Chapter 7:Part 04 彼女が彼に惹かれた理由
「ぐす……ひっく……」
眞実は夜の町を闇雲に走り回っていた。どこをどう走ったかなんて覚えていない。
息が苦しくなり、膝が笑い出したところで眞実はようやく足を止めた。
気が付くと眞実は雑居ビルが立ち並ぶ繁華街の一角に立っていた。辺りには人っ子一人おらず、ネオンサインの光が頼りなさげに薄暗い通りを照らしている。
(……ああ、またやっちゃった。先輩だけじゃなくて、ホームステイしている皆さんにまで迷惑かけちゃった……私の馬鹿。早く戻って、謝らないと……許してもらえるかどうかわからないけど、それでも謝って、家に帰らないと……)
眞実は決意を固め、元来た道を引き返し始めた。
だが、すぐに眞実は事態の異様さに気付く事になる。
(おかしいな……この道、さっきも通ったよね……?)
道を引き返す事二十分。眞実は首を傾げていた。彼女の目の前には見覚えのある夜の町の風景が広がっていた。
(……やっぱりおかしいよ。さっきから道を変えて歩いているのに、同じ場所に出てくるなんて、ありえない……どうして?)
眞実が事態の異様さに気付き始めたその時。
「――――っ!?」
眞実の全身の感覚を薄ら寒いものが駆け抜けた。眞実は思わず自分の身を掻き抱き、その場にうずくまった。知らず知らずのうちにその体は震えていた。
「な、何なの……今のは……?」
そう呟いた時、背後に何かの気配を感じた。彼女がおそるおそる背後を振り返ると――
甲冑に身を包んだ異形の怪物が、剣と盾を構えて自分の元へと迫っていた。
「くそっ、一体どうしてこうなるんだ!?」
漆黒に染まり、ノースリーブのロングコートを纏った統哉が夜の町を駆け抜ける。その後に戦闘服姿の堕天使達が続く。
「それより、瀬藤はこの先にいるんだな?」
「ああ。向こうから微弱だが、魔力の気配がするよ」
統哉の問いにすぐ後ろを走っていたルーシーが答える。
「そもそも、どうして瀬藤に魔力があって、それがどうして今になって目覚めたんだ?」
「人間の中には、生まれながらに魔力を宿している者がいる。巫女や対魔師の家系がその代表だな。しかしごく稀に何の変哲もない人間が魔力を宿して生まれてくる事がある。私も実際に目にしたのはそんなに多くないがね」
「……だが、今回のように様々な性質を持ち、かつ強い魔力にあてられた事によって、潜在的に眠っていた魔力が覚醒してしまう事がある。確率としては『稀によくある』といったところだが」
「稀なのかよくあるのかどっちだよ」
ベルの補足説明に統哉がツッコむ。その時、統哉の頭を疑念がよぎった。
「……そういえば、どうして俺だけ瀬藤の魔力を感知できなかったんだ?」
「それはヒトと堕天使の違いだな。ベル達堕天使は、今は肉体を得ているとはいえ、元々は高純度の魔力を持った霊体だ。だから、微弱な魔力も感じ取れる。だが、お前はヒトの身に堕天使の力、それも一部を宿しているにすぎない。だから微弱な魔力はまだ感じ取れないのだろう」
ベルが説明する。
「じゃあ、俺も<欠片>を取り戻して<天士>の力を上げれば魔力を感じ取れるようになるのか?」
「ああ…………だが、ベルはそうなってほしくはないが……」
「何だ、ベル? 途中からよく聞こえなかったぞ」
「……いや、何でもない」
ベルがかぶりを振ったその時――
「みんな、あれ!」
エルゼが叫び、通りの一角を指差した。一行が見ると、その先の空間が捻れたように歪み、モノクロに染まっているのが見えた。
「……<結界>、だね~」
口調こそおっとりしているが、明らかな警戒を含んだアスカの声。
「……近くに<欠片>の気配はしない。どうやらこの結界は眞実の魔力を嗅ぎつけた天使達が張ったものらしいな」
目を細めて<結界>を目視していたルーシーが呟く。その時――
『きゃああああぁっ!』
<結界>の奥から眞実の悲鳴が響いた。統哉達の間に緊張が走る。
「まずい! 瀬藤に何かあったんだ!」
統哉は叫ぶや否や、<結界>に向かって走り出した。
「あ、統哉! 一人で突っ込むな! 危ないぞ!」
背後でルーシーが何やら叫んでいるが、彼はそれに構う事なく先へ進む。
「死なせるもんか……絶対に……!」
統哉の呟きは日常と非日常の狭間へと消えていった。
「きゃああああああああぁっ!」
眞実はパニックに陥りながらも必死に迫りくる異形の者――<天使>達から逃げていた。
(な、何なの!? あの天使みたいな化物達は!? それに、さっきからあちこちであの化物に似た気配がするし……私、一体どうしちゃったの!? わけがわからないよぉっ!)
