Chapter 6.5:Epilogue 夜空を彩る炎の華
それからしばらくして、時刻は午後七時半。
一行は祭りの中心から少し離れた公園のベンチに腰掛け、一休みしていた。なお、後からベルは頬を染め、妙に艶めかしい溜息をつきながら合流してきた。
「はあ……」
統哉はベンチに背を預け、額の汗を拭いながら溜息をついた。
あれから堕天使達は思い思いの形で祭りを全力で楽しんだ。まあ、その光景は一言で言うならば「平和な地獄絵図(夏祭り版)」と言った方がピッタリだろう。
気が付けば、空はすっかり暗闇に染まり、満天の星が輝いていた。
すると統哉の側でエルゼが満足そうに伸びをした。
「ふう、食べた食べたー! でも、まだ食べられるかも!」
「おい、もうやめて差し上げろ」
ツッコむ統哉の横に立つエルゼの手には、彼女が今までに平らげた食べ物のプラスチック容器が大きなビニール袋いっぱいに詰まっており、彼女がどれだけの量を食べたのかを如実に物語っていた。
「そーだねー、わたしも久々にスナイピングしちゃったなー。でも、まだこういうのが得意な堕天使に比べたらまだまだだけどねー」
「……あれ以上って、一体どれだけの腕前なんだよ、そいつら。っていうか本当二人共出店泣かせだな。出入り禁止にならなかったのが不思議でしょうがないぞ、俺は」
両手に射的の景品がたんまりと入った大きな紙袋を提げたアスカが相槌を打ち、統哉がツッコむ。
一方で、ベルはベンチに腰を下ろし、ふるふると体を振るわせていた。
「……カメラ、フラッシュ、写真プレイ……そういうのもあるのか……凄くイイ、遙かにイイ……はうぅ、フロンティアはどんどん開拓していくべきだな……」
「……………………」
こいつは色々な意味でとっくに終わっている気がする。統哉はそう結論づけた。
すると、突然ルーシーがパンパンと手を打った。全員の視線が彼女に集中する。そして――
「……さて、諸君。突然だが、移動するぞ。私についてきてくれ」
唐突にルーシーが宣言した。
「おいおい、祭りはまだ終わってないだろ? どこに行こうっていうんだよ?」
統哉が怪訝な顔をして尋ねる。するとルーシーは悪戯っぽく笑い、
「――イイトコロ、だ」
と、言うだけだった。
それから、時刻は午後七時五〇分。
ルーシーを先頭に、統哉達一行は何故か夏祭りの会場から少し離れた所にある山道を必死に登っていた。
「はあ……はあ……一体、どこまで行くんだよ……! ……つか、なんだって山登りしなきゃいけないんだよ……!」
肩で息をしながら統哉は文句を言った。
足下が整備された登山道とはいえ、明かりもない夜の山道を登っていくのは正直堪えた。まだ、<天士>の超感覚で昼と同じように目が冴えているのがせめてもの救いだ。
だが、統哉はまだ半袖シャツにジーンズという格好だからまだマシだ。後ろに続く堕天使達は浴衣に下駄という長時間歩くのには向いていない格好のため、統哉よりも息が上がっていた。
しかも、ベルの手にはルーシーが金魚すくいで取りまくった金魚達が詰まった袋が複数ぶら下がり、エルゼは満腹になったせいかどことなく動きにキレがないし、一行の最後尾を行くアスカは普段のぽてぽてとした動き方に加え、射的で総なめした景品の入った袋もある事から、いつも以上にゆっくりとした足取りになっていた。
「君達ー、もう少し急いでくれー。ふぉろーみー、はりあっぷはりあっぷー!」
一旦足を止めて振り返り、統哉達を叱咤するルーシー。
「……だったら少しくらい荷物を持て! 自分だけ持たないとかどういうつもりだ……!」
「ねえ、あたしお腹いっぱいで脇腹が痛いんだけど……あたた……」
「わー、みんな待って~。射的の景品が重たくて動きにくいよ~」
堕天使達も息を切らせ、口々に文句を言いながら道のない山道をぴょこぴょこ飛び跳ねるように登っていく。
やがて、一行は山頂にある開けた場所に出た。そこには小さな休憩所があり、見通しがよく、眼下には祭りの会場が見える。
「よし、着いたぞ。みんな、お疲れ様」
と、一番に到着したルーシーが振り返って声を上げた。しばらくして、統哉達も彼女に追いついた。
「はあ……はあ……やっと終点か……なあルーシー、そろそろ教えてくれよ。どうしていきなり祭りの会場からこんな山の中まで移動してきたんだ?」
と、ルーシーが統哉を手で制した。
「まあ、静かに待て。もうすぐだよ」
そう言って彼女は眼下の風景を振り返った。そして、しばらく時間が経過した時――
「――さあ、ショータイムだ」
ルーシーがそう呟いた次の瞬間、一行のはるか頭上から大きな破裂音が数回に渡ってこだました。
「始まったな!」
ルーシーは大きく背を反らせて夜空を見上げる。ふと見回すと、他の堕天使達もルーシーのように夜空を見上げていた。
直後、一筋の光が夜空に上っていった。直後、光は大きく破裂し、鮮やかな花と突き刺さるような音へ変じた。会場からかすかに聞こえる歓声に応えるように、新たな光の種子が再び夜空という地面へ蒔かれ、そして花開く。
