Chapter 4:Part 06 図書館の<結界>
気がつくと、統哉達は途方もなく広い空間に立っていた。足下は磨き上げられた金属のような光沢を放っており、目を凝らして見ると、今自分達が立っている足場はいくつものブロックが集まってできた足場のようだ。
そして、統哉が見渡す限り、奥に、上にと際限なく広がっている空間の中にたくさんの立方体が浮かんでいる。立方体の大きさは一辺が二、三メートルのものから数十メートルに及ぶものまで実に様々だった。それらの立方体が柱や階段、足場を形成している。
立方体の中には規則正しく動いているもの、不規則に動くもの、上下左右に動くものなど、多様な動きを見せているものもあった。
よく見ると、立方体の側面はくり貫かれており、その中には大小様々な細長い物体が所狭しと納められている。
「これが、図書館の<結界>か……? まるで違う景色じゃないか」
あまりの変貌ぶりに、統哉が驚愕する。すると、ルーシーが説明してくれる。
「ここは、天界の叡知が納められている天界の大図書館をイメージした<結界>だよ。それにしてもここまで忠実に再現されているとはな」
「図書館だって?」
統哉は思わず聞き返していた。このとてつもなく広い奇妙な空間が全て天界の図書館だとでも言うのか。
自分の大学内にある図書館や、この<結界>の基礎となった図書館もなかなかの規模を誇っていたが、天界の前ではそんなものなど足下にも及ばなかった事を思い知る統哉であった。
「じゃあ、もしかするとこの物体って本なのか?」
近くの壁に歩いていき、物体の一つを手に取ってルーシーに見せた。
その物体は百科事典ほどの大きさで、金属のような表紙で装丁されている。そして、表紙と背表紙であろう部分には幾何学模様のような文字が刻み込まれていた。
「そう。天界の書物の形が地上界の書物の雛形になったのさ。残念だが読む事はできないぞ。あくまで再現された空間だからな。それは書物の形をした物体に過ぎない」
「そっか。ところでこの文字みたいなのは?」
「それは天界文字と呼ばれる、私達天使が使っている文字だ。もっとも、それが使われる事はないがね」
「ふーん。ちなみにこの本のタイトルは何て読むんだ?」
「どれどれ……ああ、これは『ヘブンページ』だな」
タイトルを見たベルが口を挟む。
「……何だそれ」
統哉が怪訝な顔をして尋ねる。
「キャッチコピー、『あなたの天界の電話帳』。ぶっちゃけ、天界の電話帳だ。天界はやたらとだだっ広くてな。ひっきりなしに連絡が飛び交い、こんがらがる事がしばしばあった。そのため、地上で使われていた通信回線を天界でも採用しようという事になり、個人端末を含めた番号が載った天界仕様の電話帳が発行されたんだ」
「個人情報もあったもんじゃねえな。それより天使って思念で会話できるんじゃなかったか?」
「確かにそうだ。しかしあまりにたくさんの思念をキャッチすると処理が追いつかなくなるんだ。人が同時に流れた映像の内容を正確に把握できないのと同じ事さ」
「天使ってのも結構大変なのな……」
統哉が書物を棚に戻しつつ呟く。と、ルーシーが手を叩いた。
「はいはいそれ以上ダベっていると夜が明けてしまうからな。さーて、今日も元気に<欠片>の奪還、いってみようか! てなわけで、今日も一番いい装備で行きますかね!」
「だな。お色直しと行こう」
ルーシーとベルが戦いの前とは思えない暢気な言葉を放ち、同時に指をパチンと鳴らした。
直後、ルーシーの体が黒い粒子に、ベルの体が炎に包まれる。そして、それが収まった時にはルーシーとベルの普段着はそれぞれ漆黒のドレスと深紅のドレスに変貌を遂げていた。二人にとって一番いい装備だ。
それを横目に見ながら統哉はつくづく便利なものだと思う。何せ自分が身に纏っているのは一般的な服だ。防御力なんてせいぜい布の服よりほんのちょっとだけ高い程度だろう。
何よりも、敵の攻撃を受けて服が使いものにならなくなるのは避けたかった。気に入っている服もあるというのもあるが、何よりも服にかかる金額も馬鹿にはならないのだ。せめて彼女達が纏っているドレスの素材や天界の材質で自分の服が作れないかどうか、今度聞いてみよう。そう心に決めた統哉であった。
(それにしても……)
統哉は考えを切り替え、目の前に広がるとてつもなく広大な空間を見据えた。
いつもの事だけど長くなりそうだ。気を引き締めてかからなくては。
統哉は拳を固く握り締めた。
<結界>突入から一時間後。
