Chapter 4:Part 03 着ぐるみを着た悪魔で天使
(何この既視感……)
散歩から帰る途中であった統哉は、今すぐにでもこの場から逃走したい衝動に駆られていた。
場所は八神家とコンビニのちょうど中間点に位置する道。
そのど真ん中に、でーんと、大きな猫がうつ伏せで倒れていた。
(いやいやいや、あんな猫がいるわけないだろ常識的に考えて)
何故統哉がそう断言できるのかというと、まず、普通の猫は薄紫色の体毛をしていない。それに、人と同じぐらいの大きさをしている猫など、聞いた事がない。
何よりも、その猫のあちこちには縫い目があり、背中にはファスナーがついている事が決定的な証拠だった。
そう、それは薄紫色をした猫の着ぐるみだった。
(あ、怪しい……怪しすぎる……ッ!)
統哉の本能が、遺伝子が、魂が、危険信号を発していた。
まだ、着ぐるみの中の人が仕事をしていると言うなら話はわかる。しかし、テーマパークでもない所で、それも、こんな住宅街のど真ん中で着ぐるみを着ている事自体が不自然極まりなかった。
(今までの経験から、こんな胡散臭い格好をしている奴らに、ロクな奴はいない……!)
統哉の脳裏に、胡散臭い格好をした二人の堕天使の姿が思い浮かんだ。
(銀髪のオタク堕天使とか……! 紅いゴスドレスを着たドMなロリっ娘とか……! どこからどう見ても、あいつらと同類だろこいつ!)
統哉の頬を、冷や汗が伝った。
その頃、八神家リビングでは。
「ひーとっ」「めたるっ」
リビングで対戦型格闘ゲームをしていたベルとルーシーが立て続けにくしゃみをしていた。
「あー、どうしたルーシー、風邪か?」
「あーちくしょー、そう言うベルこそ、風邪なんじゃないのか?」
「いや、ベルはウィルスの類を常に熱で滅菌しているからその心配はないぞ」
「ふーん(本当はバカは風邪引かないってだけじゃないのか……?)。じゃあ誰かが噂でもしているのかねぇ」
「さてなぁ。まあ、何しろベル達は堕天使の中でも一、二を争うほどの実力者だからな。誰かが噂をしていてもどこもおかしい所はないな」
「だな……よし、ここでハメ技決めちゃいましょうかね」
ルーシーはカカッっと凄まじいコントローラー捌きを発揮し、ベリアルが操作していたキャラを一方的に叩きのめし、ノックアウトした。
一方的な展開に、一瞬呆然としていたベルがコントローラーを床に置き、ルーシーを睨みつける。
「……ルーシー、お前このゲームやり込んでいるなッ!」
「答える必要はない」
涼しい顔ですましているルーシー。
「……まあいい。そんな事はどうでもいいんだ。重要な事じゃない。だが、ハメ技とかそういうのありか? ベルのシマじゃ今のノーカンだから」
「知るか。要は勝ちゃあいいんだよ勝ちゃあ」
「今のはどう考えてもノーカウントっ……! ノーカン! ノーカン!」
「あーあー何も聞こえなーい」
対戦格闘ゲームそっちのけで言い合う二人。おい、格ゲーしろよ。
一方その頃。
(どうする俺!? どうする!?)
統哉は選択に迫られていた。その時、統哉の耳が何かを捉えた。よく耳をすましてみると――。
「……あ、あうぅ~……」
着ぐるみの下から、どこか苦しそうな、くぐもった女性の声が聞こえてきた。
(……もしかして、具合が悪いのか……?)
確かに今は八月。夏真っ盛りだ。今日も日差しが熱く、いつ熱中症を引き起こしてしまってもおかしくない。
(熱中症……か?)
