Chapter 3:Part 09 手術室の決戦、真紅の加護
「ゲホッ、ゲホッ! ……あの馬鹿、後先考えずに無茶苦茶やりやがって……!」
ルーシーの放った衝撃波の余波によって手術室まで吹き飛ばされる格好になってしまった統哉。
後から襲ってきた強烈な風によって舞い上がった埃や土煙をもろに吸い込んでしまい、涙が出るくらいむせ返っていた。
ルーシーをどうするかは後で考えるとして、統哉は何とか呼吸を落ち着ける。
そして体を起こした彼は、辺りを見回して驚愕に目を見開いた。統哉の視界には、ダンスホール程の広さがあるであろう奇妙な手術室の光景が広がっていた。ご丁寧な事に、フロアの中央には手術台が設置してある。
「……こんなにだだっ広い手術室があるか?」
統哉は呆れ半分、驚き半分の表情で呟きながら、フロアの中央へと歩いていく。
統哉がフロアの中央まであと数歩という距離まで差しかかった時、手術台が一筋の光に照らされた。
「来たか!」
統哉がガンブレードを構える。
そして、光の中を通って、何かが舞い降りて来る。
その姿は、一言で言うと金色に輝く、異形の千手観音だった。背後には後光を背負い、顔はのっぺりとしている。
全体像はゴムのような素材でできているかのような印象を受け、磨かれた金属のような光沢を放っている。何よりも統哉が驚いたのは、その異常に長い両腕だった。両腕は永い時を経た大樹の根の如く無数に枝分かれしており、先は研ぎ澄まされた槍の穂先を思わせるほどに鋭く、一本一本が意志を持つかのように蠢き、獲物を探していた。
やがて異形は手術台の上で身を翻すと、統哉の方へ眼のない顔面を向けた。
「気持ち悪い奴だな……」
その不気味な風貌に思わず呟く。
(――ルーシー、こいつがここの守護天使なのか?)
敵の情報を知るために、統哉は思念でルーシーに呼びかける。だが、まるで何層もの分厚い壁を隔てているかのように、思念が届く気配がない。
思念による呼びかけを諦め、統哉は一旦外へ出ようとした。しかし――
「……くそっ! 塞がれてる!」
つい先程まで扉があった場所はただの壁になっていた。壁に手を触れて調べてみても、何も変化は起きなかった。どうやら、あの天使を倒さなくては扉は開かないらしい。
ルーシーと分断されてしまった事も十分まずい状況だが、たった一人でいかにもボスらしい天使と戦う事は、追い打ちには十分すぎた。
(くそっ、どうすればいい……!?)
そこまで考えた時、統哉は項を針で刺されるような感覚に襲われた。
すかさず横に転がり、背後を振り返る。すると、視線の先では異形の天使が根のような腕――いや、触手を統哉のいた場所めがけて伸ばしていた。あと少しでも反応が遅れていたら、統哉の体は串刺しにされていただろう。
天使は触手を高速で引き戻し、再びそれを統哉めがけて伸ばしてきた。
「こんなものっ!」
統哉は伸びてきた触手をガンブレードを振り回して切り払う。
切り払われた触手は空中でバラバラに切り刻まれ、床へと落下していく――と思われた触手が空中でつながり、再び統哉めがけて向かってきた。
「うわっ……!?」
統哉は咄嗟に身を捻って触手を回避したが、触手が頬をかすめ、血の筋を作った。
「やりやがったな!」
叫びながら、統哉はガンブレードを射撃モードに切り替え、炎の魔力弾を連射する。
魔力弾は全て天使に命中、爆発を起こし、その体を炎上させる。やったか、と一瞬考えた統哉だったが、その表情はすぐに驚愕のものに変わった。魔力弾と爆発によってボロボロになっていた天使の体は、消失した部分から泡のような物質を盛り上がらせ、瞬時に破損箇所を補ってしまった。
「……何なんだよ、あいつは!」
統哉の叫びが手術室にこだました。
「……ピンチなう」
一方その頃、ルーシーも苦境に立たされていた。
取り囲んでいた天使達を蹴散らした矢先、さらに天使達が現れ、彼女にじりじりと迫ってくる。
「わー! あっちを見ても、こっちを見ても、天使だらけじゃないですか! やだー!」
悲鳴じみた叫びを上げるルーシーの視界一杯に、天使達がひしめきあっている。
背後を何かが通り過ぎた気配がする。
こうして叫んでいても事態は好転しない。ルーシーは両頬を叩いて気合いを入れた。
「天界健康優良堕天使をなめんなよ……神風見せてやるよ!」
ルーシーは叫び、天使の群れに飛び込んでいった。
「……くっ」
手にしたルシフェリオンの剣先が力なく下がる。
統哉は、全身に切り傷や刺し傷を作っていた。
あれから統哉は、ガンブレードによる斬撃と魔力弾による射撃で天使にダメージを与えていた。だが、相手は全く倒れる気配を見せない。
天使はまったく攻撃を避けようとしなかった。そのため、攻撃は全て直撃し、その体を崩壊させる。
しかし、いくら魔力弾を放とうが、剣で斬りつけようが、次の瞬間には急速にダメージを受けた箇所が再生し、元通りになってしまう。
<神器>をルシフェリオンに変換し、怒濤の連続攻撃、スフィア、果てにはグランドクロスを使って全力で攻撃したが、結果は一緒だった。
統哉は体勢を立て直しつつ、再び<神器>をガンブレードに変換し、相手の特性を分析する。
(こいつ、とんでもない再生能力を持っているのか! そうか、だからこいつは攻撃を避けないんじゃない、攻撃を避ける必要がないんだ!)
