Chapter 8:Part 03 オーシャンズ7(引率1、保護者1、女子1、残り堕天使)
(……さてと)
統哉は海水浴場を見渡しながら考え込んだ。
海水浴に来たのはいいが、統哉はどうするか迷っていた。何せ、海水浴に来たのは小学校の時以来だ。幸い泳げないという事はないが、泳ぐにはなんとなく気が進まなかった。
かと言って堕天使達と過ごそうにも彼女達はてんでばらばらの方向へ走って行ってしまい、どこにいるかわからない。魔力の反応も大勢の人に紛れてしまい捉える事ができなかった。
(うーん……どうしよう?)
統哉がこれからどうするかを考えあぐねている時だった。
「と、統哉先輩!」
「……ん?」
背後からの声で我に返った統哉が振り返ると、そこには頬を赤らめ、もじもじと落ち着かない様子の眞実の姿があった。その様子を訝しく思った統哉が尋ねる。
「どうした、眞実? 璃遠さんのクレイジーな運転で体調が悪くなったのか?」
「い、いえ、そうじゃないんですが……その……」
やや間を置き、そして眞実は目をカッと見開いて思い切ったように言った。
「ひ、ひひひ、日焼け止め、塗っていただけませんか!?」
一気に言い切り、統哉に日焼け止めオイルの入った瓶を差し出してくる。
「あ、ああ……」
その勢いに押され、統哉は瓶を受け取ってしまった。日焼け止めなんてどうやって塗ればいいのだろうかと統哉が考えている間に、眞実は頬を赤らめつつ思い切ったようにビキニを解いてそれを手で押さえつつビニールシートの上へ寝そべった。
白い肌と、体に潰されているそれなりに大きく形のいい胸が横からはみ出ていて、統哉は思わず視線を逸らしてしまった。
「そ、それじゃあよろしくお願いします……」
「な、なあ眞実……」
「て、掌に少し出して、それをしばらく体温で温めた上で薄く伸ばして塗ってください」
「……先読みするなよ。まあ、アドバイス助かるけどさ」
そう言って統哉がオイルを掌に取って少し温めた後、薄く伸ばして塗り始めた。すると――
「――はぁうんっ!?」
「うおぉっ!?」
突然一オクターブくらい上の奇妙な声を上げた眞実に統哉は飛び上がらんばかりに驚いた。
「な、なんだよ眞実! いきなり素っ頓狂な声出すなって!」
すると眞実は頬をさらに赤らめ、ふるふると震えながら答えた。
「だ、だって、先輩の塗り方、何だか、くすぐったいって言うか……その…………」
「どうしてそこで黙るんだ!? 凄く気になるんだけど!?」
「い、いえ、気にしないで続けてください…………んあぁぁんっ!」
「頼む! マジで頼むから静かにしていてくれ! 周囲の視線が痛い!」
統哉が周囲の視線に耐えつつオイルを塗り、眞実が素っ頓狂な声を上げるというやりとりを繰り返していると――
「おーい、璃遠。ジュース買ってきた……ぞ……?」
突然かかった気怠そうな声に統哉が振り向くと、そこには両手に缶ジュースを持ち、呆然と立ち尽くすベルの姿があった。ベルはしばらく統哉と眞実を交互に見やった後、尋ねた。
「……二人共、何をしているんだ……?」
「せ、先輩に日焼け止めを塗ってもらっているんです……」
答えるのは眞実だ。しかしその顔は紅潮し、その呼吸はどこか艶かしいものになっていた。
そしてそれを見るベルの目は見開かれ、その顔は髪と同じくらいに真っ赤になっていた。
「ま、まさかのオイルプレイ……だと……」
何やら小声でぶつぶつ呟いているベルに、統哉は声をかけた。
「……あー、ベル。その、お前も日焼け止め塗るか?」
その時、先に日焼け止めを塗られている眞実の表情が不機嫌なものになったが統哉は気付かなかった。すると、ベルの頭からボンッという音と共に煙が噴き出した。そして――
「!? な、何というプレイ! いいや、これはご褒美だ! ボーナスステージだ! いいよ、来いよ! 胸にかけて胸に!」
「――って、なにをやってんだぁぁあああああ!」
「いぐにしょんっ!?」
水着の肩紐に手をかけ、一気に胸元までずり下ろそうとしたベルに統哉は神がかった速さで日焼け止めの瓶を投げつけた。
ダーツのように投擲された瓶は正確にベルの眉間を捉え、ベルは意識を失い砂浜に突っ伏した。あと僅かでも遅ければベルの平坦な胸が衆目に晒されると同時に統哉の理性を壊していただろう。また、投げつけられた衝撃で中のオイルが全部ぶちまけられ、頭から彼女をオイル塗れにしていった。それを知ってか知らずか、気絶している彼女の表情も満更ではなさそうだった。
