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Chapter 6:Part 04 日本列島堕天使の旅

 八月十三日。時刻、午前五時前。

 今日は待ちに待った二泊三日の温泉旅行当日。そして、統哉と堕天使達は――


「ああああっ! お前ら急げっ! 早くしないとバスに乗れないだろうがぁっ!」


 正直、ギリギリな状況に立たされていた。

 朝一番、堕天使達が住まう混沌空間に統哉の切羽詰まった叫び声が響き渡る。


「エルゼ! アスカはまだ起きないのか!? 時間がないぞ!」

「ダメだよ統哉くん! アスカってば何やっても起きないよ~! しかも案の定裸で寝てるし!」


 アスカの部屋の入り口からエルゼの悲痛な声が響く。


「ああもう流石色欲! ベル! お前はアスカに服を着せてやってくれ! それからエルゼ! お前はベルが服を着せた後にアスカをおぶってくれ! エルゼの荷物は俺が持つから!」

「……世話の焼ける奴だ」


 ベルが肩を竦め、アスカの部屋へと入っていく。


「ごめんベル! お願い! そして統哉君、荷物押しつけちゃってごめんね!」

「気にするな! そもそもアスカの奴、旅行に出るというのにこの超爆睡っぷりを発揮するのが凄いよ!」

「まあまあ統哉、今更じゃないか。大丈夫、間に合うさ。いかなる事態にも動じず、どんと構えて待っていようじゃないか」

「……夜逃げかと思うほどの荷物を用意していたお前が言っても説得力ないからな?」


 などと話していると、エルゼに背負われたアスカが姿を現した。アスカはエルゼに背負われながら暢気に眠っていた。


「おーいアスカ、起きろー」


 と、統哉がアスカの頬をぺちぺちと叩きながら話しかける。すると、アスカはうっすらと目を開けた。


「……ふぉわぁ……おふぁよ~……とーやくーん、そしておやすみ~……ZZZ……」

「っておい! 起きたそばから寝るな! エルゼ! とりあえずアスカに作っておいたおにぎり食わせろ! 今からまともな飯食わせる時間がない!」

「わかった! ――そぉいっ!」


 エルゼは答えると同時に、出かけた際の軽食用に作っておいたおにぎりをアスカの口に押し込んだ。

 もごっ。

 そんな擬音がしっくりくるほどの勢いでおにぎりがアスカの口に押し込まれた。寝ているにもかかわらず、アスカは器用に押し込まれたおにぎりを咀嚼し、飲み込んだ。その様子をさりげなく観察していた統哉は、つくづく器用な奴だ、いや、もしかしたら起きているんじゃないか? と思わずにはいられなかった。

 何はともあれ、やっと出発の準備が整った。

 統哉は堕天使達が家から出た事を確認すると、家に鍵をしっかりとかけた。


「火の元よし! 戸締まりよし! 堕天使……色々とよくないけどよしとしよう!」

「統哉それどういう意味かな!?」

「そのままの意味だよ!」


 即座に反応したルーシーが噛みついてくるのを統哉は一蹴する。


「……って、バスが来るまでもう時間がない! みんな、走れ!」


 統哉の号令の元、一行は朝一番のバスに乗るためにバス停に向かって走り始めた。


「……ふむ。トーストをくわえて道を走るヒロインはよくあるパターンだが、寝ながらおにぎりをくわえて、かつ別のヒロインに背負われて道を走るヒロインというのもまた新しいな。実に斬新だ」

