Chapter 3:Part 03 そして奴は弾けた
カチ、コチという時計の針が時を刻む音がやけに耳につく。
統哉は現在、夕暮れ時のリビングで、ルーシーと並んで座っている。いつもは向かい合って他愛もない話をするような状況なのだが、今回は緊急事態だ。コンディションレッドである。
背景には、ドドドド、ゴゴゴゴといった擬音が浮かんでおり、ただならぬ雰囲気を醸し出している。
そして、二人の正面には、真紅まみれの小柄な少女が座っている。
その名は、ベリアル。
ルシフェルの次に創造された、ソロモン七二柱、序列六八位を戴く、炎を操る堕天使だ。
そして、天界にいた時は事あるごとにルーシーと命を懸けた死闘ばかり繰り広げていたとの事で、ルーシーは並々ならぬ警戒心をベリアルに向けている。
「え、えーと、俺、お茶淹れてくるよ」
「私が淹れてくる」
有無を言わせずにルーシーが席を立ち、キッチンへと消えていく。
「……」
「……」
残された二人の間に、なんともいえない緊張感が漂う。特に統哉としては殺されかけた(実際は一度殺されたが)事から、いつでも戦闘態勢をとれるようにしておかなくてはならなかった。
「待たせたな」
やがて、ルーシーが湯呑みをお盆に乗せて戻ってきた。そして、湯呑みを掴み――
「そら、お茶だ」
「猛烈に指入ってるじゃねーか!」
テーブルに置いた湯呑みの中にある液体の中に、親指を全力で浸けているルーシーにすかさずツッコミチョップを振り下ろした統哉だったが、するりとかわされてしまった。そしてルーシーは指を冷やすためだろう、指をふーふーしながらキッチンへ逃げていってしまった。
「しかし……」
統哉は呆れ顔で少し離れたところから湯呑みを覗き込んだ。
湯呑みの中には、猛烈な湯気を伴って、ぐつぐつという音と泡を立てているお茶――ではなく、青汁が置かれていた。
「ルーシー、俺はお茶を淹れてくれって頼まなかったか?」
キッチンにいるルーシーに向かって、統哉は声を張り上げる。そもそも、八神家には青汁なんてなかったはずだ。いつの間に用意していたのかは謎だが。
「はーて、そうだったっけかー?」
ルーシーはキッチンから口笛をぴーひゃらぴーと吹きながらしれっと答えた。
「悪い。あいつは俺が後できちっと叱っておくから、これ取り替えてくるよ」
「構わんよ。頂こう」
湯呑みを下げようとした統哉を制し、ポーカーフェイスを保ったままベリアルが答える。
その言葉を聞くや否や、ルーシーがすぐに飛んできて身を乗り出してきた。
「言ったな? じゃあ飲め。飲めるものならば飲んでみろ。今になって無理なんて言うなよ? お?」
そう言ってルーシーがテレビのリモコンで煮えたぎる青汁をベリアルの前に押しやる。
「おいルーシー。確かにこいつは前に俺達を殺す気で襲いかかってきた。でも何もしていないんだから、せめてまともな応対ぐらいしてやれよ」
「どうだかな。何せこいつは嘘をつくのが特技だからな。今こうしているのも演技かもしれないぞ」
「心配するな。ベリアルは坊やとタイマン張りに来たわけではない」
ベリアルが答える。というか、まだ統哉の事を「坊や」呼ばわりするのか、このロリ堕天使は。
「うわあ胡散くせー、話術スキル『ペテンの誘導』を持つ奴がいけしゃあしゃあと……」
「いただきます」
ブツブツ文句を垂れるルーシーを尻目に、ベリアルは煮えたぎる青汁の入った湯呑みを掴むと、一気に飲み干した。
「……まずい。もう一杯」
お約束の一言と共に、ベリアルは湯呑みを置いた。まずいと言いながらも、表情は全く変わっていなかったが。
「お前、あれが熱くないのか?」
統哉が驚き半分、呆れ半分に尋ねた。
「ああ。炎の堕天使は伊達じゃないのさ」
「……ちっ。やっぱ青汁じゃなくて、せんぶり茶にしておけばよかったぶんねっ!?」
後ろでぶつぶつ言うルーシーに、とりあえず近くのクッションを投げつけて黙らせておく。話が進まない。
「……でさ、お前は一体何の用でここに来たんだ?」
統哉が単刀直入に切り出す。
「簡単な用事だ。だが、その前にどうしてもすっきりさせておかなければならない事がある」
ベリアルは真剣な表情で統哉を見据えた。真紅の双眸に見つめられ、統哉は思わずたじろいだ。
「単刀直入に聞こう。何故、お前はベリアルに殺されたのに生きているのだ?」
「……は?」
突拍子もない問いかけに、統哉は間抜けな声を出してしまった。
(……殺された? 俺が? こいつに? 何を言ってるんだ?)
