02 龍降臨
「事件が起きたの?」
グレリジアの問いに、クレーザーは首を縦に振った。
そして、
「帝から、直々の命令だ。グレリジア・リノ・ヴェンドバードに、王都で起きている奇怪な事件の謎を解いてもらいたい、と」
そう告げた。
炎の瞳が激しく燃えていた。
エメラルドの瞳が異様に爛々と輝いていた。
「事件の概要を話して」
「言われなくても」
クレーザーは片頬を歪めた。
☆★☆
王宮を中心として、王宮をぐるりと取り囲むように王都がある。
王宮の正門から王都の出口へは、1本の太い道路がある。その長さは1kmほどだ。道のわきには、様々な商家や屋敷が並んでいる。それは、龍道と呼ばれていて、龍の口となる部分が王都の出口で、門が龍の口の形になっている。尾の先が王宮の入り口になっていて、深緑の尾は王宮の豪華な門を下から時計回りにぐるっと囲っている。
なぜそんなことをしているのかと訊かれても、誰も答えられないが、そういうものなのだ。
ミステリア王国は代々そうしてきたのだ。
その龍道の龍の、胴体の丁度真ん中のあたりの診療所を中心として最初の事件は起きた。
月の綺麗な夜だった。
まんまるな月が龍道を通る人たちを照らしていた。
不意に、月が消えた。
一瞬にして道が暗くなり、行き交う人々が、何事かと空を見上げた。
そこに――――
龍が現れた。
☆★☆
「月が消えた?龍が現れた?」
明らかに馬鹿にしたように、グレリジアは言った。
「そんなこと誰ができるのよ」
「お前ならできるだろう。『稀代の大魔術師グレリジア』」
「黙んなさいぎらぎら野郎。・・・私はそんなことしてないからね」
「お前を疑ってるならこんなところに来やしないさ」
「分かってるわよ。はやく続きを話して」
「お前が口を挟んだんだろうっ」
「いいから。はやく話さないとネズミにしてやるわよ」
クレーザーは本当にネズミにされたら困るので、少し不機嫌にだが、話を再開した。
「その龍は――――」
☆★☆
その龍は、月の消えた暗い空よりも黒く闇に近く、大きかった。
龍は悠々と空を飛び、下降してきて――――ひんやりとした、白い息を吐いた。丁度、例の診療所の上で大きな口を開き、もわもわと。
龍が息を吐いていたのは短い時間だった。
けれども、その息がかかった周辺の人が、おかしくなった。
胸部圧迫感、発汗、流涎、嘔気、嘔吐、腹痛、下痢、倦怠感、頭痛、めまい、縮瞳、顔面蒼白、筋線維性痙縮、血圧上昇、徐脈、興奮、錯乱状態――――十人十色の症状を訴えた。
龍は、息を吐いたらすぐに上昇し、夜の闇に溶けるように消えた。
そして、また月が現れた。
☆★☆
「・・・というような事件が、王都のあちこちで起きている。もちろん、龍道周辺だけではない。今のところ死者はいないが、最初の事件の真上で息を吐かれた診療所の医者が錯乱状態に陥っている」
グレリジアは蜂蜜色の髪を弄っていた。
「おい、聞いてたのか」
クレーザーが不満そうにそう呼びかけると、グレリジアは「何、今ので終わり?」とだるそうに言った。
「そうだが」とクレーザーが言うと、グレリジアはあっさりと「情報不足だわ」とつぶやいた。
そして、何か言いたげなクレーザーの視線に気づくと、髪を弄るのをやめて、今分かっていることだけを淡々と報告した。
「犯人、または共犯者に魔術師がいることだけは確かでしょう」
「なんでだ?」
クレーザーが訊くと、グレリジアは面倒そうに教えた。
「龍を作り出すことならまだしも、月を消すことなんて魔術を使わなかったら無理に決まってる。別に、龍の影で消されてしまったわけじゃなくて、どこから見ても月は見えなかったんでしょう?」
「そうだが・・・」
それきりグレリジアは黙り込んでしまった。その端正な横顔からは、すこしの憂いが感じられた。
クレーザーは、機嫌を損ねてはいけないと思い、何も言わずに稀代の大魔術師と呼ばれる女の横顔を見つめていた。
こうして見ると、グレリジアは、ただの美しく聡明そうな女でしかなかった。その顔を見ただけでは、世の動きより男より謎が好きな、稀代の大魔術師だなんて誰も思いもしないだろう。
そうしているうちに、グレリジアが不思議そうにクレーザーの顔を見てきた。
知らず知らずのうちにじーっと見てしまったようだ。
グレリジアは、思想から帰ってきたようで、ぐっとのびをした。そして、立ち上がる。
「どこに行くんだ?」
クレーザーが恐る恐る問うと、グレリジアは当たり前のように言った。
「王都に行くのよ」
「・・・・・・・・・・へ?」
「なに間抜け面してるの。龍の謎を解きに行くの」
「・・・・・・えーと」
正直、そこまで興味を示してくれるとは思っていなかったクレーザーだが、こうなったのは寧ろいい方だ。
グレリジアは一度部屋を出ていくと、黒いマントと樫でできたステッキ、とんがり帽子を持ってきた。
魔術師の正式な衣装。
「それじゃぁ、私は先に行ってるわね。龍道で調査してるから」
「・・・え?」
そう言って家の奥の方へ行ってしまうグレリジア。
「ど、どうやって行く気?」
グレリジアは振り返らずに言った。
「魔法陣を使って、空間を飛ぶの」
遠くでドアが開く音がして、閉まる音がした。
はぁ、と溜息をついた瞬間、もう一度ドアが開く音がした。
「あ、そうだぎらぎら野郎!早く来なさいよ!」
ばたん、と今度こそドアが閉まる音がして、もうドアが開くことはなかった。
力の抜けたクレーザーは、家の外に出ると、馬に乗り、気合を出して
「せいっ!」
勢いよく走りだした。