「暢気に分析してる場合かよ!? むしろ斬新すぎて賛否が分かれるよ! つかルーシー、お前は口より足を動かせ!」


 ……まあ色々ありすぎたものの、何とか彼らはバスに間に合ったのだった。



 住宅街から少し離れた所にあるバス停からセントラル街にあるバスターミナルまで向かい、そこから陽月島と四国を通るバスに乗り込み、島同士を繋ぐステラブリッジを渡る。

 橋を渡り、高知県の端に着いた所にある街でバスを降り、高速道を通る高速バスへと乗り換える。

 そこから海沿いの道を通り、愛媛県を経由して四国と中国地方を結ぶ、海にかかっている高速道を通る。

 中国地方に入った後は高速道路を抜け、山間の道を通り抜け、温泉街に入った。

 温泉街特有の情緒溢れる風景を見た堕天使達は歓喜の声を上げていた。


「ん……?」


 と、その時統哉は側に座っていたルーシーが訝しげな表情をしている事に気が付いた。


「ルーシー、どうかしたのか?」


 統哉の問いにルーシーはハッと気付いたように顔を上げ、統哉を見た。


「……ああ。ちょっと考え事をしていたんだ。気にしないでくれ」

「はあ……」


 まだどこか訝しげな表情をしているルーシーの様子は気になったが、統哉は話を終えた。

 そして、陽月島を出発してからおおよそ六時間もの間、バスに揺られ続け、一行は宿泊先である翠風館へと到着した。




「ほほう、これはこれは」


 旅館を見上げたルーシーが感嘆の声を上げる。

 そこには、いかにも老舗といった趣きの、立派な旅館の姿があった。

 高さは三階建てで、周囲の風景と相まって独特の風情を醸し出している。ルーシーは旅館の外観をあちこち見渡しつつ、神妙に頷いた。


「ふむふむ、見た感じでは、築百年は優に越えているな。実にいい。立派な木造建築だ。まさにしなびた……じゃなくて……雛罌粟ひなげし……でもなくて……うぐぐ……」

ひなびた、か?」

「…………」


 頭を抱えているルーシーに、統哉が冷静に指摘する。しばしの間の後、ルーシーは顔を赤くして反論した。


「……し、知ってるよ! 国語の教師か君は! そうだよ! 鄙びたという言葉がよく似合うほど立派な旅館だって言いたかったんだよ!」

「はいはいルーシー、騒がない騒がない」


 騒ぐルーシーの頭をエルゼが押さえた。


「あ! こらエルゼ! 気安く私の頭を押さえるなー! ……く、くそう! 今日はこれぐらいで許したらぁ!」

「はいはい、早く中に入ろうねー」


 なおも騒ぐルーシーの頭をエルゼが押さえたまま、中に入るよう促した。

 そして一行は宿の敷居を跨いだ。


「皆様、本日は翠風館にようこそいらっしゃいました」


 中に入ると、玄関で待っていた、和服に身を包んだどこか溌剌とした雰囲気を漂わせた中年女性が挨拶し、恭しくお辞儀をした。どうやら彼女がこの旅館の女将であるようだ。


「先日予約した八神です。お世話になります」


 一同を代表して、統哉もお辞儀を返した。

 と、頭を上げた統哉は女将が何やらこちらの面々を一人一人見ている事に、それも統哉とルーシーを重点的に見ている、いや、観察している事に気が付いた。

 そして女将は何やら考え込みつつ、「なるほど、なるほど」と呟いている。

 と、その時、女将が目を細め、下弦の月を思わせるほどに口元を歪ませたのを統哉は見逃さなかった。


「――――ッ!?」


 それを見た時、自分の背を冷たい汗が伝ったのを統哉は感じ取った。

 この女将、何かやばい。統哉はそう直感した。

 そんな統哉をよそに、近くを通りがかった従業員を呼び寄せ、何やら一言か二言耳打ちした。それを聞いた従業員は足早に上の階へと上がっていった。


「八神様? どうかいたしましたか?」


 と、そんな統哉の様子を不審に思ったのか、女将が統哉に声をかけた。その時の女将の顔は元の落ち着いた表情に戻っていた。


「統哉? 大丈夫か? 長旅で疲れたのか?」


 ルーシーが心配そうに統哉の顔を覗き込んでくる。


「……ああ、そんな所だ。なーに、少し休めば大丈夫だよ。ありがとな」


 と、統哉はできるだけの笑顔で答えた。


「それでは、お部屋にご案内いたします」


 女将が先頭に立ち、部屋へと案内しようとする。すると――


「ああ、女将さん。ちょっと待ってくれるかな?」


 ルーシーが女将を呼び止めた。


「はい、何でしょう?」


 呼び止められた女将が優雅な動作で振り返る。と、ルーシーは人差し指をピッと立てた。


「一つ、聞いてもいいかな?」

「どうぞ」


 言質をとったルーシーは少し間をおくと、とんでもない一言を口にした。


「一体どうして、他のお客さんがいない・・・・・・・・・・のかな?」


 重い沈黙がロビーを支配した。


「……ルーシー、一体何を言ってるんだ?」


 統哉が沈黙を破り、ルーシーに尋ねる。その側では堕天使達が驚きを隠せない表情をしている。


「統哉、覚えているか? さっき私が窓の外をしきりに気にしていた事を」

「ああ」


 確かに、温泉街に入ってからルーシーはやたらと窓の外を気にしていた。まるで、外の様子を窺うかのように。


「どうにも妙だと思ったんだ。行楽シーズンなのに街を歩いている人間が少なすぎる。外が暑いという事を抜きにしても、あれはおかしい。まるで、観光客がほとんど来ていないかのようだった」