とりあえず彼女の願望も叶えられ(?)、自分や様々なところに降りかかろうとしていた危機を未然に回避できた事に統哉はほっと胸を撫で下ろした。
「ハッ!?」
その時、統哉の眉間にキュピーンと閃光が走った。即座に統哉が振り返ると、いつの間にかビキニを直した眞実が涙目でこちらを見ているではないか。
「ま、眞実さん?」
おそるおそる統哉が尋ねる。すると――
「先輩の……バカーッ! スケベドスケベカスカベーッ!」
眞実は意味不明な言葉を叫びながら足元の砂を掌に掬い、彼に向かって勢い良く投げつけた。
「ちょ……待てよ眞実! 落ち着け!」
統哉は慌てて横に飛んでそれを回避する。以前格闘漫画を読んで知ったのだが、実は砂も投げつけられれば非常に危険なのだ。砂は目に入ればその視界を奪い、さらにその中には小石やガラスの破片、果てには抜け落ちた歯と、小さくも強力な凶器が潜んでいるのだ。自衛隊員の中にも環境を利用した戦術を使いこなすプロフェッショナルがおり、砂を用いて凶悪な死刑囚を倒してしまった者がいるらしい。
現に眞実が投げつけた砂の中にもそういったものが混じっていたようで、射線上にあったパラソルには穴が空き、テーブルに置いてあったラムネ瓶が砕けたりと早速被害が出ていた。まだ人的被害が出ていないのが奇跡だ。
そんな事は露とも知らず、眞実は砂を投げ続け、統哉は極力被害が出ない位置へと逃げ続ける。
「先輩のバカバカバカーッ! 先輩なんて豆腐の角に※※――」
「当て身」
ドスッ。
眞実が放送コードに引っかかるワードを口走ろうとしたその瞬間、璃遠が気配を感じさせずに彼女の背後へと回り込み、斜め四十五度手刀を放って気絶させた。
「やれやれ、ベルさんも眞実さんも少々はしゃぎすぎですよ。あと一瞬遅ければレーティングに引っかかってましたよ?」
そう言いながら璃遠は二人をビニールシートへ仰向けに寝かせる。そして統哉に向き直り、柔和な笑みを添えて言った。
「統哉さん、二人は私が見ておきますので、あなたはいつもの苦労を忘れて思い切り羽を伸ばしてきてください」
「は、はあ……」
どこか釈然としないものを覚えつつも、統哉は当て所もなく歩き始めた。
(まずいぞ、非常にまずい……)
砂浜を歩きながら統哉は真剣に考えていた。
(予想はしていたけど、早速その斜め上を行く事態になってしまった。あいつらを野放しにしておくと何をしでかすか全くわからねえよ……。よし、あいつらがバカな事やってないかどうか見回りだ! やっぱりここは俺があいつらの手綱を握り直さないと! 俺がやらなきゃ、一体誰がやるんだよ!)
一人拳を握り締め、壮絶な決意を固める統哉。せっかくの海水浴でも彼の受難は相変わらずであった。
その時、視界の端によく目立つピンク色の髪が映り込んだ。
「……ん? アスカ?」
統哉が目をやると、砂浜に並ぶ屋台のそばをアスカが豊満なバストを揺らしながら歩いていた。そしてその背後からは髪を金髪やアフロと好きなようにいじり、肌をこんがりと焼いた男達が召使いのようについて歩いている。
よく見ると、男達の手にはジュースや軽食の入ったトレー、土産物が入っているらしい袋があった。すると、アスカが屋台の一つを指差して言った。
「あ~、あそこにセブンティーツーのアイス屋さんがある~♪ ねねね、あそこのアイス食べたいな~♪ もちろん期間限定の~」
「「「イエス・ユア・ハイネス!!」」」
アスカのおねだりに男達は一糸乱れぬ動きで背筋を正し、敬礼する。よく見ると男達の目は焦点が合っておらず、デレデレとした表情を浮かべていた。そしてそのまま期間限定アイスの五段重ねをせしめ、再びどこかへと歩いていった。
「彼らも愚かですねぇ」
「わあっ!? り、璃遠さん、いつの間に!?」
いつの間にいたのか、璃遠が背後に立っていた事に統哉は驚きつつ尋ねた。
「ええ、二人のために水を買ってこようかと。クーラーボックスにはジュースしかなかったので水分補給には非効率的だと思いまして」
「は、はあ。それよりも、どういう事ですか、あれ?」
