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Chapter 6:Part 10 温泉旅行二日目・異変

「くそっ……離せっ……!」


 統哉は暗闇の中で叫びながら、必死にもがいていた。

 今、統哉は何者かにしがみつかれていた。暗闇のせいではっきりと見る事はできないが、自分の両腕を掴む腕に、両足にしがみつく者――計四人はいると思われる者達が統哉を掴み、奈落の底へ引きずり込もうとしていた。

 統哉も必死に抵抗するが、相手の力は凄まじく、もがけばもがくほど統哉の体は蟻地獄の底へと引きずり込まれる蟻の如く、下へ下へと引き込まれていく。

 得体の知れない者によって何が待ち受けているともしれない奈落の底へと引きずり込まれていく恐怖に、とうとう統哉は耐えきれず絶叫した。


「や、やめろおぉぉぉっ!」




「――はっ!」


 絶叫すると同時に統哉は目を見開いた。視界には木製の天井が映っている。荒くなっている呼吸を必死に整え、統哉はようやく我に返った。


「はあ……はあ……な、何だ、夢か……」


 自分に言い聞かせるかのように呟く統哉。気がつくと全身汗だらけだった。無理もない。あのような悪夢を見たのだから。


「……ひどい汗だ。朝風呂に入って流さないと……ん?」


 そこまで呟いた時、統哉は自分を襲う違和感に気が付いた。

 ひどく体が重い。それも、気分的な意味ではなく、体感的な意味で。さらに、何か柔らかいものが押しつけられている。

 違和感の正体を確かめようと限界いっぱいまで体を起こし、自分の体を見ると、右腕にルーシー、左腕にアスカ、右足にベル、左足にエルゼがガッシリとしがみついていた。それも全員が盛大に寝息を立てて。

 そして、両腕にはそれぞれルーシーのなかなか大きな胸と、アスカの豊満な胸が、両足には僅かながらも膨らみを感じさせるベルの胸とそれなりに膨らんでいるエルゼの胸がしっかりと押し当てられており、統哉は押しつけられている柔らかいものの正体をはっきりと自覚した。


「…………」


 統哉は二度、三度と四肢にしがみつく堕天使達の天使のような寝顔(実際堕天使だが)を見た後、納得したかのように頷いた。


「……そうかそうか。あの悪夢はこいつらが原因だったんだな。まったく、しょうがない奴らだなぁ」


 と、仕方がないなという表情を浮かべる統哉。

 昨晩のジャンケンの結果、右隣にはルーシー、その隣にベル、左隣にはアスカ、その隣にはエルゼという結果になったのだが、これではジャンケンの意味などないじゃないか。

 そんな事を考え、堕天使達の寝顔を眺めながら穏やかな笑みを浮かべる統哉。そして――


「……って、何やってんだお前らはああぁぁぁっ!?」


 朝一番、統哉は叫び声を上げ、駄天使達を文字通り気合ではね飛ばした。

 駄天使達はてんでバラバラの方向へと吹き飛ばされ、ある者は畳に猛烈なキスを、またある者は柱に強烈なロケット頭突きをかました後、目を覚ました。


「あたた……お、統哉おはよう。いい朝だな。時に私は何故こんな所で寝ていたのかな? それに何だか頭が痛いんだが……」


 と、ルーシーが頭をさすりながら体を起こした。浴衣が着崩れて白い肩が覗いている様はなかなか色っぽかったが、今の統哉には無意味であった。


「うるさいよ! 何なんだよお前ら人を抱き枕みたいにしてべったらことひっつきやがって! おかげさまで汗かいたし、ひどい夢まで見たじゃねーか!」

「ああ、それはすまんな、本当にすまん。ちなみに、どんな夢だった?」


 どこかまだ寝ぼけた口調で謝りながらルーシーが尋ねる。


「……何というか、行動回数をたくさん増やす技を使われた後、魔法攻撃力を上げる補助魔法を限界いっぱいまでガンガン使われた挙句に、万能属性の強力攻撃魔法で一撃必殺されたような気分だ……って、ああもう、何言ってんだろう俺」