あっという間に、たくさんの花火が陽月島の夜空に花開いた。それは、夜空に咲き誇る一夜限りの花畑。
「……ほう、これは見事なものだな」
「すごいすご~い! お花畑~!」
「たーまやー! かーぎやー!」
堕天使達は歓声を上げながら夜空を彩る炎の響演に見入っていた。
「ふふん、祭りの下見の際に、花火を打ち上げる場所を調べ、そしてそれがよく見渡せる場所を探していたら、ちょうどここが見つかったってわけさ。ここら辺は人通りも少ないから、絶好の穴場ってわけだ」
ルーシーが得意そうに言う。
「…………」
堕天使達がはしゃぎながら思い思いの感想を口にする一方、統哉は言葉もなく、ただ呆然と花火に見入っていた。
「……綺麗だな」
すると、統哉の隣で花火を眺めているルーシーがポツリとそんな言葉を漏らした。
彼女の金色の瞳は夜空に浮かぶ花火に照らされ、七色の虹のように輝いている。普段では全くと言って良いほど見る事のない彼女の姿に、統哉は思わず微笑みを浮かべた。
――本当に、こいつらと来て良かったな。
夜空に彩る花火が、その破裂音と共に彼の心を満たしていく。
おそらく、一人でこの美しい花火を見たとしても、自分はきっと満たされなかっただろう。側に堕天使達が居たからこそ、自分はこうして何物にも代え難い、満ち足りた気持ちを得る事ができたんだと、統哉は実感した。
「あ……」
その時統哉は、ふと自分が涙を流している事に気が付いた。
それは、自分の心が久しく満たされた事への反動か、自分の側に誰かがいてくれるという安心感からか。
堕天使達はそれに気付く事なく、花火に夢中になっている。
統哉は思わず、腕で涙をゴシゴシと拭う。すると、その様子に気付いたルーシーが統哉に声をかけた。
「――どうした統哉? 泣いてるのか?」
「「「えっ!?」」」
すると、堕天使達が即座に反応し、一斉に統哉を見た。統哉は目を拭い終えると、笑って言った。
「……いや、長く花火を見ていたから目がチカチカしてさ」
「……なんだ、そうだったのか。ああ、それよりもほら、せっかくの花火なんだから、離れてないで、みんなとくっついて見ようじゃないか」
そう言ってルーシーは統哉の背中をぐいぐいと押し、堕天使達の元へ押し出した。
「こ、こら、押すなって」
そう言いながらも、統哉の顔は嬉しそうであった。
それから一行は、夜空に花開く色とりどりの炎の華のショーを心から堪能したのであった。
そして統哉は願わくば、この幸福が少しでも長く続いて欲しいと、心の底からそう思った。
やがて、最後に一際大きな花火が夜空を彩り、打ち上げ花火は終了した。
「――ありがとう、統哉」
最後の花びらが夜空へ消えた時、ルーシーは統哉に礼を言った。
「え?」
思わず聞き返した統哉に、ルーシーは彼の目を見据えて言った。
「私達堕天使は、以前の世界では祭りに出かけたり、花火を見る機会なんて滅多になかったんだ。こうして純粋に、のんびりと人間界の祭りを楽しむのは、今回が初めてだったんだ。こんな日を迎える事ができたのは君のおかげだ。本当に、ありがとう」
ルーシーが深々と頭を下げる。一瞬遅れて、堕天使達が頭を一斉に下げた。
統哉はしばらく押し黙っていたが、やがて口を開き、
「……こっちこそ、ありがとう」
と礼を述べた。
「え……?」
今度はルーシーが聞き返す番だった。
「……俺は両親が死んでから祭りになんて行かなかったんだ。でも、今年は久々に祭りに行けたし、何より、ハチャメチャだけど本当に楽しかった。本当に、ありがとう」
そう言って統哉は頭を下げた。そして、頭を上げた後、満面の笑顔を浮かべた。そして――
「――また来年、ここで花火を見よう」
その言葉は自然と紡がれていた。彼の言葉に堕天使達はただ笑顔で頷いた。
その帰り道。
「……いやー、今日は最高に楽しかったな!」
片手に金魚がたんまり入った袋をぶら下げ、ルーシーは満足そうに言った。
「なあルーシー、その金魚どうするんだよ。みんな飼うのか?」
「ん? ああ、私に金魚を飼う趣味はないんでね。明日にでも、近所の子供達に分けていくよ」
「……じゃあ、何のために金魚すくいやったんだよ」
呆れる統哉に、ルーシーはニヤリと笑って答えた。
「祭りだからさ」
「……あっそ」
あっけらかんと言うルーシーに、統哉は溜息をつく事しかできなかった。
「……しかし、今日はいきなり撮影のモデルを頼まれて疲れた。ベルは帰ったらすぐに風呂に入りたいぞ」
「ねーねー、家に帰ったら今日のわたしの戦果、みる~? 射的の景品総なめだよ~?」
「それもいいけど、家に帰ったらこの食べ物の山、みんなで食べよっ!」
と、堕天使達も騒ぎだした。
「あーわかったわかった。とりあえず、家に着いてから考えような?」
そう言って堕天使達を宥める統哉の顔はいつになく清々しいものだった。
だが、祭りの帰りで浮かれていた彼らは気付かなかった。
「……八神先輩? そんな、どうして……」
電柱の影に佇み、その背後から一行を見つめていた少女の存在に。




