Chapter 6.5:Part 01 旅行翌日
「ん……」
八月十六日。統哉はカーテンの隙間から覗く朝日に目を覚ました。枕元の時計を見ると、時刻は午前十時過ぎだった。
昨夜は二泊三日の温泉旅行から帰ってきたばかりで、帰ってすぐ軽食をとった後に入浴、それからすぐに寝てしまったのだった。
疲れが溜まっていたにもかかわらず、目覚めはスッキリ、体は軽い。
ゆっくりと体を起こし、大きく伸びをする。
カーテンの隙間から覗く日差しは、今日も猛暑日である事を実感させた。
とりあえず、軽い朝食をとってできる範囲で掃除をしよう。そう思い、統哉は着替えをすませると部屋を後にしようとしたその時。
「ん?」
ふとドアの下を見ると、何やら折り畳まれた紙がドアの隙間に差し込まれていた。
「何だろう?」
統哉がそれを拾って広げてみると、
『グッモーニン、統哉。いきなりだが私達堕天使は私用で出かけてくる。昼食は向こうでとるから問題ない。それと璃遠へのお土産はついでに持っていく。夕方には戻る。
追伸、夕方の予定は空けといておくれやす。よろしこ』
という、流麗なルーシーの字が書かれた書き置きだった。
書き置きを畳んだ統哉は一言、
「うぜえ……」
そう言わずにはいられなかった。
せっかくの爽やかな目覚めが一瞬にしてウザいものへと変貌してしまった事に憤りを覚えずにはいられなかった統哉であった。
「書き置きぐらい真面目に書いてくれよ……」
一人ごちつつ、統哉はリビングへ向かった。
リビングへ行くと、そこはエアコンの動く音以外は無音だった。
堕天使達が自由に過ごしている姿は影も形もない。以前、堕天使達が自分の部屋を作った時は姿こそ見えないものの、思念が届くほど近くにいた。しかし今は、思念を飛ばしてもしばらくすると靄のように消えてしまう。
その事に統哉は妙な寂しさを覚えた。
「……俺、すっかりあいつらがいる事が普通になってたんだな」
リビングに立ち尽くし、一人ごちる統哉。しばらくの間彼はぼーっとリビングを見つめていたが、やがて何かを振り払うかのように頭を数度横に振ると、足を踏み出した。
ふとリビングのテーブルを見ると、鍋と食器一式が用意してある事に気が付いた。
そしてその側には書き置きが置いてあった。
『おはこんにちは統哉君。この三日間はお疲れ様でした! 消化と体力回復を考えてあたしとベルがおじやを作っておきました! 温めて食べてね! カラダニキヲツケテネ! エルゼ&ベル』
書き置きを手にしつつ、鍋のふたを取って中を覗いてみると、そこには細かく刻まれた野菜が散りばめられ、出汁の香りが食欲をそそるおじやがかすかな湯気を立てていた。
「……ありがとう、エルゼ、ベル」
料理上手と火のエキスパートの優しさが身に沁みる。
書き置きを読み終え、鍋のふたを戻した統哉は思わず笑みをこぼしていた。
「……っていうか、最後の一文どういう事だよ」
もちろんツッコミも忘れない。
それから統哉は、午前中に簡単に掃除をすませ、エルゼとベルの作ってくれた絶品おじやを昼食に食べ、午後には買い物をすませたのであった。
時間はあっという間に経ち、時刻は午後五時過ぎ。
買い物から帰り、品物を片付けていたその時、統哉の持つ<天士>としての感覚がすっかりお馴染みになった堕天使達の気配を捉えた。
「帰ってきたな」
一人ごち、統哉は立ち上がると玄関へと向かい、ドアを開けた。
「おー、おかえり。お前ら朝から一体どこ……に……?」
ドアを開けた直後、統哉は言葉を失った。
そこには、色とりどりの浴衣に身を包んだ堕天使達が立っていた。
アスカは明るい紫の布地に青い花柄、エルゼは紺の布地に朝顔柄というシンプルな組み合わせだった。ベルは二人とは違い、赤い布地に金魚柄が刺繍された浴衣だがなぜか裾は短く、袖や裾にはフリルがあしらわれていた。
よく見ると、アスカは長い髪を結わえており、さらに全員手に色とりどりの巾着を持ち、和風の髪飾りを付けている。
いつもとは違う堕天使達の出で立ちに統哉は思わず見とれてしまっていた。
だがそれも一瞬の事で、統哉はすぐに疑問を投げかけた。
「……お前ら、その格好どうしたんだ?」
「どうしたって統哉君、今日お祭りじゃない! ほら、これ!」
エルゼが「君は何を言ってるんだ」と言いたそうな顔で手にした一枚のチラシを統哉に突き出した。
「祭り……?」
統哉がチラシを受け取り、目を通してみると、そこには夜空を彩る大きな打ち上げ花火の写真をバックに、「陽月島花火大会」という文字が踊っていた。ちなみに開催日は今日。