統哉がそう思った時、脳裏に選択肢が現れる。
(三択――一つだけ選びなさい。
答え①・大丈夫ですかと声をかける
答え②・すぐに救急車を呼ぶ
答え③・今すぐ逃げる)
統哉は一分ほど考え込み、答えを出した。
「――よし逃げよう。答えは③だ。冷たいようだが悪く思うなよ」
そう宣言し、統哉は踵を返して走り出そうとした。
が、その時、いつの間に近づいてきたのか、倒れていた着ぐるみが、着ぐるみを着ているとは思えないほど柔軟な動きで、かつ凄まじい握力で両足首を掴んだ。
今まさに走り出そうとした統哉は思い切りバランスを崩し、地面さんにキスを、それも強烈なヤツをする事になった。
「ぐぼぉっ!」
アスファルトの地面に顔面から突っ込み、統哉は奇妙な叫び声を上げた。正直、<天士>じゃなかったら鼻にヒビが入っていたかもしれない。そう思うほどの衝撃だった。
(ああ……やっぱり、そういうオチなのね……③・現実は非情であるとは、よく言ったもんだ)
現実の非情さを改めて痛感した統哉は、妙に穏やかな気持ちになった。そして、首だけを後方に向け、足首を掴んでいる着ぐるみに話しかけた。
「……オーケー。話を聞くから手を離してくれ」
すると、言葉が通じたのか着ぐるみがパッと手を離した。それを確かめた統哉は身を起こし、鼻血が出ていないかや、鼻が曲がっていないかどうかを確かめる。鼻が無事だった事に安堵し、統哉は着ぐるみに声をかけた。
「で、用件を聞こうか?」
すると、着ぐるみが顔を上げた。点のような目に、大口を開けたゆるいデザインの着ぐるみだった。
そして、大きく開いた口の中からは、ピンク色の髪を垂らした女性の顔が覗いていた。
第一印象、のほほん。
統哉の抱いた感想がそれだった。その女性は人懐っこそうな柔和な笑みを浮かべており、彼女の周りにいると、それだけで周囲の者までのほほんとした雰囲気に呑み込まれてしまいそうだった。
すると、女性が浮かべていた柔和な笑みが一転、涙目になり、滝のような涙を流し始めた。そして、その口から言葉が紡がれた。
「……おに~さ~ん、おなかすいたよ~……ぷりーず、ふーどみ~……」
「…………」
絶句する統哉。直後、きゅうぅ~……と女性の腹の虫が鳴いた。
(どうしてこうなった……?)
統哉は公園のベンチに腰掛け、首を傾げていた。
その隣では、件の着ぐるみを着た女性がもの凄い勢いでおにぎりをがっついている。
あの後結局、統哉は彼女を近くの公園まで連れていき(ただし彼女が全く起きる気配を見せなかったため着ぐるみの尻尾を掴んで引きずっていく格好になったが)、コンビニでおにぎり数個(ただし全部塩むすび)とお茶を買い、彼女に振る舞ったのだった。
しかし、人気のない公園で着ぐるみと二人きりというのは、傍から見るとかなり奇妙な図だ。
「はふぅ~……生き返ったぁ~……別に死んじゃいないけども~」
「そっか。そいつは何よりだ」
統哉が安堵の表情を浮かべ、即座に頭を抱えた。
(……って、結局関わっちまってるじゃねーか俺!)
