、ぐるりを木で囲まれた工場にたどり着いた。
工場といっても、窓は割られ、壁の塗装は所々剥げた、
いわゆる廃工場だった。
眼帯はそのまま廃工場に入っていった。
僅かに躊躇したが、彼は折角ここまで来たのだからと、
意を決して中を覗き込んだ。
暗い工場内を、夕日を頼りに覗き込むが、誰も居ない。
おかしい。
突然、肩を強く叩かれた。振り返ってみると
中に居るはずのあの眼帯が、
彼の背後から、肩に手を乗せていたのだった。
「なんか用か?」
ギロリと、右目でこちらを睨んできた。
「な、なんで…」
彼は驚きの余り、疑問しか口に出すことが出来なかった。
「聞いてんのはこっちなんだよ」
ドスの効いた声が聞こえたと思ったら、首がギリギリと絞められた。
「っで、何の用なんだ?」
何の用? そういえば何で後を付けるような真似をしたんだろう?
どうしたかったのだろう?
「判りません」
正直に答えた。
「舐めてんのか若造!!」
首かさらに絞まった。
何か言わないとこのまま殺される!
「じ、実は私、ど、同業者でして」
「同業者だぁ?」
手が少しだけ緩んだ。
「そっそそうです。えと、ほら、半年くらい前に、
ヤクザの幹部が襲われて、意識不明の重体になった事件があったじゃないですか
あれ、私なんです。私がやったんです。それで、その、
ちょっとお話でもと思いまして」
必死に訴えかける。こんなところで訳も判らずに死ぬなんてイヤだ。
「フッ」
っと小さく鼻で笑うと、眼帯は腕を放した。
「ハァーハァー」
解放された私は、大きく息を吐いて座り込んだ。
まだ彼の後ろに佇んでいる眼帯を下から見上げうと、
逆光で目元は見えないが、ニヤニヤとイヤらしく笑っている口元が見えた。
「何が…面白いんですか?」
彼が疑問を呈すると、眼帯は、
タバコのヤニで黄ばんだ歯を見せながら、言った。
「どっかで見た顔だと思ったら、おまえ、あの時のマヌケか」
カチンと来た。何故そんなことを言われなくてはならないのか。
彼の、魔法少女としての、初めての活動だったのに。
真夏の炎天下、死にそうになりながら、必死でやり遂げたのに。
だのに、何故?
あんなに頑張ったのに。
「マヌケって、誰がですか? 私じゃありませんよね?
彼はヤクザの幹部を倒したんですよ。魔法少女として善を成したんです」
彼は立ち上がると、眼帯に食って掛かった。
「お前のこと言ってんだよマヌケ。不満なら腰抜けに変えてやってもいいぞ。
俺は見てたんだぜ、おまえがあの後どうしてたのかをな」
「えっ?」
見られていた…のか?
「逃げるときにコートだけ着てコスチューム隠してたが、
覆面取るのは大通りに入る直前だったよなぁ。それにお前、
相手がヤクザの幹部だって知らなかっただろ。それでブルッちまって、
たった一回魔法少女ゴッコやっただけで廃業しちまったんだろ。
オマケにさっきのお前の対応何なんだよ? 高校生相手に目を伏せてスルーと来た。
どっからどうみても、お前はマヌケの腰抜け野郎だよ」
「この!」
気がつくと彼は、眼帯の胸倉を掴んで叫んでいた。
「何なんだあんた。何の権利があってそんなこと言うんだ!」
直後、眼帯の顔が変わった。ニヤついていた先ほどとは打って変わって
息苦しくなる程の殺気を発していた。
「権利? あるぜ。俺はもう何年も魔法少女やってんだよ、お前と違って
逃げもせずにな。こいつを見ろ、若造」
そう言うと、おもむろに左目を覆っている眼帯をとった。
「うっ!」
そこには、まぶたの皮膚を巻き込んで醜く潰れている、灰色の眼球があった。
「俺の左目がこんな風になったのは、確か魔法少女になって三ヶ月くれえだったな。
飲み屋で暴れてたヤクザとやりあった時に、割れたビール瓶で一刺しにされたんだ。
連中は容赦ねぇからな。だが、俺はそこで辞めなかったぜ、お前と違ってな」
眼帯は残った右目をギラリと光らせてこちらを睨むと
「魔法少女舐めてんじゃねえぞ糞ガキ!
俺達はな、時には命の遣り取りだってするんだよ!
俺がこの町で魔法少女始める前のいた奴なんてな、
愚連隊の幹部ぶっ殺したら、喫茶店で一服してるところを
ヒットマンに襲われて、マイトで店ごと吹っ飛ばされたんだぞ!
いいか、それが俺達だ! 魔法少女だ!
きらびやかなだけの世界だとでも思っていたか? 甘ったれてるんじゃねえぞ!
お前みたいな若造が、気安く首突っ込めるような世界じゃあないんだよ!」
と言い放つと同時に、
彼は殴られていた。
「グッ」
全く、見事としか言いようが無いストレート一発で、
私は地面を這わされた。
背中を強く打って動けない私は、
「帰れ、手前と話すことなんてもう何もねえ」
と胸倉を掴まれて引き揚げられ、そのまま出口へ体を放り投げられた。
彼は体の痛みをこらえながら立ち上がり、
緩慢な動作で出口へと向かった。
最早、何も言い返す気力は湧かなかった。
唯、目の前の恐ろしく厳しい男から、離れたいと思った。
「二度と来るんじゃねえぞ、この辺りは俺の縄張りだ。入ってきたら
すぐに分かるんだ。次見かけたらコイツで粉々にしてやっからな」
ハンマーを振りかざす眼帯の威嚇をBGMにしながら、彼は廃工場を後にした。