Chapter 8:Part 08 夕暮れ、ツンデレ
「う……ん……? ぐ、ぁ……」
顔面に伝わる鈍い痛みに、統哉は呻きながら目を覚ました。
「あ……と、統哉、気が付いたかい?」
そこへ、パーカーを着込み、心配そうにこちらを覗き込んでくるルーシーの姿が視界に映った。
「……ルーシー?」
統哉は顔面の痛みに顔をしかめつつも体を起こした。ぼんやりとしながら辺りを見渡してみると、そこは畳が敷かれた六畳ほどの部屋で、窓には簾と風鈴がかかり、側では扇風機が回っていた。
「ここは?」
「『潮彩』の休憩室だよ。君が気絶した後、ここまで運び込んだんだ」
「気絶……?」
すると、統哉の脳裏に気絶する直前の光景が蘇ってきた。
そうだ。自分は確か、ルーシーに泳ぎを教えていた。すると、突然水柱が上がった。二人共それに巻き込まれて、自分は無事だったが、ルーシーは……。
「ーーーーッ!」
その時、統哉は思い出してしまった。水柱のせいでビキニのトップスが吹き飛び、形の良く、豊かな膨らみとその頂点に息づくピンク色の突起を至近距離でバッチリ見てしまった事を。
「ご、ごめんっ!」
即座に統哉は頭を下げた。
「ど、どうしたんだい? 急に頭を下げてさ」
突然の統哉の行動にルーシーは面食らった表情をする。
「だ、だって、俺、お前の……その……」
「あっ……! い、いや、私の方こそ本当に申し訳ない……反射的につい手が出てしまった。思い切り顔面を殴ってしまったが大丈夫か?」
「ん? ああ、大丈夫だよ。まあ、<天士>の力がなかったら顔に穴が開いていたかもしれないけど」
冗談めかした統哉の言葉にルーシーはクスリと笑う。かと思いきや再び顔が赤くなっていき、やがて彼女は気恥ずかしさのあまり俯いてしまった。
お互いに気恥ずかしい空気のまま黙り込んでしまう事しばらく。
「……なあ、統哉」
その沈黙を破ったのはルーシーだった。だが、その口調は妙に穏やかなものだった。
「な、何だ?」
思わずどもってしまう統哉。するとルーシーは統哉の顔を見た後、そっと呟いた。
「私は、別に気にしてないよ」
「えっ?」
思いがけないルーシーの言葉に統哉は目を見開いた。ルーシーはそんな彼の驚いた顔を見てクスリと笑った後、
「まあ、よく考えると前回温泉に行った時だって君に裸を見られてしまったわけだしね。それに今回のは不可抗力だったわけだし」
「で、でも、だからって……」
慌てふためく統哉。するとルーシーはそれにね、と付け加えた。
「……正直言って、君にだったら見られても構わないと思ってる」
「…………はいぃ?」
しばしの沈黙の後、統哉は間抜けな声を上げてしまった。いきなりあんな爆弾発言をされたら誰だってそーなる。統哉だってそーなる。
するとルーシーは目を見開き、手で口元を押さえた。彼女自身、自分で口走った事に衝撃を受けているようだった。
「……あれ? 私、今一体何を……? いや、確かにそうなんだけど……え? あれ? ああ違う、私は何を言ってるんだああああ」
見る見るうちに頬を紅潮させ、わたわたと慌てふためくルーシー。それを見ていた統哉もますます気恥ずかしくなってきてしまい、彼女と同じように頬を紅潮させ、俯いてしまう。その時、入り口のドアがノックされた。
「入るわよー」
気の抜けた声と共にドアが開き、レヴィアタンが顔を出した。二人はコンマ一秒で顔色を元に戻し、平静さを装う。
「ああ、レヴィアタン。ちょうど今彼の目が覚めたところなんだー」
「うう、まだ何かクラクラするなー」
「……なんとなくわざとらしさを感じるのと台詞が棒読みな気がするのは気のせいかしら? 妬ましいわ……まあいいわ。八神統哉、気がついたのね。まったく何やってんのよ。遊ぶのに夢中になりすぎて軽い熱中症を起こして気絶するだなんて。ほらアンタ達、入ってきなさい」