統哉はこの奇妙奇天烈摩訶不思議な女性を助けてしまった事を若干後悔した。当の彼女は暢気にペットボトルのお茶をちびちびと飲んでいる。
(……まあ、あのまま行き倒れになられても困るしな、うん。俺は間違った事はしてない)
そう無理矢理前向きに考え、統哉は女性を見た。ちょうど、女性はお茶を飲み終え、「けぽ」と一息ついた所だった。
すると、女性が統哉におにぎりのパッケージが入った袋と空になったペットボトルを差し出した。
「……何?」
怪訝な表情を浮かべ、統哉が尋ねた。
「これすてて~」
「自分で行けよ! ゴミ箱お前の後ろ! 目と鼻の先!」
統哉がベンチのすぐ脇にあるゴミ箱を指さしつつ怒鳴る。
すると、女性は緩慢な動きで方向転換し、ゴミ箱に向かって手を伸ばした。
「とどかない~」
「いや動けよ!?」
統哉がツッコむ。ベンチとゴミ箱の距離は僅か数歩分。それぐらいの距離、自分で動いてほしい。すると女性は一言、
「しんどいねむい~、ふぁ~」
大欠伸をかました。
ぷちん。
本日二回目、統哉の中で何かが切れた。
「……動けこのポンコツが! 動けってんだよ!」
久々のツッコミチョップが着ぐるみの脳天に落ちた。
「ふぁっふぁっふぁっ、ふぁるこ~!? なにするの~!?」
奇妙な叫び声を上げ、女性は立ち上がってわたわたと慌てふためく。
「いいからはよゴミ捨ててこい! でないともう一発かますぞ!」
「わー暴力反対ー捨てるからやめて~」
女性はぽてぽてという擬音がよく似合うほどの緩慢な動作でゴミ箱まで歩き、ゴミを捨て、ベンチに戻ってきた。
ついつい、知り合って間もない女性に対して、駄天使共に対する条件反射が発動させてしまった事に統哉はちょっと罪悪感を覚えた。
まあ、この手の連中に言う事を聞かせるにはこの手に限ると、思わず統哉はそう思ってしまった。そこで、統哉はある事に気付いた。そして、思い切って頭を押さえている女性に尋ねてみた。
「……ところでお前、一つ聞くが、もしかして『堕天使』……じゃあないよな?」
「あり~う゛ぇでるち~(さよ~なら~)」
「図星か。待たんかい」
統哉はベンチから立ち上がり、柔和な笑みを浮かべて立ち去ろうとした着ぐるみの尻尾を掴んだ。
それから、統哉は簡単に経緯を説明した。無論、相手がまだどのような堕天使であるかわからないため、堕天使の詳細や契約の事などは伏せた上で。
「……ほえー、おに~さん堕天使の知り合いがいるんだー。それも二人ー、すごーい」
「まあ、成り行き上だけどな。おかげでこっちは苦労の連続さ」
溜息をつきつつ答える統哉。
「でさ~その堕天使達、どんな子達なのかな~?」
即座に食いついてくる着ぐるみ堕天使(統哉による仮称)。そこで統哉は考えた。
(さて、どう答えるか。正直に話すのはまだ危険だし……よし)
「……えーと、オタクとドMだ」
断じて、嘘は言っていない。
「アホだー、その堕天使達アホだー」
(……いや、お前が言うな)
心の中でツッコんでおく。だがそれをあえて言葉にしなかったのは、あの二人がアホだという事を否定できない自分がそこにいたからである。
「ぐれいぶっ」「いらぷしょんっ」
ルーシーとベルが立て続けにくしゃみをした。
「……何だか今日は噂される事が多いな、ベル。でも、今何だか一瞬イラッときた」
「……そうだな。だがベルは何故か嬉しい気持ちがする……はうぅ」
「艶めかしい声出すな気持ち悪い! ……いよっし! これで一〇連勝目だ!」
ルーシーが歓声を上げる。
「…………」
一方のベルは、コントローラーを持つ手をわなわなと震わせていた。心なしか、ベルの背後に陽炎が立ち上っているように見える。
あれから、対戦格闘ゲームに飽きた二人の堕天使は、今度はレースゲームで勝負していた。
近未来を舞台にしたレースゲームで、30台以上あるマシンと、1000キロを超えるスピードで走る疾走感が最大の特徴だ。
「……ベルは一〇連敗なんだが」
