第二話 魔法少女廃業
まとわり付くぬるい空気に促されるように彼は目を覚ました。
咽が渇いてしょうがない。
水道の蛇口を捻ると、蛇口に口を付けんばかりに近づけて、
咽をゴクリゴクリと鳴らしながら、腹いっぱいになるまで水を飲んだ。
窓の外を見れば、すっかり暗くなっていたが、携帯で時間を確認すると、
家に駆け込んでから、まだ四時間ほどしか経っていなかった。
疲れているから熟睡できると考えていたが、
夏の暑さと咽の渇きの前には、少々の疲れなど何の意味もなかった。
「夢を見たな・・」
最近独り言が多くなった。余り人と話さないせいだろう。
まるでボケ老人になったようで気持ちが悪いと思った。
だが、今はそんなことどうでもいい
「これからどうしようかな・・・・」
大通りで彼はかなり目立っていた。
よれよれのトレンチコートを真夏に着込んだずぶ濡れの男が、
ゆっくり歩いているとは言え、息は荒く、恐らく目も血走っていて、
異様な雰囲気を醸し出していたことだろう。
活動開始の時期が悪かったのだ。
これが冬なら、目が血走っている位しか、怪しいところも無かっただろうに。
いや、そう深刻に考えることも無いかもしれない、そう思った。
今の世の中変な奴なんていくらでもいる。
誰も一々気にしたりしない。
「うん、きっとそうだ、そうに違いない」
彼は気を紛らわせようとテレビをつけた。
適当にチャンネルを変えながら好みの番組を探していると、
「次のニュースです。本日午後五時頃、東京都○○市○○町の路上で、
指定暴力団・極皇会幹部、山下大輔さん(34)が何者かに襲撃され、
○○市内の病院に搬送されました。山下さんは意識不明の重体とのことです。
警察では、みかじめ料を巡ってトラブルになっている、
指定暴力団松林組との抗争と見て、捜査を進めています」
なんてニュースが目に入った。
―助かったー
ニュースの終わってから、すぐにそう思った。
これで警察の目は暴力団関係者に向けられるだろう。
暫く大人しくしていれば、見つかる確率は大分少なくなる。
そうだ、そうしよう。ほとぼりが冷めるまでの辛抱だ。
魔法少女への復帰は、やろうと思えばいつでも出来るんだ。
焦って警察の厄介になることもないだろう。
悪人を成敗してお縄じゃあ馬鹿馬鹿しい。
大人しくしていよう、ほんの少しの間休業するだけだ。
彼はそんな風に考えた。
カァーカァー
カラスの鳴き声の響く夕方の土手に座り込んでいた彼は、
真っ赤な夕日を唯、眺めていた。
魔法少女としての活動を休止してから、もう半年になっていた。
あの事件の後、彼は復学した。
親から受け取っていた学費は殆んど使い込んでいたため、
頭を下げてまた出してもらった。
何も聞かずに気前よく出してくれた。
「どんなことがあったか知らないが、
きっとお前には必要なことだったんだ」
何か文句を言いたげな母を制して、親父はそう言ってくれた。
安堵と申し訳なさで泣きそうになった。
そんなことがあってから、彼は変わった。
特に目標もなく入った大学だったが、研究室を見学して回り
自分が興味を持てる分野を探した。
結果、彼でも興味の持てる分野を幾つか見つけることが出来、
それら分野の研究室に入るための授業を選択した。
予習・復習に大いに力を入れるようになった。
こういった努力は、魔法少女を志した時に経験した頑張りもあって、
以前よりスンナリと行うことが出来た。
人間関係も上手く行っている。
最初に入ったサークルを辞め、
出来たばかりの、男だらけの小さなサークルに入りなおした。
正直不安はあったが、彼が自分を素直にさらけ出してみると、
皆は意外にあっさりと受け入れてくれた。
最近はサークルの飲み会にもちょくちょく顔を出して、親睦を深めている。
こうして彼の学生生活は入学当初からとは比較にならないほど順調になった。
だが、彼には遣り残したことがあった。
魔法少女だ。
あの日、いずれ活動再開することを前提に休止したのに、
まだ、復帰していないし、何の準備もしていなかった。
もう、正式に廃業すべきかもしれない。そう、考え始めていた。
明らかに彼は正しかった。いい年をして魔法少女など、馬鹿げている。
彼の目覚めは、二年ほど遅かったのだ。
土手を風が薙いだ。
「風が強くなってきたな」
肌寒さを感じた彼は
「ドッコラショ」
と親父臭い掛け声と共に立ち上がると、アパートに帰ろうとした。
すると
「待てー!!」
向こう岸から、中年の男のものと思われる、大きな声が聞こえてきた。
「万引きだ! 捕まえてくれ!」
何かの雑誌抱えた高校生と、エプロンをつけた中年の男が、
橋を渡ってこちらに向かってくるのが見えた。
凄い勢いで走ってくる高校生をを見て、
彼は・・・・・・・道を譲っていた。
全く無意識の行動だった。
中年の店員が彼の横を通った時に、こちらを見るその目は、
臆病者を見るそれだった。
「・・・しょうがないじゃないか・・・」
彼は警察でも、魔法少女でもない。
体を張って窃盗犯から町の治安を守る義務などないのだ。
「捕まえてくれって言ったてさ・・・誰も手を出さないよ」
彼の他にも幾人かの人はいた。
帰宅途中のサラリーマンや学生、散歩中のカップル等等
だが、店員に協力しようとするものは、誰もいなかった。
「これが普通なんだ、厄介事なんて、真っ平だ。捕まえてくれじゃ無いよ
万一刃物とか出されたらどうするんだよ。刺されたら、死んじゃうジャン」
土ぼこりを上げ、夕陽に向かって走り去る二人を眺めながらそう、
言い訳を言った。
彼は誰に対して言い訳をしているのだろう?
もちろん彼自身にだ。
やっぱり彼は、魔法少女に未練があるのだ。
拳銃が出てきて、怖くて、辞めてしまった。
たった一回しか活動できなかった。
そんな自分の心の弱さが情けなく、悔しくて、彼は惨めな気分のまま
地面を見つめていた。
そんなことを考えている間に、
二人の追いかけっこは終盤に差し掛かっていた。
店員が足を絡ませて、転んだのだ。
高校生が逃げ切って終わり、土手で見ていた誰もがそう思った。
その時だった。皆の目の前に、魔法少女が現れたのは。