 ルーシーは一呼吸おき、「それに」と続ける。


「バスから見たんだが、駐車場には観光客の物らしき車が見当たらない。あってもせいぜい送迎バスや地元ナンバーの車、おそらく従業員の車、旅館の社用車だ。そして――」

「そして?」

「このロビー自体だ。見てごらん。私達以外の人間が全くいないじゃないか」


 ルーシーに言われた通りロビーを見渡すと、確かにロビーには統哉達以外の人間の姿が見当たらない。全員部屋に引っ込んでいると言ってしまえば簡単だが、いくら何でもこれはおかしい。


「女将さん、一体どうして?」


 たまらず統哉が女将に尋ねる。すると女将はしばらくの間顔を伏せ、押し黙っていたが、やがて重い口を開いた。


「……実は、八神様以外のお客様が全員、一ヶ月ほど前から予約をキャンセルしてしまったのです」

「それはまた、一体どうして?」


 エルゼが尋ねる。だが女将は顔を伏せたまま答えようとしない。


「エルゼ、そこまでだ」


 と、ルーシーがエルゼを制した。


「言いたくないという事は何か大きな事情があるのだろう。私達はあくまで客に過ぎないんだ。下手に詮索するような事はしないでおこう」


 エルゼはまだ何か言いたそうな様子だったが、引き下がった。


「女将。これだけは聞かせてくれ。キャンセルの原因は、何かしらの事件が起きたとか、そういう事情なのか?」


 ルーシーの言葉に、女将は静かに首を横に振った。


「ですが、これだけは信じて下さい。当旅館自体にトラブルが起きたわけではないのです」

「…………」


 ルーシーはそう話す女将の目をじっと見ていたが、やがて納得したように頷いた。


「……その目は、嘘を言っているような目ではないな……よし、わかった。女将さん、あなたを信じるよ。そして、しばらくの間お世話になるよ」


 と、笑顔で言った。それを見た女将の顔も綻んだ。


「……お心遣い、誠にありがとうございます。どのような事情であれ、八神様はこの旅館……いえ、地域にやってきてくださった久々のお客様。私達は皆様方を全力を挙げておもてなしいたします……!」


 と、深々とお辞儀をする女将。その姿には覚悟すら感じられた。


「お待たせいたしました。それでは、お部屋へご案内いたします」




「他の客が予約を一斉にキャンセルした? 一体どういう事なんだ……?」


 女将によって部屋へと案内された一行。そして荷物を下ろした統哉は一人で色々と考え込んでいた。と、エルゼがその脇を通って窓際へ向かっていく。


「わー! とっても高ーい! 外の景色もとっても雄大だねー! やっほー!」

『やっほー……やっほー……』


 ハイテンションなエルゼのよく通る声が山彦となって辺りにこだました。


「お、いいね。ならば私もシャウトさせてもらおう」


 ルーシーはそう言うと窓際へと歩いていき、


「ボルテッカーッ!」

『ボルテッカーッ……ボルテッカーッ……』


 ルーシーが放ったよく通るソプラノボイスがこだます。そういえば、かつてこの言葉を全身全霊を込めてシャウトしたせいでマイクがぶっ壊れたという逸話があったなと、統哉は思った。

 すると、それを聞いたベルが立ち上がった。


「やれやれ、ルーシーはナンセンスだな。本当の山彦とは何たるかをベルが教えてやろう」


 ベルがルーシーの隣に立ち、軽く深呼吸する。そして――


「あなたはそこにいますかー?」

『あなたはそこにいますかー……あなたはそこにいますかー……?』


 うっかり「YES」と答えると、どうかした末、そこからいなくなってしまいそうな声がこだました。


「って、アホかーっ!」


 すぱぱーん!


「おるふぇすっ!?」

「らいらすっ!?」


 一瞬で距離を詰めた統哉は、二人の駄天使の脳天に連続でハリセンを振り下ろした。ルーシーとベルは立て続けに間抜けな悲鳴を上げた。


「何だよ二人共その山彦は!? ルーシー! お前のは必殺技の反物質砲か!? それとベル! お前のは『YES』と答えたら相手と同化して、『NO』と答えたら相手を破壊する両極端な珪素生命体か!」

「おおぅ……相変わらず容赦なく、かつ的確なツッコミ……というか君、旅先にまでハリセンを持ってきたのか……?」


 ルーシーが頭を押さえながら尋ねる。


「ああ。旅先だとただでさえ外れているお前らの羽目やタガがコントロール不能な領域にまで突き抜ける事は簡単に予想できていたからな。だからこれで制御してやる事にしたわけだ」