「ベル。お前に足りないもの、それは! 情熱・思想・理念・頭脳・気品・優雅さ・勤勉さ! そして何よりもぉッ! 速さが足りない!」
ドヤ顔で力説するルーシーに対し、ベルは怒りを押し殺した声で返した。
「……違うな。間違っているぞ、ルーシー」
「ほう?」
「どう見ても速さ以前の問題だろうが! ベル以外にライバルマシンが30台近くもいるのに、どうしてベルのマシンをピンポイントで狙って玉突きやスピンアタックを仕掛けてくる!? おかげでまだ一周もしていないのにマシンパワーはゼロになって私のマシンはボドボドだ!」
「ん~、そこにベルの車がいたから」
「お前という奴は……! ノーカン! ノーカン!」
「却下だ。それにしても、統哉遅いなぁ」
ベルの抗議を聞き流しつつ、ルーシーは呟いた。
その頃の統哉は。
「ふんふん」
「……」
「くんくん」
統哉は先ほどからしきりに、着ぐるみ堕天使を横目で見ていた。
「ふんふん」
「……」
なぜか彼女はしきりに統哉の匂いを嗅いでいた。この状態が先ほどから十分ほど続いている。こうしていても埒があかないので、統哉は思い切って尋ねてみた。
「……あのさ、俺そんなに臭うかな?」
すると、着ぐるみ堕天使が先ほどとは違う、獲物を見つけた肉食獣のような笑みを浮かべた。紫色の双眸が統哉を見つめている。
「……おにーさん、なんだかとってもいい匂い……上質な魔力の匂いだ~……ねーおにーさん、その魔力、わたしにちょーだい?」
その時、着ぐるみ堕天使の双眸が怪しく輝いたような気がした。
「おいおい、お前もどこぞのドMと同じクチか?」
統哉の目に険しい光が宿った。すると着ぐるみ堕天使は意外そうな顔をした。
「……あれあれ~? わたしの力が効かないのかな~? 人間相手でこんなの初めてだ~……でもね~、強引なのも嫌いじゃないよ~」
直後、一瞬の浮遊感。世界の回転。そして背中への衝撃。
「……なっ!?」
気がつくと統哉はベンチの上に仰向けにされていた。背中を打ったのに、痛みはほとんどない。そして眼前には着ぐるみ堕天使が手首を掴んでいる姿があった。そこでやっと、統哉は自分が柔術らしき技で投げられたのだと悟った。
着ぐるみ堕天使が統哉に馬乗りになった。
「……でさ、俺をこれからどうしようというんだ?」
できるだけ明るい調子で尋ねる。
すると、堕天使の口からチロリと赤い舌が覗き、唇を艶めかしく舐める。
「ん~とね、おにーさんが持つその上質な魔力をいただいちゃおうかな~って」
そう言って、着ぐるみ堕天使は目を閉じ、その顔をゆっくりと近づけてくる。
「ま、待て待て待て」
どうにか脱出しようともがく統哉。しかし、馬乗りにされている上に手足をうまく押さえられているため身動きがとれない。
そして、二人の顔の距離がゼロになろうとしたその時――
パリン!
ガラスが割れるような音がした。
統哉が見ると、横合いから数発の光球が飛来し、着ぐるみ堕天使の頭や手に当たった。
「……な~に~?」
楽しみを邪魔されたとでも言いたげな顔で、着ぐるみ堕天使は光球が放たれた方向へ目を向けた。
(今のはスフィア……という事は)
統哉も、その方向へ向けた。そこには――
「やれやれだ。あまりにも帰りが遅い上、同胞の魔力を感知したから足を向けてみれば、やはりそういう事か!」
公園の入り口に、右手をかざしたルーシーが立っていた。その手にはいつでも次弾を放てるように魔力が溜まっている。
「……あなたは~」
着ぐるみ堕天使がどこか見知ったような顔をする。
「見たところ、『これなんてエロゲーのシチュエーション?』って奴だな。午前中からイケメン襲うとか、いい度胸してるじゃないか、なあ? 公衆良俗って言葉知ってるかい君? こんなだだっ広い所でR指定になりそうな事やってんじゃないよこのセクハラ量産機。いや――」
ルーシーは一旦言葉を切って続けた。
「――七大罪が一人、『色欲』のアスモデウス」