「熱中症?」
レヴィアタンの言葉に統哉が首を傾げる。それに構う事なくレヴィアタンが促すと、水着の上から上着を羽織った堕天使達や眞実、璃遠がぞろぞろと休憩室に入ってきた。
「統哉、大丈夫か? 熱中症プレイというのは流石のベルも感心しないな」
「とーやくん、だいじょうぶ~? とりあえずカレー食べる~?」
「何でそうなるのアスカ!? あー統哉君、まずは水分補給しないと! はい、スポーツドリンク!」
「先輩! 大丈夫なんですか!? 生きてますか!?」
「統哉さん、大変でしたね。それにしても、本当に慕われているんですねぇ」
ひとりひとりに大丈夫だと伝えつつ、エルゼが差し出したスポーツドリンクを一口飲んで口の中を湿らせ、統哉は尋ねた。
「それにしても、熱中症? 確か俺は……」
レヴィアタンの言葉に疑問を感じた統哉がルーシーに目をやると、彼女は口を開いた。
「そう。君は私と遊んでいた時に突然ふらついて倒れてしまったんだ。そこへたまたまレヴィアタンが通りがかり、私と二人でここへ運び込んだというわけさ」
すらすらと語りながら、ルーシーは統哉に目配せし、「話を合わせてくれ。いいね?」と訴えていた。それを即座に察した統哉。
「……ああ、確かに急に立ちくらみがしたと思った次の瞬間倒れたようなきがしたけど、そういう事だったのか。ルーシー、レヴィアタン、ありがとな」
統哉の感謝の言葉にルーシーは軽く微笑み、頷いた。一方、レヴィアタンは顔を真っ赤にし、「べ、べべべ別にアタシはたまたま通りがかっただけだし! でもアンタが倒れてたからどーしても放っておけなくて助けただけだし!」と叫ぶ。
「……別に俺、お礼を言っただけなんだけどなぁ」
苦笑しながら呟く統哉。そしてルーシーがニヤニヤしながら「ツンデレ乙」と呟いた事でレヴィアタンがルーシーに食ってかかったのはまた別の話である。
「ふう……」
時刻は夕方。夕陽が海に映える美しい光景に統哉は思わず息をついた。
あれから一行は着替えた後、「潮彩」でアイスクリームを食べた。アイスクリームを一気に食べてしまったせいで頭痛を引き起こしたルーシーを尻目に統哉は一人店を抜け出し、砂浜に寄せる波の音に耳を傾けていた。
「はあ……色々とおかしな事になったけど、なんだかんだ言って楽しかったな」
そうひとりごち、統哉は大きな溜息をつく。その溜息には心地良い疲労感と充実感が詰まっていた。すると――
「八神統哉、隣いいかしら?」
背後からした声に統哉が振り返ると、そこにはレヴィアタンが立っていた。
「レヴィアタン? ああ、いいよ」
統哉が答えるとレヴィアタンは頷き、統哉の隣へやってきた。
「あの、八神統哉……その、具合は大丈夫なの? 特に、ルシフェルに殴られた顔面は……」
どことなく申し訳なさそうな口調で尋ねるレヴィアタン。
「うん、もうすっかり大丈夫だよ。心配かけて悪かったな。……って、どうしてレヴィアタンが顔面の事を知ってるんだ?」
「な、何でもないわよ! それに、別に心配なんてしてないんだからね! ……でも、本当にごめんなさい」
「え? なんでレヴィアタンが謝るんだ?」
「いいから、とりあえず謝られてなさい」
何故か顔を赤くするレヴィアタンに統哉は首を傾げるしかなかった。しばらくして彼女は軽く咳払いをすると口を開いた。
「それはそうと、アンタを介抱してる間にルシフェルと話をしてね。だいたいの事情は理解したわ。アンタとあいつらが出会ったきっかけ、<欠片>の事、そして今までの事を聞いたわ。……アンタも大変ね、あいつらと付き合うの。あいつら、やりたい放題だからね」