理解できない事が多すぎる。だが、今の自分にできる事は逃げる事しかなかった。
一方、<天使>達はなかなか眞実を捕まえる事ができないでいた。ある者は地を駆け、またある者は低空飛行で眞実を追う。だが――
「こ、来ないでよぉっ!」
ブンッ!
空を切る音と共に空っぽのゴミ箱がフルスイングと共に投擲され、<天使>の顔面に直撃した。倒れはしなかったものの、その衝撃は相手をのけぞらせ、足止めするには十分だった。自分の放ったゴミ箱が命を救った事など知る由もなく、眞実は逃げ続ける。だが<天使>達はなおも眞実を追い続ける。
「きゃああああああああぁっ!」
逃げ惑いながら、眞実は近くに落ちていた空き缶数個を拾い、後方へ投げつけた。
闇雲に投げつけられた空き缶はてんでバラバラの方向へ飛んでいく。だがそれらは悉く眞実の命を救っていた。ある者は缶を踏んだ事でバランスを崩して転倒し、またある者は顔面に直撃した事で怯んだ。
(助けて、八神先輩……!)
眞実は必死に祈りながら、異界を駆け続ける。
『きゃああああああああぁっ!』
眞実の悲鳴の反響音と、彼女と<天使>の放つ魔力の気配を頼りに統哉達は眞実を探していた。
「……よし、あっちだな! 急ごう!」
一行は統哉を先頭に迷う事なく通りを進み、路地を抜けていく。一方、最後尾を進むアスカとエルゼはひそひそ話をしていた。
(……ねーえるえる、今日のとーやくん、やけに熱くない? でもどこか焦ってるっていうか~)
(……うん。眞実ちゃんを何としても守らなきゃいけないって気持ちが強く伝わってくるよ。何がどうして、統哉君を突き動かすんだろう……?)
アスカとエルゼは先頭を走る統哉の背を見つめながらも、眞実を助けるために走り続ける。
「そ、そんな……!」
ただがむしゃらに走っていた眞実は広場に出た瞬間愕然とした。
彼女の目の前には、<天使>の群れが待ち構えていた。すぐに踵を返して逃げようとしたが、そこにも<天使>の姿があった。しかも完全に包囲されているため、逃げる事は不可能に近かった。
眞実の体力はとっくに限界を超えていて、喉からは酸素を求める不快な音が漏れ、足は恐怖からガクガクと震えていた。
凍り付いたように動かない彼女の元へ、正面に立つ<天使>がゆっくりと歩み寄ってくる。そして、手にした剣を大きく振りかぶった。
眞実の目には、振り上げられる剣の動きがスローモーションに映った。そして、彼女の脳裏を走馬灯が駆け抜ける。中でも鮮烈に映ったのは、「彼」と出会った時の事だった。
高校時代のある日、眞実は失意の底にあった。数日前、物心ついた時からずっと一緒にいた愛犬を病で亡くしたのだ。
そのショックは大きく、食事もほとんど喉を通らず、ただ、無気力に生きていただけだった。その日も無気力のまま、学校に通おうとしていたその時、彼女の目の前にトラックが突っ込んできたのだ。
(……ああ、私、ここで死んじゃうんだ……)
眞実はまるで他人事のように、自分の死を受け入れた。その時――
『危ないっ!』
声がした。そう認識した直後、誰かが自分を突き飛ばした。
僅かな浮遊感の後、地面に叩きつけられる衝撃。そして痛みが彼女を襲った。痛みに顔を顰めつつ、彼女が顔を上げると、そこには寝癖で髪が跳ねている、一人の少年の姿があった。
『……君、大丈夫か?』
少年は自分の制服の一部が破けている事も気にせず、自分にそう問いかけた。
『は、はい……あの、危ないところをありがとうございました……!』
眞実があわてて礼を言うと、少年は安堵したように微笑みかけた。
その笑みは、屈託のないものであり、眞実に強い印象を与えた。
『よかった、守る事ができて……』
少年はそれだけ言うと立ち上がり、去っていった。「彼」が同じ学校の生徒である事を知ったのはそれから間もなくの事で、あの一件がきっかけで眞実は「彼」と交流を持つようになった。
一緒に食事をしたり、勉強を教えてもらったり、学校行事を一緒に過ごしたり。その中で彼女は「彼」が本当に心優しい人間であると知った。
その時間は充実したものであり、そして、夢のようだった。
思えば、あの時から自分は「彼」に惹かれていたのかもしれない。
自分の身を顧みず、命を救ってくれた「彼」に。あの柔らかい笑顔を向けてくれた「彼」に。
そして、無意識の内に眞実の口は言葉を紡いでいた。
「助けて……八神先輩……っ!」
消え入りそうな声で眞実がその名を呼んだ時だった。
ガキイイィンッ!
