Chapter 3:Part 05 第二の契約
時が、止まった。
柔らかく、生暖かい感触が唇から伝わってくる。
それは、感覚にして十秒ほどの出来事だったかもしれないし、数分の出来事だったかもしれない。だが統哉にとっては、無限にも思える時間だった。
指先がチリチリする。
口の中はカラカラだ。
目の奥が熱いんだ。
様々な思いが統哉の中に去来する中、統哉は自分に何が起こったのかを、まともに働かない頭を必死に回転させて把握しようとしていた。
(あ、ありのまま今起こった事を話すぜ! 『俺はベリアルに押し倒されたかと思ったらいつの間にかキスされていた』……な……何を言っているのかわからねーと思うが、俺も何をされたのかわからなかった……頭がどうにかなりそうだった……ギャルゲーだとかエロゲーだとかそんなチャチなもんじゃあ断じてねえ、もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ……)
状況、把握完了。結論、わけがわからないよ。
「……ぷはっ」
やがて、艶めかしい声と共に、ベリアルの唇が離れた。
そして、時は動き出した。
「――なにをやってんだぁぁあああああ!」
我に返ったルーシーに統哉は首根っこを掴まれ、強引に距離を離される。
「あ……? あ……?」
酸欠状態の金魚のように、統哉はただ口をパクパクさせるしかできなかった。
「ベリアル! お前、な、何を、ズキュウウウウンと激しいキスをしてるんだ!?」
ルーシーがベリアルの胸倉を掴み上げ、激しく揺さぶる。
「安心しろ。ベリアルだって、そ、その、『初めて』だったんだからな」
揺さぶられながらも、ベリアルは頬を赤らめ、もじもじしながら反論する。
「ざ、ざざざ残念だったな坊や! は、初めての相手はルシフェルではない! このベリアルだーッ!」
そして、親指で自分を指しつつ、自信満々な口調で宣言するベリアル。だがその顔はホオズキのように紅潮しており、思いきり目が回っている。どうやら、もはやヤケクソとばかりに開き直ったらしい。
かと思えば、掌に小さな火球を呼び出しては握り潰す事を数度繰り返した後、今度は一際大きな火球を生成し、回転させてグッと握り潰した。それを見て、ベリアルは満足そうに口元を歪めた。
「ふむ。どうやら、お前達と同等に立てるぐらいに力を回復できたようだ。しかし、予想以上に坊やの魔力はなじむ。この肉体に実にしっくりなじんでパワーがかなり回復できたぞ。なじむ……実に! なじむぞ! フハ、ハハハハ、フフフフフハフハフハフハ!」
高らかに笑うベリアル。その台詞を持ち上げられながら言われても説得力ゼロだが。
「……」
「……」
予想だにしない相手に大変なものを盗まれてしまった統哉には、何も言えなかった。ある意味、心を盗まれるより最悪のパターンだ。そして、ルーシーも予想外の展開に唖然とするほかなかった。
果たして、今のベリアルを以前のように滅殺する事は可能だろうかと、統哉が考えた時、ルーシーがベリアルを床に下ろし、ゆらりと幽鬼のような動きで復帰した。
「……さて、どうすれば、最もスタイリッシュかつ、残虐にあいつをチリ一つ残さず消滅させてやれるかなぁ~」
凄まじい殺気を放出するルーシーが、混沌のオーラを纏ってベリアルににじり寄る。ルーシーにしてみれば、あの行為は彼女のリミットゲージを満タンにするのに十分すぎたらしい。
「……よし決めた。パンチのラッシュと頭突きの無限ループでフルボッコにしてくれよう!」
「あー、そんなんあったな昔」
確か統哉が昔やったゲームで、制限時間内にコマンド入力をする事によって敵に連続してダメージを与えられる必殺技があった。その中で、ルーシーの言うようにパンチのラッシュと頭突きのコマンドを素早く交互に入力する事によって、短時間のうちに掟破りのダメージを与えられるテクニックがあるのだ。あれは本当にバランスブレイカーだった。
それはさておき、リミットブレイクの矛先を向けられたベリアルは、大量の冷や汗を流しながら降参と言うように必死に手を振った。
「ま、まあ落ち着け。話をしよう」
「これが落ち着いてられるかっての! さあ、覚悟を決めろ。覚悟は『幸福』だぞ?」
「とりあえず話を聞け。今ここでベリアルを殺せば、どうなるかわかるか?」
「統哉と契約を結んだ堕天使が私一人に戻るだけの事だ。さあ、大人しく」
ルーシーは聞く耳を持たない。数秒後にはビビッドな地獄絵図がリビング内で起こるだろうと予測した統哉だったが――