そう考えている間にも、次々に伸びてくる高速の触手が統哉の皮膚を傷つけ、体力をじわじわと削っていく。
(くそっ! このままじゃジリ貧だ……!)
そう思っていた矢先、天使が背負っている後光が輝き始めた。
(――まずい!)
本能が危険を察知し、警告の叫びを上げた。回避は間に合わない。ならばと、即座に統哉はガンブレードを体の前に構え、防御態勢をとった。
直後、後光から一筋の閃光が迸った。
閃光は辺りを薙ぎ払うように走り、それは統哉にも容赦なく襲いかかった。
「こっ……のぉ……っ!」
統哉は放たれた閃光をガンブレードで受け止め、しっかりと床を踏み締めてなんとか熱線を受け流した。受け流された熱線は背後の壁に大きな溝を刻んだ。
「……っちぃ! なんてレーザーだよ!」
熱さに歯を食い縛りながら、統哉が呻く。
ふと見ると、受け流した熱線が脇腹を掠めており、そこが激しく焼け焦げ、一部は炭化していた。
掠めただけでこのダメージとなると、直撃したらひとたまりもないと、統哉は直感していた。
脇腹はじわじわと再生を始めていた。それを横目で見ながら、統哉は戦略を練っていた。
(脇腹が治ったら、オーバートランスで一気にやるしかない!)
だが、魔力を引き出すために集中しようにも、相手の攻撃が激しいせいでなかなかチャンスが巡ってこない。
(くそっ! このままじゃ、体力も魔力も底をついてしまう! どうする、俺!? それに、ルーシーは無事なのか!? 無事でいてくれよ、ルーシー……!)
統哉の顔は焦りに満ちていた。
その頃のルーシーは――
何とか襲い来る天使達を撃退し続けていたが、体力、気力、魔力、そのいずれもが底をつき始めていた。ドレスにも切り傷や焼け焦げた跡が目に見えて増えていた。
「はあ……はあ……一体、これで何体目だ? 撃墜数稼ぎにはちょうどいいが、流石にこれ以上は、私の体力と魔力が……ん? ちょ、ちょっと待て! う、後ろからもキターッ!? も、もうダメだ! もう! ダメだ! おい、やめろ馬鹿! ちょ、だからやめろって! ちょ、ま……あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!?」
…………。
「くそっ……いよいよヤバいな……」
統哉はガンブレードを杖のように地面につき、辛うじて立っていた。目は霞み、体に力が入らない。オーバートランスを使えば一気にダメージを回復できるだろうが、それもできそうにないほど、統哉のダメージは深刻だった。
そして、天使がトドメの一撃とばかりに、両腕の触手を一斉に放った。
「ここまで……か……」
伸びてくる触手を睨みつけながら、統哉は呟いた。その時――
「安心しろ、お前を死なせるつもりはない」
どこか気だるげだが、はっきりと意志のこもった声が統哉の耳朶を打った。
その声にハッとした統哉が顔を上げると、背後から二つの巨大な火球が統哉の脇を通り過ぎ、触手を焼き尽くしなつつ天使に直撃した。
触手を焼かれた上に、火球の直撃を受けた天使は、その体を激しく燃え上がらせ、金属が擦れ合う音に似た耳障りな悲鳴を口のない顔から上げ、後ずさった。
その直後、統哉と天使の間を隔てるように、炎の壁がそそり立った。
「奴はラファエル。癒しを司る天使だ。こいつの厄介な所は両腕のどこまでも伸ばすことができる触手と、その称号に違わぬ超再生能力だ。今は、ベリアルの<火炎障壁>によって奴の動きを封じている。坊や、生きてるか?」
燃え上がる炎の翼が見えた。頭に金色のティアラを乗せ、熱風になびくツインテールにまとめた長い髪、瞳、身に纏っているゴシックロリータ調のドレス、全てが真紅に染まった小柄な堕天使が統哉の側に降り立った。
「……ベリアル?」
ようやく統哉は声を絞り出した。堕天使――ベリアルは軽く頷き、統哉の体を支えた。
「どうして――」