統哉の中にたくさんの疑問が去来する。そんな統哉をよそに、ベリアルは話を続ける。
「ベリアルは確かにお前を殺した。死ぬのをこの目で見届けた。ある種の満足感も味わった」
ベリアルはそこで一旦言葉を切り、続けた。
「だが何かが起こった。太陽が西から昇らないのと同じように、おかしく、あり得ないと思っていた事が、とにかく起こった。この手で殺したお前が生き返ったのだ。そして、さらにあり得ない事が起こった」
一呼吸おき、ベリアルは統哉に人差し指を突きつけ、言い放った。
「お前がベリアルを殺したのだ、八神統哉」
「…………」
統哉は目を見開き、固まっている。そして、ゆっくりとルーシーに顔を向けた。ルーシーは申し訳なさそうな顔で統哉から目を逸らしている。
「ルーシー? お前は確か、俺があいつを追い払ったんじゃないかって……」
「……すまない。あの時点で私にはベリアルが死んでいる事がわかっていた。そして、君が殺したという事も。だが、それをすぐに話せば、いくら正当防衛だったとはいえ君が傷つくだろうと思ったから話さなかった。だが、いずれは頃合いを見て話すつもりだったんだ。本当に、申し訳ない」
ルーシーが深々と頭を下げる。
「さて、ベリアルを殺した責任をとってもらおうか、坊や?」
「……」
統哉は言葉も出さずにベリアルから目を逸らした。
「どうした? 自分の犯した罪の大きさに言葉も出ないか?」
「……あの、大変申し訳ないんだけど……」
統哉は躊躇う素振りを見せ、そして、ベリアルを見つめて宣言した。
「ごめん、覚えてない」
リビングを沈黙が支配する。そして――
「…………え?」
ベリアルが間抜けな声を上げた。と思いきや、次の瞬間にはテーブルに身を乗り出して詰問してきた。
「覚えていないとは一体どういう事だ坊や!? 死んだかと思いきやいきなり蘇った上に、ベリアルにあれだけの屈辱を与えた上でベリアルに選択の権利を与えたと思いきやそれを剥奪した上で命を奪っておいて覚えていないだと!?」
「一息で喋るな寿限無かよ!」
スパーンッ!
甲高い音が響いた。
思わず、自分でも驚くほど神がかった速さでハリセンを手にし、ベリアルの頭にツッコミを叩き込んでしまっていた。
「……しまった」
統哉が呟く。今のベリアルを刺激するのは、まさに火に油を注ぐ行為だ。ついルーシーに対しての条件反射が起きてしまい、ベリアルにもハリセンを振り下ろしてしまった。
ベリアルのボルテージが上昇しているのがよくわかる。その証拠に、ベリアルは俯き、その身をわなわなと震わせている。
何が起きてもいいように、二人は無意識の内に身構えてしまう。その時――
「…………いい」
「「……え?」」
ベリアルの思いがけない台詞に、思わず二人の声がハモる。
「……スゴクいい! いいツッコミだ! 手首のスナップといい、腰の入れ方といい、こういう的確なツッコミを繰り出せるんなら、坊やの健康状態は間違いなく『良好』だ!」
さりげなく統哉の手をペロリと舐めながらベリアルは恍惚とした表情を浮かべる。
「うひっ!?」
統哉は思わず奇妙な叫び声を上げて慌ててベリアルから距離をとる。ルーシーは驚愕の表情で突っ立っている。
「そして手の味から推定するに、君の血液型はO型だろう?」
「うわあ何だこいつ!? なんであれで血液型がわかるんだよ!? しかも合ってるから余計怖い!」
ザーッと音を立てて、統哉の顔から急速に血の気が失せていく。
「変態だー!?」
口を菱形にしたルーシーが叫ぶ。
「私がいなかった間に一体何があったというんだ!? ベリアルは確かに人格が破綻している所はあるが、ここまでの変態思考を持ち合わせてはいなかったぞ! 何なのだ、これは! どうすればいいのだ!?」
ルーシーが頭を抱えながら狼狽え、統哉に詰問する。
「統哉! 本当に何も覚えていないのか!? スットボケているんじゃないだろうな!?」
「本当だよ! 俺にもさっぱりわけがわからねーよ!」
「……聞きたいか?」
悪戯っぽく笑い、ベリアルが尋ねる。その台詞に、二人がベリアルに顔を向ける。
「ただし、ルシフェルにだけだ。坊やは言わなくてもわかっているはずだろうからな、くふふ」
その言葉に、ルーシーがベリアルの側に向かう。
「よーし、別室でじっくり聞かせてもらおうじゃないか! ただし、話の間に少しでもおかしな行動をとったら容赦しないからな!」
「いいとも。ベリアルの名において誓おうじゃないか」
そして、ルーシーは統哉に向き直った。
「統哉、ちょっと私はこいつに何があったのかを、質問を拷問に変えてでも問い質してくる! だから、それまでここにいろ!」
そう言い残し、ルーシーはベリアルを連れて二階へと消えて行った。
「……俺が、一体何をしたっていうんだ……?」