統哉達は階段や浮遊する足場、立方体状の本棚の上を移動しながら<欠片>の気配がする上層階へと上っていた。それはさながら上へと上っていく形式のアスレチックのようだった。
そして、いつも通りに各所で天使達との戦闘が発生した。顔触れは今までと同じだが、場所によっては狭い足場の上で戦わざるをえない事もあったので、戦闘にはいつも以上に慎重さも要求された。
何よりアスレチックと違う点は、足場には手すりのような物が一切ついていない事と、この<結界>が最下層でさえも遙か高い位置にある点だった。もし、足場に飛び移り損ねたり、敵の攻撃を受けたりして足場から転落したらいくら<天士>や堕天使でも文字通り奈落の底へまっしぐら、即ゲームオーバーだ。
上るのにはベルの炎の翼による飛行能力を活かすのがベストだと思われたが、ベル曰く、弱体化しているために飛行時間は短時間であり、時折休憩を挟まなければ継続飛行は不可能だという事だった。だが、空中戦を行えるベルの存在は大きかった。
三人は絶妙なコンビネーションで勝利を重ね、確実に上層階へと上っていた。
足場から別の足場へ飛び移っていると、不意にルーシーが声を発した。
「それにしても懐かしいな。私がかつて地上界から持ち帰った書物を天界用に再編し、図書館に並べようとしたらその書物量の多さに図書館を増改築しなければならなかったからな。あの時は図書館の管理責任者だったラジエルが凄まじく苦い顔してたな。『仕事が大幅に増える……』ってな」
「くふふ、そういえばそんな事もあったな」
ルーシーの言葉にベルが足場を飛び移りながら相槌を打つ。
「へー。ちなみにその書物ってどんな本だよ?」
高い位置に存在するによじ登りながら統哉が尋ねる。
「ん? 主にライトノベルとかコミックだが」
「……聞いた俺が馬鹿だった」
何て事ないかのように答えたルーシーに、足場よじ上り終えた統哉は大きな溜息をついた。
「統哉、そうは言っても私が持ち帰ったそれらの書物は一部の天使達の間で大人気だったんだぞ?」
「でも薄い本は自分の部屋に山のように保存してあったよなぁ?」
ベルがにやにやしながら口を挟む。
「そこ、うっさい。確かにあれらの本は全て私の部屋に保存してあったが、頼まれれば貸し出す事だってやっていたぞ」
「そう。それで新たな嗜好を開拓した天使達が続出したな」
「だが中にはそれがどうしても受け入れられない天使もいて、その果てにライトノベルやコミック、同人誌などの存在を『許してやれよ派』と『絶対に許さない派』に分かれたなぁ」
「そ、そっか」
統哉が苦笑する。世界の共通語は萌えというキャッチフレーズを聞いた事があるが、それは世界を飛び越え、天界にまで通用するらしい。
と、そんなしょうもない事を考え、目の前に浮いている大きな足場に移った時だった。
「――統哉、そこで止まれ! 敵が来る!」
ルーシーから鋭い声がかかり、統哉は立ち止まった。そして、輝石を呼び出し、白と黒の双剣をイメージする。直後、輝石が輝き、その手に魔双剣ルシフェリオンが握られた。
直後、上の階から深紅の甲冑に身を包んだ天使が三体、翼をはためかせながら舞い降りてきた。両手には刀身が血のように紅く染まった剣を持っている。それは、剣先が斧のような形状になった、さしずめソードアックスとでも言うべき異形の武器だった。
両手の得物を構え、天使達は統哉達の周囲を飛び交いながら斬り込む隙を狙っている。
「へえ、こいつまで投入してきたか。面白くなってきたな」
ルーシーが軽く屈伸しながら説明する。
「こいつは<能天使>。気をつけろ。見ての通り接近戦特化型の天使で、高い機動性と両手のソードアックスによる強烈な剣技は破壊力抜群だ」
「どうやって戦えばいい?」
「統哉、<能天使>相手に接近戦は危険だが、こいつには遠距離攻撃がない。ベルブレイザーを使って遠距離から攻撃した方がいいぞ」
横からベルがアドバイスしてくれる。
「わかった。そうさせてもらうよ」
統哉はルシフェリオンに意識を集中し、ベルブレイザーをイメージする。直後、ルシフェリオンの形が砕け、魔銃――ベルブレイザーへと再構成された。
「――散開!」
ルーシーが指示を飛ばす。直後、統哉達はそれぞれ散らばり、<能天使>の各個撃破にかかった。
統哉はベルに言われた通りにベルブレイザーの持ち味である遠距離からの射撃で<能天使>を攻撃する。トリガーを引く度に放たれる火炎弾が相手に着弾、爆発する度に<能天使>の鎧を砕いていく。