思わずお前が言うなとツッコミを入れたくなった統哉だが、それを言うと彼女の逆鱗に触れかねなかったので踏みとどまる。代わりに「まあな」と苦笑しながら答えておく。
「そう言うレヴィアタンはどうなんだ? あの後こっちに来て、色々と大変だったんじゃないか?」
統哉の問いにレヴィアタンは大きく伸びをし、息をついた。
「確かに、勢いでこっちにやってきたけど最初のうちは大変だったわ。接客なんてやった事なかったし、店長の特撮趣味は閉口ものだし。でも、店のみんながアタシをサポートしてくれたから、どうにか慣れてきたわ。それに、ほんの数日だけどこうして「働く」という事も前の世界では経験できなかったしね。店長も特撮趣味を除いたらいい人間よ。何せ、アタシのためにわざわざアパートを探してくれたんだもの。それも、しばらくの家賃は出してくれるっていうオマケ付きで」
「そっか、よかったな。なんだかんだ言って、結構頑張ってるんだな」
まるで自分の事のように、嬉しそうに語る統哉にレヴィアタンは微笑みかけた。
「……妬ましいけど、今のアタシがあるのはアンタのおかげなのよ。アンタには感謝してるわ。だからその……えっと……」
そしてレヴィアタンはしばらく俯いた後、思い切ったように顔を上げ――
「ありがとう」
心からの笑顔を統哉に向けた。初めて見るレヴィアタンの屈託のない笑顔に統哉も思わず破顔し、笑顔で応えた。するとレヴィアタンは何かを思い出したかのように、急に真剣な表情で統哉に向き直った。
「そうだ、一つアンタに忠告しておかなければならない事があるわ」
「何だよ?」
「もうしばらく家には帰れないわよ」
レヴィアタンの言葉に首を傾げる統哉。すると彼女は少し間を置いた後、言葉を紡いだ。
「――今夜、<欠片>を持った守護天使が現れるわ」
「何だって?」
思いがけない言葉に統哉は目を見開く。
「海の中から強烈な魔力を感じたの。ほら、アタシって水や海に関わる堕天使だから、そういった気配には敏感なのね。八神統哉、アンタは早くルシフェルのところに行ってこの情報を伝えなさい。きっと喜ぶから」
「でも、どうして……」
疑問を口にする統哉にレヴィアタンは口元に笑みを浮かべ、答えた。
「……アンタには、アタシを助けてくれたという大きな借りがあるからね。アタシね、借りを作ったままにしておくのは妬ましくなるから嫌なの。だから、少しは返させなさいよ」
その言葉に統哉はしばらくぽかんとしていたが、やがて微笑んだ。
「ありがとな、わざわざ教えてくれて」
統哉の言葉に、レヴィアタンは照れたようにそっぽを向いた。
「……ふん。せいぜい死なないように用心してかかりなさいよね」
「え? レヴィアタンは来てくれないのか?」
意外そうな統哉の言葉にレヴィアタンは頷いた。
「手を貸してほしいなら吝かではないけれど、アタシはこれから店の片付けを手伝いに行くわ。いくら店長命令で急な休みをもらっていても、片付けを手伝うくらいしないと申し訳ないわ……って、アンタ、何笑ってんのよ?」
話している最中、不意にクスリと笑った統哉を訝しんだレヴィアタンが口を尖らせる。
「ごめんごめん。いや、レヴィアタンって結構律儀なんだなって思ってさ」
「なっ!? ちちち違うわよ! これはアタシの勝手よ! そうでもしないと気が済まないのよ! じゃあアタシ、そろそろ行くから!」
顔を真っ赤にしたレヴィアタンはそれだけ言うと海の家まで走って行ってしまった。統哉はその背中を苦笑しながら見守っていたが、やがてもたらされた情報を堕天使達に伝えるため、海の家へと歩きだした。
その夜、統哉達は新たなる<結界>に挑む――。