「ベリアルを殺せば、この辺り一帯が消し飛ぶぞ?」
「「……は?」」
ベリアルが放った聞き捨てならない言葉に、統哉とルーシーは素っ頓狂な声を発してしまった。
それを聞いたベリアルは不敵な笑みを浮かべる。
「ベリアルは坊やと契約を交わすと共に自分にある魔術をかけた。『ベリアルが死ねば、周囲一帯を巻き込む自爆魔術』をな。これでベリアルは歩く爆弾と化したわけだ。それでも嘘だと思うならば、試してみるがいい。まあ、お望みならばすぐさま起動させてもいいんだがな」
「何?」
ベリアルが死ぬと、この辺り一帯が消し飛ぶ? あまりにもふざけている。悪夢のような話に統哉は目の前が真っ暗になった。
「これで二人ともベリアルを殺せなくなったな。くふふ」
勝ち誇ったようにベリアルが笑う。本当かどうかは試してみなければわからないが、それができれば苦労はしない。統哉は分の悪い賭けにこの一帯の安全をベットできるほど勇敢ではないのだ。
「適当ぶっこいてんじゃあねー! お前は自分が何をしたのかわかってんのか!? 私の所有物に唾をつけるどころか、ブチューッと唇を押しつけやがってからに!」
「所有物違うからな」
すかさず訂正しておく。
「しかしルーシー、ベリアルと契約したのは、本当みたいなんだが……」
「――何だって?」
ルーシーが驚愕の表情で尋ねる。
統哉は堕天使達が言葉を交わしている間に、自分に起きた変化を確かめていたのだ。その結果、確かにベリアルとの間に契約のリンクができていることが判明した。ベリアルが放つ色は予想通り真紅だった。
「待て待て、君とベリアルは契約したって事なのか?」
「……らしい」
俄かには信じられないが、一方的な形とはいえ契約が成立していることは事実だ。
「それはおかしい。堕天使との契約は一人一堕天使のはずだ」
「え? そうなのか?」
ルーシーの思いがけない事実の暴露に、統哉は面食らった表情をする。
「ああ。堕天使との契約はとてつもなく強力な力を得る事ができる代わりに、とんでもないリスクを負うものだから、例えば戦闘開始と同時に、60カウント後には戦闘不能になる呪いがかかるのとか。故に、二人以上の堕天使と契約すると即座に存在が消滅してしまったりする。まあ、かのソロモン王の指輪のようなチートアイテムでもあれば話は別だが。統哉、なんかそれっぽいものでも持っているのか?」
「強敵相手だと詰むな、その呪い……じゃなくて、俺全然そんなもの持ってないぞ」
そこで、ベリアルが口を挟んだ。
「違うな。間違っているぞ、ルシフェル。一体いつから堕天使との契約は一人一天使だと錯覚していた?」
「なん……だと……」
「……というのは冗談だが。しかしルシフェル。お前ほどの者が気付いていなかったのか? 本当に弱くなったものだ。この坊やにかなりの潜在的魔力がある事に。それも、かなり上等の物がな」
「何だって!?」
ルーシーが食ってかかる。
「ベリアルは既に気付いていたぞ? 先日、お前と死闘を繰り広げていた時にベリアルが坊やに狙いを変えたのも、それに興味を持ったからだ。まあ、あの時のベリアルは魔力がとてつもなく高かったからな。しかし、これもルシフェルとの契約の恩恵か?」
「悪い、話がよく見えないんだが」
口を挟んだ統哉に、ベリアルがコホンと咳払いをする。
「坊やのために簡単に説明すると、ルシフェルを一種のスーパーコンピューターとしよう。で、そのスーパーコンピューターのスペックの一部を、契約というプログラムにして、坊やというハードウェアにインストールした。しかし、そのハードウェアには事前に何か特別なプログラムだかセキュリティソフトだかがインストールされていたらしい。それがルシフェルと交わした契約と衝突を起こし、バグが発生してしまった。そのバグが、『複数の堕天使と契約できる』と事ではないかとベリアルは考えている。あくまで推論だが。どうだ坊や、記憶したか?」
「そ、そうなのか?」
「しかし坊や、お前は一体何者だ? 潜在している魔力といい、複数の堕天使と契約できるほどのキャパシティを有している事といい、こんな逸材、そうそうお目にかかれるものではない。下手をすれば、あのソロモン王よりも上かもしれない」
感心するベリアルだったが、ただでさえわからない事だらけの自分の状態を、自分で説明できるくらいならば苦労はしない。
「一か八かの賭けではあったが、なんにせよ坊やがレア物で助かったよ。もっとも、方法が極端になってしまったのはすべてベリアルの責任だ。だがベリアルは謝らない。そうしなければ、生き残れなかったのだからな。ああ、でも流石に方法が極端すぎたか……あうぅ……」