と、攻撃の切れ目を縫って<能天使>が猛スピードで肉薄してきた。統哉は横に大きく振るわれた刃を転がって回避した。攻撃を空振りした<能天使>がその後ろを通り過ぎていく。
「もらった! ありったけ撃ち込んでやればっ!」
そして、振り向き様にトリガーを連続で引き、がら空きの背中へだめ押しとばかりにたくさんの火炎弾を叩き込んだ。
火炎弾は全て直撃し、翼を焼き尽くされ、鎧を完全に破壊された<能天使>の体は爆発に包まれた。
「私って、射撃戦は苦手なんだよなぁ……んなわけないじゃん! 射撃だって得意だぞ私は」
ルーシーは何やら一人ごちながらスフィアをマシンガンのように乱射し、<能天使>を攻め立てていく。だが、そのパターン戦法がつまらないのか、ルーシーは不満そうだ。
「うーん、<能天使>相手に射撃戦は呆れるほどに有効な戦術なんだけどなぁ……たまには趣向を変えてみるか」
ルーシーはその場で横に一回転し、周囲に複数のスフィアを発生させつつ、合図を送るかのように手を横に振るった。
「シューティングスター!」
叫ぶと同時に、スフィアが一斉に動き出し、猛スピードで<能天使>に殺到する。<能天使>はそれを持ち前の機動性を活かして回避しようとするが、スフィアの群れは相手を追尾し追いつめていく。まるで誘導ミサイルのようだ。
やがて、逃げ場をなくして動きを止めた<能天使>にスフィアが全弾直撃、<能天使>は爆散した。
「戦闘機アニメで有名な何とかサーカス、楽しんでいただけたかな?」
ルーシーは満足そうに笑った。
交差させた剣を振り抜きながら<能天使>がベルめがけて高速で突進してくる。それを彼女は横にふわりとした優雅な動きで回避した。
「くふふ、焼き加減はミディアム? ウェルダン? せめて選択の自由は残しておいてやらないとな」
駆け抜けていった<能天使>の背中にベルは尋ねる。だが振り返った<能天使>は金切り声を発しただけだ。
「……そうか。じゃあ消し炭だ」
選択の自由もへったくれもなかった。
ベルは両手を掲げ、その間に魔力を溜める。すると、見る見る内に大玉程の火球が作り出されていく。
ベルの視線の先では体勢を立て直した<能天使>が再びベルに斬り込もうとする。だが、ベルの方が速かった。
「過激にファイヤー!」
ベルが叫び、溜め込んでいた魔力を解放、巨大な火球を投擲する。火球は猛スピードで突き進み<能天使>に直撃。大爆発を起こした。<能天使>は一瞬断末魔の悲鳴を上げたがそれも爆炎に飲み込まれていく。
「やれやれ、消し炭にすると言ったが、スマン、ありゃウソだった。消し炭すら残らなかったな」
全く悪びれていない口調で呟くベルの口元は三日月のように吊り上がっていた。
そして、三人は合流し、上層階へと急いだのであった。
初めての戦闘となる<能天使>との戦いも圧倒的勝利で終えた統哉達はどんどん上層階へ進んでいた。
そろそろ半分程は来ただろうかと思い始めた頃、突如三人は大きな足場が一つだけ存在する開けた場所に出た。
「ここは……」
「いかにも何かありますよーって感じだな……」
「二人とも、気をつけろ」
統哉、ルーシー、ベルの順に呟き、周囲を警戒する。
その時、統哉は浮遊感のようなものを感じ、背後を振り返った。
すると、統哉と、その後ろに立っていたルーシーとベルの間を分かつように足場が猛スピードで離れていくではないか。
「そう来るのかよ! ルーシー! ベル!」
叫ぶ統哉。その間にも足場の距離はどんどん広がっていく。統哉の叫び声に反応し、二人が振り向き、そして驚愕した。
「統哉ー、どこへ行くんだー!?」
「どんどん離れていく……! これはまさか、ルーシーを巻き込んでの放置プレイか……ひゃんっ!」
「お前らも動いてんだよ! あとベル、ドMモードに入るな!」
離れていく二人に怒鳴りつつ、統哉は何とか向こうに飛べないか考えていた。
その時、三人を隔てるかのように上層階から大きな柱が降りてきた。完全に分断された形だ。
「……くそっ、こんな時に!」
統哉が舌打ちする。すかさず二人に思念を送ってみたが、目の前にある柱のせいか思念が妨害されてしまう。
「……しょうがない。今は先に進んで合流できる事を期待するしかないか」
一人ごち、統哉は上層階へと駆け出した。
統哉と、ルーシー&ベルのペアに分断されてからしばらくして。
「――これでよし、と」
待ち受けていた<天使>を倒し、ルシフェリオンを下ろした統哉が呟く。
(あいつら、無事だよな?)