「……そうか、今日夏祭りだったんだ」
「とーやくん、もしかして忘れてた~?」
アスカの問いに統哉は正直に頷いた。
「……ああ。夏祭りなんて、もう久しく行ってないしな。父さんと母さんが亡くなった年から、さ」
その言葉に堕天使達は言葉を失った。
「そうか……すまなかった、統哉」
「謝る事はないよ、ベル」
すまなそうな顔をしたベルに、統哉は笑いかけた。しばらく、玄関を重い沈黙が支配する。
暗くなった空気を払拭しようと、わざと嬉しさを全面に押し出し、その場でくるりと回ってみせるエルゼ。
「……そ、それにしても、浴衣って初めて着たけど、いいね、これ♪ 気に入っちゃった!」
「そーだねえるえる~。このゆったりとしていて、かつ涼しげなデザインがいいよね~」
アスカも笑ってエルゼの意見に同意する。しかしベルだけはどこか微妙な笑みを浮かべていた。その表情から彼女が何かを言おうとしているかを察した統哉は先に尋ねた。
「なあベル、どうしてお前の浴衣はその、そんな変わったタイプなんだ?」
統哉の疑問にベルは軽い溜息をつきつつ肩を竦め、
「……いや、何故かはわからんが担当してくれた店員がやたらこの浴衣を推してきてな。他の浴衣を選ぼうとしても、
『諦めんなよ、諦めんなお客様! どうしてそこでやめるんだそこで! もう少し頑張ってみろよ! ダメダメダメダメ諦めたら! 周りの事思えよ! 応援してる人達の事思ってみろって! お客様にはこの浴衣が一番似合っております!』って意味不明な熱弁を振るわれ、半ば押し切られる形で決まってしまったんだ……なんだか、ある意味ベルよりも熱い……いや、暑苦しい店員だったな。まあ、確かにこの浴衣はいいチョイスだと思うが」
「……い、一体どういう店員だ……?」
押し売りすら通り越した別の何かに、統哉は首を傾げるしかできなかった。
そこでふと統哉はある事に気付いた。
「あれ? そういえばルーシーは?」
「ルーシーなら、あっちに残って下見してるって」
エルゼが答える。
「下見?」
その言葉に統哉は再び首を傾げた。
「うん。なんか出店のくじや射的の景品とか色々なものを調べるって」
「……いや、何やってんだよあいつ」
統哉は溜息をついた。果たして祭りとはそのように事前の下調べが必要なものだっただろうか?
すると、今度はアスカが統哉に声をかけた。
「ね~ね~とーやくーん、わたし達の浴衣、似合ってるかな~?」
「そうだった! ねっねっ統哉君、あたしのは!?」
「統哉、ベルの貴重な艶姿、どう思う?」
一斉に迫ってくる堕天使達に統哉はたじろぎつつも答えた。
「……ああ。三人とも、よく似合ってるよ。アスカは落ち着いた雰囲気が出ているし、エルゼはさっぱり爽やかな空気が周りに出ているし、ベルはそのゴスドレスっぽい浴衣がとてもよく似合ってる」
と、一人一人に純粋な感想を述べる統哉。すると彼女達は喜びを露わにした。
「わーい! 一生懸命選んだ甲斐があったよ~! 落ち着いてるだなんてとーやくんたら~!」
「さ、さっぱりした空気ってアレ!? ザマミロ&スカッとサワヤカな空気の事!? やーん、照れちゃうっ!」
「に、似合っている……だと……!? う、嬉しい事を……ぶはぁっ、鼻血が……!」
「鼻血拭けよ」
統哉はすかさずどこからともなく取り出したティッシュをベルに渡す。
ティッシュで鼻血を拭き、端をちぎって鼻に詰めたベルはコホンと咳払いをし、言葉を紡いだ。
「……さあ統哉、夜はこれからだ。目一杯楽しもうじゃないか」
「今日はお祭り、無礼講~」
「さあ統哉君、レッツゴー!」
「おいおい!? ちょっと待てよ!」
口々に言いながら、統哉の手を引き、外へ引っ張ろうとする堕天使達。統哉はそれに全力で踏ん張る事で何とか止めた。
「……とーやくん、もしかして行きたくないの~?」
アスカが頬を膨らませながら抗議する。
「いや、どうせ断っても無理矢理連れていくつもりだろ?」
「まーね♪」
エルゼが元気よく答える。
「……ああ、そんな事だろうと思ったよ」
「では、何が不満なのだ?」
嘆息する統哉にベルが尋ねた。すると統哉は軽く息を吸い込み、
「……せめて出かける支度はさせてくれ。さっき買い物から帰ってきたばかりでまだ片付いてないんだ」
「「「あー」」」
と、堕天使達は納得したように手をポンと打った。
するとエルゼは一つ頷き、
「じゃあ、四〇秒で支度して!」
「無茶言うなよ!?」
ツッコみつつ、統哉はできるだけ急いで買い物の片付けを終え、外出の支度をすませたのだった。