「統哉君、君疲れてるんだよ。旅館の人に言って薬でも出してもらう?」


 目を覚ましたエルゼが心配そうな口調で言う。


「……そうらしいな。でも大丈夫だよ」


 と、統哉の視界の隅でベルとアスカがのそのそと体を起こし始めた。どうやら先程の衝撃で目を覚ましたらしい。


「……どうしてベルは畳にキスをしているのだ?」

「あたまがいた~い」


 ベルとアスカが呻いているのをよそに、統哉は頭を抱えながらふらふらと立ち上がって部屋の出口へ向かった。その背にルーシーが声をかける。


「統哉、どこへ行くんだ?」

「朝風呂行ってくる……ひどい汗をかいてから、朝風呂にでも入ってさっぱりしないとどうにも目覚めが悪い」

「じゃあ私も行こうかな」

「よし、ベルも行こう」

「わたしも~」

「あたしも!」


 と、RPGの主人公の後についてくる仲間キャラクターの如く統哉の背後に並ぶ堕天使達。そんな彼女達を見た統哉は朝からドデカい溜息をついたのだった。




「いいなお前ら? 昨日みたいな事は絶対にやるなよ?」


 部屋から出て一階へと降りる道すがら、統哉は昨日のような天国と地獄を行き来するような目には遭わないように堕天使達に釘を刺していた。


「わかっている、わかっているさ、統哉」


 ルーシーは笑いながら答える。


「……あれ?」


 と、エルゼが何かに気付いたかのような声を上げた。


「エルゼ、どうした?」

「いや、フロントに誰もいないんだけど? ほら」


 ベルの問いに、フロントを指さしつつエルゼが答える。エルゼに言われた通り一行がフロントを見ると、そこには誰もいなかった。


「……変だな。一人くらいはいないといけないのに」


 そう呟きつつ、統哉は露天風呂のある別館へと向かった。


「あれ? 露天風呂の前に人だかりができてるよ~?」


 と、別館にさしかかったアスカが向こうを指さしながら言う。統哉が見ると、アスカの言う通り露天風呂の入り口には従業員達が集まって、何やら騒ぎながら、しきりに露天風呂のあるフロアを覗き込んでいた。


「本当だ。何かあったのかな……って、ルーシー!?」


 統哉が声を上げる。その視線の先では先程とはうってかわって険しい表情をしたルーシーが露天風呂の入り口に向かって走っていく姿があった。


「失礼!」

「あっ、何を……」

「失礼だと言った!」


 従業員が止めるのも聞かず、ルーシーは入り口に固まっている従業員達を押しのけ、露天風呂へと踏み込んでいった。

 ルーシーの後を追って走ってきた統哉達も従業員達に軽く頭を下げ、露天風呂へと踏み込む。そこには――


「何だよ、これ……」


 呆然としながら統哉が呟く。

 一行の目の前には、水滴一つも見当たらない、完全に枯渇した露天風呂の姿があった。

 統哉はすぐ、呆然と立ち竦んでいる女将に尋ねた。


「一体何があったんですか?」


 いきなり声をかけられた女将は声を上擦らせながら話し始めた。


「け、今朝方に温泉が止まっているという連絡があったので見に来てみたらこのような事に……他の温泉宿も同じような事態に……ああ、温泉が枯れてしまってはこの温泉街もいよいよ終わりです……!」


 感極まったのか、その場に泣き崩れてしまう女将。その姿に統哉達はかける言葉が見つからなかった。




 午前八時。

 温泉の代わりに備え付けのシャワーで汗を流した統哉達は部屋に戻って朝食をとり(あのようなトラブルの後でも豪勢な朝食を振る舞うのは流石と言わざるを得ない)、話し込んでいた。


「ルーシー、やたら露天風呂を調べていたけど何かわかったのか?」


 統哉が切り出した。先程ルーシーは統哉と女将が話している傍らで、しきりに露天風呂を調べていたのだ。


「一つわかった事がある」


 ルーシーは静かな口調で語り始めた。


「温泉を枯らした犯人は間違いなく堕天使・・・……それも、水に関わる力を持つ者だ」

「その根拠は?」

「露天風呂にほんの僅かだが、堕天使特有の魔力が感じられた。温泉は熱が加わっているとはいえ、大元は水だ。だから私は水の力を操る堕天使が今回の元凶だと判断した」

「誰の仕業かわかったのか? そしてそれは、この辺りで水に関わるトラブルを引き起こしている者なのか?」


 ベルの問いに、ルーシーは首を振った。


「まだどの堕天使のものかはわからない。しかし、水の力を操っている事と、川で襲ってきた水の竜から感じた魔力に共通点があった事から同一人物と判断していいだろう。まあ大方そいつは騒ぎを起こした後、証拠隠滅のために魔力をせっせとかき消したのだろうが、私の乙女の肌より鋭敏な感覚はごまかせない。探知されたのが運の尽きと言った所だな。ところで――」


 ルーシーはいったん言葉を切り、続けた。


「みんなは、これからどうしたい?」


 と、一人一人を見渡すルーシー。


「私はこの旅館の人達からはたくさんのもてなしを受けている。温泉、美味い料理……他にもたくさんあるが、ここまで人の温かさを実感できた事などいつ以来の事か……だからこそ私は、この旅館――いや、温泉街のためにもこの異変の元凶を取り除きたい。ただしこれはあくまで私個人の希望だ。無理に君達に付き合ってもらう必要はない」


 そして、部屋を沈黙が支配した。


「……そうだな。いつの時代も人の温かさはかけがいのないものだ。それを『無価値』にしてしまうのは本当にもったいない」


 ベルが頷く。


「そうだね~。温泉とフルーツ牛乳とマッサージチェアの素晴らしさを教えてくれたんだもの~。こんなに素晴らしい旅館が私達と同じ堕天使のせいで潰れるなんて、わたし情けなくて涙出てきちゃうよ~」