統哉は一人、リビングのソファーに力なく腰を下ろし、頭を抱えるしかなかった。まさか自分は、記憶を失っている間に、ベリアルに対して色々な意味で取り返しのつかない事をして末に殺してしまったのではないか。そう考えると、いくら命を奪った相手とはいえ、申し訳ないという気持ちで一杯になる。
そして、待つ事約十分。
「――――統哉ぁぁぁっ!」
ルーシーが血相を変えて一階に戻ってきた。そして、統哉の胸倉を掴んだ。
「統哉! 君は……なんて、取り返しのつかない事を……!」
(ああ、やっぱり俺、取り返しのつかない事をしてしまったんだな……)
そう思うと、なんだか急に心が落ち着いてきた。人間というのは一度に受けたショックが大きすぎると、かえって穏やかな心境に達してしまう事があるというが、本当の事だったらしい。
「……さあ、俺が何をしてしまったのかを聞かせてくれ」
どこか虚ろな表情で、統哉が促す。
「統哉……君は……君はベリアルを……」
そして、たっぷり間を置いた後、言い放った。
「ドMに目覚めさせてしまったんだ!」
「……………………はい?」
言われた事の意味が一瞬わからず、統哉は思わずルーシーの顔を見つめてしまう。見ると、ルーシーの顔は紅潮しており、心なしか目が潤んでいる。
「君にサドっ気があるとは思っていたが、まさかベリアルのキャラをあそこまで変えてしまうとは! おのれ統哉! 君のせいでベリアルのキャラが破壊されてしまった! どうしてくれる! どうしてくれる!」
胸倉を掴んで激しく揺さぶるルーシー。
「……え? どういう、事だ?」
言われた事が理解できないという表情で統哉は独り言のように呟く。
「そういう事だよ、坊や」
二階から声が響く。声のした方向に目を向けると、悠然とした足取りでベリアルが二階から下りてきた。
「ベリアル、俺は一体何をしたんだ? 全く覚えていない事は本当に申し訳ないけど、頼む。教えてくれ! 覚悟はできてる!」
頭を下げて頼む統哉。
「やめろ統哉! 後戻りできなくなる――」
「いいだろう。そこまで言うのならば、改めてこのベリアルが坊やに罪を突きつけようじゃないか」
ルーシーの制止を遮り、ベリアルが統哉のすぐ側まで進み出てくる。
「あれからベリアルは坊やにトドメを刺した後、ルシフェルにトドメを刺すためにその場を去ろうとした。だが、その時だった。何か違和感を覚えて後ろを振り返ると、坊やが姿を変えて立っていた。正直言って、流石のベリアルも心底恐怖した。そして、ベリアルは即座に攻撃を加えた。だが、全く意味を成さなかった。坊やはベリアルの攻撃をものともせず接近し、飛び蹴りを見舞った。ベリアルはそれを受けて吹き飛ばされたが、そんなものはまだ序の口だった……」
一旦息を整え、ベリアルは続ける。
「その後坊やはベリアルを強引に地面に押し倒し、容赦のない言葉責めと背中を踏みにじる事によって、んぅ……ベリアルをどんどん壊していった……」
なんだか、だんだん語り口が熱っぽくなっているような気がする。
「さらに坊やはR指定のショータイムと称して、さらに激しい責めを加えていった……そして……」
ベリアルの頬がさらに紅潮していく。
「坊やはベリアルに選択肢を与えた。そのまま大人しくしていれば、戦闘不能にはなってもらうが何もしない、大人しくしているか否かという選択肢を。だが、大人しくしていると答えたベリアルに、坊やはそんなウマイ話などないと言った。ベリアルは堪忍袋の緒が切れて、それを最後の反撃の機会とばかりに、坊やに挑みかかった……だが、それよりも早く、坊やがベリアルにトドメを刺した……! 以上の事からベリアルは、ベリアルは――!」
一呼吸おき、ベリアルは絞り出すように叫んだ。
「坊やのせいで『ドM』に目覚めてしまったんだ!」
その様子に二人は完全に言葉を失っていた。
「あの時、ベリアルの中で何か種のようなものが弾けた気分だった……ああ、あの時の事を思い出したら、もう……」
ベリアルは眉を寄せ、切なそうな表情で身体をよじらせながらその時の事を思い出しているようだ。人差し指を加えて激しくちゅうちゅうと音を立てて吸っていたが、やがて大きく身を震わせた。かと思っていたら、切なそうな表情が恍惚としたものに変わり、徐々に身体から力が抜けていった。
「……ヘブン状態」
色っぽい目を二人に向けるベリアル。
その時、二人に電流が走った。
「――うわあああああっ!! こいつ、変態だー!?」
統哉は口を菱形にして、心の底から絶叫した。
「変態! 変態! 変態!」
ルーシーは全力で罵声を浴びせかける。
「……ああ、ルシフェルに変態呼ばわりされるのは腹が立つが、それ以上に坊やに変態呼ばわりされる方が……イイ!」
「もうやだこいつ!?」
しばらくの間、ベリアルは一人でヒートアップしていた。
今年の更新はこれが最後です。皆様、よいお年を! そして、来年もよろしくお願いいたします!!