「どうやら彼らはぱっと見ガードが緩そうなアスカさんに目を付け、彼女をナンパしに来たようです。しかし相手が悪かったですね。何せ彼女は『色欲』の称号を持つアスモデウスなんですから。あっと言う間に彼らはアスカさんの持つ力、『魅了』にかかってしまったようです。こうなっては、彼らの財布がスッカラカンになるまでお金を搾り取られる事でしょう。まあ、相手が誰かを知らず、先に手を出したのです。これは彼らの自業自得、インガオホーです」
淡々と語る璃遠。恐るべし、天然にして「色欲」の称号を持つ堕天使、アスモデウス。単純なナンパ男達を手玉に取るのは赤子の手を捻るかの如く簡単らしい。英語で言うとベイビー・サブミッション。
(ま、まああれならアスカは大丈夫……だよな? そしてナンパ男達、自分の不運を呪ってくれ)
統哉は心の中で哀れなナンパ男達に向かって十字を切った。ちなみに彼女が歩く度に男性だけではなく、女性までもが「魅了」にかかってしまい、彼女の方を振り返ってぼーっとした表情を浮かべてしまっていたのはまた別の話である。
それからまた歩く事しばらく。
「統哉くーん!」
「ん?」
誰かに声をかけられ、統哉がその方向を見ると、エルゼがこちらに向かって走ってくるところだった。
「エルゼ、どうしたんだ?」
「ちょうどいい所に! 統哉君、今って暇?」
「まあ、暇だけど」
「よかったー! 統哉君、あそこのブイまで競争しようよ! やっぱり海に来たんだもん、いっぱい泳がないと!」
そう言ってエルゼが波打ち際から約五十メートル先に浮かぶブイを指差した。
「ん、いいぞ」
統哉は頷いた。そして心中では、やはりエルゼのように健康的に海で遊ぶ事こそが一番だと感じ、それを実行しているエルゼに敬意を表した。
それから二人はブイの正面に立った。
「それじゃ行くよー! よーい……どん!」
エルゼの合図で二人は同時にブイを目指して海に飛び込み、泳ぎ――――エルゼが先にゴールした。
「統哉君、おっそーい!」
「いやいやいや、お前が速すぎるんだよ! どう考えてもおかしいだろ! 五秒くらいしかかかってないぞ!? 魚雷かお前は!?」
エルゼとの距離があるにもかかわらず、統哉は叫んだ。
そう。スタートするや否やエルゼは急加速し、あっという間にブイに到達してしまったのだ。
「えー? そんなに速かったかなー?」
可愛らしい仕草で首を傾げるエルゼに統哉はさらに声を張り上げた。
「速いっつの! 見ろ、あまりにも速かったから波が起きて人が吹っ飛ばされてるし!」
統哉の言う通り、エルゼの高速機動で引き起こされた波によって何人かの海水浴客がそれに巻き込まれ、陸に打ち上げられた魚よろしく海に漂っていた。エルゼもそれに気付いたらしく、その顔を青ざめさせた。
「え? ……あーっ、本当だ! あたしのせいで海がツキジめいた光景に! ごめんなさ~い!」
「ツキジめいた光景って……お前の中での築地市場は一体どんな所なんだ……」
「えっと、確か大小問わず魚の死体が積み重なっていて、死屍累々とした場所だって……ああああ! とにかくごめんなさーい!」
「……」
慌てて海水浴客の救助に向かうエルゼを見ながら統哉は、やってられないとでも言いたげに背中から海へ倒れこんだ。
(ああ、空が青い……)
現実逃避する彼の視界には、真っ青な空と入道雲が広がっていた。
「……あー、何だかもう午前中だけで三日分は疲れたな……」
エルゼとのやりとりの後、海から上がった統哉は疲れた様子で独りごちながら砂浜を歩いていた。
「それにしてもベルに眞実、アスカにエルゼと、みんなしてやりたい放題すぎだろ……こんなのってないぞ……女子達いい加減にしろよ……ん?」
ぶつくさと文句を言いながら歩いていたその時、統哉は違和感を覚えて立ち止まった。
「何か変だな……何か足りないような……」
彼は必死にその違和感の正体を探ろうと、海水浴場に着いてからの記憶を辿る。そして、今までのやりとりの中で欠けていた人物を突き止めた。
「ルーシー…………そうだ、ルーシーは?」
海水浴場に着いてからというもの、異様にテンションが高かったルーシー。そんな彼女の姿が全く見えないのは明らかにおかしい。
(あいつ、一体どこにいるんだ?)
統哉は意識を集中させ、ルーシーの魔力を探す。人が多いために探すのにしばらく時間がかかったが、ようやく統哉は彼女の魔力を捉えた。どうやら彼女は海水浴場の一番端にある岩場にいるらしい。
「あんな人気のない所で何やってるんだ、あいつは? まあいいや、とにかく行ってみよう」
統哉は首を傾げつつも、岩場の方へ向かう事にした。