 アスカも同意する。


「近所のトメお婆ちゃんが言っていた。『一宿一飯の恩はどのような形であれ必ず返せ』と。やろう、ルーシー!」


 エルゼも拳を固く握る。

 そして、堕天使達の視線はまだ一言も発していない統哉に向けられた。視線を向けられた統哉は一瞬身じろぎしたが、すぐに落ち着いた口調で語り始めた。


「……確かに、本来だったら俺には何もできないけど、今の俺には<天士>の力がある。だったら俺はこの力を誰かのために使いたい。俺もやるよ」

「……満場一致、だな。みんな、私のわがままに付き合ってくれてありがとう」


 ルーシーが頭を下げる。


(それにしても……)


 統哉はこれからどうするかを考えていた。

 行動を起こすにも、旅館側に何も伝えずに動くのはまずい。かといって、自分達が<天士>や堕天使という存在である事を伝えるわけにもいかない。一体どうすればいいのか。統哉が悩んでいたその時、ルーシーが声をかけた。


「統哉、今君は自分達がどう動くか、そしていかに自分達が何者であるかを悟られないためにどうすればいいか考えているな?」


 考えている事を見透かされ、統哉は一瞬面食らった顔をしていたが、すぐに頷いた。


「……ああ。でもルーシー、何か考えがあるのか?」

「任せておけ。私にいい考えがある。みんなは私に話を合わせてくれればいい」


 統哉の疑問に、ルーシーはサムズアップして応えた。




 それからしばらくして、ルーシーは女将を部屋に呼んだ。


「……お呼びでしょうか?」


 女将の顔には柔和な笑みが浮かんでいるものの、その声にはまったくと言っていいほど元気がなかった。


「女将、今回のトラブルだが、私達に任せてもらえないか?」


 開口一番、ルーシーはそう切り出した。その言葉に、女将は目を見開いた。ルーシーは一呼吸おき続ける。


「あれから私達で話し合ったんだが、この旅館や女将達には大変世話になっている。だから私達もその恩を返さなくてはと思ったわけだ。だから女将、私達にこの温泉街を襲う災厄を取り除く手伝いをさせてほしい」


 ルーシーの言葉に全員が頷く。女将は信じられないという顔をしながらもルーシーに尋ねた。


「あの、お客様方は一体……」


 するとルーシーはその言葉を待っていたと言わんばかりに胸を張り、堂々と宣言した。


「実は私達、フリーランスの退魔師なんだ。怨霊、ものの怪、困った時はすぐに呼びましょ退魔師、ってね!」


「そうそ……ってええっ!?」


 数度頷いていた統哉はルーシーの思いがけない発言に、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして驚いた。いきなり何を言い出すのか、この駄天使は。


「お前は何を言っているんだ」と目で訴えると、ルーシーは「大丈夫だ、私に任せておけ」と視線で返してきた。


「あの、何か?」


 女将が訝しげな視線を向けてくるのをルーシーは何でもないと手を振り、話を続けた。


「いやいや、私達はフリーランスの退魔師同士でチームを組んでいて、今回はこの度の幸運を利用して少しでも英気を養おうと考えていたんだが、まさか旅行地でも魔が関わるトラブルに遭遇するとはな。これも星の巡り合わせって奴かなぁ、ハハハ」


 けらけらと笑うルーシーに、女将はただぽかんと口を開けるばかりだ。ややあって、


「退魔師……そうなんですか?」


 と、統哉に尋ねた。統哉はその話に荒唐無稽だと思いつつも、


「……はい。フリーの退魔師です」


 と、ルーシーに話を合わせる事にした。話が上手く伝わったと判断したルーシーは本題に乗り出す。


「女将、一つ尋ねたい。この地の水脈はどうなっているんだ?」


 ルーシーが女将に問いかけた。


「はい、この地の水脈は植物の根のように全域にびっしりと張り巡らされており、水は上流から絶えず流れてきております」

「ふむ。では駄目元で聞くが、その水脈に入る事はできないか?」

「翠風館の裏山に地下水脈へと繋がる洞穴があります。ただしそこは地元で聖域とされている場所なので、入ろうとすれば地元の方々が黙っていないかと思います」

「ふむ、どうにかして地元の住民を説得できないか? 私とは一連の水害の原因がその洞穴の中にあると考えている。しかもこれは住民達の生命や生活に関わる大きな問題だ。取り返しがつかなくなる前に解決したい」


 ルーシーの言葉に、女将も事の重大さをはっきりと自覚したようだ。すぐに表情を引き締め、ルーシーに向き直る。


「……わかりました。すぐに集会を開いて住民を説得してみます。しばしお時間をいただけますか?」

「わかった。くれぐれもよろしく頼むよ」


 ルーシーの言葉に女将はわかりましたと答え、足早に部屋から出て行った。それを見送った統哉はふうと溜息をついた。


「……結局、トラブルに巻き込まれるのか」

「トラベルでトラブル……なんちゃって」

「ルーシー、上手い事言ったつもりだろうが、全然上手くないからな」

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