キスの感触でも思い出したのか、ベリアルはそっと唇に触れ、顔を赤くして艶めかしい溜息をついた。一方の統哉としては泣きたいところであったが。
「……で? どうすんだよ、それ?」
もう諦めたという表情で統哉はベリアルに尋ねた。だがベリアルはどこか開き直った表情で、ふん、と鼻を鳴らし、肩を竦めた。
「さあ?」
身勝手だ。統哉はそう思った。
勝手に殺しにかかっておいて、死んだと思ったら生きていて、いけしゃあしゃあと家に訪ねてきて、その上強引に契約を結ばされた。挙句の果てには、この辺一帯を事実上人質にとられました。
もう頭痛が痛くて仕方がない。頭がガンガンレオンと悲鳴を上げてきた。
「オーケー、その魔術が嘘か真かわからない以上、お前を迂闊に殺せなくなった事はよーくわかったが……」
状況を自分なりに理解したらしいルーシーがベリアルを睨みつける。
「それ、本当か? お前は息をするように嘘をつくからな。百歩譲って、それが本当ならば証拠を見せてみろ」
ルーシーが訝しげな口調でベリアルに詰め寄る。
「……いいだろう。その証拠に、ベリアルの体の一部には、坊やからもらった魔力を注ぎ込んだ術式の魔法陣を刻んである。そう、それが自爆術式だ。二人とも。こんな感じのな」
そう言ってベリアルは、ルーシーがよくやるように指をパチンと鳴らした。
次の瞬間、ベリアルが纏う真紅のドレスが発火し、ベリアルは一糸纏わぬ姿に――
「レーティングゥゥゥーーーーッ!」
なろうかというその刹那、ルーシーが絶叫しながら統哉に強烈な目潰しを叩き込んだ。
目潰しはクリティカルヒットし、統哉は目からは星が飛び出る感覚に襲われた。
「しゃうたーっ!?」
水棲動物じみた悲鳴を発し、統哉は両目を押さえて床を転げまわる。
「目が! 目があああぁっ!?」
「わーっ! 統哉、すまない! 流石にあれは色々な意味でアウトになりそうだったからそれを回避させてもらった!」
ルーシーが必死に何か弁明しているが、今の統哉にそれを聞く余裕などなかった。
正直<天士>でなければ失明していました、あの目潰し。訴訟も辞さない。
そう心の中で訴えながら、統哉は身を起こした。どうにか眼球及び視力に問題はないらしい。目は凄まじくチカチカしているが。
なんとか戻ってきた視力でベリアルを見ると、既にベリアルは元通りのドレス姿に戻っていた。
「このド馬鹿が! いくらお前をドMに仕立て上げた男の前だからといって、いきなり全裸になる奴があるか! 恥を知れ恥を!」
ルーシーががなり立てるが、ベリアルはそ知らぬ顔だ。
「証拠を見せろと言ったのはお前だろう、ルシフェル? だからベリアルは言われた通りにしただけだ。でも、坊やには刺激が強すぎたかな? くふふ。だがルシフェルはバッチリ見てしまったぞ? 自爆術式を」
「いやいやいや、刺激以前に痛みが強すぎだよ……」
不敵な笑みを浮かべるベリアルに、統哉は目頭を押さえながら答えた。断っておくが、統哉に見えたのは、おへその辺りだけだった。他は見えていない。全くもってセーフのはずだ。
「――統哉。痛みに耐えている所申し訳ないが、ちょっちこっちへ」
「何だよ」
ルーシーに手招きされ、統哉は廊下まで歩いていった。そして、ルーシーは統哉に耳打ちした。
「……でさ、統哉。さっきの話だが、本当にあったわ。自爆術式の魔法陣」
「…………マジで?」
「…………マジで。発育が残念な胸の所にバッチリ」
ちなみに、二人のの後ろではベリアルが「お前達、無視か? はっ、まさかこれが放置プレイというやつなのか? ……はぅぅ」と、またもやドMモードに切り替わろうとしていた。
「という事は……」
「ああ。一歩間違えば、この辺一帯が跡形もなく消し飛ぶ」
「……………………」
「……………………」
「……どうすんだよ」
「……とりあえず、ピザでも頼んでご機嫌取りするしかない。何故かあいつはピザが好物だ。いいな統哉? 一番いいのを頼むぞ」
そう言い残し、ルーシーはリビングへと戻っていった。ルーシーはルーシーでベリアルのご機嫌取りをするつもりなのだろう。
そして一人残された統哉は、嵐の前の静けさを感じながら、倒れるように壁にもたれかかった。
「……ああもう、マジでどうするんだよ、これから……」
見えないこれからの行く末に、統哉はがっくりと肩を落とし、呟いた。そして、一番いいピザはどれだったかと確認する羽目になった。