敵を殲滅した事を確認しつつ、統哉は二人の堕天使の事を気にかける。戦闘力は申し分ない二人だが、万が一の事があるかもしれないという事を考えると心配せずにはいられなかった。
あいつらなら大丈夫だ。そう自分に言い聞かせつつ、統哉は再び階段を上り上層階へ向かおうとした時だった。
突如、辺りに轟音と共に地響きが響いた。統哉は思わず驚いて足を止める。
「うわっ!」
(敵か!? しかも、今の音と振動の大きさから考えると発生源は近い……上か!)
統哉がそう考え、上を見上げた時だった。統哉の視線の先に一条の閃光が走った。
閃光には数体の<天使>が飲み込まれており、やがてその身は蒸発していった。閃光はそのまま壁面に激突し、焦げ跡を作った。どうやら、今の轟音と振動はあの閃光が原因らしい。
「……誰かが上で戦っているのか?」
統哉が呟く。だとすれば、一体誰なのか。ルーシーやベルは向こう側の空間に置き去りにされてしまっているし、こちらに合流するにはあまりにも早すぎる。それに、あの閃光から微かに感じ取った魔力はルーシー、ベル、いずれのものではなかった。
戦いは激しさを増しているようで、統哉の頭上では相変わらず何かが炸裂する音と、それに伴う轟音が響いている。
「……行ってみよう!」
統哉はルシフェリオンを持ち直し、上層へと駆けだしていった。
そして階段を上りきった統哉の目に飛び込んできたのは、件の閃光だった。それも極太のやつが。
「うおぉっ!?」
統哉は反射的に横へ飛ぶ。見ると、先ほどまで統哉がいた場所を閃光が薙ぎ払っていく。あと少しでも反応が遅れていれば間違いなくあの<天使>と同じように蒸発していただろう。そう思うと思わずゾッとした。
「……いきなり何をするんだ! 誰だ、お前はっ!」
統哉は閃光が放たれた方向へ顔を向け、叫んだ。
「……あれあれ~? また天使かと思ったら違ったー。ごめんなさいー、天使かと思ってついドッカーンとぶっ放しちゃいました~」
統哉の耳に、緊張感ゼロのおっとりとした女性の声が届く。声を聞き、その主を視界に収めた統哉の表情が驚愕に変わっていく。そんな統哉をよそに、声の主は独自のトークを展開していく。
「……おー? 見た事がある人だー。う~んと、え~っと~……あーっ、思い出した~」
そして、「彼女」は見る者全てを癒すような満面の笑みを浮かべた。
「やー、また会ったねやがみ~ん」
おったりとした口調で話しかけてくる彼女はピンク色のロングヘアに紫色のローブという出で立ちだった。そして、薄手のローブの上からでもわかるスタイルの良さが目を引く。
その姿に統哉は見覚えがあった。いや、彼女とはつい数時間前まで一緒にいた。
「あ、アスモデウス……?」
統哉が唖然とした様子で呟く。
七大罪が一人、「色欲」のアスモデウスが満面の笑みを浮かべて、キャノン砲を両肩に担いで立っていた。