「どうしてここに、なんて野暮な質問はしないでくれ。ベリアルは、お前を助けに来た。それで十分だろう? ……しかし、まさかベリアルの力を使っているとはな……くふふっ」
口元を押さえて笑うベリアルを、統哉は信じられない思いで見つめていた。
「助けに来ただって!? でも、こんな危険な場所に来るなんて、まさか忘れたんじゃないよな!? お前が死ぬと、お前の周辺が消し飛ぶ事を! なのに……」
「あー、その事なんだが」
統哉の言葉を、ベリアルは指先で遮った。そして、口を統哉の耳の側まで持っていき――
「――スマン、ありゃ嘘だった」
どこか軽い口調で、そう囁いた。
「…………は?」
思いがけないカミングアウトに、統哉は間抜けな声を上げてしまう。
「嘘……だったって……」
「あの時は、ベリアルも生きるために必死だったからな。だからあの時は咄嗟に嘘をついてその場を凌いだ」
「で、でも、お前の体に術式の魔法陣があったって……」
「あれも嘘だ。ただ、体に魔法陣をそれっぽく刻んでおいただけで、術式などこれっぽっちも発動させちゃいない」
「……じゃあ、お前が死んだら、その周辺が消し飛ぶっていうのは……」
その言葉に、ベリアルはキラキラと輝くオーラと火の粉を全身から放ち、両手の親指をグッと立てて――
「うそです」
すかさず統哉がチョップをベリアルの頭に落とす。
「……痛いぞ、坊や」
「……あー、そういえばお前、弁舌に長けた堕天使だったな。ああ、くそっ。まったく、してやられたって感じだよ。このチビ助め」
統哉は呆れたように笑いながら、ベリアルの頭を軽く小突いた。
「だから、チビ助言うな。まあ、坊やならば大目に見てやるが」
チビと言われたにもかかわらず、ベリアルは悪戯っぽく微笑んでいる。
「でも、どうしても腑に落ちない事がある。どうしてお前は、その、俺を助けに来たんだ? 家にいた時のお前は、俺達に手を貸す気ゼロだったじゃないか」
その言葉に、ベリアルはさっきまでの悪戯っぽい表情とはうってかわって、真剣な表情で統哉の顔を見た。
「……坊や、ベリアルが復活してから、お前の家を訪ねるまで、何を考えていたかわかるか? 正直に言うと、ベリアルはあの時、お前の事がとても憎くて仕方がなかった。そして、ルシフェル共々そっくりそのまま同じ目に遭わせてやろう、と心に決めていた。そしてその感情は、お前の家に近付くにつれ、強くなっていった」
「……」
ベリアルの言葉を、統哉は静かに聞いている。
「だが、ベリアルをあんな目に遭わせた相手――それも人間なんて今までにいなかった。そう考えると、ちょっとばかりそいつがどんな奴なのかと興味が沸いた。そして、八神統哉という人間がどんな奴かと思った時、ベリアルの中に渦巻いていた憎しみは消え失せてしまった。いや、反転したと言えばいいのかな。それからのベリアルは、お前がどんな人間なのかが楽しみだった。そいつがベリアルの性質を変え、あんな風に殺した奴がどんな奴なのかを真剣に考えていた。本当に、楽しい時間だった。そして、気が向いたら坊やと契約しようとまで考えていた」
「ベリアル……」
「ま、まあ、結果的にあんな形で契約する事になってしまったのは、正直申し訳なかった……許してくれ」
ベリアルが頬を染めながら、統哉に深々と頭を下げる。
「い、いや、あれは、うん……謝るなよ」
あの時の事を思い出した統哉も、思わず頬が熱くなってしまう。
「それはそうと――」
ベリアルが軽く咳払いをする。
「坊やに問おう。生きたいか?」
真紅の双眸が統哉を真っ直ぐ見つめる。
「――ああ」
短い一言と共に、統哉はベリアルの瞳を力強く見つめ返す。
ベリアルはその瞳に宿った意志と覚悟を見た。そして、満足そうに頷いた。
「いいだろう。ならばこのベリアル、その名においてお前に力を貸そう。ただし、条件がある」
「え? 条件?」