「な、なんて抜け目のなさ……いくら何でも旅先にまでハリセンを持ってくる事はないだろうとタカをくくっていた私が間違っていた……」


 ルーシーが呻く。そんな彼女をよそに、統哉は口を開いた。


「そうだ、一つ疑問があるんだけど誰でもいい、答えてくれ」


 軽く咳払いをし、統哉は口を開いた。


「……なんで、俺達全員一つの部屋に集まってんの?」


 そう。あれから女将に案内された部屋は三階の大部屋だった。それも、十五畳の広さで、五人は優に泊まる事ができるほどの。


「「「「さあ?」」」」


 堕天使達は一斉に首を傾げた。


「いやいやいや、おかしいだろ常識的に考えて! なんで男一人女四人という組み合わせなのにどうして全員一まとめにするんだよ!? 普通俺一人に、お前ら一部屋か二部屋が基本じゃないか!? あの女将一体なに考えちゃってんの!?」


 と、一人でまくし立てる統哉に対し、堕天使達はなんて事ない顔をしている。


「私は別に構わないよ。むしろいつも通りじゃないか? ただリビングと旅館の大部屋という事と、全員が一緒の部屋で寝泊まりするという違いなだけじゃないか」

「ベルも依存はない。むしろ夜中に統哉の部屋へ夜這いに行く手間が省け……いや、何でもない」

「わたしも問題ないよ~? むしろとーやくんと一緒の方が落ち着くし~」

「あたしもオールオッケー! ここで食べられるご馳走の調理法や隠し味について統哉君と議論したかったし!」


 と、堕天使達は「全く問題ありません!」という態度だ。


「それに、統哉は紳士ジェントルマンだからな。若気の至りでつい性欲を持て余して私達に怪盗ダイブする事もないだろうし」


 と、ルーシーが付け加えた。


「そりゃどうも。でも、万が一俺が襲いかかってきたらどうするんだよ?」


 悪戯っぽく笑う統哉に、堕天使達は色めき立つ。


「きゃ~、湯上がりで色っぽく染まったわたし達の肌にとーやくんが欲情して襲いかかってきたらどーしよ~」

「べ、ベルは別に構わないぞ? む、むしろバッチコーイなんだが?」

「は、恥ずかしい台詞禁止っ!」


 と、三者三様の反応を見せる堕天使達とは対照的にルーシーは肩を竦め、


「……まあ、統哉の事だから私達に襲いかかろうとしてもいざとなったら急に尻込みするようなヘタレだからそんな心配は杞憂だな」


 すぱぱぱーん!

「「「「アバーッ!?」」」」

「……お前ら、少しは自重しろ。そしてルーシー、俺を一体何だと思ってる……まあ、実際そうなりそうだから反論できないが」


 苦虫を噛み潰したような顔をし、片手でハリセンを弄びながら統哉が呟く。

 そしてこうも思う。今更だが堕天使の辞書には「常識」という言葉は載っていないし、今後も載る事はないだろう。むしろ常識の「じ」の字どころか、「し」の字ですら存在していない気さえしてきた。




「――でさ、みんなはどう思う? この事態」


 堕天使達に茶を淹れてやりながら統哉が切り出す。


「うーん、特に気にする事はないんじゃないか?」


 と、ルーシーが真っ先に暢気な意見を述べた。


「いや、そもそもお前ら、おかしいと思わないのか? 湯治場や避暑地として有名なこの場所で、観光客がめっきりいなくなったってどう考えても異常だろ」

「まーまーとーやくん、逆に考えようよ~? 事実上の貸し切り状態なんだから、い~っぱい楽しもうよ~」


 と、アスカが畳に寝転がり、卓袱台の上に置いてあったせんべいをかじりながら言う。その姿は完全にオッサンそのものだったが。


「アスカの言う通りだぞ、統哉。女将が気を利かせてこうして全員同じ部屋にしてくれた事からも、あちらの本気ぶりが伺えるだろう。それに、部屋からほぼ十一歩の距離に自動販売機がある。極めて便利じゃないか」


 ベルが手すりにもたれかかって外を眺めながら言う。


「そうは言うがなぁ……つか別に自販機の場所は関係ない気がするぞ」

「まあまあ統哉君、旅の恥はかき捨てって言うじゃない? 細かい事は忘れて、パーッと楽しもうよ!」


 と、エルゼが明るい口調で言う。


「……エルゼ、その言葉思い切り間違ってるから」


 統哉は大きな溜息をつきながら呟いた。そして、どうしてこいつらはここまで超がつくほど前向きでいられるのか、と心の底で思ったのだった。正直、旅行に来たというのに堕天使達のブレーキ役になってしまう自分の宿命を呪いたくなる。


「――さてさて、積もる話はあるだろうが、まずはやる事があるんじゃないか、諸君?」


 その時、ルーシーが手をパンパンと叩いて声を上げた。全員の視線がルーシーに殺到する。


「やる事って、何だよ?」


 統哉の問いに、ルーシーはサムズアップをしながら答えた。


「――川遊びだろ!」

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