金属同士がぶつかり合う甲高い音がした。
いつまでたっても死の瞬間が訪れない事に疑問を覚えた眞実がそろそろと顔を上げた時、眞実は息を飲んだ。
彼女の目の前では、黒のロングコートを纏い、手にしている白い刀身と黒い刀身を持った剣で<天使>の振り下ろした剣を受け止めている統哉の姿があった。
「八神、先輩……?」
無意識の内に双眸が見開かれ、掠れた声が漏れる。
(本当に、来てくれた……? でもどうして、先輩はそんな格好を? それに、その剣は一体……? 何だか不思議な力を感じる……)
眞実の中でたくさんの疑問が沸き起こる。その時、統哉が振り返った。
「瀬藤、大丈夫か!?」
「は、はい……」
その言葉に統哉は微笑んだ。「あの時」と同じように。
「そうか、よかった……本当に無事で……」
統哉は安堵の溜息を漏らすと、前に向き直り、受け止めていた剣を一気に弾き返した。体勢を崩し、たたらを踏んだ隙を見逃さず、統哉は手にした双剣――ルシフェリオンを交差させるように構え、一気に振り抜いた。
鎧もろとも×の字に切り裂かれた<天使>が断末魔を上げ、モノクロの虚空へと消えていく。
「えっ!?」
目の前で起きた突然の出来事に、眞実は目を白黒させるしかなかった。統哉はそれに構わず、上を見上げて叫んだ。
「――二人共! 頼んだぞ!」
すると、その声に応えるかのように、ビルの屋上から二つの影が舞い降りた。
「ここからは、私達のステージだ!」
「シャバドゥビショウタイム! ……と言っておいてやるか」
ハイテンションなルーシーの口上と、ハイテンションからローテンションへ急下降したベルの口上と同時に、二人は統哉と<天使>達との間に割って入った。
「さーて、飛ばして行きますか! ベル、遅れるなよ!」
「お前の方こそな!」
二人は声をかけ合うや否や、<天使>の群れに突っ込んでいく。
銀と黒、そして真紅の堕天使が舞う度、<天使>達は鎧を砕かれ、肉体を打ちのめされ、焼き尽くされて虚空へ消えていく。
「ど、どういう事なの……? あの二人は一体……」
立て続けに目の前で繰り広げられる人智を越えた出来事に、眞実の頭はすっかり混乱していた。すると、統哉がさらに声を張り上げた。
「アスカ、エルゼ、後ろは頼むぞ!」
「がってんしょうち~」
「まっかせといて!」
おっとりとした声とハキハキした声に眞実が振り返ると、そこにはいつの間に現れたのか、キャノン砲を手にしたアスカと、楔型の攻撃端末――サーヴァントを展開しているエルゼの姿があった。
「アスカさん……エルゼさん……!?」
驚く眞実に、エルゼは軽くウィンクしてみせるとサーヴァントを一斉に放ち、放たれるビームによって<天使>達を撃ち抜いていく。一方アスカもおっとりとした笑顔を浮かべながらキャノン砲を豪快に構え、レーザーやエネルギー弾を発射して敵を焼き尽くす。
眞実は自分の周囲で繰り広げられる戦いに呆然とするしかなかった。すると、統哉がそっと肩に手を乗せて声をかけた。
「大丈夫だよ、瀬藤」
短い言葉ではあったが、その一言で眞実は自然と落ち着きを取り戻していった。
数分後、<天使>達はすべて撃退された。