そうだ、とベリアルは頷く。しばらくの間の後、ベリアルは口を開いた。
「……名前」
「ん?」
「ベリアルにも、名前をつけてほしい。ルシフェルには『ルーシー』なんて名前をつけておきながら、ベリアルにつけないのはずるいぞ」
「今つけるのかよ!?」
「そう、今だ。早くしてくれ。もう<火炎障壁>も保たないぞ。見ろ」
ベリアルが背後を示す。見ると、守護天使――ラファエルが<火炎障壁>を破壊しようと触手や熱線をひっきりなしに撃ち込んでいる。よく見ると、障壁には亀裂が入っている。確かに、時間はない。
「……というわけで、一番いいのを頼むぞ」
「急かすなって! むしろ、こんな状況で名前を考える方が……」
その時、統哉に電流走る。
彼の脳裏に、かつてインターネットで見た情報が蘇る。そして、急速にアイデアが統哉の中で形成されていく。直後、統哉は口を開いていた。
「……そうだ、『ベリアル』を縮めて『ベル』にする。そして、確かラテン語で炎は『イグニス』って聞いた事がある。だから、『ベル・イグニス』。これでどうだ?」
「ベル・イグニス……」
そのフレーズを確かめるかのように、ベリアルは口の中で数度呟く。そして、その顔がパッと輝き――
「――実にいい響きだ! 契約、正式成立だ! よし、それでは早速契約履行開始だ! 坊や、ちょっとくすぐったいぞ?」
明るい声と共に、ベリアル――ベルは統哉の背中に右手を当てた。
「――<高揚の炎>」
呟き、手に力を込めた。
「――――ッ!?」
すると、ちょっとくすぐったいような感覚が統哉の体をを駆け抜け、その直後、彼の内部――魂の奥底から力が涌き上がってきた。その力に突き動かされるかのように、統哉は凄まじい速さで立ち上がった。見ると、受けたダメージも普段の倍ほどのスピードで回復していく。
(な、何だ!? この漲るような『力』は……!? ちょっと立とうと思ったらこんなスピードで動けるなんて……! どんどんパワーが湧いてくるみたいだ! この体に『生命のガソリン』を入れられたみたいに……!)
「な、何をしたんだ!?」
統哉が驚きも露わに、ベリアルに尋ねる。その問いにベルは胸を張って答えた。
「くふふ、かなり効くだろう? これも我が炎のちょっとした応用だ。ベルの炎は敵を焼き尽くすばかりではなく、魂に熱を与える事によって、魂や肉体、魔力、あらゆるものを活性化させる事ができる。言っておくが、こんなサービス、滅多にしないんだからな? <神器>を見てみるがいい」
統哉はガンブレードに目をやる。すると、グレーで無機質な印象だったガンブレードが急速に色づいていき、ベリアルを象徴する深紅に染まっていく。それに同調するかのように、<神器>から先程とは比べ物にならない大きな力が伝わってくる。
そして、統哉の脳裏に、今までイメージできなかったその名がはっきりと現れた。
そして、統哉はその名を叫んだ。
「――ベルブレイザーッ!」
同時に、刀身から炎が噴き上がる。まるで、名を得た歓びに打ち震えるかのように。
それは、統哉とベリアルの間に信頼関係が生まれた証であった。
「こいつはチマチマ攻撃しても無意味だ。一気に畳みかける必要がある。あの時の力、見せてもらうぞ?」
口元に微笑みを浮かべ、ベリアルが統哉を見る。
統哉は頷いて、大きく息を吐き、目を閉じる。
全身の細胞一つ一つに魔力を行き渡らせ、内に眠る力を解き放つ切り札。オーバートランス。
「――――超変身!」
叫び、統哉は自分のリミッターを解除した。
瞬く間に、魂の奥底から巨大な力が沸き起こり、統哉の姿を金色の双眸と銀色の髪を持つ魔人へと変じさせる。
ちなみに口上は適当。他意はない。
変身を終えたと同時に、<火炎障壁>が消滅した。
「行くぞ、ベル!」
「任せておけ、統哉!」
お互いに叱咤し、頷き合い、二人はラファエルに向かって駆けだしていった。




